『イン・ハー・シューズ』のハリウッド度
カーティス・ハンソンは、クリント・イーストウッドを別格とすれば、ハリウッドの良質な伝統をいちばんよく継いでいる監督だと思っている。特に『L.A.コンフィデンシャル』『ワンダー・ボーイズ』『8Mile』『イン・ハー・シューズ』という最近の4作はいろんなテイストの映画をそれぞれに楽しませてくれて、脂が乗りきってる印象。
「良質な伝統」ということを自分なりに説明すると、アメリカ映画を50年近く見てきて、ハリウッド映画の質が1980年あたりを境に大きく変わったことを実感している。ひとつはVFX(ヴィジュアル・エフェクト)と呼ばれるデジタルによる映画づくり。この技術の進化を初めて目の当たりにしたのは、やはり『スターウォーズ』第1作(1979)だった。
もうひとつは、プロデューサーの権限が大きくなって、マーケティング重視の映画づくりが主流になったこと。観客(モニター)に製作中のフィルムを見せてその声を反映させるようなやり方が一般的になった結果、3分に1度は観客をハラハラドキドキさせるテンポの速い映画が増えた。そんな、短いカットを積み重ねストーリー展開を速くする手法を最大限に推し進めて自分のスタイルにしたのが、例えばトニー・スコットやスティーブン・ソダーバーグだろう。モニターの意見によって結末を変えることも行われるようになった。
プロデューサー主導の映画づくりが盛んになったのは、超大作『天国の門』(1981)がコケて、そのせいでユナイトが倒産して以後のことじゃないかな。1本の映画に巨大な資金が必要になればなるほど、リスクも大きくなる。「ディレクターズ・カット」なんてのが出てくるのも、ハリウッド映画が監督ではなくプロデューサーの映画になったことの証拠だろう。
僕が良質の伝統といったのは、要するにそれ以前の、そうではない映画作りということ。歳のせいで昔の映画がよく見えるのさ、と言われれば、半分はその通りと答えるしかないけど、まあ聞いてよ。
そのように言ったとき、具体的には自分がアメリカ映画を見始めた1960年代以降のドン・シーゲルやロバート・アルドリッチといった監督の映画を念頭に置いている(これは好みの問題でもあるから、いくつもの名前と置き換え可能)。
見事なエンタテインメントでありながら、紋切り型にならない複雑な人物像を造形し、作り手のメッセージ(必ずしも政治的なものではない)をくっきり浮かび上がらせる。ドン・シーゲルの『殺人者たち』『ラスト・シューティスト』『ダーティ・ハリー』、ロバート・アルドリッチの『飛べ! フェニックス』『特攻大作戦』『カリフォルニア・ドールズ』なんかは、そういう意味で良きハリウッドを代表する作品群だったと思う。
なんて、大げさな前置きが長くなってしまったけど、『イン・ハー・シューズ』のことを語るのだった。
(以下、ネタバレです)
ラスト・シーン。ジャマイカ・レストランでのカジュアルな結婚式を終えて車に乗った姉のトニ・コレットが振り返ると、リア・ウィンドー越しに妹のキャメロン・ディアスが暗い車道に立って姉夫婦を見送っている。車のライトで逆光になったディアスの、輪郭だけのミディアム・ショット。
次の場面、ディアスはスキップを踏むようにまだ続いているガーデン・パーティのなかへ溶け込んでゆく。これもディアスのアップなしのミディアム・ショット。
さりげない終わり方が、いかにもこの監督だなあと思った。『8Mile』のラストで、ヒップホップ・コンテストに初めて優勝したエミネムが、これから夜勤の仕事だと言って暗い街角へ消えてゆくのと同じ。映画は終わるけど、まだドラマが完結したのではないという感触。明日もまたディアス(エミネム)の人生はつづくという日常のリアリティ。
映画の終わり近く、キャメロン・ディアスは、この男と結ばれるかもしれないと予感させる、亡くなった教授の息子と出会っている。マーケティング重視の映画づくりなら、姉の結婚式の場面に彼を登場させ、ヒロインのディアスが姉とともに幸せをつかんだことを観客に示してハッピーエンドで終わるのではないかな。
そのようなエンディングを選ばなかったことで、カーティス・ハンソンがハリウッドの紋切り型を避けると同時に、この映画が2人の姉妹の恋の映画ではなく、相互依存的な姉妹がそれぞれに自分の道を歩みはじめる自立の物語であることが明らかになる。
弁護士になった優秀な姉をもつ妹は、小さい頃からの姉へのコンプレックスの代償として難読症を病んでいる。美しい妹をもつ姉は、妹の美貌と肉体へのコンプレックスの代償として、クローゼットの奥に決して履かれることのないハイヒールのコレクションを持っている。
愛しあいながら憎みあっている姉妹の相互依存関係が、妹が姉のヒールを履いてこわし、それを知らずに姉がはじめてヒールを履くことをきっかけとして、紆余曲折を経ながら変化してゆく。ハンソン監督は実験的な手法や難しいことはいっさいやらない。そのかわりゆったりと間をとって、姉妹や両親、祖母がそれぞれに抱えている傷をめぐって、複雑な感情の揺れを繊細に表現してゆく。人の気持ちにスッと入りこんでくるようなショットの連続。
それを可能にしたのは、演出だけでなく役者の力でもある。なかでも、姉妹のおばあちゃん役で後半に登場するシャーリー・マクレーンは圧巻。皺ひとつ動かすことで色んな感情を表現する演技には惚れ惚れする。
もうひとつ、ハンソン監督の映画でいつも見事なのはロケ中心のカメラ。前半のフィラデルフィアの落ち着いた色彩と、後半のマイアミの原色に抜けた色彩の対照が鮮やかだ。『ワンダー・ボーイズ』のペンシルヴェニアの大学町、『8Mile』のデトロイトもそうだったけど、それぞれの街の空気感が手持ちカメラでとてもリアルに撮られている。
製作はリドリー・スコット。彼もまた、ハリウッドのなかでエンタテインメントと作家性を両立させながら映画をつくっているひとり。こういう男たちがいるから、ハリウッド映画は面白い。
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