「ブレイキング・ニュース」は、絶好調の香港ノワールの新作。期待にたがわず楽しめた。なかでも3つのシーンが、物語と手法とが密接に絡み合って印象に残る。
ひとつは、冒頭の1シーン1カット。路地裏のアジトから、銀行強盗の一団がまさに出撃しようとしている。特捜班の覆面パトカーが、それを監視している。警官が偶然通りかかり、強盗の車に不審を抱いて尋問する。ふとしたことからギャングが発砲し、特捜班も応戦して銃撃戦になる。
……といったあたりまで、7分間が1カットで撮影されている。路上から階上のアジトの室内へ、そしてまた路上へとクレーンを使って激しく移動しながら、何かが起こりそうな気配と、不審を抱かれた一味の緊迫、そして白昼のすさまじい銃撃戦が見事なカメラ・ワークで撮影されている。
その長い長い1シーン1カットは、アンゲロプロスやキアロスタミやホウ・シャオシェンの静謐な長回しではなく、例えばオーソン・ウェルズの傑作ノワール「黒い罠」のような、ケレンに満ち激しく動き回り移動する1シーン1カットを思い出させた。
7分間の錯綜したアクションを1カットで見せる腕の冴えは鮮やかだけど、それ以上に、カットとカットをつなぎモンタージュする映画的処理がなされていないので、観客は、その場に偶然居合わせた誰かがカメラを回しっぱなしにした映像の中継を見ているような気分にさせられる。
物語のその後の展開が、警察側と犯人側がテレビとインターネットを使って共に現場の映像を流し、どちらが観客(視聴者)の支持を得るかを争うことになってゆくことを考えると、「中継」と「観客(視聴者)」がこの映画のキーであることを、冒頭の回しっぱなしの映像があらかじめ予告しているようにも思える。
特捜班に追われた強盗団の一味は、下層階級が住む高層アパートの一室に逃げ込む。そのアパートには強盗とは関係のない殺し屋も潜んでいて、非常線を張った警察に追われて同じ部屋に逃げ込む。印象的なふたつ目は、その一室のキッチンでのシーン。
腹が減ったと、強盗のリーダー、リッチー・レンが料理をつくりはじめる。殺し屋のユウ・ヨンもキッチンにやってきて、包丁を握り野菜や魚を手慣れた手つきでさばいてゆく。カメラはそれをホームドラマの1シーンのように穏やかに見つめている。そこまで緊迫していたリズムが一気にゆったりする。大陸から来た強盗団のリーダーと、やはり大陸からやってきた殺し屋が互いに友情を抱きはじめる一瞬が、キッチンという一見そぐわない場で鮮やかに捉えられていた。
実は、部屋の住人で人質になったタクシー運転手(おなじみラム・シュー)も大陸出身で、人質と強盗と殺し屋3者のひそかな共感も画面に漂っているらしいのだけど、言葉が理解できないので微妙なニュアンスは分からない。いずれにしても、映画の前半と後半をつなぎ、しかも後半の味わいを濃厚にするリズムの変化のうまさ。
3つ目は、後半の高層アパートでの銃撃戦のいくつものシーン。狭い廊下や階段を舞台に、特捜班、機動部隊と強盗団、殺し屋の銃撃戦が繰り広げられる。狭い廊下の水平な空間の奥行きと、階段やエレベーターの垂直な空間の高低が巧みに使われている。横長のシネスコ・サイズは本来そんな奥行きや高低を処理しにくいものだと思うけど、ジョニー・トー監督はそれを嬉々として楽しんでいる。
主役のケリー・チャンは、ちょっと損な役回りにも思えた。女っぽさを殺した役柄な上に、再び路上に戻ったラスト近く、ケリーはリッチー・レンに何の抵抗も見せない。エリート指揮官がそれじゃあまずいんじゃないの?
最後の強盗と殺し屋の仕事に、ちょっとした仕掛けがほどこされているのも洒落てるね。
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