深沢七郎で「ひまつぶし」
新刊書の棚に深沢七郎の名を見つけて懐かしくなり、しかも「未発表作品集」とあるのでは買わずにいられない。『生きているのはひまつぶし』(光文社)。黒とショッキング・ピンクの派手な装幀。帯には、深沢が傍らの女性の服をはだけて胸を見せている写真と、「戦争でエネルギーを使うくらいなら、セックスで消耗する方がよっぽど気がきいているよ」のキャッチ・コピー。
カバーを取ると、カバー裏にまた写真がたくさんコラージュされていて、サービス満点。深沢がラブミー牧場で鶏にエサをやっていたり、今川焼の夢屋で仕事していたり、女優に囲まれたり、ギターを弾いていたりする。表紙には帯と同じ写真が拡大されていて、表はおっぱい、裏は深沢の笑顔のアップ。小口(本文の天地と腹側)もショッキング・ピンクの色がつけられていて、一歩間違えれば下品になりかねないけど、深沢七郎の悦楽的な部分を強調したデザインだね。
内容は深沢が、「死んだら」「土とたわむれ」「男と女と」「旅する」などのテーマでしゃべった語りと「発掘エッセイ」2本。タイトルの「未発表」がこの本全体を指すのか、「発掘エッセイ」だけなのかよく分からないところは、ちょっと編集者に文句をつけたいけど、深沢節を堪能できる。
「死ぬことは大いにいいことだね。/ゴミ屋がゴミを持っていってくれるのと同じで、人間が死んで、この世から片づいていくのは清掃事業の一つだね。/死んだ人間は土塊だからね。魂なんか残ってやしないよ」
「涅槃って言うでしょ、忘れるということね。酒で酔っぱらうということも、女とアレをやって、その瞬間に恍惚の境に入るというのも、ひとつの涅槃だね。麻薬やタバコで、スウッとするのも涅槃だよね。それが全然なくて涅槃できるっていうのが、心のもちかただね。なにもなくて涅槃するのが一番いいけどね。涅槃っていうのは、生きながらにして、死んだと同じ心になることだから。喜びも悲しみも欲望もなくなっちゃう……」
「嫌なことは忘れて、楽しい瞬間をなるべく多く作ることだね。そのために稼いだり、乗り物に乗って移動したりするんだから。稼ぐのはめんどうだけど、楽しい時間を作るための仕度だからね。とにかく、生きているうちは暇つぶしがいい。ギターを弾いたり野菜を作ったりするのも暇つぶしだね。/……/人生とは、何をしに生まれてきたのかなんてわからなくていい」
もちろん深沢七郎は「暇つぶし」のなかで『楢山節考』や『笛吹川』や『庶民列伝』をものしたわけで、「暇つぶし」はすべて文学につながっていた。だからわれら凡人に真似できるわけじゃないけど、いつも暗黒を覗いているような、それでいて飄々とした姿勢には憧れてしまう。
「稼ぐのはめんどうだけど、楽しい時間をつくるための仕度」という言葉にも頷く。もっともっと「楽しい瞬間」をつくらなきゃね。
ところで、いま深沢七郎の本は文庫以外では手に入らない。僕の書棚にも、昔の、もはや読むのが苦痛な小さな活字の文庫しかない。いつか買おうと思ってたけど、こういう気分になったのが買い時と思って、「日本の古本屋」サイトで『深沢七郎集』(全10巻、筑摩書房)を27,000円はたいて買ってしまった。
さっそく京都へ往復する新幹線、急ぐ旅ではなかったので「のぞみ」でなく「ひかり」にして、車中で『庶民列伝』を読んだ。若いときは今ひとつピンとこなかったけど、「お燈明の姉妹」「サロメの十字架」など、ムチャクチャであり、つましくもある女たちの生き方を描いて傑作ぞろいの短編集。しばらく深沢七郎びたりが続きそうだ。
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