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May 31, 2005

カンナ・ヒロコ・ライブ

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友人でニューヨーク在住のジャズ・ヴォーカリスト、カンナ・ヒロコが、ご亭主のギタリスト、ラス・モローと里帰りしてコンサートを開いた(5月27日、名古屋・Johnny)。彼女はニューヨークで、僕は東京で、同じ先生にジャズ・ピアノを習っている(いた)。彼女はプロ、こっちはど素人という差を無視して言えば、兄弟弟子ということになる。

ブルックリンのクラブで夫婦でライブ活動をしているだけあって、息はぴったり。ご亭主のギターを初めて聴いたけれど、とても繊細で柔らかな音を出す。カンナ・ヒロコの歌はもともと低音に魅力があるが、発声を勉強しなおしたということで高音もよく伸びている。スタンダードを中心に、リラックスしたライブを楽しんだ。

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May 26, 2005

カエターノ・ヴェローゾの「さすらう心」

憂いに満ちたチェロのイントロのなかに、カエターノ・ヴェローゾの低くつぶやくような歌が入ってくる。初期のヒット曲「コラソン・ヴァカボンド(さすらう心)」。数ある彼の歌のなかで、僕はこの曲がいちばん好き。

 子どものようなぼくの心
 それは、微笑んだ女の
 まぼろしのような記憶だけじゃない
 夢から滑り落ちて さよならも云わないまま
 ぼくの目に とめどなく涙を流させた
 
 ぼくのさすらう心
 世界を手にしたいんだ ぼくのなかに(杉田敦訳)

チェロとカエターノの抑えた対話のようなデュオにつづいて、バンド全員がテンションを上げる(アコースティックとエレキのギター2本、ベース、ドラムス、パーカッション)。CDで聴くこの曲の、クールなボサノバ調とは別の高揚。別の憂愁。

「ククルクク・パロマ」でも同じ興奮を味わった。映画『トーク・トゥー・ハー』ではカエターノがアコースティック・ギターの弾き語りで歌っていたが、震えるようなチェロ(ジャキス・モレレンバウム)をバックにカエターノが小鳥のさえずりのような裏声で歌う。照明が切り替わると、バンド全員が一気に情感を解放させてカタルシスに達する。カエターノの歌も裏声から表に返って「♪ククルクク」の絶唱。拍手がいつまでも鳴りやまない。

カエターノ・ヴェローゾのコンサートに行ってきた(5月24日、東京国際フォーラム)。僕はブラジル音楽の熱心なファンではないけれど、それでもカエターノの歌は折に触れ耳にしてきた。最近ではアルモドバルの映画。「ククルクク・パロマ」が心に残った。去年、ジョアン・ジルベルトのコンサートに、いわばボサノバの神話をこの目で確かめるつもりで出かけたけれど(大満足)、カエターノの場合も、この機会を逃したら生涯、彼を生で聴けないかもしれないという思いから。

カエターノは、「トロピカリスモ」という1960~70年代ブラジル音楽の革新運動の担い手とされる。といっても、そのあたりをきちんと聴いていない僕にはよく分からない。都会的に洗練されたボサノバとは別の、バイーア(カエターノの出身地で民族音楽の宝庫)の伝統に根ざした新しいサンバ、とでも理解しておけばいいのか。そこにつけられる言葉は、日本の常識でいえば歌の詞というより現代詩に近く、ブラジルが独裁政権だった時代にも重なっているから、政治的なプロテスト・ソングでもある。

でも結局のところ、カエターノ・ヴェローゾの歌はカエターノ・ヴェローゾの歌だ、としか言いようがない。ラテンのスタンダードを歌っても、ビートルズやマイケル・ジャクソンを歌っても、ジャズを歌っても、ジャズの歌い手(例えばサラ・ヴォーン)が原曲のメロディを自在に変化させて自分だけの曲にしてしまうように、「カエターノの歌」にしてしまう説得力は圧倒的。それが彼の個性というものか、その声からは、どこか虚無の香りが漂ってくる。

