『アワーミュージック』の官能
ジャン=リュック・ゴダールの映画を初めて見たのは中学3年のときだった。もちろん、ゴダールなんて誰かも知らない。色気づいた中学生が『ヨーロッパの夜』なんて妖しげなキャバレーのドキュメンタリーを見に行ったら、同時上映していたのが『女は女である』。東京近郊の町の3番館だから、こんな無茶苦茶な組み合わせもあった。何だか変な映画を見たな、という印象しか残っていない。
高校生になっていっぱしのアートシアター少年になり、ゴダールを見始めてから、ああ、あの変な映画がゴダールだったんだと知る。『女と男のいる歩道』『アルファビル』『気狂いピエロ』……ゴダール映画のヒロイン、アンナ・カリーナは、僕にとってジャンヌ・モローや若尾文子とともに「年上の女」のイメージを象徴する女優になった。何年か前に初めて公開された『はなればなれに』(1964)のアンナ・カリーナを見て、あのころの胸のときめきを思い出した。
……などと始めてしまったが、『アワーミュージック』のことを書くんだった。
僕は1980年代に復活して以降のゴダールをちゃんと追っかけてないし、いま見てもみずみずしい「アンナ・カリーナ時代」や、テーマも手法も過激化してエキサイティングだった「68年以降」のようにのめりこむこともなかった。だから82年の『パッション』以降のゴダールを多少は見ていても、どう語ったらいいのか見当がつかない。
昔、『ベトナムから遠く離れて』(1967)という映画があった。アラン・レネ、ウィリアム・クラインら6人がベトナム戦争をテーマに短篇を撮ったオムニバスで、ゴダールのは「カメラ・アイ」という20分弱の作品だった。ゴダールはこの短篇の直後に毛沢東主義宣言みたいな『中国女』を撮るから、ナマな政治的テーマを取り上げるきっかけになった作品(フィクションではないが)と言っていいのだろう。
この短篇でゴダールはカメラaをのぞくゴダール自身にカメラbを向け、据えっぱなしのカメラbに向けてカメラaをのぞきながら「自分のなかにベトナムをつくれ」と語りつづけた(と記憶する)。「ベトナムから遠く離れて」映画を撮る自分とは何か、ベトナムのために何ができるのか、という極めて60年代的な問いだったと思う。
『アワーミュージック』は、「カメラ・アイ」からぐるりと一巡りして同じ場所に戻ってきた映画のように思えた。その「場所」のことを、どのような言葉で表したらいいのかわからないが、とりあえず「フィルムによる思索」と言ってみよう。ここでフィルムというとき、映像ばかりでなく言葉(セリフやナレーション)や音楽も含んだ意味で使っている。
ふつう、僕たちはものを考えるとき言葉を使うけれど、『アワーミュージック』でゴダールは言葉を時に音(理解不能の外国語)として使いながら、映像と言葉と音楽を動員したフィルムによってものを考えようとしている。
ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボが舞台。ゴダール自身や作家、ジャーナリストらが実名(ゴダール…という役)で登場し、そこにフィクションである女子大生の物語が絡むという、フィクションともノンフィクションともつかない体裁を取りながら、戦争と死についての「フィルムによる思索」が展開されている。
「カメラ・アイ」から『アワーミュージック』へ、一巡りしてゴダールは同じ場所に戻ってきたと書いた。といっても、ゴダールは単純にトラックを一周したのではなく螺旋状に周回している。「カメラ・アイ」の「フィルムによる思索」の手法は、いかにも60年代的に直裁なものだったけれど、『アワーミュージック』のそれは、とても洗練された複雑なものに変わっている。そこに「68年以降」の40年近い歳月を見ることができると思った。
ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれた「アンナ・カリーナ時代」のゴダールは、当時のいわば新感覚の映画のつくり手で、まだ僕たちが常識的に考える映画の範疇に収まっていたけれど、『中国女』以後のゴダールは、テーマばかりでなく手法もどんどん過激になっていった。
ストーリーは解体されて筋をきちんと追うことができない。誰もが納得できる映画の文法も無視されて、どうしてaのカットの次にbのカットがくるのか、よくわからない。いろんな記録映像が前後の脈絡なく挿入される。小説や哲学書の言葉が機関銃のようなナレーションで引用され、それがセリフに重なって字幕を追うこともできない(どの作品だったか、画面下と左右の3カ所で字幕をつけていた)。登場人物に思い入れもできないし、一貫した感情の流れもない。そして過激な政治的メッセージ。
60年代後半から70年にかけてのゴダールは、フリージャズと同じように、方法的懐疑をどこまでも突き詰めた結果、時代の袋小路に突っ込んでいったんだと今ならば思う。
