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May 18, 2006

『夜よ、こんにちは』の雨滴

歴史的事実にもとづきながら、事実から自由につくられたこの映画でいちばん印象的だったのは、暗殺される運命にあるモロ元首相が監禁されたアパートを抜け出し、雨に濡れながら広場を歩いてゆく幻想シーンだった。雨の滴に我が身をさらすように顔をあおむけ、雨の音に耳をそばだて、襟を立てて、冷たい空気をいとおしむように歩いてゆく。

1978年、ローマで起こったモロ元首相誘拐暗殺事件を素材にしたこの映画で、ラスト近いそのシーンまで、ほとんどが元首相が監禁されるアパートと、誘拐した「赤い旅団」の女性メンバー、マヤ・サンサが勤める図書館という室内空間でのみ進行するから、それまでの閉ざされた息苦しさから解放され、外の冷たい空気と雨に触れて「自由の感覚」にひたるのは元首相ばかりでなく、それを見ている観客の僕たちでもあるのだ。

似たようなシーンは他にもある。夜、元首相を監視する「赤い旅団」のメンバーが眠っている間に、元首相はアパートのなかを自由に歩き回る、これもマヤ・サンサが幻想するらしいシーンがある。元首相は寝ているマヤのベッドの脇に座って、彼女の寝顔をじっと見ている。書棚に近づき、本を取りだして読んでいる。

元首相は狭い一室に監禁されている。監禁している側の「赤い旅団」のメンバーもまた、監禁しているがゆえに自らの身も自由ではなく監禁した空間に拘束されている。彼らはそのように肉体的に拘束されているだけでなく、精神的にもプロレタリアの名による革命的処刑というイデオロギーに拘束されている。登場人物すべてが肉体的に、また精神的に拘束されているなかで、ひとり幻想シーンの元首相だけが自由にふるまっている。

事件に対する政府の反応といった外界の動きは、居間のテレビ画面を通してのみ語られる。外の風景は、居間の窓ごしに見える道路と隣家のアパートだけ。壁に開けられた狭い隠し扉や、ドアののぞき穴を通した映像が、監禁する側もされる側も閉じこめられていることを強調する。それを見る観客も、監禁されているという感覚に捕らわれる。そのなかで、マヤは誘拐と処刑に疑問を感じ、監禁された元首相が自由に動き回ることを幻想する(行動は起こさない)。

監督のマルコ・ベロッキオは、そんなふうに拘束され密閉されている感覚を執拗に描くことによって、そこから解放される「自由の感覚」がどんなに大切なものかを語っているように僕には感じられた。

幻想シーンにまじって、映画には何カ所か、何の説明もなくモノクロ映像がインサートされる。雪の積もったブランコ。雪のなか、汽車で2月革命のロシアに帰還するレーニン。軍服を着たスターリン。処刑されるパルチザン(ロッセリーニ『戦火のかなた』の引用?)。それらの映像が暗示しているのは、潰えた革命の理想ということだろうか。

この映画は元首相を暗殺したテロリストを秩序の側から一方的に断罪しているわけではない。マヤの迷いと幻想のなかに、一筋の光明を見ている。マヤが一族の結婚式を回想するシーンで、出席者の一人がパルチザンの歌(ロシア民謡)を誇り高く歌うシーンを、ベロッキオ監督が共感をこめて撮っていることからも、それはうかがえる。

この国では絶えて聞くことのなくなった「左翼ヒューマニズム」なんて言葉を思い出した。この国では、戦後のある時期にもてはやされ、消費され、とっくの昔に死語になってしまったけれど、この映画の底には、そしてある種のヨーロッパ映画には、戦争や革命の体験に裏打ちされたそんな精神が今も脈々と流れていることを実感させられる。

日本で「左翼ヒューマニズム」などという言葉から連想される類型的なリアリズムではなく、自由で成熟した、しかもサスペンスフルな映画だった。

冒頭、暗い室内に貼られた映画のポスター(何の映画のか分からなかった)と、挿入されるピンク・フロイドの音楽が、あっという間に、僕らをあの時代に連れていってくれる。


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Comments

幻想シーンにまじって、映画には何カ所か、何の説明もなくモノクロ映像がインサートされる。

そうそう、私も実はこの映像の意味がよくわからなかったのです。
パルチザンにははっきりとした理想と、正義の裏づけと、達成感があったという、ノスタルジーなものも描いているのでしょうか。。。

Posted by: マヤ | May 21, 2006 01:04 PM

モノクロのインサートがマヤの心象なのか(とすると、ブランコは子供時代の記憶?)、それともパルチザンにつながるのか、私にもよく分かりませんでした。でも分からないままに印象的なカットでしたね。

Posted by: | May 22, 2006 02:09 PM

アルド・モーロという人物は近年ウィキペディアで知りました。

カーラ・ブルーニとヴァレリア・ブルーニ・テデスキも赤い旅団に誘拐されるのを恐れ、イタリアのトリノからフランスへ移住したそうです。

今回私は10月25日入隊することになりました。訓練期間を終えると台北市へ戻り、台北市内で勤務できるので、後ほど一段落落ち着いてからまた近況報告と連絡させていただきますね。

Posted by: 台湾人 | October 12, 2010 11:41 AM

台北勤務になったとは幸運でしたね。休暇のときには映画も見られるでしょう。これからの体験は、台湾人さんの夢を実現するためのステップとして決して無駄にはならないと思います。いずれまた近況報告をお待ちしています。

Posted by: | October 13, 2010 04:24 PM

一昨日の11月19日金曜日に軍事基礎訓練と職務訓練を終えて帰宅しました。

最初の一週間と二週間半後に二回帰宅しましたが、最初の一週間の酷い風邪と下半身の左側のリンパの炎症で体調を崩した私は休養と家族と時間を過ごすことにより時間を割って連絡をする余裕がないので、返事が大変遅くなってしまい本当に申し訳ありません。

本音は北朝鮮から帰還したような感じなので、日本、フランスやイタリアなどの先進国の自由、民主と人権の尊さと重要さを再認識しました。

Posted by: 台湾人 | November 21, 2010 05:29 PM

戦後、日本には兵役制度がありませんから、大多数の人間は(私も)軍隊経験がありません。台湾人さんが「北朝鮮から帰還した感じ」とおっしゃるのが実感を持って受け止められませんが、ご苦労様です、としか申し上げられません。これも台湾人さんの夢を実現するための一ステップと考えて、体調に気をつけてお過ごしください。

Posted by: | November 23, 2010 05:39 PM

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