だからチェロとの組み合わせはぴったり。サンバのリズムも、リオのカーニバルやなにかで耳にするものとはひと味違って、陽気なリズムというより、深い情感がたゆたう。チェロのモレレンバウムを中心とするバックバンドは、その微妙なグルーヴ感を叩き出して、聴かせる。

この夜の舞台では、アメリカのポップスから「ダイアナ」と「ラブ・ミー・テンダー」(他にもあったけど、曲名が分からない)。ジャズのスタンダードから、アカペラで「ラブ・フォー・セイル」と「クライ・ミー・ア・リバー」。ボサノバの名曲「カーニバルの朝」。そして彼自身の曲。語るように歌った「ハイチ」。甘く艶っぽい「オ・シウーミ(嫉妬)」。アンコール前の最後は、レゲエ・リズムの「エストランジェイロ」で最高に盛り上がる。

満ち足りた気持ちで会場を出た。

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May 22, 2005

クレイジー・ケン・バンド賛江

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クレイジー・ケン・バンド(CKB)の「タイガー&ドラゴン」は3年前の曲だけど、テレビドラマのテーマソングになったせいだろう、チャート入りしている(オリコン・シングルランキング17位、5月23日)。R&B歌謡というか、明らかに和田アキ子を意識した曲。演歌にR&Bのフレイバーを利かせた典型的な60年代和製ポップスのつくりで、「一歩間違えばとんでもなくダサい曲になる寸前で、ちゃんとカッコ良くまとまっている」(近田春夫)。

 横須賀で、男がかつて恋人か仲間だったらしい人間を呼びだしている。「♪トンネル抜ければ 海が見えるから そのままドン突きの 三笠公園で」、「ダサいスカジャン」着て、そいつを待っている。なにやら秘密の話があるらしい。スカジャンの背には、虎と龍が描かれているのだろう。「♪ドス黒く淀んだ 横須賀の海に 浮かぶ月みたいな 電気くらげよ」というイメージがすごい。

近田春夫は『週刊文春』のコラム(5月26日号)で、「これをずーっと男同士の話だと思っていた」と書いている。でもよく歌詞を読むと、男とも女とも判断がつかない、とも。僕は逆にずーっと男と女の話だと思っていた。「貸した金」もからんで別れたが、男は女に「本当のこと」を話さなければ、自分の気持ちに決着をつけられない。その待っている男の苦い思いが歌のテーマ、と思う。クドカンのドラマは見ていないけど、歌詞と関係あるんだろうか?

CKBを初めて聴いたのはアキ・カウリスマキの『過去のない男』だった。フィンランド映画にいきなり日本語の歌謡曲が流れてきて、ブッとんだ。

彼らの歌は「昭和歌謡」を再生させたと言われるけど、僕らみたいなジジイは、ガキの頃から耳になじんだ歌謡曲や和製ポップス、欧米のポップス、ソウル、ロック、ジャズ、さらにはラップなんかの音がミックスされて、どの歌にもデジャヴを感じる。その懐かしさと、ある種の批評性(時にパロディになるという意味で)が絶妙にブレンドされているのがCKB の面白さだろう。

僕の愛聴するCKBベスト5は--。

「長者町ブルース」
CKBファンなら異論ない名曲。「伊勢佐木町ブルース」のすぐ隣、横浜伊勢佐木町より格段に妖しい歓楽街のご当地ソング。国籍不明のダンサーが身をくねらせる。片言で「タンシヌン・サランヘ」とつぶやく。雑居ビルが「宇宙ステーション」のようにに見える、「♪ダークサイド・ヨコハマ 地獄にいちばん近いヘヴン」。アップビートのサックスと、重い歌詞を軽ーく歌う横山剣の歌いっぷりがたまらない。

