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March 30, 2006

『ヒストリー・オブ・バイオレンス』のロックウェル的世界

デビッド・リンチは、自分の作品につけられた「ノーマン・ロックウェル・ミーツ・ヒエロニムス・ボス」というキャッチフレーズが気に入っているという。

言うまでもなく、ノーマン・ロックウェルは「古き良きアメリカ」を描き続けたイラストレーター。ヒエロニムス・ボスは怪奇幻想の地獄絵を描いた近世オランダの画家。確かに『ブルー・ベルベット』も『ツイン・ピークス』も、アメリカの平和な田舎町が、ひと皮むけばその裏側にとんでもなく奇怪な世界を隠しているという映画だった。

デビッド・クローネンバーグもまた、リンチと同じようにノーマン・ロックウェルの世界にこだわりを持っている。『デッドゾーン』を撮るに当たっては、主役のクリストファー・ウォーケンに役作りの資料としてロックウェルの画集を贈り、ロックウェル調の看板を画面に登場させた(滝本誠『映画の乳首、絵画の腓』による)。

『ヒストリー・オブ・バイオレンス』も、クローネンバーグがいかにノーマン・ロックウェル的な世界に深い関心を持っているかを感じさせる映画だった。そもそも主役のヴィゴ・モーテンセンにしてから、意識してキャスティングしたんじゃないかと思えるほどロックウェル描く田舎のアメリカ男に見えないか? そしてリンチのキャッチをもじれば、この映画は「ノーマン・ロックウェル・ミーツ・ジム・トンプスン」とでも言ったらいいか(ジム・トンプスンはパルプ・ノワール小説の帝王)。

中西部インディアナ州ミルブルック。ヴィゴ・モーテンセンは、この小さな町で食堂を営んでいる。妻のマリア・ベロは弁護士で、夫婦の間にはハイスクールへ通う息子と幼い娘の2人の子供がいる。町から少し離れた草原のなかのカントリー・スタイルの家。朝のキッチンの情景は、それこそロックウェルのイラストそのままの明るく幸せな空気にあふれている(これがラスト・シーンへの伏線)。

ただし、映画は冒頭の長い、静かな、しかし不吉な空気をはらんだワンカットから暴力の匂いを漂わせる。流れ者の強盗2人組が、犯行を犯したモーテルで彼らを目撃した幼い娘を容赦なく撃ち殺す。そのショットに、モーテンセンの幼い娘が夢におびえて目を覚ますショットがつながって、モーテンセン一家に襲いかかる不安が暗示される。(以下、ネタバレです)

流れ者の強盗がモーテンセンの食堂に現れたことから、小さな町のロックウェル的世界に暴力が侵入しはじめる。でも、外部から暴力が侵入してくるのはあくまできっかけにすぎない。ロックウェル的世界が外部から犯されるのではなく、実は平和な小世界そのものの内部に暴力が潜んでいたことが徐々にあぶりだされてくるあたりが、この映画の面白さだろう。

信頼し愛し合って家庭を営んできた夫のなかに、妻のまったく知らない暴力の危険な匂いに満ちた他人がいた。いかにもクローネンバーグ好みの展開だね。

ヴィゴ・モーテンセンが、よき夫の現在とマフィアだった過去を、ジキルとハイドのようにではなく、まったく同じトーンで演じているのが凄みがきいている。モーテンセンは、過去が露わになったことを悩んだり、妻に許しを乞うようなことをせず、むしろ怯える妻を犯すようにセックスし、過去に決着をつけるため躊躇せずマフィアのボスである兄、ウィリアム・ハートを殺しにゆく。暴力が小世界を支配しはじめる。

ラストシーン。兄を殺したモーテンセンが、わが家に帰ってくる。ドアを開けると、妻と息子と娘が食卓についている。ロックウェルの絵そのままのような、アメリカの良き家庭を指し示す画面。彼らは血の匂いをさせた夫(父)を受け入れることができるのか? 映画は、ノーマン・ロックウェルがジム・トンプスンに出会うこの一瞬のためにここまで物語られてきたかのようだ。

クローネンバーグは『ザ・フライ』にしろ『戦慄の絆』にしろ、あるいは『クラッシュ』にしろ、人間の異常さを過剰に感じさせる映画をつくってきた。でも『ヒストリー・オブ・バイオレンス』ではそんな過剰さを抑えて、端正とも言える語り口。それはそれで十分に楽しめるけど、クローネンバーグらしい過剰さを期待した僕のようなファンには、物足りなさも少し残った。

(後記:この最後の段落について、その後、僕のなかで評価がずいぶん変わった。過剰な異常さを抑えた一見静かな語り口の怖さがじわじわとこちらの身体に入ってきて、クローネンバーグのベスト作品の1本と考えるようになった。)

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March 26, 2006

『変態村』の魔女狩り

こういうキリスト教的な寓意や隠喩が散りばめられた映画は、その方面の知識も関心も薄い当方にはどうも苦手だ。『変態村』(観客に予断を与えるこの邦題については、cinemabourg*の[M]氏が論じている)の原題は「CALVAIRE」。キリスト磔刑の丘であるカルヴァリオ(ゴルゴタ)、転じてキリスト磔刑像や苦難を意味する。

だから確信はまったく持てないのだけど、ヨーロッパの観客が『変態村』を見てまず連想するのは魔女狩りではないかと想像する。

この映画の真の主役は、実在の人物としては登場しないグロリアという女だ。(以下、ネタバレです)

グロリアはおそらくキャバレー回りの歌手で、芸人だったバルテル(ジャッキー・ベロワイエ)と出会って結婚し、森のなかの小さな村で夫婦して小さなホテルを営んでいた。やがて男好きのグロリアは村のロベール(フィリップ・ナオン)を誘惑して、ロベールの心をずたずたにする。

