« 『真夜中の弥次さん喜多さん』の「リヤル」 | Main | 復刻された『クルドの星』 »

June 25, 2005

亀井広忠の鼓

誘われて、たまに能を見にいく。今日は「谷大作の会」(6月25日、十四世喜多六平太記念能楽堂)。番組は狂言「伊文字」。友枝昭世の仕舞で「邯鄲」。この人の能を2度ほど見たことがあるけれど、ほんのわずかな仕草に濃密な情感を込める様式の美しさは圧倒的。この日も、まるで戦国の世の野武士が一瞬の「邯鄲の夢」を見たような仕舞だった。

能は「望月」。能には珍しくストーリー展開に富んだ「劇能」というやつで、シテの谷大作が面をつけずに舞う。仇討ちの話で、最後、獅子と化した谷大作の(歌舞伎の鏡獅子の原型みたいな)舞もよかったけど、すごかったのが背後で大鼓を打っていた亀井広忠。亀井広忠は若手のナンバーワン、と友人から聞いていた。その音を初めて聴いた。

最初にぽんと音を出したときから音色が違う。一音で、この世を軽々と超えてゆく、とでもいったらいいか。鼓を打つスピードが隣の鼓とは明らかに差があり、面をたたく瞬間にもスナップが利いているんだと思う。

昔、B・B・キングのコンサートに行ったとき、開演前にスタッフがステージ上のB・Bのギターを調整していたことがある。観客は冷やかし半分で喜んでいたが、幕が開いてB・B・キングが登場し、ギターを取り上げて一音弾いたら、同じギターからそれまでと全く違った音が出てきて、うわぁー、B・Bの音だと感激したことがある。亀井の鼓のぽんという最初の響きは、その一音を思い出させた。

夢幻能といわれる世阿弥の能は静かな演目が多いけど、謡よりはセリフ中心に物語が進んでゆく「劇能」の「望月」は仇討ちの話だけあって、後半、謡も鼓も舞も格段に激しくなる。特に亀井広忠の大鼓は、まるでアルバート・アイラーみたいに、あるいは「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」のジョン・コルトレーンみたいに吼えまくる。その音と掛け声の感情表現の激しさは、邦楽って静かなものという思いこみを軽々と打ち破ってくれた。

友人の話では、今、邦楽にはすごい若手がたくさん出てきているという。彼らは邦楽の内部でも、また邦楽の外へも、ジャンルを超えて活動しはじめている。僕はたまに文楽と能を見るくらいで、日本の伝統芸能にはあまり親しんでないけど、これからはそっちにも興味が向きそうだ。

亀井広忠30歳。苦み走ったイケメンで、連れの女性は、「わたし、追っかけになっちゃう」と興奮しておりました。


|

« 『真夜中の弥次さん喜多さん』の「リヤル」 | Main | 復刻された『クルドの星』 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 亀井広忠の鼓:

« 『真夜中の弥次さん喜多さん』の「リヤル」 | Main | 復刻された『クルドの星』 »