『アメリカ、家族のいる風景』の動と静
『アメリカ、家族のいる風景』では、動きのあるショットと絵画的なショットが、それぞれに突出して感じられた。普通の映画では動のショットと静のショットが組み合わされ編集されてひとつの文体をつくるけれど、この映画では、動のショットでは移動が、静のショットでは写真や絵画的な画面が、ひとつに溶け合わずにバランスを失するくらい強く意識されているように思った。
動のショットのひとつは、ヴェンダース映画の常としてロードムーヴィーであることから生まれている。
西部劇のロケ地として有名なユタ州モアブからカジノのあるネバダ州エルクへ、さらにゴーストタウンのようなモンタナ州ビュートへ、サム・シェパード演ずる落ち目の俳優は馬とバスと車でもって移動する。画面奥から手前へと走り去る道路の中央線の背後に広がるのは、広漠とした大地と抜けるような青空、白い雲。20年前にサム・シェパードと組んだ『パリ、テキサス』でも印象的だったアメリカの原風景だ。
もうひとつの動は、ビュートの路上に放りだされたソファに座るサム・シェパードの周りを手持ちカメラがぐるぐる回る異様に長いショット。
突然現れたシェパードが自分の父親だと知り、動揺した息子はアパートの2階からありったけの家具を路上に放り投げてしまう。シェパードは自分を拒否する息子に何も言えず、黙って路上のソファに座り込んでいる。近づいてきたもう一人の女性(サラ・ポーリー)もどうやら自分の娘らしい。
長いあいだ家族の絆を断って孤独に生きてきたシェパードが、はじめて家族とのつながりの感情を自覚するシーン。シェパードの周りを回る長いショットはそんな感情が生まれる瞬間を捉えようとするように動きつづける。
一方、静のショットは主にビュートの街角や、室内から窓を通して外を見る風景として現れる。人通りのない、がらんとした茶褐色の街。強い日差しと黒い影。そんな無人の街路をサム・シェパードやジェシカ・ラング(かつての恋人)やサラ・ポーリーが横切ってゆく。ホテルの窓際に放心したように座るシェパードの向こうには、青い夜にネオンが寂しく光っている。まるでエドワード・ホッパーの絵のようなショット。
エドワード・ホッパーの作品でも、建物の内部で座ったりコーヒーを飲んでいる人たちが、窓越しに外の街路から差し込む昼(あるいは夜)の光に照らし出される構図が印象深い。
その構図が都市に生きる人間たちの孤独と、胸の奥に潜めた小さな灯のような温かさを共に感じさせるように、ヴィム・ヴェンダースの動と静のショットからも、自分勝手に生きてきた老残の俳優の孤独と、その果てにはじめて家族を意識し、他者との絆に気づいた男のぬくもりのようなものが感じられる。
『パリ、テキサス』では、ひりひりするような孤絶と、ガラス越しに辛うじてつながる、独白のように頼りなげな会話ばかりが記憶に残ったけれど、この映画はもっと穏やかな表情をしている。それが20年という歳月がシェパード=ヴェンダースにもたらした成熟なんだろうか。
ところで、ヴェンダースは過去の作品のなかでもアメリカへの愛憎をさまざまに語っているけど、『アメリカ、家族のいる風景』では劇中劇で撮影されている西部劇がそれに当たる。
撮影されているのはラストシーンらしい。サム・シェパード演ずる流れ者が、彼を愛してしまった娘と別れの抱擁をかわしている。西部劇(に限らず)お定まりのシーン。次のショットで、シェパードは馬に乗り、馬が前足を高く上げるのをカメラは仰角で見上げるように捉えている。
気恥ずかしくなるような紋切り型で、どうやら『荒野の決闘』のラストシーンみたいな品のある終わり方ではなく、B級ウェスタンらしい。とすれば、サム・シェパード演ずる老優はヘンリー・フォンダやジョン・ウェインではなく、ランドルフ・スコットかアラン・ラッドあたりか。『アメリカ、家族のいる風景』は、そんなアメリカ映画へのオマージュでもあった。
Comments
以前だったらこんな主人公には微塵も感情移入できなかったでしょうが、少なからず愛しくなるのは、
「成熟」ならぬ「老い」というやつなんでしょうか。
若い世代に人たちにはどう映っているのか、興味があります。
それにしても女性の逞しさを改めて感じさせてくれる映画でもありました。
Posted by: nikidasu | March 06, 2006 01:13 AM
なるほど。
B級ウェスタンのような終わり方だったんですね。
西部劇はほとんど見ていないので具体的には全然わかりませんでした。
JESSE JAMES のことも知らなかったです。
それでも、このアメリカの原風景にはうっとりでした。
Posted by: かえる | March 06, 2006 01:39 AM
TBありがとうございました
アメリカの古き良きウェスタン的ラストシーン...いい見方ですねぇ。
ヴェンダースには確かにアラン・ラッドあたりが似合いそうですものね。でもハワードあたりはジョン・ウェイン的な腰の据わらない男っていう雰囲気も感じたりしました。
Posted by: yanks | March 06, 2006 07:22 AM
TBありがとうございました。
以前のヴェンダースだったらああいうラストシーンでは
ないんだろうな、と何となく思いますね。
ヴェンダースもサムもなんとなく丸くなったのかな、
という気がしました。
Posted by: M. | March 06, 2006 02:29 PM
>nikidasuさま
向こうが変わっているのか、こっちのせいなのか、昔夢中になった監督の作品に「成熟」や「老化」を感ずるのは何とも複雑な気分ですね。女性たち、殊にエヴァー・マリー・セイントが背筋が伸びててステキでした。
>かえるさま
私も世代的にはウェスタン・ブームの最後に間に合った程度です(新作が『アラモ』や『荒野の7人』でした)。B級ウェスタンは浅草や上野の3番館で何本か見ただけですが、ランドルフ・スコットもアラン・ラッドも、当時の中学生にはただのおっさんでした。
>yanksさま
ジョン・ウェインはマッチョぶってるときより、モーリン・オハラあたりに怒られて顔をくしゃくしゃにして照れてるときがいいですね。いろんな顔を持っていたジョン・ウェインの遺作『ラスト・シューティスト』には泣きました。
>M.さま
私も、最後にサム・シェパードがティム・ロスに説得されて素直にロケ現場に戻るのを見て、え、ほんとに戻るの? また逃げ出して終わるのかな? などと思いました。
Posted by: 雄 | March 06, 2006 05:21 PM
はじめまして、ねむりねこと申します。
TBの御挨拶です。
私が言いたかった事を適格に表わしているのに、感心しました。
また遊びに来ます。
Posted by: ねむりねこ | March 07, 2006 02:30 AM
>ねむりねこさま
TBありがとうございます。
エントリ、面白く拝見しました。ねむりねこさんの映画の趣味と私のそれは似ているのかもしれませんね。おまけに、『ライトスタッフ』から『北北西に進路を取れ』まで出てくると、年齢的にも???
Posted by: 雄 | March 07, 2006 08:45 PM