妻の浮気に怒った夫のバルテルは、グロリアの髪を刈って丸坊主にし、納屋の梁に十字にくくりつける。それを知ったロベールと彼に加勢する村人たちは、バルテルのホテルを襲ってグロリアを集団で犯す。憑かれたようになった村人たちは、ロベールを誘惑したグロリアを森の丘に連れ出して「魔女」として処刑した。

はっきり語られてはいないけれど、断片的なせりふとショットをつなぎあわせてみると、この映画が始まる以前に、村にはそんな出来事があったらしい。白い霧に包まれた夜、そこへ、どさ回りの歌手マルク(ローラン・リュカ)が迷い込んでくるところから、映画は始まる。

宿に泊まったマルクがバルテルに求められて歌った歌が、忌まわしい過去を呼び戻す触媒になる。過去に憑かれたバルテルには、マルクがグロリアに見えはじめる。バルテルはマルクに向かって言う。「なぜお前は戻った? 俺の心を踏みにじるためか?」。バルテルの憑依は村全体に伝染し、過去の出来事が再現されることになる。

憑かれたバルテルやロベールには男のマルクがグロリアになってしまう倒錯がこの映画のキモなのだが(冒頭のショットで、舞台に立つマルクは鏡に向かって化粧している)、それがヨーロッパの観客にどれほど涜神的に映るのかは、よく分からない。不安と不快をかきたてる動物の扱いも、宗教的な匂いがありそうだけど、それもよくは分からない。キリスト教に無知な僕のような観客には、だからこの映画はちょっと変態的な心理サスペンス(あるいはホラー)といったふうに映る。

くすんだ白と赤が画面を支配している。霧に閉ざされた村。逆光に光る白い霧に包まれた木立の間を移動するショットが繰り返される。

対照的に、夜の宿の室内では、深紅のカーテンや赤いランプ・シェードが闇を際だたせる。そして暖炉の炎。捕らわれたマルクは、グロリアのワンピースの上に赤いキルティングを着せられ、森のなかを逃げ回る。森の中には、やはり赤いキルティングを身につけた子供たちがいる(彼らもまた憑依した村人の犠牲になった者たちの幻影なのか?)。そんな白と赤のショットが印象的だ。

ベルギーのファブリス・ドゥ・ヴェルツ監督の第1作。映画としての完成度はそんなに高くないけど、独特の雰囲気はあるね。

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March 23, 2006

金子光晴の放浪3部作メモ(3)

ブリュッセルで知り合いのベルギー人の世話になる「品行方正なくらしのくたびれが出て」、金子光晴の放浪の心が再び頭をもたげてくる。金が尽きたのを幸い、光晴は先に帰って妻・三千代の旅費を用立てると言って、ひとりでさっさと船に乗ってしまう。しかも神戸ではなく、シンガポールまでの切符しか買わないで。

シンガポールへ着いた光晴は、往きの旅で心引かれたバトパハにとるものもとりあえず駆けつける。そこでの、やっと心落ち着ける場所へたどり着いた安堵が伺われる描写。ここでも匂いが光晴を導く。

「マライ南部の気候は、おどろくほど変りやすい。太陽の照っている日なかは、町の軒廊(カキ・ルマ)しかあるけない。うす日になったかとおもうと、まず芭蕉の葉がさわぎだして、塵が立ち、その塵がおさまるかとおもうと一日一回は必ず来る驟雨(スコール)の襲来である。……光が盤石の重たさで頭からのりかかってきて、土地の体臭とでも言うべき、人間以外のものまでみないっしょくたになった、なんとも名状できない奬液の臭気に、この身をくさらせ、ただらせようとかかるのであった。『ああ。この臭い』と、気がついただけで、三年間忘れていた南洋のいっさいが戻ってくるのであった」(『西ひがし』。以下同じ)

「奬液の臭気」につつまれて、光晴はまるで自分のすみかへ帰ったみたいに生き生きしている。いや、生活苦や妻の愛人との葛藤、詩人としての苦悩とは無縁なだけ、日本にいる以上に旅の身軽さで気持ちが解放されていたにちがいない。

旅費を稼ぐと言いながら、それは当地で世話になっている日本人や自分への言い訳で、光晴はバトパハから川を遡ったり、マラッカやマレー半島の東海岸へ足を伸ばしたり、あるいはシンガポールに滞在して遊び歩いている。妻の三千代が不在で、しかも彼女の生活を心配しないですむ分、女の影もちらつく。

バトパハの関帝廟で出会った華僑のバツイチ娘。光晴が「白蛇の精」と呼ぶ女とは、彼女の部屋にかくまわれ、駆け落ちする「夢」を見るのだが、どこまでが現実でどこまでが夢なのか読んでいて判然としない。

人なつこいぽん引きのマレー人に見せられた英中混血女の裸の写真に、光晴はころりと参ってしまい、ラッフルズ・ホテルで逢い引きすることになる。女が身につけているものを脱ぐのを見ながら、光晴はベッドで横になっている。光晴は、ふと眠くなる。

「意識がなにかに吸い込まれてゆく瞬間、固い木質と金属がぶつかって立てるような、かん高い音がして、もやもやした睡気がけしとんでしまった。彼女が自分で左腕の根元から、義手を外して、卓のうえに置いた音であった。義手をとった左腕の痕跡は、巾着の紐をしめたように盛りあがった肉の中心だけがふかくくびれ込み、周りの肉のふくらみが、指でさわるとぶよぶよと柔かかった。なにか毒のあるものに咬まれて医師が切断したものらしかった。毛布の下でもぞもぞやっているので、--また、片足も義足で、股のつけ根からぬけて、寝台のしたにころがり落ちるのでなないかと、心労するより先に、さもあれかしと秘かに望んでいるのであった。眼球もそのどっちかを、彼女じしんの指でほじくりだしてみせて欲しかった」

