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March 18, 2006

『うつせみ』の思いの深さ

「思いの深さは質量に反比例する」--なんて公式を映画『うつせみ』から取り出すことができそうだ。

この映画では主人公の男(ジェヒ)と女(イ・スンヨン)が3度、メジャーに乗って体重を計るシーンが出てくる。

ジェヒはソウルの高級住宅街の留守宅(韓国語原題は「空き家」、英語タイトルは「3-iron」)を捜しては入り込み、そこに寝泊まりする生活を送っている。冷蔵庫の食料で食事はつくるけれど、それ以上なにかを盗むわけではない。それどころか、壊れたオーディオ装置や時計を直したり、乱れた部屋を整頓したりする。壁に貼られた写真の横に立って不在の家族と記念撮影もする。

ある邸宅に入り込んだジェヒは、夫に虐待された妻のイ・スンヨンが片隅にひっそりうずくまっているのに気づかない。部屋から部屋を歩き回り、メジャーに乗ってみる。それは壊れていて、針は110kgを指す。壊れたメジャーは、この家の夫(クォン・ヒョゴ)と妻の関係が壊れていることを暗示している。夫と妻の間に、思いは流れていない。ジェヒはメジャーを分解して、直す。

イ・スンヨンは自分の家に侵入したジェヒの行動を、彼に見つからないように見守っている。しばらくすると、男に悪意があるわけではないのが感じられる。それとともに、夫には感じなかった感情を、ジェヒに感じはじめる。

スンヨンがメジャーに乗ってみると、針はきちんと50kg(だったか)を指している。ジェヒが直したメジャーにスンヨンが乗ると、針が正確な体重を示したのは、夫には見えなかったスンヨンのありのままの姿がジェヒには通じたことを暗示しているのだろう。それはまた、夫とのあいだには流れていなかった感情や思いがスンヨンとジェヒのあいだに流れ出したことを意味している。

そこから2人の無言の物語が展開する。家を出たスンヨンとジェヒは留守宅を捜しては転々とするのだが、2人のあいだでセリフはまったく交わされない。でも思いだけはどんどん深まってゆくのが、見る者には感じとれる。

3度目にメジャーが出てくるのは、ほとんどラスト近く。保釈されたジェヒがスンヨンの家に戻ってくる。スンヨンは夫にいきなり「サランヘ(愛してる)」と言い、それまで妻の冷たい態度に困惑していた夫はびっくりするのだけど、夫の背後には影のようにジェヒが立っている。「サランヘ」という言葉は、ジェヒに向かってスンヨンが初めて発した言葉なのだ。

ジェヒとスンヨンがメジャーに乗る。針はゼロを指している。2人には体重がない。それは2人がすでに現実の場にいないことを暗示している。2人のあいだに肉体(質量)はなく、思いだけが現実なのだ。

だからこの映画は、ジェヒとスンヨンの2人の思いが深まるのに反比例して質量を失ってゆく物語と見ることもできる。そこで思いが深まり質量を失う契機となるのは、2人の内部の「罰されたい」という欲求だ。それは2人がそれぞれに内部に「壊れたもの」を抱えていて、「壊れたもの」を「罰される」ことによって浄化し、欠けたものを回復したいという願いを秘めているからだろう。

公園で、ジェヒがゴルフのクラブ(3-iron)でボールを打とうとすると、スンヨンはボールの前に立つ。ジェヒが打つ方向を変えると、スンヨンも立つ位置を変えて、ジェヒが打つボールを身に受けようとする。実際、ジェヒがスンヨンを避けてボールを打つと、ボールは通りがかった車の女性を傷つけてしまうのだ。そしてクラブがボールを叩く音は、まるで人を鞭打つ音のように聞こえる(タイトルバックでは、この音が効果的に使われている)。

一方、逮捕されたジェヒは、拘置所で監視窓から見えない位置に隠れてしまう。怒った看守がジェヒを警棒で叩きのめす。ジェヒは同じことを繰り返して、警棒で何度も打たれる。ジェヒは独房で、背中に羽が生えた天使のようなアクションをする。ジェヒは警棒で打たれるたびに身軽になり質量を失って、天井に近い壁にへばりついてしまう。

そんな『うつせみ』の宗教的な匂いは、ギム・ギドク監督の前作『サマリア』でも感じられた。これは牧師を志したこともあるというギドク監督の個人史のなにかが反映しているのかもしれない。

この映画でほかにも、ジェヒの手の平にチョークで眼が描かれているショットがあるけれど、これは千手千眼観音の姿だし、質量を失うにつれてジェヒとスンヨンの微笑みは観音の微笑みに近くなってくる。独房の白い壁に囲まれた空間は教会のようにも見える。

そんな現実と幻のあわいに漂う男と女の物語が、西洋風だったり韓式だったりするソウルの高級住宅街や、一転して公団住宅のようなアパートのリアルな風景のなかで演じられるのが効いている。エジプト系とイギリス系の血を引くナターシャ・アトラスのエスニックな挿入歌が、現実のソウルの混沌と、幻の思いの深さをともに感じさせる。

この監督の初期の作品を見ていない。全体像を見たいという欲求を感じさせる素晴らしい個性を持った監督だね。

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Comments

こんばんは。ご無沙汰しています。
ここ最近、東京ではなかなか映画を観ることが出来ず、3ヶ月遅れで金沢で観ています。
そんな中、キム・ギドクならではの世界観溢れるこの作品、とても興味深かったです。
と言いつつ「千手千眼観音」のくだりは理解を超えていましたが・・・・(苦笑)。

Posted by: nikidasu | July 10, 2006 at 12:38 AM

キム・ギドク監督の映画は初期の風俗的なものから(私はこちらのほうが好きですが)、最近は浄化されているというか、精神的・宗教的な匂いが濃くなっているようですね。新作「弓」が楽しみです。

Posted by: | July 13, 2006 at 01:08 PM

TBありがとう。

>思いの深さは質量に反比例する

僕も、同じようなこと、感じました。で、「ふたりは、地上の重力から、遠く離れている。もし、愛の純度を計るとすれば、現実(地上)からの遊離の度合いであるかもしれないと・・」などと、それらしいことを書きました(笑)

体重計の指摘は、おもしろいですね。
あんまり覚えていないけど、ラストのほうで、スンヨンがジェヒを真似て、家の体重計を修繕して、乗る場面ってありませんでしたっけ。

Posted by: kimion20002000 | October 24, 2006 at 02:05 AM

さて、もう記憶が定かでないのですが、そう言われればあったような気がします。そこからさらに何か言えそうですね。

この後、ギドクの旧作をほとんど見てしまいました。

Posted by: | October 24, 2006 at 12:22 PM

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