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February 10, 2006

中井久夫の『関与と観察』

精神科医である中井久夫の専門的な著作には歯が立たないけど、一般向けの本(『分裂病と人類』や阪神大震災関連)とエッセイ集はたいてい読んできた。そうして彼の書くテキストと阪神大震災での現場の医師としての実践などから、いまこの国に存在する最高の知性のひとりだと思ってきた(それについては「book navi 」で「時のしずく」に関連して書いたことがある)。

『関与と観察』(みすず書房)は中井の5冊目のエッセイ集。彼には珍しく「9.11以後」や「イラク戦争」など、生々しい現実に触れた文章が多く収録されている。

中井久夫を読むスリルは、あるテーマが思いもかけない角度から光が当てられる瞬間にある。医学者として、あるいは詩人として(現代ギリシャ詩の訳者でもある)、ある事実や直感を核にして、独特のやり方でテーマににじりよっていく。そのユニークな発想と論理展開がそのまま彼の個性になっている。

たとえば「精神医学および犯罪学から見た戦争と平和」と題された講演原稿では、「発砲率」ということから戦争が考えられている。「発砲率」とは、敵に対峙したとき何パーセントの兵士が実際に敵に向かって銃を撃つか、という数字。米軍では南北戦争から第二次世界大戦までの100年近いあいだ、おおよそ15%から20%だったそうだ。

中井は、米軍兵士のこの発砲率が「日本軍の玉砕攻撃に立ち向かう時でも同じ」で、「つまり80パーセントから85パーセントの兵士は、自分の命が危ない時でも、敵をねらって発砲しない」で「最後のヒューマニティを守っている」として、次のように言う。「調べていくにつれて、意外に人間には希望が持てる面があることに気づきました。人間はそうそう人を殺せないのです」。

第二次大戦後、米軍は、これではならじと兵士教育を徹底させ、朝鮮戦争では55%、ベトナム戦争では95%の発砲率を達成した。ところが「『心の底のブレーキ』を外して、発砲率を飛躍的に向上させた」「悪魔の心理学」を採用した代償として、兵役が終わっても市民生活にうまく戻れない元兵士が大量に生まれた。彼らにはPTSD(外傷性ストレス)という病名がつけられたが、「その概念はベトナム復員兵を対象として70年代に成立した」。

いま、ベトナムで懲りた米軍は「悪魔の心理学」を捨て、イラク戦争での米軍の発砲率は24%に戻っているそうだ、と中井はつけ加えている(兵士としての訓練が十分でない州兵が多いことも関係しているにちがいない)。

そこから話は兵士の戦闘意欲、白兵戦がいかに兵士の心理を消耗させるかというところから、指導者の心理へと展開し、最後は「銃後」の民衆に至る。「今は戦争の実際の経験者が引退しつつある時であることを見ると、どうも危ないという気がします。戦争への心理的バリヤーが低くなっています」と言いつつ、一般民衆(つまり僕たち)に対するこんな危惧で話を結んでいる。

「たとえばミサイルが日本に飛んできた時に、飛んできたもととおぼしい国の人であって、長く日本におられるというような方に危害を加えるようなことが今後の日本人にあるかどうか、それは日本の国民の究極の品位を国際的に問われることであると言いたいと思います」

あるいはまた、次のような感想も戦争を知っている世代だからこそと言えるだろう。

「『北』の話を聞くと60年前のわが国がしきりに思い出される。国民が飢えているのに軍事大国で、謀略を『国のために』躊躇せず行い、麻薬を近隣国に売っていた日本である。『北』が古い日本を遺伝している可能性はないだろうか」

本文とは別に、単行本化に際してつけられた注がまた面白い。戦前の日本海軍で艦船の爆沈が多かったという事実に触れながら、「日本の艦はよく爆沈するが、少なくともその半数は制裁のひどさに対する水兵の道連れ自殺という噂が絶えない」なんてことが、さらりと紹介されている。


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