どうよ、この光晴が幻視する残酷と官能の入り交じったイメージ。テーブルに金属がぶつかったこつんという音とともに作動する光晴のこういう想像力は、パリの冷たい石畳のうえでは決して働かない。熱帯の色濃い緑と湿気、そこに住む「同糞同臭」の人間たちのなかでこそ、光晴の五感は自由になる。

混血女に入れ込んで旅費を減らした光晴は、人なつこいぽん引きに案内されて、性懲りもなく今度は「シャム女」の売春窟へ出かける。

「それは、そこにいる人たちの体臭と、生活から放散する臭気で、熱気に蒸れたその臭気は野生の狸や、それに類する小動物の塒(ねぐら)から発するような異様なものであって、その生物どもにとっては、なつかしい同類同族のにおいに外ならない。……自分にはそんな環境の臭気など身につけていないつもりの人たちにとっても、それは、排泄物の悪臭よりも激しく、人種のちがった人たちには、それ一つで鑑別できるものである。だが、そこらの空気にまじって淀んでいる熱っぽい大気は、なまやさしいものではない。嘔吐をもよおさせると言うよりも、生きているのがいやになるようなにおいである。頭脳の半分が、すでに饐えくされて、青黴のはえた柑橘になったような収拾のつかなさであった」

言うまでもなく、光晴はこういう臭気を楽しんでいる。神戸行きの船の切符を予約しながら、「からだに根が生えてしまって、それがまた、まんざらわるい気持ちではなかった」光晴は金もないのに2度もキャンセルして、ひとりでマレーの土地に迷い込む。

「夕方ちかくには驟雨があり、落日の壮麗さは、なにものとも換えがたいし、そこに生育するものは植物、動物にかぎらず、われらの常識の框を外して、測りしれず氾濫し、調和できないもの同士を奇抜な方法で一つにし、世界のゆきつく果てまでつきあたった熱気の悒愁でどこでも、いつでもどんよりとさせている」そのような迷路のなかで、光晴はこう記す。

「十年近く離れていた詩が、突然かえってきた」。

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March 22, 2006

さくら葉の塩味

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下田に住み、伊豆半島に暮らす人々を写真に撮りつづけている友人が、松崎の「さくら葉餅」を送ってくれた。長八美術館で知られる西伊豆の松崎は、和菓子など食用の桜葉の産地でもあって、全国の8割がここで栽培されているという。大島桜の葉を1年間塩漬けしてつくる。

東京の桜が開花したというニュースを見ながら、「さくら葉餅」を食する。さくら葉の塩味と餡の甘みが口のなかに広がって、季節の香りがする。

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March 18, 2006

『うつせみ』の思いの深さ

「思いの深さは質量に反比例する」--なんて公式を映画『うつせみ』から取り出すことができそうだ。

この映画では主人公の男(ジェヒ)と女(イ・スンヨン)が3度、メジャーに乗って体重を計るシーンが出てくる。

ジェヒはソウルの高級住宅街の留守宅(韓国語原題は「空き家」、英語タイトルは「3-iron」)を捜しては入り込み、そこに寝泊まりする生活を送っている。冷蔵庫の食料で食事はつくるけれど、それ以上なにかを盗むわけではない。それどころか、壊れたオーディオ装置や時計を直したり、乱れた部屋を整頓したりする。壁に貼られた写真の横に立って不在の家族と記念撮影もする。

ある邸宅に入り込んだジェヒは、夫に虐待された妻のイ・スンヨンが片隅にひっそりうずくまっているのに気づかない。部屋から部屋を歩き回り、メジャーに乗ってみる。それは壊れていて、針は110kgを指す。壊れたメジャーは、この家の夫(クォン・ヒョゴ)と妻の関係が壊れていることを暗示している。夫と妻の間に、思いは流れていない。ジェヒはメジャーを分解して、直す。

イ・スンヨンは自分の家に侵入したジェヒの行動を、彼に見つからないように見守っている。しばらくすると、男に悪意があるわけではないのが感じられる。それとともに、夫には感じなかった感情を、ジェヒに感じはじめる。

スンヨンがメジャーに乗ってみると、針はきちんと50kg(だったか)を指している。ジェヒが直したメジャーにスンヨンが乗ると、針が正確な体重を示したのは、夫には見えなかったスンヨンのありのままの姿がジェヒには通じたことを暗示しているのだろう。それはまた、夫とのあいだには流れていなかった感情や思いがスンヨンとジェヒのあいだに流れ出したことを意味している。

そこから2人の無言の物語が展開する。家を出たスンヨンとジェヒは留守宅を捜しては転々とするのだが、2人のあいだでセリフはまったく交わされない。でも思いだけはどんどん深まってゆくのが、見る者には感じとれる。

3度目にメジャーが出てくるのは、ほとんどラスト近く。保釈されたジェヒがスンヨンの家に戻ってくる。スンヨンは夫にいきなり「サランヘ(愛してる)」と言い、それまで妻の冷たい態度に困惑していた夫はびっくりするのだけど、夫の背後には影のようにジェヒが立っている。「サランヘ」という言葉は、ジェヒに向かってスンヨンが初めて発した言葉なのだ。

