『悪い女 青い門』(DVD)
キム・ギドクは、自分の映画は「キム・ギドク」という長い映画のパーツ、パーツなのだという意味のことを語っているらしい。なるほど、設定や物語が相似形の映画があるし(例えば『魚と寝る女』と『悪い男』)、彼の映画を何本も見ていると、ああ、これはキム・ギドクが偏愛するイメージだな、という映像が見えてくる(例えば自然の色とキッチュな色との対照など)。
『悪い女 青い門』(Birdcage Inn、1998)は彼の第3作だけど、その後の『サマリア』(2004)の原型のような作品だった。
女二人の物語。ひとりは、セックスに何の罪悪感ももたず、それでいて無垢な聖少女のような存在。常識に縛られた社会的存在であるもうひとりは、彼女に同化することによって彼女を理解し、彼女そのものになろうとする。『サマリア』では、聖少女が自殺することから、もう一人の少女の聖少女への同化に宗教的な贖罪の気配を感じさせた。『悪い女 青い門』はもっと風俗映画ふうな味で、僕はこっちのほうが好み。
娼婦のイ・ジウンが東海岸の製鉄の町、浦項の曖昧宿(民宿)に流れてくる。ジウンは宿に来る男に身体を売りながら、昼は絵の勉強をしている。エゴン・シーレを愛し、周囲の人たちの肖像をスケッチする。
ペンキ塗りの青い門と怪しげなネオンが印象的な民宿の娘、イ・ヘウンは自分の父親や恋人とも寝るジウンにはじめ激しく反発するが、ヘウンの存在が気になり、彼女の行動を追うようになる。ジウンと同じ髪飾りをつけ、ジウンと同じ店に入る。宿に来た客にジウンと間違えられ、最初は「違う!私は娼婦じゃない」と答えるが、ある時、間違えられるままに客の男と寝てしまう。
舞台は、韓国の近代化を象徴する浦項製鉄所を背景にした海水浴場。殺伐としたコンビナートの見える海岸と、キッチュな色(またしても!)の民宿や町並みが、90年代、IMF管理下で不況にあえぐ韓国のリアルな空気をすくい取っているのだと思う。こういう色彩感覚はキム・ギドクの独壇場。
ラストシーン。水中のカメラが、ジウンが海に放った金魚(金魚や緋鯉はギドク映画に頻出するアイテム。金魚が海で生きていられるのか、などと常識的な疑問をキム・ギドクの映画に抱いてもはじまらない。彼の映画ではそういうものなのだ、と納得するしかない)と、水面の揺らぎを通したジウンとヘウンのアップを映し出す。
水(海や湖、あるいは水槽の)を通した顔のクローズアップは、キム・ギドクが偏愛するイメージのひとつ。水を通すことによって屈折したり揺らいだりする登場人物の顔は、彼らがそれまでのありようをはみだし、変貌し、別の存在になろうとする瞬間を捉えているようにも感じられる。
これ以前の彼の作品は未公開だけど、こういうイメージ群がもう出現しているのか、見てみたいね。

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