『きもの草子』の楽しみ方
田中優子『きもの草子』(淡交社)は、いろいろな楽しみ方のできる本だ。
この本は、江戸・アジア学の研究者である田中優子が、自らの「着物生活」について、季節感を織り込みながら12カ月にわたって雑誌連載したもの。まず何よりも、複雑な隠し味の利いた着物エッセイとして面白く、美しい。
例えば1月は、父親の形見である仙台平(せんだいひら)の袴を仕立て直した帯から語りはじめ、「着物……とは単なる『もの』ではない。それを身にまとった人の魂(言葉を変えれば共有した時間、想い、記憶)がそこには移り住んでいる」ことを記す。
あるいは10月。20代で着ていた艶やかな山吹色の色無地の着物が30代で着られなくなり、焦げ茶色の蝶を全体に染めぬいた(表紙)。が、50代になってこれも着られなくなり、次には山吹色の地色を海老茶色に染め、「濃茶色の蝶が闇を舞うようにすることだろう」。「その次には、全体をこの蝶と同じ色に染め上げ」「蝶は闇の中に融けて消えゆく」ことになるだろうと、着物の「生まれ変わり」と老いについて語っている。
あるいは11月。カンボジアとインドネシアの絹布で仕立てた羽織の縞(しま)柄が江戸時代の縞と共通であるところから、「私たちが現在、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、ブータン、インドネシアなどで江戸時代と同じ縞物に出会うのは、かつて日本も東南アジアと縞を共有していたからである」と、江戸の布と文様が東南アジアやインド、更にはヨーロッパと交流していたことを指摘する。
毎月、主題となる着物がカラーで紹介されている(撮影=小林庸浩)。「ビジネス・スーツのような」江戸小紋や、逆光に透ける鼠色の縮(ちぢみ)、「琉球の風のにおいがする」苧麻(ちょま)と木綿の縞などが、さっぱりと渋い江戸の「粋」を好む著者の、豪華絢爛とは別の着物の美しさを伝えてくれる。造本(菊地信義)もいい。
さらにまた、「私の着物術」という12本のコラムは、着物とつきあうハウツー本としても役に立つ。「私は楽にゆったりと着ることを目標としているが、それはともすると『だらしなさ』と紙一重になる。そこで……」と言った具合に、田中優子流着物術のノウハウが伝授される。着物を着る習慣のない僕はこれもエッセイとして楽しむしかないけれど、着物ビギナーの女性には参考になるにちがいない。
この本は、一方では横浜で茶屋のおかみをしていたという祖母や、父親の形見、母親から譲り受けたものなど、田中優子の個人史にかかわる着物が取り上げられている。また、彼女がアジア各地を歩いて手に入れた布で仕立てられた着物も取り上げられている。
他方では、江戸時代から今日にいたるまで、着物がどんなふうにアジアの経済と文化の交易・流行のなかに位置するか、江戸文学と近世アジア比較文化の研究者としての知見が、さりげなく散りばめられてもいる。
だからこのエッセイ集では、著者が家族から伝えられ身にまとった着物=魂を素材にするという身体性と、江戸・琉球・アジア・ヨーロッパを貫通する広い視野をもった学問の方法とが綯いまぜになり、鮮やかな花を咲かせている。こういう言い方が適当かどうか分からないが、爽やかなエロティシズムすら感じさせる。
読んで面白く、見て美しく、役に立ち、同時に知的興奮も味わわせてくれた本だった。
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