ジェヒとスンヨンがメジャーに乗る。針はゼロを指している。2人には体重がない。それは2人がすでに現実の場にいないことを暗示している。2人のあいだに肉体(質量)はなく、思いだけが現実なのだ。

だからこの映画は、ジェヒとスンヨンの2人の思いが深まるのに反比例して質量を失ってゆく物語と見ることもできる。そこで思いが深まり質量を失う契機となるのは、2人の内部の「罰されたい」という欲求だ。それは2人がそれぞれに内部に「壊れたもの」を抱えていて、「壊れたもの」を「罰される」ことによって浄化し、欠けたものを回復したいという願いを秘めているからだろう。

公園で、ジェヒがゴルフのクラブ(3-iron)でボールを打とうとすると、スンヨンはボールの前に立つ。ジェヒが打つ方向を変えると、スンヨンも立つ位置を変えて、ジェヒが打つボールを身に受けようとする。実際、ジェヒがスンヨンを避けてボールを打つと、ボールは通りがかった車の女性を傷つけてしまうのだ。そしてクラブがボールを叩く音は、まるで人を鞭打つ音のように聞こえる(タイトルバックでは、この音が効果的に使われている)。

一方、逮捕されたジェヒは、拘置所で監視窓から見えない位置に隠れてしまう。怒った看守がジェヒを警棒で叩きのめす。ジェヒは同じことを繰り返して、警棒で何度も打たれる。ジェヒは独房で、背中に羽が生えた天使のようなアクションをする。ジェヒは警棒で打たれるたびに身軽になり質量を失って、天井に近い壁にへばりついてしまう。

そんな『うつせみ』の宗教的な匂いは、ギム・ギドク監督の前作『サマリア』でも感じられた。これは牧師を志したこともあるというギドク監督の個人史のなにかが反映しているのかもしれない。

この映画でほかにも、ジェヒの手の平にチョークで眼が描かれているショットがあるけれど、これは千手千眼観音の姿だし、質量を失うにつれてジェヒとスンヨンの微笑みは観音の微笑みに近くなってくる。独房の白い壁に囲まれた空間は教会のようにも見える。

そんな現実と幻のあわいに漂う男と女の物語が、西洋風だったり韓式だったりするソウルの高級住宅街や、一転して公団住宅のようなアパートのリアルな風景のなかで演じられるのが効いている。エジプト系とイギリス系の血を引くナターシャ・アトラスのエスニックな挿入歌が、現実のソウルの混沌と、幻の思いの深さをともに感じさせる。

この監督の初期の作品を見ていない。全体像を見たいという欲求を感じさせる素晴らしい個性を持った監督だね。

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March 15, 2006

沖縄の色と形、紅型

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中央通りを歩いていたら、美しい紅型のパネルが飾ってあったのでふらりと入ったら、伊差川洋子さんという方の紅型作品展だった(3月19日までポーラミュージアム・アネックス、銀座1丁目)。

沖縄の芭蕉布や上布、絹や紬などに紅型で染められた反物や着物が十数点。花や蝶や波の、いかにも沖縄らしい鮮やかな色彩とパターンが織りなすデザインにみとれる。

伊差川さんは今回の作品展で、現在は忘れられた紅型の原型「蒟蒻型」といわれる技法に挑戦したそうだ。その失われた技法でつくられた作品が全く古さを感じさせずに現代的な意匠の着物として蘇っている。

わが家には二十数年前に那覇で求めた紅型の花模様の暖簾が1点あって、お気に入りなんだけど、カミさんにこの作品展を知らせると、将来、恐ろしいことになりそうな気もするな。


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March 13, 2006

金子光晴の放浪3部作メモ(2)

上海や東南アジアでは、生きていくために町の底を這いずりまわりながら土地と人々に生理的一体感を覚えた金子光晴だったけれど、ヨーロッパの地ではそうはいかない。

パリは「黄金万能の鉄則」という「この街の底辺の寒気(そうけ)立つようなものの考えかた」に貫かれた、冷たい塊のような個人と個人がぶつかりあう場所だった。中国人女子学生に「同糞同臭」を感じる光晴の五感は、ヨーロッパの人間に対しては拒否的に働くことになる。

「パリの人たちは、いつになっても、コーヒーで黒いうんこをしながら、すこし汚れのういた大きな鉢のなかの金魚のようにひらひら生きているふしぎな生き物である。……頭を冷やしてながめれば、この土地は、どっちをむいても、むごい計算ずくめなのだ。リベルテも、エガリテも、みんなくわせもの」(『ねむれ巴里』。以下同じ)

ここでも光晴はうんこの話で、どんどんクサくなってくけどなあ。

「パリには、時にはグロテスクで、時には、無限にもののあわれを誘う人間獣と、翼が石に化った連中がどうしようもなくうようよしていたものだ。老娼の手くだに捕われて、ゆくもかえるもできないで、ひたすらパリの土となり、融け込んでゆくことを最後ののぞみにして酔生夢死するエトランジェの生きる体臭でむしむししているところであった」

そんな体臭を発しながら騙し騙されるパリの男たち女たちを、光晴は何人もスケッチしている。彼が滞在したホテルの家主、「年増盛りで色気たっぷりの」独り者のペルシャ女は芝居やオペラに通う優雅な生活を送っていたが、ジゴロに騙されて姿を消す。次の持ち主になった女も「別のジゴロに引っかかって、あえなく尻の毛までぬかれてペルシャ女とおなじ運命を辿った」。

光晴がつるんで歩く、ゆすりたかりをしてまわる肺病病みの日本画家・出島春光の、尊大でありながら脆さを感じさせる風貌。その出島を第2のフジタにしようともくろみ、上流夫人に彼の絵を詐欺まがいに売りつける伯爵夫人と称するモニチの飾り立てた醜悪な姿は、『ねむれ巴里』の白眉だろう。

