« 夜の青 | Main | 『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』と現代ウェスタン »

April 06, 2006

『春が来れば』の苦い心地よさ

どこかで見たことのある設定と物語、聞いたことのあるセリフ、過去の映画で記憶にあるイメージが散りばめられているけれど、それが二番煎じとは感じられず、むしろなじんだ服のように心地よく映画の流れに身をゆだねることができ、最後にはジンと来たりする。『春が来れば(springtime)』はそんな「中年映画」だった。

売れないミュージシャンが恋人と別れ、ソウルを離れて地方都市の中学校で吹奏楽部を指導する講師になる。生徒たちの真情に触れ、ほのかな恋もあったりしながら、廃部寸前の吹奏楽部を立て直してコンクール入賞をめざす。

……と要約してしまえば、ありきたりの物語。でもそれが型どおりではなく襞ひだの細かな感情を見る者に伝えてくる映画になったのには、いくつかの理由があるように思う。

なにより、売れないミュージシャンになるチェ・ミンシクがうまい。『オールド・ボーイ』や『親切なクムジャさん』では髪を振り乱してエキセントリックな演技を見せたチェが、冴えない独身男になりきってる。太り気味で二重顎の身体から発する寂しさと切なさ。映画によって硬軟自在の役をこなす幅の広さは役所広司といい勝負だね。

この独身男のマザコンぶりがすごい。日常の身の回りの世話は母親に任せきり。地方都市へ行ってからも淋しくなると母親に電話し、母親が食料を腕いっぱい抱えていきなり下宿を訪ねてくると、男は文句を言いながらも喜々として迎えいれる。中年になった息子の母への甘えぶりは日本人から見ると度を越しているけど、公式HPのコラムによると、独身男と母親のこんなふうに密着した母子関係は韓国ではよくあることらしい。

夜、二人が下宿の一部屋に並んで布団にくるまり、若いころの夢はなんだったの? と息子が母親に問いかけて会話が始まる。小津安二郎の『晩春』で、寝巻き姿の笠智衆と嫁ぎ遅れた娘の原節子が旅館の一室で会話する有名なシーン(近親相姦の気配を感じる人もいる)を逆転させた構図。リュ・ジャンハ監督がそれを意識していたかどうかは分からないけど。

映画のロケは江原道の炭鉱町・道渓(トゲ)。この寂れた町の風景がたまらない。山間の谷間に小さく開けた低い家並み。坂の多い町にことあるごとに雨が降り、雪が降り、列車の走る音、踏み切りのカンカンという音が響く。日本人ばかりでなく韓国人にとっても、もはやこういう失われた風景はノスタルジーの対象なんだろう。

坂の途中、橋のたもとに一軒の薬局がある。木造で、ガラスの引き戸をがらがら開けると、中でだるまストーブが熱くなっている。中年男と薬剤師のほのかな恋の舞台になるこの薬局を道路の反対側から引き気味に捉えたショットが繰り返し挿入される。この映画のキー・イメージ。

リュ・ジャンハ監督が助監督としてついた『8月のクリスマス』でも恋の舞台になった写真館の引き気味のショットが繰り返し登場していたから、明らかにそれを踏まえたもの。でも、さびれた地方都市のリアルな風景が二番煎じに陥ることから救っている。

中年男が指導してコンクールをめざす吹奏楽部は、メンバーが抜けるお定まりのトラブルに見舞われる。日本でも似たようなテレビドラマや映画は多いけど、リュ監督はトラブルの理由を斜陽になった炭鉱の貧しさから引き出している。だから、日本映画よりも『フル・モンティ』や『ブラス!』といった階級社会の現実を背景にしながらエンタテインメントに仕立てた一連のイギリス映画に近い味わい。

日本のこの手の映画ではそういう骨っぽさはなく、ただの青春物語やノスタルジックな物語になってしまうことが多い。いや、それは総中流化した社会を反映しているだけなんだけど、今また格差社会などと言われている現実を素材にエンタテインメントにしてみせるしたたかな映画が見たいもんだね、というのは余分な感想。

中年男が作曲した唯一のヒット曲が教室で、キャバレーで、あるいは海岸で、トランペットとサキソフォーンで何度も演奏される。そのセンチメンタルで甘いメロディと、時折挿入されるピアノの抑制された叙情がうまくブレンドされているところが、『春が来れば』のほろ苦い心地よさになっているんだろう。

リュ・ジャンハ監督の第1作。いろんな意味で巧みすぎて、次がちょっと心配だけど。

|

« 夜の青 | Main | 『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』と現代ウェスタン »

Comments

素晴らしいレビューに感心しました。

>今また格差社会などと言われている現実を素材にエンタテインメントにしてみせるしたたかな映画が見たいもんだね

ほんとそうですね。
ぼくもぜひ見てみたいです。


Posted by: えい | April 06, 2006 at 07:45 PM

コメント、ありがとうございます。

『パッチギ』は60年代を素材にしてましたが、ノスタルジーだけでなく骨っぽさを感じさせてくれました。現在を素材に、こういう映画がもっとたくさん見たいものです。

Posted by: | April 07, 2006 at 03:29 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/41136/9460252

Listed below are links to weblogs that reference 『春が来れば』の苦い心地よさ:

« 夜の青 | Main | 『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』と現代ウェスタン »