『失敗の本質』と日本軍のDNA
前から読みたいと思っていた戸部良一他『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社、1984年)をネット古書店で手に入れた。
防衛大学校のスタッフ(当時)が中心になった集団研究なのだが、保守イデオロギーにもとづいた本でもノスタルジックな軍国日本の賛美でもなく、第二次大戦(本書では「大東亜戦争」)の節目になった6つの作戦を取り上げ、日本軍がなぜ負けたのかを「組織論」の立場から追及し、さらに日本の組織全体がかかえる問題として一般化しようとしたもの。
バブル時代前半に刊行された本だが、背後には高度成長期には日本的経営の成功と持ち上げられ、バブル崩壊後は日本的特殊性として否定された、この国独特の株式会社や組織のあり方への問いを含んでいる。刊行から20年以上たっているから問題意識や方法論に時代的制約(当時流行した経営論の変種ということね)が目につくにしても、その姿勢に情緒的なところはなく、きわめて冷静な日本軍の研究・分析として今でも読みごたえがある。
取り上げられている6つの作戦と、それに付されたタイトルは、「ノモンハン事件─失敗の序曲」「ミッドウェー作戦─海戦のターニング・ポイント」「ガダルカナル作戦─陸戦のターニング・ポイント」「インパール作戦─賭の失敗」「レイテ海戦─自己認識の失敗」「沖縄戦─終局段階での失敗」。
6つの作戦で何度か共通して出てくる記述がある。例えば「作戦目的が明確ではない」。言いかえれば、優先順位がはっきりしていないということ。例えば「レイテ海戦」では、連合艦隊はレイテ湾内に突入して上陸した米軍や輸送船団を「撃滅」するとともに、米軍の主力部隊に「乾坤一擲の決戦」を挑むことが決められた。これは海軍が輸送船攻撃より「主力艦隊決戦」にこだわったからだが、結局、本来の目的であるレイテの米軍を目前にしながら幻の米主力艦隊を求めて反転するという失敗を生んだ。
あるいは「沖縄戦」では、当初、大本営は米軍の沖縄上陸をとらえて航空部隊で最後の決戦を挑むという作戦を立てていた。これには沖縄本島中部の嘉手納飛行場が確保されていることが前提となる。ところが現地軍は、日本の航空戦力にそれだけの力量はないと考え(それは確かだが)、嘉手納飛行場を放棄して南部に立て籠もり、「長期持久戦」を挑む態勢をとった(玉砕覚悟の作戦で、これが住民の大きな犠牲を生む)。
日本軍には終始こうした優先順位のあいまいさがつきまとった。それには中央指導部と現地軍の意志疎通のなさや、よく言われる陸軍と海軍の対立、あるいは命令があいまいだったり両論併記だったりして明快でなかったこと、ラインではなくスタッフである作戦参謀が過激な言動で主導権を握って独走することが多かった、などなどの要素が絡んでいる。
もうひとつ共通して出てくる言葉がある。「奇襲」「夜襲」「鵯越(ひよどりごえ)」。奇襲による先制攻撃(それも夜間)で一気に勝敗を決しようという、ノモンハンでもガダルカナルでもインパールでも、またレイテの海戦でも繰り返された、日本軍の「得意」とする戦法だ。
ガダルカナルでは、ジャングルを迂回しての「夜間奇襲攻撃」が失敗した後、まったく同じ攻撃を繰り返して、全滅に近い惨憺たる結果を招いた。インパールでは、ジャングルの山脈を越えての奇襲という、内部でも疑問視された無謀な計画を実行して、大きな犠牲(戦闘による死者以上に病気・飢えによる死者が多かった)を出した。
これは日本軍が歩兵による一斉突撃に最大の価値を認めていたからだが、結果として火力(銃砲、戦車)の軽視や、防御力の無視(裸同然の戦車や戦闘機)、補給の無視(食糧は敵から奪う)といった非合理を生んだし、また銃剣のみの一斉突撃作戦しか取れないのは、こうしたことを軽視した結果でもあった。
これら6つの作戦を分析して、著者たちは日本軍の「戦略原型」が「白兵銃剣主義」(陸軍)と「艦隊決戦主義」(海軍)にあると言う。それは日露戦争の203高地と日本海海戦で勝利したときの戦略であり、その成功体験が神格化されて、環境の変化(第一次大戦で登場した近代戦)に応じて組織が自己革新する契機を失ってしまった。
例えば米軍は、真珠湾で日本の機動部隊によって大損害を受けた失敗から学んで空母中心の部隊をつくり、空母を他の艦船が囲むという「輪型陣」をつくりあげたが、戦艦中心主義の日本は空母の防御に力を注がず(「大和」や「武蔵」に空母の護衛などさせられない)、空母が単独で攻撃にさらされる結果になって大きな損害を出した。
また米軍のガダルカナル上陸は、陸海空の戦力を統合して運用するためにつくられた海兵隊の初めての実戦だったが、日本はこの米軍の新しい試みを分析できず、最後まで陸軍は陸軍、海軍は海軍として戦い、統合した作戦計画が立てられることはなかった。
結論として日本軍は「失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していた」し、「成功の蓄積も不徹底だった」。「母艦航空部隊中心戦法など日本海軍が成功させておきながら、その後の一貫した集中的運用が不徹底であった」。「最後まで、日本軍は自らの行動の結果得た知識を組織的に蓄積しない組織であった」。
「日本軍の失敗を現代に生かす」というこの本の狙いを刊行から20年後に敷衍するなら、「第2の敗戦」といわれたバブル崩壊は、高度成長期の成功体験を神格化したために生じた日本的組織の硬直がもたらしたものであり、日本軍のDNAは今も生きている、と言えるかもしれない。僕も組織に属する一員として、こういうこと、今でもよくあるよな、と頷くことが多かった。
もうひとつ。ここでの分析は良くも悪くも「組織論」「経営論」の立場から書かれており、兵士ひとりひとりへの視線はない。それはまた別の課題というべきだろう。
この本は一時、中公文庫に入っていたが、今は品切れ(という名の絶版)で入手できないようだ。古書店でしか手に入らないのは惜しい。
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