「夜のヴィブラート」
同棲していた男が、行きつけの安スナックのママに惚れて家に帰らない。捨てられた女が男を探して雨に濡れ、スナックのドアの前で漏れてくる男のカラオケを聞いているという設定の曲。横山剣が捨てられた女のパートを、バンドの紅一点、菅原愛子がスナック・ママのパートを歌い、男のパートはスモーキー・テツニのラップ(追記・これは誤り。コメント欄参照)という変形デュエット。3人の主観が交互に入れ替わる複雑精妙なリズム歌謡。「♪あなたは気づかないのね あたしの心の渇きなんて」「♪うっせー切っとこダサい着めろ オレぁ行っちゃうよ今夜は」「街が溶けて腐ってゆくわ 崩れてしまえ 消えてしまえ この酸性の雨に溶けてしまえ」。笑えて、泣ける。

「葉山ツイスト」
イントロは007のテーマソング。「ツイスト・パーティー」とか「バイタリス」「ボウリング」「エレキ」と、もろ60年代のアイテムが頻出し、「♪昭和にワープ」と決めゼリフ。ノーテンキに明るい歌だけど、「♪慶応ボーイのインパラなんかにゃ 負けはしないぜ」と、お坊ちゃんの湘南とは一線を画すのがCKB。

「7時77分」
CKBの歌には淋しさを感じさせる曲も多い。これもその1曲。「♪ロンリネス 君のいない サマー・ホリデー」と入って、「♪蝉しぐれ ひこうき雲 街角に人気はなく」と続く。なんだか高校生の頃の自分を思いだしてしまう青春歌謡。

「大電気菩薩峠」
インストルメンタル。CKBは歌だけでなくバンドとしてもすごい。昭和歌謡でもR&Bでもロックでも、時にはジャズでも、ジャンル特有の微妙なノリをぴたっと決める。この曲はトランス系(?)とでもいうのかな、スローなロック。僕は一時、極楽温泉というグループが好きでライブに通ったけど(現在は活動休止)、長く糸を引くギターの音色に聴き入っていると、ぬるい温泉に長時間浸かっているような気持ちよさが共通している。

CKBは横浜-横須賀の湘南ラインから出てきたグループだが、同じ湘南でもサザンとはテイストがずいぶん違う。サザンの歌がアメリカ西海岸ふうな、おしゃれな湘南だとすると、CKBの歌はもっと猥雑でいかがわしく、やばい。

短絡的に言ってしまえば、CKBの湘南があぶり出すのは、西海岸ふうな湘南イメージを突き抜けたアメリカ、つまり在日米軍の存在ではないか。神奈川県は横須賀、横浜、座間、相模原、藤沢、逗子など、沖縄が返還される以前は本土で飛び抜けて米軍基地・施設の集中した地域だった。昭和20年代、基地の周辺には歓楽街が出来、「風俗問題」が起きた。

横須賀の「ドブ板通り」が消えたように、やがて米軍基地の存在が相対的に薄くなり、目に見えない形になるにつれて、おしゃれな湘南イメージが現れてくる。そこに戦前からの中産階級の住宅地という歴史が重ねられて、「太陽族」が出現し、「狂った果実」のような映画がつくられた。

サザンの歌は、そういう湘南イメージの上に立っているように感じられる。おしゃれな「湘南イメージ」は在日米軍(アメリカ)の存在なしには成り立たなかったが、しかし軍隊とそれが醸し出す危うい空気が残っていては成り立たない。それは消され、太平洋をはさんで西海岸やノースショアと直接つながっているイメージに生まれかわらなければならない。

CKBの湘南、横浜-横須賀は、その猥雑な風景を通して、消えてほしいアメリカ、在日米軍の影を呼び出してしまったのではないか。深読みであることは分かっているけど、CKBの歌を聴くたびにそんなふうに思う。