「慢性の肥厚性鼻炎でなんの臭気も感じない僕も、モニチの強烈な腋臭には我慢がならなかった。裸の太い腕は紅く、上気して火照って、それはそれで別個の体臭を発していた。僕は舌打ちをした。が、それは、じぶんにむかってしたつもりであった。この女とホテルにゆくことだけは、助けてもらいたかった」

なんの臭気も感じないといっているくせに、光晴は嗅覚によってものの本質をずばりと探りあてる。当時、日本のインテリはアナーキズムからボルシェヴィズムへとなだれつつあったけれど、光晴が信頼するのはそのような認識方法ではなく、彼自身の五感と第六感(直感)なのだった。

アジアの植民地では、辺地に暮らす日本人が「まれびと」を迎えるもてなしで光晴の拙い絵に金を払ってくれたけれど、パリでは日本人にも、ましてやフランス人にもそんな押し売りは通用しない。明日の生活費にも事欠く日々のなかで、光晴は自分も妻や友人知人を傷つけながら、個と個がぶつかりあい、互いに傷つけあってしか生きられないヨーロッパと西洋人の姿をえぐりだしている。

「首や、手の先は日にやけても、肌着のシャツをぬげば、西洋人たちは、男、女によらず、アート紙のように照りのある、純白のつるつるした肌をもっている。眸子(ひとみ)のすぐり、赤い鷲鼻、枯芝のような体毛、尿壷の甘さよりも、百倍むかむかする腋臭の異臭、汗のしめりで、赤く腫れあがったうす肌、過剰な栄養がつくりあげた厖大な西洋人の幻は、彼らの歴史が完成させた物質世界の征服で、まことに彼らにふさわしい精力的な文明都市を天も狭くなるばかりに組みあげた」

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March 11, 2006

『ブロークバック・マウンテン』とシェーンの谺

雪を抱いた険しい岩山の裾野にヒマラヤ杉が広がっている。遠景にそんな風景をもつ緑の野のなかを車が横切り、トレーラー・ハウスの前につけたその車から主人公が降り立つ。アメリカ西部ワイオミング州ブロークバック・マウンテンの牧場(架空の地名、撮影はカナダ)。

『シェーン』と同じ風景だなあ、と思う。『シェーン』の舞台も同じワイオミングだった。冒頭で、雪が残る山の彼方から馬に乗ったシェーンが現れ、緑の山裾を横切って平原にぽつんと建つ開拓農家で足を止める。馬と車の差があるだけで、2本とも同じ導入部。『シェーン』は言うまでもなく西部劇の名作で、テクニカラーで撮影された風景と、強調されたサウンドが生々しかった。

プロローグだけではない。ブロークバック・マウンテン山中で黒雲が湧き雷が鳴る場面が出てきて、『シェーン』でも遠雷が印象的だったのを思い出す。

『シェーン』を連想したのは、そんなふうに風景にデジャヴュを感じたからだけど、見ているうちに、それ以上のものがあるかもしれないと思えてきた。ひょっとしてアン・リー監督は『シェーン』を参照しているのかもしれないな。

そのひとつは、衣装に関して。ブロークバック・マウンテン山中で、ヒース・レジャーは常に白いカウボーイ・ハットをかぶっている。白地にチェックのダンガリー・シャツを着てジーンズを履いている。もうひとりの主役ジェイク・ギレンホールは、対照的にいつでも黒いカウボーイ・ハットをかぶっている。デニムのシャツにジーンズといういでたち。

『シェーン』では主役のアラン・ラッドが白いカウボーイ・ハットをかぶり、白っぽいバックスキンの上下を身につけていた。一方、敵役のガンマン、ジャック・パランスは黒い帽子、黒いパンツに黒のチョッキ、黒手袋という全身黒ずくめで登場する。白と黒という衣装の対照で、ヒーローとヒールを鮮やかに視覚化していた。

黒と白が発する色彩のメッセージがある。黒づくめのジャック・パランスは不敵な笑みを浮かべる非情のガンマン(そんな男が酒ではなくミルクを好むのがまた凄みを際だたせる)。対する白のアラン・ラッドは、知的で女性的な印象。時代の流れのなかでガンマンが滅びゆく運命にあることを自覚する、静かな男として描かれている。

『シェーン』の白と黒はヒーローとヒールの敵対する者同士、一方、『ブロークバック・マウンテン』の白と黒は恋人同士だから、それ以上の構造的な類似はないけれど、『シェーン』の色彩のメッセージは『ブロークバック・マウンテン』にもそのまま受け継がれている。

黒いカウボーイ・ハットをかぶりデニムのシャツを着ているジェイク・ギレンホールは、自分の感情に率直で、ヒース・レジャーに対しても積極的、そして時代の流れに適応して生きる男として描かれている。一方、白のカウボーイ・ハットに白っぽいダンガリー・シャツのヒース・レジャーはゲイとしての自分を受け入れることができずに悩み、離婚し、時代に取り残されてしまう。

そしてこの映画では、白と黒の帽子以上に2人のシャツが象徴的な役割を負う。ラスト近く、ヒースがジェイクの部屋に入って彼の衣装戸棚を開けると、ヒースがブローバック・マウンテンに忘れてきたと思っていたダンガリー・シャツがハンガーにかけられ、そこにジェイクのデニムのシャツが重ねられている。重ねられた2枚のシャツは、ほとんど彼らの心と肉体そのものだ。(後記:このショットはジェイクの部屋の衣装戸棚ではなく、自分の部屋だった)


