『クラッシュ』の悲しみの連鎖
アメリカ映画を見に行って、オープニングでユニバーサルや20世紀フォックス、あるいはドリームワークスやミラマックスといったおなじみの製作・配給会社のロゴではなく、この映画みたいな見慣れないロゴが出てくると、それだけでちょっとだけ楽しみがふえる。
ハリウッドの大資本と離れたところでつくられたインディペンデント系の映画には時々渋いヒットがあって、そういう映画にめぐりあったときの嬉しさは単館ロードショー系の映画好きなら誰でも思い当たるはず。
野心満々の若い監督のデビュー作もあれば、我が道をゆく監督もいる。インディペンデント映画でデビューした監督がハリウッドに呼ばれ、作家としてのこだわりと商業主義にどう折り合いをつけながら作品をつくるかを見守っていくは、けっこう楽しい「追っかけ」だ(ここ数年はアレクサンダー・ペインやクリストファー・ノーランを追っかけてる)。
『クラッシュ』もインディペンデント系の映画で、ポール・ハギス監督のデビュー作。もっとも彼は『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本で注目を集めたし、テレビの世界で既に名をなしているらしいから、無名の新人じゃない。
今年のアカデミー賞にもノミネートされているから(作品賞・監督賞など)、『ブロークバック・マウンテン』や『ミュンヘン』を押さえて賞をもらえば一躍ビッグな存在になるにちがいない。というか、すでにイーストウッドの新作や007最新作の脚本、そして彼自身の監督第2作も決まっていて、ハリウッドの評価は定まっているようだ。
この映画がハリウッドではなくインディペンデントでつくられた理由のひとつは、そのエスニックな設定にあるだろう。アフリカ系を中心にして、ヒスパニック、イラン人、コリアンなど、ロサンジェルスのごった煮のような人種が入り乱れ、彼らが「ポリティカリー・コレクト」な配慮を必要とするハリウッド映画では御法度なエスニック・ジョークを連発する。
しかも彼らはハリウッドの定番のような善玉でも悪玉でもない。
狂言回しになるアフリカ系の刑事(ドン・チードル)は、野心家の地方検事が警察官同士の殺人事件を政治的に不利にならないよう嘘の発表をするのを受け入れる。イラク人と間違われ店が荒らされた老イラン移民は、ドアの鍵を修理に来たアフリカ系の男を逆恨みして銃をぶっ放す。交通事故の被害者になったコリアンの男は、実はアジア人の密入国に携わっている。
かと思うと、アフリカ系の裕福なTVディレクター夫妻の車を止め、「武器所持調べ」で妻の全身を触りまくる人種差別主義者の白人巡査(マット・ディロン)は、家に帰れば病気の父親の面倒を見る心優しい息子でもある。アフリカ系に偏見をもち差別的な言葉を吐く地方検事の妻(サンドラ・ブロック)は、震えるような孤独に苛まれている。
ひとつの交通事故(クラッシュ)をきっかけにして、彼ら彼女らの運命が鎖のようにつながってゆく。傷ついた者が次の者を傷つけ、悲しみにくれる者が次の者を悲しみの底に突き落とす。それは何十台もの車が次々に追突するクラッシュそのものだ。
そんな、多彩な登場人物の色んなエピソードが、時間をさかのぼりながら群像劇として巧みに構成され、演出されている(脚本・監督ともハギス)。悲しみのなかに、ひとすじの希望を灯す「見えないマント」の挿話も差し挟まれる。映像や演出にこと新しい実験はないけど、快調なテンポ、一瞬の描写で登場人物の光と影を彫り込んでゆく職人技。さすがテレビ映画で鍛えられただけはある。
『クラッシュ』は非ハリウッド的な設定やセリフや登場人物に満ちているのに、ハリウッド的に(あるいはテレビ・シリーズ「24」や「ザ・ホワイトハウス」みたいに)ウェルメイドなドラマに仕立てられている。その、ある種のアンバランスがこの映画の魅力だろう。
あえて瑕瑾を捜すなら、善人らしく見えた登場人物がそうとばかりはいえず、悪人らしく見えた人物もまた見かけどおりでないという、ひとひねりした「類型」が途中から見えてくるので、腐敗警官を嫌悪する若い巡査は「いい人」のまま終わるんだろうか、盗みを重ねるアフリカ系のちんぴらも「悪い人」のまま終わってしまうんだろうかと疑いが生じて、ラストに込められた思いがやや軽くなってしまうこと。
ラストシーン。ロサンジェルスに降る雪は美しい。ロスでは稀に雪が降るらしいけど、カエルは降らない。『クラッシュ』と同じ群像劇である『マグノリア』で最後に降ってきたカエルみたいに、この雪もいつまでも記憶に残るだろうか。
Comments
はじめまして。お気に入りリンクに登録させて頂いて、よく勉強しにおじゃまさせていただいています。映画音楽を研究しているのですが、感じた事をうまく言葉で表現する事が出来ず、いつも苦戦しながらブログを書いています。(プライベートのこととごっちゃになってるんですけど。。)
『クラッシュ』私も観に行ってみたいと思います!
Posted by: cute_sun | February 22, 2006 01:44 AM
コメント、ありがとうございます。
僕が高校生の頃は、映画館に行くと「音楽」に伊福部昭、早坂文雄、武満徹なんて名前が普通に出てきて、考えてみるとすごいことだったんですね。特に武満徹がやった「鬼婆」とか「砂の女」とか、音楽が強烈に印象に残っています。
音楽を視点にして映画を語るcute sunさんのサイト、楽しみにしています。
Posted by: 雄 | February 22, 2006 01:56 PM
勝手にTBさせていただきました。
“非ハリウッド的なセリフと、ハリウッド的な流れのアンバランスさが魅力”、というご意見に、納得です!
また寄らせていただきます。
Posted by: bossa | February 22, 2006 04:35 PM
マッド・ディロンがトイレで苦しむ父親を励ますショットが、常にドア越しだったのが印象的でした。あの疎外感が、それぞれのエピソードに共通していたように思えます。
「見えないマント」は確かにベタではありますが、やはり上手いと思います。
Posted by: [M] | February 23, 2006 12:38 PM
>BOSSAさま
確かにBOSSAさんもエントリで書いているように、スパイク・リーを連想させますね。
>[M]さま
これからハリウッドで撮るものも、この作品の疎外感のような、こつんとした核を抱えてつくってくれると楽しみですね。
Posted by: 雄 | February 26, 2006 07:44 PM