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August 24, 2005

「ドキュメンタリー」というスタイル

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今橋映子『パリ・貧困と街路の詩学--1930年代 外国人芸術家たち』(都市出版)は、1930年代のパリで活動した外国人芸術家というキーワードで、従来なら一緒にされることのなかった人たちやジャンルが横断的に論じられていて面白い。

登場するのは、思想家のヴァルター・ベンヤミン(ユダヤ系ドイツ人)、写真のアンドレ・ケルテス(ハンガリー)、ブラッサイ(ハンガリー)、画家の佐伯祐三、作家のヘンリー・ミラー(アメリカ)、ジョージ・オーウェル(イギリス)、ヨーゼフ・ロート(東方ユダヤ人)、詩人の金子光晴といった綺羅星のような人たち。個性豊かな登場人物がパリの街路で繰り広げるドラマは多彩な問題を孕み、読み物としても一級品に仕上がっている。

1930年代を特徴づけるのは、大恐慌の後遺症とナチスが権力を握った時代ということ。そのためヨーロッパではユダヤ人をはじめ多くの人の移動が生じ、また思想・文学・芸術を貫いて「ファシズム対反ファシズム」という強力な対抗軸が存在した。この政治的な対抗軸があまりに強かったために、30年代の芸術には見るべきものが少ないというのがジョージ・オーウェルの見解。

それはともかく、本筋とは別に「ドキュメンタリー」あるいは「ルポルタージュ」を巡る議論に興味を惹かれた。

今橋によると、「ドキュメンタリー」という用語は新しいもので、1937年に初めて造語されて広まった。「ルポルタージュ」も同様で、日本では伊奈信男が30年代半ばに「フォト・ルポルタージュ」という言葉に「報道写真」の訳語を与えている。

写真の世界で30年代に「ドキュメンタリー」や「ルポルタージュ」が注目された背景には、無論、グラフ・ジャーナリズムの勃興がある。ライカという小型カメラが生まれ、大量高速の印刷技術が高度化し、写真と文字を効果的に配するデザインの技法が洗練されて、まずドイツでグラフ・ジャーナリズムが発達した。ナチスが台頭すると、その担い手はフランスへ、イギリスへ、アメリカへと散り、アメリカなら『LIFE』といった具合に、各国それぞれのグラフ・ジャーナリズムが生まれた。

今橋は、「(30年代の)フォト・ルポルタージュは一つのスタイル(形式)であって、真実ではない」というキム・シシェルの言葉を引きながらこう言っている。

「夜のパリや夜のロンドンを撮ったブラッサイや(ビル・)ブラントが、しばしば『劇的演出』を行ってきたことも、指摘した通りである。つまり、<ドキュメンタリー>の成立期にあっては、記述や映像は<事実(ファクト)>と<虚構(フィクション)>のあわいに位置していたのであって、その技法こそが、<貧困>という主題、政治的意図の有無などと共に、このジャンルの重要な要素であったことに、改めて注目すべきであろう」

現在では、いわゆる「やらせ」はジャーナリズムの精神に反するものとして厳しく指弾される。でもこの時代、「事実」と「虚構」は分離・対立するものではなく、未分化なままに「一つのスタイル」として成立していた。また、現在ではジャーナリズムは「客観」「中立」を旨としているけれども、この時代には貧困とかナチスといった「絶対悪」が存在し、読者がそれらに対して行動を起こすきっかけをつくることが、むしろジャーナリズムに要請されてもいた。

そんな30年代のグラフ・ジャーナリズム成立期から逆に現代を照らしてみると、現在のジャーナリズムに要請されている「客観報道」「価値中立」「(歴史に参加しない)純粋観客」といったことが決して普遍的なものではなく、その時代のなかにいる者には意識されることのないイデオロギーなのかもしれないと思えてくる。


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