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March 13, 2006

金子光晴の放浪3部作メモ(2)

上海や東南アジアでは、生きていくために町の底を這いずりまわりながら土地と人々に生理的一体感を覚えた金子光晴だったけれど、ヨーロッパの地ではそうはいかない。

パリは「黄金万能の鉄則」という「この街の底辺の寒気(そうけ)立つようなものの考えかた」に貫かれた、冷たい塊のような個人と個人がぶつかりあう場所だった。中国人女子学生に「同糞同臭」を感じる光晴の五感は、ヨーロッパの人間に対しては拒否的に働くことになる。

「パリの人たちは、いつになっても、コーヒーで黒いうんこをしながら、すこし汚れのういた大きな鉢のなかの金魚のようにひらひら生きているふしぎな生き物である。……頭を冷やしてながめれば、この土地は、どっちをむいても、むごい計算ずくめなのだ。リベルテも、エガリテも、みんなくわせもの」(『ねむれ巴里』。以下同じ)

ここでも光晴はうんこの話で、どんどんクサくなってくけどなあ。

「パリには、時にはグロテスクで、時には、無限にもののあわれを誘う人間獣と、翼が石に化った連中がどうしようもなくうようよしていたものだ。老娼の手くだに捕われて、ゆくもかえるもできないで、ひたすらパリの土となり、融け込んでゆくことを最後ののぞみにして酔生夢死するエトランジェの生きる体臭でむしむししているところであった」

そんな体臭を発しながら騙し騙されるパリの男たち女たちを、光晴は何人もスケッチしている。彼が滞在したホテルの家主、「年増盛りで色気たっぷりの」独り者のペルシャ女は芝居やオペラに通う優雅な生活を送っていたが、ジゴロに騙されて姿を消す。次の持ち主になった女も「別のジゴロに引っかかって、あえなく尻の毛までぬかれてペルシャ女とおなじ運命を辿った」。

光晴がつるんで歩く、ゆすりたかりをしてまわる肺病病みの日本画家・出島春光の、尊大でありながら脆さを感じさせる風貌。その出島を第2のフジタにしようともくろみ、上流夫人に彼の絵を詐欺まがいに売りつける伯爵夫人と称するモニチの飾り立てた醜悪な姿は、『ねむれ巴里』の白眉だろう。

「慢性の肥厚性鼻炎でなんの臭気も感じない僕も、モニチの強烈な腋臭には我慢がならなかった。裸の太い腕は紅く、上気して火照って、それはそれで別個の体臭を発していた。僕は舌打ちをした。が、それは、じぶんにむかってしたつもりであった。この女とホテルにゆくことだけは、助けてもらいたかった」

なんの臭気も感じないといっているくせに、光晴は嗅覚によってものの本質をずばりと探りあてる。当時、日本のインテリはアナーキズムからボルシェヴィズムへとなだれつつあったけれど、光晴が信頼するのはそのような認識方法ではなく、彼自身の五感と第六感(直感)なのだった。

アジアの植民地では、辺地に暮らす日本人が「まれびと」を迎えるもてなしで光晴の拙い絵に金を払ってくれたけれど、パリでは日本人にも、ましてやフランス人にもそんな押し売りは通用しない。明日の生活費にも事欠く日々のなかで、光晴は自分も妻や友人知人を傷つけながら、個と個がぶつかりあい、互いに傷つけあってしか生きられないヨーロッパと西洋人の姿をえぐりだしている。

「首や、手の先は日にやけても、肌着のシャツをぬげば、西洋人たちは、男、女によらず、アート紙のように照りのある、純白のつるつるした肌をもっている。眸子(ひとみ)のすぐり、赤い鷲鼻、枯芝のような体毛、尿壷の甘さよりも、百倍むかむかする腋臭の異臭、汗のしめりで、赤く腫れあがったうす肌、過剰な栄養がつくりあげた厖大な西洋人の幻は、彼らの歴史が完成させた物質世界の征服で、まことに彼らにふさわしい精力的な文明都市を天も狭くなるばかりに組みあげた」

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