80年代に復活したゴダールは、映画のコードを解体するために編み出したいろんな手法を、市場で公開される、ぎりぎり映画と言える境界領域で再構成しているように見える。それを解体の果てと見るか、新しい豊饒と見るかによって、80年代以後のゴダールへの好き嫌いが別れるんだろう。
僕がかつてのように熱狂することはないにしても、やはりゴダールの新作が来れば見にいってしまうのは、フィルムの官能性といったものをゴダールが獲得して(取り戻して?)いるように感ずるからだ。
『パッション』(1982)で泰西名画を下敷きにした深い色彩の画面は印象的だったし、『ヌーヴェルヴァーグ』(1990)での、レマン湖だったか、秋に色づいた樹々と湖面の美しさ、あるいは『愛の世紀』(2001)のパリやブルターニュの風景のみずみずしさには息をのんだ。どの作品にもちりばめられている音楽(映画のために作曲された現代音楽やクラシック)が、そんな官能性をさらに高めてくれる。
もともとゴダールの映像は官能に満ちていて、初期の『軽蔑』や『気狂いピエロ』の、虚無に裏打ちされた地中海の乾いた風景にはひたすら酔わせられた。そういう陶酔感が、かつてのようでないにせよ、80年代以降のゴダールにもある。
『アワーミュージック』には、フィルムでものを考えるための手段として、ゴダールの40年に及ぶ解体と再構成の、あらゆる手法が投入されている。
この映画は3つの「王国」という、それぞれのパートに分かれている。最初の王国は「地獄」。フィクションとドキュメントとを問わず、過去のあらゆる戦争と虐殺の映像がモンタージュされる。『映画史』(1998)のエッセンスのようなパート。
第二の王国は「煉獄」。ゴダールやパレスチナの詩人、ヨーロッパの作家たちが「本の集会」という催しに招かれてサラエボを訪れる。彼らは「戦争と死」について対話を交わし、学生たちにレクチャーする。学生の1人にロシア出身のユダヤ系フランス人女子学生がいて、彼女は死の観念にとりつかれている。
廃墟になったビル、銃弾の跡がそのまま壁に残るサラエボの風景がなまなましい。リアルな街頭の音が拾われているかと思うと、印象的な音楽がかぶさる。セリフとナレーションにフランス語、ボスニア語、アラビア語、スペイン語が飛び交う。
ボスニア戦争を象徴するモスタルの破壊された橋の下に、突如、3人のアメリカ・インディアンが現れる。端を流れる川面にたわむれる光が美しい。ルイス・キャロルやランボー、レヴィナス、ハワード・ホークスの映画などなどからの引用。インサート・ショットの原色も鮮やかな花々。ゴダール邸の美しい庭。そのなかで繰り返される第二次大戦やパレスチナやボスニアをめぐる対話。解体と官能が映画の境界でせめぎ合っているようなパートだ。
第3の王国は「天国」。死んでしまった女子学生のイメージ。美しい林のなかを歩き、川辺でリンゴをかじる女子学生。最後のセリフはレイモンド・チャンドラー「さらば愛しき女よ」からの引用。「よく晴れた日だった。遠くまで見える。でも、オルガ(注・小説の主人公の名を女子学生の名に変えてある)のいるところまでは見えない」。このパートの映像は復活以後のゴダール的官能をたっぷりと発散させている。
見終わって残るのは、ゴダールの死者への痛切な思い。

Comments
興味深く拝読いたしました。
フィルムでものを考えるという姿勢、様々なインタビューは発言を読むにつけ、ゴダールのこの姿勢は一貫しているように思いました。そして本作もまた、そのような姿勢が貫かれているのですね。
私も80年代以降のゴダールを語る言葉を持っておりません。ただ、いくつかの作品を観て感じた何かは、雄さんの言うところの「官能性」だったのかもしれません。
明日か明後日あたり観に行ってきます。雄さんのおかげで、鑑賞が楽しみになりました。
Posted by: [M] | October 21, 2005 12:35 PM
TBありがとうございました。
『パッション』以降のゴダールについて
自分が感じていることに近いこと
(私の場合は戸惑いでしょうか)を
論理的に説かれていて
何度もうなずきながら読んでしまいました。
スレ違いですが『亀も空を飛ぶ』のエントリーも
興味深く拝読させていただきました。
Posted by: えい | October 21, 2005 06:27 PM
>[M]さま
「官能性」というのは手探りで書いているうちに思いついた言葉なので、当たっているかどうか、今でもわかりません。
[M]さんのエントリーを楽しみにしています。
>えいさま
TB&コメントありがとうございます。
えいさんの、「天国編」の草むらや川縁の風景が「ウィークエンド」や「東風」の映像感覚に似ているというのは、私もそう感じました。従来の美意識から見れば散文的で陶酔を拒否しているけれども、そこにある種の美しさを感ずる、ということでしょうか。
それにしても、えいさんのブログには質量共に圧倒されます。
Posted by: 雄 | October 23, 2005 11:01 AM