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May 20, 2005

『PTU』、クールな香港ノワール

香港警察PTU(機動部隊)のメンバーが、尖沙咀(チムサアチョイ)で深夜の無人の街路を等間隔に隊列を組んでパトロールするショットが何度か繰り返される。だいたい香港映画で、夜のシーンとはいえ、こんなに人も車も少ない路上の映像は珍しいのではないか。そんな静かな街路を、互いに間隔をあけて無言で歩く警察官たち。その距離感(物理的な距離であり、心理的な距離でもある)が、なんだか新しい香港映画を垣間見せてくれたような気がした。

組織犯罪課の刑事が拳銃を紛失してしまい、それを探すという筋立てでPTU、CID(特捜課)、組織犯罪課と、黒社会の対立する2つの組織とが絡みあう。でも、これまでの香港ノワールなら濃い友情と愛の因果関係が錯綜するところを、この映画では肝心のところで映画を支配するのは偶然の出来事だ。

そもそも拳銃紛失の原因にしてからが因果関係と無縁な古典的ギャグ(バナナの皮にすべってころぶ!)だし、ストーリーと関係ない自転車のガキが登場するとなぜか事件が起こり、冒頭でPTUの隊員が話題にしていた強盗団が偶然に居合わせることによって、クライマックスの敵味方入り乱れての銃撃戦が始まる。

そんなクールな感触が、香港ノワールの新しい展開を予感させる。『男たちの挽歌』を引き合いに出すまでもなく、香港ノワールはむんむんと濃い、湿度も温度も桁外れに高い映画だった。『インファナル・アフェア』3部作がそんな香港ノワールの成熟だとすれば、この映画は香港ノワールが新しい段階に入りつつある兆しなのかもしれない。

僕はこの映画の監督、ジョニー・トーの作品を見たことはないけど、大泣かせのノワールを撮るかと思えば、ラブコメや残虐ホラーも撮るといった、サービス精神満点の香港の職人らしい。コメディー・タッチはこの映画でもそこここに見られるけど、それがコメディーにならずに、因果関係をズラす役割を果たしてクールなノワールになるところが面白かった。

残念だったのは、夜がふけて始まり夜明けに終わる一晩の物語なのに、深夜の香港がさほど魅力的に撮られていなかったこと。意図的なのか、照明の設計の失敗か、ある場面が露出オーバーで飛んでいるかと思うと、ある場面は露出不足で白みがかっている。『インファナル・アフェア』の闇の濃さに及ばない。

拳銃を紛失する警官になるラム・シューが、ちょっと嵐山光三郎に似た風貌で、暴力性と滑稽と悲しみの入り混じった肉体がいいね。

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May 19, 2005

ブルーの発光体

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このところ忙しくて、連日、仕事場を出るのが夜10時すぎになる。往きに通る午前中には何の変哲もない白い磨りガラスだったものが、暗くなると青い発光体に変わっている。最近開発されたこの一帯は、街灯も階段の足下灯も通路に埋め込まれたライトもブルー系で統一されている。自分にとってこの光の壁の脇を通りすぎるのは、仕事モードをオフにするための、ちょっとした儀式みたいなもの。

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May 15, 2005

『失敗の本質』と日本軍のDNA

前から読みたいと思っていた戸部良一他『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社、1984年)をネット古書店で手に入れた。

防衛大学校のスタッフ(当時)が中心になった集団研究なのだが、保守イデオロギーにもとづいた本でもノスタルジックな軍国日本の賛美でもなく、第二次大戦(本書では「大東亜戦争」)の節目になった6つの作戦を取り上げ、日本軍がなぜ負けたのかを「組織論」の立場から追及し、さらに日本の組織全体がかかえる問題として一般化しようとしたもの。

バブル時代前半に刊行された本だが、背後には高度成長期には日本的経営の成功と持ち上げられ、バブル崩壊後は日本的特殊性として否定された、この国独特の株式会社や組織のあり方への問いを含んでいる。刊行から20年以上たっているから問題意識や方法論に時代的制約(当時流行した経営論の変種ということね)が目につくにしても、その姿勢に情緒的なところはなく、きわめて冷静な日本軍の研究・分析として今でも読みごたえがある。

