ブラッサイの「夜のパリ」
フランスの写真家ブラッサイの、国内で初めての回顧展が開かれている(「ブラッサイ ポンピドゥーセンター・コレクション展」東京都写真美術館、9月25日まで)。
ブラッサイといえば、何よりまず1930年代の<パリ写真>が思い浮かぶ。『夜のパリ』(1932)と『未知のパリ、深夜のパリ』(1976)は、2つの世界大戦間のパリの、夜の都市の美しさと退廃と犯罪といった濃密で危険な魅力を余すところなく描きだした写真集だった。日本語版(みすず書房、『夜のパリ』は1987年の再版)も、フランス語版と同時に現地で印刷された素晴らしい仕上がりで、この20年、何度本棚から取り出しては繰り返し眺めたことか。
そのオリジナル・プリント、ヴィンテージ・プリントが見られるというだけで興奮する。「カフェの恋人たち」「霧の中のポン=ヌフ」「<スージーの館>にて」「宝石の女」といった代表作がずらりと並んでいる。もっとも、そのプリントは割合にコントラストが低く、写真集のようには暗部の黒が潰れていなくて逆に中間の階調が豊かに描写されている(戦後、MoMAのために焼いたプリント群だけは写真集と同じようにコントラストが強い)。写真集の黒っぽい印刷を見慣れた目には、ちょっと意外な感じがした。
ブラッサイはプリントの淡いコントラストと写真集の強いコントラストの、どちらを好んだのか。それは分からない。ただ、作家が自らつくったプリントのほうが、大量印刷された印刷物より作家の意思に忠実だし価値があるはずだという、ベンヤミンの複製芸術論を逆さにした常識論はひとまず疑ってもいいかもしれない。特に『夜のパリ』はエリオグラヴェールという写真版画の手法で手工芸的に印刷されている。ブラッサイが、当時のプリントでは出せない深々とした黒の描写を、印刷でもって再現しようとした可能性はないだろうか。
そんなことを考えたのも、先日、ある写真家から、かつてプリントでは出ない調子を印刷で再現しようとしたことがある、という話を聞いたから。……などともっともらしいことを書いたけど、これは写真集の調子に長年親しんできた僕の「ひが目」かもしれない。あるいは、MoMAのプリントからも伺えるように、戦前と戦後という時代によって異なる好みの差なのかもしれない。
この写真展の見どころは、実は「夜のパリ」シリーズ以外のところにある。今まできちんとした形で見る機会が少なかった「昼のパリ」「落書き」「ヌード」のシリーズ、さらには写真以外の彫塑や素描が展示されている。特に「落書き」シリーズは、パリの壁に彫り込まれた落書きが示す時間の厚みと無名の人々の想像力が、ブラッサイの深みのあるプリントに定着されていて圧巻。
家へ帰って、さっそくブラッサイの2冊の写真集を取り出し、久しぶりにじっくりと眺めた。
Comments