もうひとつこの映画と『シェーン』に類似を感じたのは、ともにラスト近くで交わされる会話。

『シェーン』で、悪役の牧場主を殺しにおもむいたアラン・ラッドは、牧場主に向かって、「もうお前たちの時代は終わった」と告げる。牧場主はガンマンのアラン・ラッドに、「そういうお前たちガンマンはどうなんだ」と反問し、ラッドは「それは分かっている」と答える。

このやりとりは、西部を開拓して牧畜を営んでいた牧畜業者と、遅れてやってきた開拓農民が土地をめぐって激しく対立し、「ジョンスン郡戦争」と呼ばれる抗争が起こったワイオミングの歴史を背景にしている(マイケル・チミノ『天国の門』が描いた、米国史の恥部と呼ばれる事件ですね)。流れ者シェーンは開拓農民の側についたけれど、ガンマンであるシェーンが生きることのできる空間もまた時代の波のなかに消え去ろうとしている。

『シェーン』に映しだされたこの西部開拓史の影は、はるかに『ブロークバック・マウンテン』にもこだましているように思える。

ワイオミングの山中で年に何回かの逢瀬を重ねるヒースとジェイクは、「これからは金持ちの時代だな」という会話を交わす。離婚したヒースは牧場の雇われカウボーイとして、敗残者のような生活を送っている。ジェイクは義父が経営するトラクター販売会社のセールスマンだが、セールスマンは彼1人というセリフも出てくるからどうやら零細企業の会社員で、落ちこぼれずになんとか暮らしているといったところらしい。

そもそも2人が出会ったブロークバック・マウンテンの牧場主にしてから、彼の事務所がトレーラー・ハウスだったことや、彼ら2人に羊の世話を任せるほどの規模から考えても、大規模化から取り残された零細牧畜業者のように見える。

そしてそれ以上に胸を打つのは、最後にヒースが訪れるジェイクの両親の家。牧場主だったジェイクの両親は廃業し、牧場の朽ちかけた木造家屋にひっそり住んでいる。ヒースが中に入ると、家具らしい家具はなにもない。その荒廃した風景と年老いた両親の姿は、1930年代の大恐慌下に写真家ウォーカー・エヴァンスがアメリカ南部の疲弊した農村地帯を撮影した数々の作品を思い起こさせる。

『ブロークバック・マウンテン』の物語は1960年代から80年代に設定されている。この時期、アメリカの農業も牧畜も産業として大規模化し、世界市場を支配するようになった。でもこの映画に登場するのは、そんな「金持ちの時代」から取り残されようとしている人たちばかりだ。だからこの映画は『シェーン』で予告されていたフロンティア消滅のその後の、シェーンの末裔たちの物語と考えることもできる。

そんな、時代から取り残されたという感覚が映画の底に流れているからこそ、ヒースとジェイクの愛と、それを育んだブロークバック・マウンテンの風景は神話的なまでに美しい。男同士の愛という素材を別にすれば、アン・リー監督のスタイルはオーソドックスで、『マディソン郡の橋』にも通ずる大人の純愛映画の味がした。

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March 08, 2006

金子光晴の放浪3部作メモ(1)

10日間ほど臨時に入ってきた仕事にしばられていた。待ち時間が長く、夜も遅く、デスクを離れることができないから、映画にも行けないしブログの更新もできない。仕方ないので以前から気になっていた金子光晴の自伝的放浪3部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』(いずれも中公文庫)を読むことにした。

1928年、詩人の金子光晴は妻の三千代とともに上海を経由してパリを目指した。三千代にアナーキストの若い恋人ができたことから、金子の元を去った妻を男から引き離し、同時に貧困にあえぐ生活を建て直そうとしてのこと。とはいえ、パリまでの旅費はおろか上海までの旅費すらなく、とりあえず知人のいる大阪で旅費を調達しようという、なんとも無謀な企てだった。

『どくろ杯』は詩の好きな女学生だった三千代との出会いにはじまって、大阪、上海への旅のいきさつまでが、『ねむれ巴里』は三千代を先にパリに旅立たせた光晴がシンガポールやマレー半島を放浪してヨーロッパにたどりつき、パリとブリュッセルに暮らす日々が、そして『西ひがし』では妻をブリュッセルに残して再び一人で東南アジアを放浪する旅が回想されている。

何より驚くのは、この3部作が書き始められたのが1971年、実際の体験から40年以上たっているのにまるで昨日のことのように鮮やかなイメージで、読む者に旅の日々を伝えてくることだ。それは金子光晴がこの放浪の旅を頭ではなく五感でもって咀嚼し、反芻し、記憶していたからであるように見える。五感、なかでも匂いという嗅覚によって、旅の生々しい風景が蘇る。

例えば上海。

「大陸特有の、編み糸の目を針のようにくぐって肌に突刺さるきびしいつめたさの、氷雨がふりはじめていた。そんなときは、世の終りのような気がして、やりかけのことも欲得もなく放棄して、胴ぶるいの止まらないからだを、温い湯気の渦巻く片隅にうずくまって、熱い湯麺の椀にでも顔を埋めたくなる。楊樹浦クリークのくさいにおいが鼻を穿つ。うらぶれた家屋が庇をよせあったなかのうすぐらいところに、うようよと人がむらがっている。/そこは、女の肉の切り売の袋小路……上海の土地でも名うての腐肉捨て場で、紫色にふくれた、注射針のあとだらけなくずれた肉に烏の群のように男たちがたかってくる」(『どくろ杯』)

