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March 23, 2006

金子光晴の放浪3部作メモ(3)

ブリュッセルで知り合いのベルギー人の世話になる「品行方正なくらしのくたびれが出て」、金子光晴の放浪の心が再び頭をもたげてくる。金が尽きたのを幸い、光晴は先に帰って妻・三千代の旅費を用立てると言って、ひとりでさっさと船に乗ってしまう。しかも神戸ではなく、シンガポールまでの切符しか買わないで。

シンガポールへ着いた光晴は、往きの旅で心引かれたバトパハにとるものもとりあえず駆けつける。そこでの、やっと心落ち着ける場所へたどり着いた安堵が伺われる描写。ここでも匂いが光晴を導く。

「マライ南部の気候は、おどろくほど変りやすい。太陽の照っている日なかは、町の軒廊(カキ・ルマ)しかあるけない。うす日になったかとおもうと、まず芭蕉の葉がさわぎだして、塵が立ち、その塵がおさまるかとおもうと一日一回は必ず来る驟雨(スコール)の襲来である。……光が盤石の重たさで頭からのりかかってきて、土地の体臭とでも言うべき、人間以外のものまでみないっしょくたになった、なんとも名状できない奬液の臭気に、この身をくさらせ、ただらせようとかかるのであった。『ああ。この臭い』と、気がついただけで、三年間忘れていた南洋のいっさいが戻ってくるのであった」(『西ひがし』。以下同じ)

「奬液の臭気」につつまれて、光晴はまるで自分のすみかへ帰ったみたいに生き生きしている。いや、生活苦や妻の愛人との葛藤、詩人としての苦悩とは無縁なだけ、日本にいる以上に旅の身軽さで気持ちが解放されていたにちがいない。

旅費を稼ぐと言いながら、それは当地で世話になっている日本人や自分への言い訳で、光晴はバトパハから川を遡ったり、マラッカやマレー半島の東海岸へ足を伸ばしたり、あるいはシンガポールに滞在して遊び歩いている。妻の三千代が不在で、しかも彼女の生活を心配しないですむ分、女の影もちらつく。

バトパハの関帝廟で出会った華僑のバツイチ娘。光晴が「白蛇の精」と呼ぶ女とは、彼女の部屋にかくまわれ、駆け落ちする「夢」を見るのだが、どこまでが現実でどこまでが夢なのか読んでいて判然としない。

人なつこいぽん引きのマレー人に見せられた英中混血女の裸の写真に、光晴はころりと参ってしまい、ラッフルズ・ホテルで逢い引きすることになる。女が身につけているものを脱ぐのを見ながら、光晴はベッドで横になっている。光晴は、ふと眠くなる。

「意識がなにかに吸い込まれてゆく瞬間、固い木質と金属がぶつかって立てるような、かん高い音がして、もやもやした睡気がけしとんでしまった。彼女が自分で左腕の根元から、義手を外して、卓のうえに置いた音であった。義手をとった左腕の痕跡は、巾着の紐をしめたように盛りあがった肉の中心だけがふかくくびれ込み、周りの肉のふくらみが、指でさわるとぶよぶよと柔かかった。なにか毒のあるものに咬まれて医師が切断したものらしかった。毛布の下でもぞもぞやっているので、--また、片足も義足で、股のつけ根からぬけて、寝台のしたにころがり落ちるのでなないかと、心労するより先に、さもあれかしと秘かに望んでいるのであった。眼球もそのどっちかを、彼女じしんの指でほじくりだしてみせて欲しかった」

どうよ、この光晴が幻視する残酷と官能の入り交じったイメージ。テーブルに金属がぶつかったこつんという音とともに作動する光晴のこういう想像力は、パリの冷たい石畳のうえでは決して働かない。熱帯の色濃い緑と湿気、そこに住む「同糞同臭」の人間たちのなかでこそ、光晴の五感は自由になる。

混血女に入れ込んで旅費を減らした光晴は、人なつこいぽん引きに案内されて、性懲りもなく今度は「シャム女」の売春窟へ出かける。

「それは、そこにいる人たちの体臭と、生活から放散する臭気で、熱気に蒸れたその臭気は野生の狸や、それに類する小動物の塒(ねぐら)から発するような異様なものであって、その生物どもにとっては、なつかしい同類同族のにおいに外ならない。……自分にはそんな環境の臭気など身につけていないつもりの人たちにとっても、それは、排泄物の悪臭よりも激しく、人種のちがった人たちには、それ一つで鑑別できるものである。だが、そこらの空気にまじって淀んでいる熱っぽい大気は、なまやさしいものではない。嘔吐をもよおさせると言うよりも、生きているのがいやになるようなにおいである。頭脳の半分が、すでに饐えくされて、青黴のはえた柑橘になったような収拾のつかなさであった」

言うまでもなく、光晴はこういう臭気を楽しんでいる。神戸行きの船の切符を予約しながら、「からだに根が生えてしまって、それがまた、まんざらわるい気持ちではなかった」光晴は金もないのに2度もキャンセルして、ひとりでマレーの土地に迷い込む。

「夕方ちかくには驟雨があり、落日の壮麗さは、なにものとも換えがたいし、そこに生育するものは植物、動物にかぎらず、われらの常識の框を外して、測りしれず氾濫し、調和できないもの同士を奇抜な方法で一つにし、世界のゆきつく果てまでつきあたった熱気の悒愁でどこでも、いつでもどんよりとさせている」そのような迷路のなかで、光晴はこう記す。

「十年近く離れていた詩が、突然かえってきた」。

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