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May 26, 2006

『春夏秋冬そして春』(DVD)

『春夏秋冬そして春』は、キム・ギドクの作風ががらりと変わった作品だと言われる。確かに、キム・ギドクを特徴づける暴力描写(自他に対する)はなく、全編が静謐な空気に満たされている。キッチュな色づかいもなく、山と湖の美しい自然が織りなす季節のうつろいと、主人公が住む湖上の庵との落ち着いた色彩で統一されている。そしてどの映画からも伝わってくるキム・ギドクの激しく切迫した息づかいが、この映画では一見感じられない。

でもこれは、まぎれもなくキム・ギドクの映画だ。今までコインの「裏」ばかりを見せていたとすれば、この映画でキム・ギドクははじめて同じコインの「表」を見せたのかもしれない。正統派の監督なら、まずは「表」の顔を見せておいてその評価の上に立って「裏」の顔を見せる。でもキム・ギドクは、不器用に、性急に、自分の「裏」の本音を叩き付けるようにして映画をつくってきた。その意味では彼もまた、ようやく年齢なりに成熟してきたのかもしれない。

「裏」が「表」になったからといって、同じコインであることに変わりはない。ここにも、キム・ギドク以外の誰の映画でもない構造や設定やショットにあふれている。

湖面に浮かぶ庵は、『魚と寝る女』の浮き小屋と同じもの(途中で、庵が水面を移動するショットがある。僕は庵が浮いているというより幻想シーンと解したが)。これは「孤立」の喩だろうけど、同時に「拘束」をも暗示していると思う。『悪い男』の売春宿も『青い門』の曖昧宿も同じ意味を持っているのではないか。男が女を暴力的に拘束するというのは、キム・ギドクの「裏」の作品にしばしば流れているテーマ。「表」のこの作品では、孤立した場所に閉じこめられた少年と少女が互いに惹かれあうことになる。

「表」の静謐は、「裏」に激情を秘めている。少女を忘れられずに庵を去った少年は、やがて結婚した少女を殺し、追われる身となって庵に戻ってくる。でもそれは、数少ないせりふで示されるだけで、直接の描写はまったくない。

キム・ギドクの映画に流れるいくつものテーマ系のうち、この作品でいちばん激しく表現されるのは「贖罪」だろう。少年は面白がって魚やカエルや蛇に石を結びつけ、動けなくなった魚や蛇を殺してしまう。少年は、父親代わりの在家の僧から背中に石を結びつけられ、彼らを弔うことを命じられる。成人し、妻を殺して戻ってきた男は、父親代わりの男と同様の在家の僧となり、腰に石を結びつけ、庵の観音を手に、湖を望む山の頂上に観音を据える苦行を自らに課す。

暴力的に女を拘束し、傷つけることでしか女とつながれない男。その男が贖罪のために、自らをまた激しく傷つける。それがキム・ギドクの映画の底に流れる、どうしようもない性と感情であるように思う。

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