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March 04, 2006

サスペンス映画としての『ミュンヘン』

スティーブン・スピルバーグの映画は、ドリームワークス(夢工場)という彼が持っている共同スタジオの名前にふさわしく、エンタテインメントであっても「良心的作品」であっても誰もが楽しみ、感動することのできる大衆的な面白さと道徳的な健全さとを合わせ持ってる。現在のハリウッドの主流をなす最高の監督であることには誰も異論がないだろう。

でも、僕が彼の映画に惹かれるのは、スピルバーグがアクションやサスペンスの監督として一級の腕を持っているゆえに、時にそういう健全でメジャーな枠をはみ出した映画的興奮をつくりだしてしまうことがあるからだ。

例えば『プライベート・ライアン』冒頭の長い長いノルマンディー上陸シーンは、本当に銃弾が飛び交う戦場に身を置いているような錯覚を観客に起こさせ、これまで見たどんな戦争映画よりも戦闘の狂気と恐怖を実感させた。『太陽の帝国』では、東洋の植民地とそこで戦われる戦争の白日夢のように倒錯した美しさが、少年の目から捉えられていた。

『ミュンヘン』もまた、ディテールが全体を食ってしまうような映画的興奮を随所に感じさせる。ストーリー自体は、主人公がテロリストの黒幕を暗殺してまわった果てに良心に苛まれるという道徳的健全さによってメジャーな映画の枠内に収められているけれど、部分の描写はそれを裏切るようにリアルで、スピルバーグらしくなく時にエロチックで、残酷ですらある。

そのことに与っていちばん力があるのは、なんといってもヤヌス・カミンスキーのカメラだろう。全編にコントラストの強い、光と影を強調した、くすんだ色彩のザラリとした感触の画面。フラッシュ・バックのテロのシーンでは、「銀残し」という荒れた粒子を強調する手法も使われている(確かロシア映画『父帰る』でも使われていた)。

主人公たちがテロを起こした過激派「ブラック・セプテンバー」の黒幕11人を暗殺するためにヨーロッパや中東の8都市を巡る設定を、ブダペスト(ヨーロッパの都市部分)とマルタ(地中海沿岸の部分)の2カ所でロケして、それぞれの都市らしい雰囲気を感じさせている。雨が激しく降るロンドンや陰鬱なパリの街路、闇のベイルートがノワールふうな空気をただよわせ、それと対照的にキプロスやスペインの風景は陽光にあふれている。

なかでも目立つのが影の効果。人の黒い影が画面を横切る。樹々の影が風に揺らめいて、主人公の不安な心理を露わにする。サスペンスを強調する定番の描写だけど、これもノワールっぽい画面が盛んに使われる。緊迫した場面では銃撃や爆弾の音、町の騒音がひときわ大きくなり、小刻みにカットを重ねる演出で見る者をぐいぐい引き込んでゆくあたりはスピルバーグの独壇場。

そして印象的な赤。協力者の恋人で70年代風にぶっ飛んだ女性の、毒々しい朱色に塗られた唇が画面いっぱいにアップされる。え、スピルバーグってこんなエロチックな画面を撮るんだっけ?

黒幕が牛乳を買って家へ戻るところを、暗殺者たちはアパートのエレベーター・ホールで待ち受けて殺す。砕けた牛乳瓶から流れ出たミルクのなかに黒幕の血が滲んでくる。なんとも官能的な白と赤の画面(後記:この赤は血ではなく赤ワイン。歳のせいか、思い違いが多くってね)。別の黒幕が泊まるホテルの部屋を爆弾で爆発させた後、主人公がこなごなになった部屋に入ると、上から血まみれになった腕がぶらりと下がっていたりもする。

あるいは、別組織に雇われた女殺し屋を暗殺するシーン。女は自分が殺されることを悟り、服を着させてと頼んでも主人公たちは首を振り、裸の胸に仕込み銃を撃ち込む。椅子に倒れこみ胸も下半身もむき出しのまま血を流して死んでゆく女に、一人がガウンをかけようとするが、もう一人がそんな必要はないと言って、女を辱める。え、スピルバーグってこんな残酷描写をするか?

スピルバーグの映画はいつもお行儀がいいという印象を受ける。それは大きな資金がかかわっている商業的要請であるとともに、スピルバーグ自身の資質なのかもしれない。でも『ミュンヘン』はそんなお行儀のよさを踏みこえた描写がたくさんあって、そういってよければスピルバーグの面白さを、改めて見直した。思い出してみれば、スピルバーグのデビュー作『激突!』は、全編がそんな映画的興奮にあふれていたではないか。

おまけに、舞台になる1970年代に20代を送った僕のような世代には、この時代の音楽やファッション、映画のポスターなんかがしこたま出てきて嬉しい。

映画の中身は脇に置いて、そんな不謹慎な(?)楽しみ方をしてしまったけれど、ラストシーン、今は存在しない世界貿易センタービルがそびえるマンハッタンの遠景に、スピルバーグのメッセージは確かに伝わった。

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Comments

こんにちは♪
TBありがとうございました。
本当に赤の色の使い方が効いていたと思います。
スピルバーグにしては珍しくベッドシーンもありましたよね。
私も70年代のファッションや音楽、とても懐かしく見ました!

Posted by: ミチ | March 04, 2006 at 08:28 PM

ほんとにスピルバーグのベッドシーンて記憶にありませんね。しかも主人公の妻のお腹が大きいところまで写してました。吹き替えではないように思いましたが、彼女ほんとに妊娠してたんでしょうか。

それにしても、いろんな意味でこの映画のスピルバーグは大胆です。

Posted by: | March 05, 2006 at 05:09 PM

ほとんど私と同じ感想で驚きました。
本作における女性の描き方は、まるでスピルバーグらしくなく、もう何作も彼の映画を観ているのに、今になって新しい発見というべきものでした。
挙げられているシーン、私も同様に感動しました。90年代後半から現在にかけてのスピルバーグは、作品総体としての出来栄えより、そうした細かい描写の残酷さが印象深く、かつ、感動的だと想います。

Posted by: [M] | March 06, 2006 at 04:48 PM

ルーカスとスピルバーグのデビュー当時、子どもが小学生だったもので、2人の映画はほとんど子どもと一緒に見ています。どれも安心して映画館に連れていける映画でしたが、今になってスピルバーグのこういう映画を見られるとは、嬉しい驚きです。この人、まだ奥が深そうですね。

Posted by: | March 06, 2006 at 05:29 PM

いいですね
私も不謹慎な映画的興奮を味わった口です。
ラストもどっちかというと演出の楽しさをあじわいました。おいおいそんなところでロケして大丈夫かカメラ? 貿易センタービルはもうないんだよ・・・と思ってたら、そう来るかあ!!!と
あまりに真ん中に配置しすぎて、ちょいと露骨でしたが

Posted by: しん | March 20, 2006 at 06:33 AM

しんさんのエントリの「愛と殺しの混同」、まったく同感です。次はヒッチコックのタッチだけでなく、歪んだ変態性も取りこんでほしい、なんて思ったりして。

Posted by: | March 20, 2006 at 04:59 PM

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