氷雨のなかの湯麺の匂い、クリークのどぶのような匂い、売春窟のすえた肉の匂い。そんな匂いのなかを、金子は水彩画を描いて日本人に押し売りしたり、エロ小説を書いたりしながら、明日を生きつぐ金を求めて彷徨っている。

上海からシンガポール、マレー半島と旅費をかせいでまわり、ようやくフランスに向かう船に乗った金子は、中国人留学生4人組と同室になる。そこで彼は一人の女子学生と出会い、互いにそこはかとない好意を感ずるようになる。深夜、金子が船室でひとり眼を覚まし、ベッドから下りての描写。

「僕の寝ている下の藁布団のベッドで譚嬢は、しずかに眠っていた。……僕は、からだをかがみこむようにして、彼女の寝顔をしばらく眺めていたが、腹の割れ目から手を入れて、彼女のからだをさわった。じっとりとからだが汗ばんでいた。腹のほうから、背のほうをさぐってゆくと、小高くふくれあがった肛門らしいものをさぐりあてた。その手を引き抜いて、指を鼻にかざすと、日本人と少しも変らない、強い糞臭がした」(『ねむれ巴里』)

後で金子は、あのとき譚嬢は自分の行為に気がついていたのではないか、と書いている。当時、すでに日中間は緊張し、上海でも東南アジアでも排日の動きが高まっていた。

でも金子の中国人(中国系華僑)への接し方は、この本のあちこちでスケッチされる植民者が被植民者に対するものではなく、かといって左翼インテリのそれでもない。植民地支配被支配の関係を軽々と超えて、金子の言葉を使えば「同糞同臭」のアジア人として、人間と風土(米食だからこその「同糞同臭」)への生理的一体感をもっているように思える。なんとも官能的な、先の引用の続き。

「同糞同臭だとおもうと、『お手々つなげば、世界は一つ』というフランスの詩王ポール・フォールの小唄の一節がおもいだされて、可笑しかった」


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March 06, 2006

『アメリカ、家族のいる風景』の動と静

『アメリカ、家族のいる風景』では、動きのあるショットと絵画的なショットが、それぞれに突出して感じられた。普通の映画では動のショットと静のショットが組み合わされ編集されてひとつの文体をつくるけれど、この映画では、動のショットでは移動が、静のショットでは写真や絵画的な画面が、ひとつに溶け合わずにバランスを失するくらい強く意識されているように思った。

動のショットのひとつは、ヴェンダース映画の常としてロードムーヴィーであることから生まれている。

西部劇のロケ地として有名なユタ州モアブからカジノのあるネバダ州エルクへ、さらにゴーストタウンのようなモンタナ州ビュートへ、サム・シェパード演ずる落ち目の俳優は馬とバスと車でもって移動する。画面奥から手前へと走り去る道路の中央線の背後に広がるのは、広漠とした大地と抜けるような青空、白い雲。20年前にサム・シェパードと組んだ『パリ、テキサス』でも印象的だったアメリカの原風景だ。

もうひとつの動は、ビュートの路上に放りだされたソファに座るサム・シェパードの周りを手持ちカメラがぐるぐる回る異様に長いショット。

突然現れたシェパードが自分の父親だと知り、動揺した息子はアパートの2階からありったけの家具を路上に放り投げてしまう。シェパードは自分を拒否する息子に何も言えず、黙って路上のソファに座り込んでいる。近づいてきたもう一人の女性(サラ・ポーリー)もどうやら自分の娘らしい。

長いあいだ家族の絆を断って孤独に生きてきたシェパードが、はじめて家族とのつながりの感情を自覚するシーン。シェパードの周りを回る長いショットはそんな感情が生まれる瞬間を捉えようとするように動きつづける。

一方、静のショットは主にビュートの街角や、室内から窓を通して外を見る風景として現れる。人通りのない、がらんとした茶褐色の街。強い日差しと黒い影。そんな無人の街路をサム・シェパードやジェシカ・ラング(かつての恋人)やサラ・ポーリーが横切ってゆく。ホテルの窓際に放心したように座るシェパードの向こうには、青い夜にネオンが寂しく光っている。まるでエドワード・ホッパーの絵のようなショット。

エドワード・ホッパーの作品でも、建物の内部で座ったりコーヒーを飲んでいる人たちが、窓越しに外の街路から差し込む昼(あるいは夜)の光に照らし出される構図が印象深い。

その構図が都市に生きる人間たちの孤独と、胸の奥に潜めた小さな灯のような温かさを共に感じさせるように、ヴィム・ヴェンダースの動と静のショットからも、自分勝手に生きてきた老残の俳優の孤独と、その果てにはじめて家族を意識し、他者との絆に気づいた男のぬくもりのようなものが感じられる。

『パリ、テキサス』では、ひりひりするような孤絶と、ガラス越しに辛うじてつながる、独白のように頼りなげな会話ばかりが記憶に残ったけれど、この映画はもっと穏やかな表情をしている。それが20年という歳月がシェパード=ヴェンダースにもたらした成熟なんだろうか。

ところで、ヴェンダースは過去の作品のなかでもアメリカへの愛憎をさまざまに語っているけど、『アメリカ、家族のいる風景』では劇中劇で撮影されている西部劇がそれに当たる。

撮影されているのはラストシーンらしい。サム・シェパード演ずる流れ者が、彼を愛してしまった娘と別れの抱擁をかわしている。西部劇(に限らず)お定まりのシーン。次のショットで、シェパードは馬に乗り、馬が前足を高く上げるのをカメラは仰角で見上げるように捉えている。

