「開発」が貧困をつくりだす
ジェレミー・シーブルック『世界の貧困 1日1ドルで暮らす人びと』(青土社)には、世界の富と貧困の対比が色んな数字や具体例で示されている。頭では分かっていても、こんなふうに突きつけられると、改めてその偏りのすさまじさを実感する。
●ビル・ゲイツ、ブルネイ国王、ウォルトン家(ウォルマート)の3家族の財産を合わせると1350億ドルになる。これは、世界の最貧国で生活する6億人の年収の合計に等しい。
●世界で最も裕福な200人の資産は、世界人口の総年収の41パーセント以上にのぼる。
●世界人口の最富裕層20パーセントは、最貧層20パーセントの150倍の富を得ている。
●世界で12億の人々が、1日1ドル未満で生活している。世界の人口の半分が1日2ドル未満で生活している。
最近は日本でもEU諸国以上に貧富の差が激しくなっているけど(8日の朝日新聞朝刊にデータが出てた)、平均的な日本人なら「世界人口の最富裕層20パーセント」に入っているはず。世界レベルで考えれば、まだまだ日本人は豊かなのだ。
過去50年に世界経済の規模は拡大し、1人当たりの所得は2.5倍に、商品生産量は8倍に増えたのに、貧困はなくなっていない。なぜか、とシーブルックは問う。著者はアジアを中心に発展途上国を歩いているイギリスのジャーナリスト・作家。彼が出会った人々の姿と数字と彼の考え方とが、ほどよくミックスされて読みやすい。
国連やIMF(国際通貨基金)やWTO(世界貿易機関)が貧困をなくすための計画を進めているが、その処方箋は共通している。「開発」=「経済成長」ということだ。それこそが問題なのだ、というのが著者の答え。
「開発」は、人々を世界市場に統合する。人々が「開発」に参加する、あるいは「開発」に追い立てられて農村から都市へと移動せざるをえなくなる。それまで地縁・血縁ネットワークのなかで市場に全面的には依存せず自給自足的な生活を送っていた人々のライフ・スタイルが、それによって生活必需品のすべてを金で買わざるをえないように変わってくる。
グローバル規模で進められている民営化は、いまや生活必需品にまで及んでいる。「世界銀行とIMFの支援を受けて、一握りの多国籍企業が、世界の給水と排水システムをカルテル化しようとしている。すでにフランスのヴィヴェンディ社とスエズ社は150カ国で2億人以上の人々に私営の水サービスを行っている」。うーん、郵政の次は水道民営化かもしれないぞ。
だから「開発」が貧困をつくりだしているのだ、と著者は言う。それは「参加型開発」であろうと「持続可能な開発」であろうと変わらない。もともと「開発」という考え方自体が、第二次大戦後、社会主義圏に対抗して「豊かさ」をアピールするために考え出されたイデオロギーなのだ。
欧米諸国や日本など「北」の国々が「開発」=「経済成長」に成功したのは、富を絞りだす植民地を持っていたから。でも、植民地を持たない「南」の諸国が「開発」を推進しようとすれば、自国の国民や環境にすさまじい圧力をかけなければならない。
著者が強調しているのは、豊かさは収入によってではなく「安心」と「満足」の度合いによって計られるのがよい、ということ。国連開発計画の調査では、世界の国々で「自分は幸せに暮らしている」と答えた人が最も多かったのは「後発発展途上国」バングラデシュだそうだ。
さて、「世界の最富裕層」に属する僕たちは「幸せに暮らしている」のか。世界から貧困をなくすために何をしたらいいのか。すでに骨の髄まで世界市場に組み込まれている僕らは、そこから身をはがすことができるのか。
色んなことを考えさせられる本だった。翻訳が、いまひとつこなれていないのが残念。
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