気恥ずかしくなるような紋切り型で、どうやら『荒野の決闘』のラストシーンみたいな品のある終わり方ではなく、B級ウェスタンらしい。とすれば、サム・シェパード演ずる老優はヘンリー・フォンダやジョン・ウェインではなく、ランドルフ・スコットかアラン・ラッドあたりか。『アメリカ、家族のいる風景』は、そんなアメリカ映画へのオマージュでもあった。

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March 04, 2006

サスペンス映画としての『ミュンヘン』

スティーブン・スピルバーグの映画は、ドリームワークス(夢工場)という彼が持っている共同スタジオの名前にふさわしく、エンタテインメントであっても「良心的作品」であっても誰もが楽しみ、感動することのできる大衆的な面白さと道徳的な健全さとを合わせ持ってる。現在のハリウッドの主流をなす最高の監督であることには誰も異論がないだろう。

でも、僕が彼の映画に惹かれるのは、スピルバーグがアクションやサスペンスの監督として一級の腕を持っているゆえに、時にそういう健全でメジャーな枠をはみ出した映画的興奮をつくりだしてしまうことがあるからだ。

例えば『プライベート・ライアン』冒頭の長い長いノルマンディー上陸シーンは、本当に銃弾が飛び交う戦場に身を置いているような錯覚を観客に起こさせ、これまで見たどんな戦争映画よりも戦闘の狂気と恐怖を実感させた。『太陽の帝国』では、東洋の植民地とそこで戦われる戦争の白日夢のように倒錯した美しさが、少年の目から捉えられていた。

『ミュンヘン』もまた、ディテールが全体を食ってしまうような映画的興奮を随所に感じさせる。ストーリー自体は、主人公がテロリストの黒幕を暗殺してまわった果てに良心に苛まれるという道徳的健全さによってメジャーな映画の枠内に収められているけれど、部分の描写はそれを裏切るようにリアルで、スピルバーグらしくなく時にエロチックで、残酷ですらある。

そのことに与っていちばん力があるのは、なんといってもヤヌス・カミンスキーのカメラだろう。全編にコントラストの強い、光と影を強調した、くすんだ色彩のザラリとした感触の画面。フラッシュ・バックのテロのシーンでは、「銀残し」という荒れた粒子を強調する手法も使われている(確かロシア映画『父帰る』でも使われていた)。

主人公たちがテロを起こした過激派「ブラック・セプテンバー」の黒幕11人を暗殺するためにヨーロッパや中東の8都市を巡る設定を、ブダペスト(ヨーロッパの都市部分)とマルタ(地中海沿岸の部分)の2カ所でロケして、それぞれの都市らしい雰囲気を感じさせている。雨が激しく降るロンドンや陰鬱なパリの街路、闇のベイルートがノワールふうな空気をただよわせ、それと対照的にキプロスやスペインの風景は陽光にあふれている。

なかでも目立つのが影の効果。人の黒い影が画面を横切る。樹々の影が風に揺らめいて、主人公の不安な心理を露わにする。サスペンスを強調する定番の描写だけど、これもノワールっぽい画面が盛んに使われる。緊迫した場面では銃撃や爆弾の音、町の騒音がひときわ大きくなり、小刻みにカットを重ねる演出で見る者をぐいぐい引き込んでゆくあたりはスピルバーグの独壇場。

そして印象的な赤。協力者の恋人で70年代風にぶっ飛んだ女性の、毒々しい朱色に塗られた唇が画面いっぱいにアップされる。え、スピルバーグってこんなエロチックな画面を撮るんだっけ?

黒幕が牛乳を買って家へ戻るところを、暗殺者たちはアパートのエレベーター・ホールで待ち受けて殺す。砕けた牛乳瓶から流れ出たミルクのなかに黒幕の血が滲んでくる。なんとも官能的な白と赤の画面(後記:この赤は血ではなく赤ワイン。歳のせいか、思い違いが多くってね)。別の黒幕が泊まるホテルの部屋を爆弾で爆発させた後、主人公がこなごなになった部屋に入ると、上から血まみれになった腕がぶらりと下がっていたりもする。

あるいは、別組織に雇われた女殺し屋を暗殺するシーン。女は自分が殺されることを悟り、服を着させてと頼んでも主人公たちは首を振り、裸の胸に仕込み銃を撃ち込む。椅子に倒れこみ胸も下半身もむき出しのまま血を流して死んでゆく女に、一人がガウンをかけようとするが、もう一人がそんな必要はないと言って、女を辱める。え、スピルバーグってこんな残酷描写をするか?

スピルバーグの映画はいつもお行儀がいいという印象を受ける。それは大きな資金がかかわっている商業的要請であるとともに、スピルバーグ自身の資質なのかもしれない。でも『ミュンヘン』はそんなお行儀のよさを踏みこえた描写がたくさんあって、そういってよければスピルバーグの面白さを、改めて見直した。思い出してみれば、スピルバーグのデビュー作『激突!』は、全編がそんな映画的興奮にあふれていたではないか。

おまけに、舞台になる1970年代に20代を送った僕のような世代には、この時代の音楽やファッション、映画のポスターなんかがしこたま出てきて嬉しい。

映画の中身は脇に置いて、そんな不謹慎な(?)楽しみ方をしてしまったけれど、ラストシーン、今は存在しない世界貿易センタービルがそびえるマンハッタンの遠景に、スピルバーグのメッセージは確かに伝わった。

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March 01, 2006

庭の春

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梅は3分咲き

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沈丁花はつぼみ

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イワザクラ(と祖母から教えられたが、?)もつぼみ

わが家の庭は手入れが悪く込みすぎているためか、いつも花が遅い。冷たい雨に打たれる梅は3分咲き。ほかの花ものはまだつぼみだけど、いろんな場所で新芽が顔をのぞかせている。

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