取り上げられている6つの作戦と、それに付されたタイトルは、「ノモンハン事件─失敗の序曲」「ミッドウェー作戦─海戦のターニング・ポイント」「ガダルカナル作戦─陸戦のターニング・ポイント」「インパール作戦─賭の失敗」「レイテ海戦─自己認識の失敗」「沖縄戦─終局段階での失敗」。

6つの作戦で何度か共通して出てくる記述がある。例えば「作戦目的が明確ではない」。言いかえれば、優先順位がはっきりしていないということ。例えば「レイテ海戦」では、連合艦隊はレイテ湾内に突入して上陸した米軍や輸送船団を「撃滅」するとともに、米軍の主力部隊に「乾坤一擲の決戦」を挑むことが決められた。これは海軍が輸送船攻撃より「主力艦隊決戦」にこだわったからだが、結局、本来の目的であるレイテの米軍を目前にしながら幻の米主力艦隊を求めて反転するという失敗を生んだ。

あるいは「沖縄戦」では、当初、大本営は米軍の沖縄上陸をとらえて航空部隊で最後の決戦を挑むという作戦を立てていた。これには沖縄本島中部の嘉手納飛行場が確保されていることが前提となる。ところが現地軍は、日本の航空戦力にそれだけの力量はないと考え(それは確かだが)、嘉手納飛行場を放棄して南部に立て籠もり、「長期持久戦」を挑む態勢をとった(玉砕覚悟の作戦で、これが住民の大きな犠牲を生む)。

日本軍には終始こうした優先順位のあいまいさがつきまとった。それには中央指導部と現地軍の意志疎通のなさや、よく言われる陸軍と海軍の対立、あるいは命令があいまいだったり両論併記だったりして明快でなかったこと、ラインではなくスタッフである作戦参謀が過激な言動で主導権を握って独走することが多かった、などなどの要素が絡んでいる。

もうひとつ共通して出てくる言葉がある。「奇襲」「夜襲」「鵯越(ひよどりごえ)」。奇襲による先制攻撃(それも夜間)で一気に勝敗を決しようという、ノモンハンでもガダルカナルでもインパールでも、またレイテの海戦でも繰り返された、日本軍の「得意」とする戦法だ。

ガダルカナルでは、ジャングルを迂回しての「夜間奇襲攻撃」が失敗した後、まったく同じ攻撃を繰り返して、全滅に近い惨憺たる結果を招いた。インパールでは、ジャングルの山脈を越えての奇襲という、内部でも疑問視された無謀な計画を実行して、大きな犠牲(戦闘による死者以上に病気・飢えによる死者が多かった)を出した。

これは日本軍が歩兵による一斉突撃に最大の価値を認めていたからだが、結果として火力(銃砲、戦車)の軽視や、防御力の無視(裸同然の戦車や戦闘機)、補給の無視(食糧は敵から奪う)といった非合理を生んだし、また銃剣のみの一斉突撃作戦しか取れないのは、こうしたことを軽視した結果でもあった。

これら6つの作戦を分析して、著者たちは日本軍の「戦略原型」が「白兵銃剣主義」(陸軍)と「艦隊決戦主義」(海軍)にあると言う。それは日露戦争の203高地と日本海海戦で勝利したときの戦略であり、その成功体験が神格化されて、環境の変化(第一次大戦で登場した近代戦)に応じて組織が自己革新する契機を失ってしまった。

例えば米軍は、真珠湾で日本の機動部隊によって大損害を受けた失敗から学んで空母中心の部隊をつくり、空母を他の艦船が囲むという「輪型陣」をつくりあげたが、戦艦中心主義の日本は空母の防御に力を注がず(「大和」や「武蔵」に空母の護衛などさせられない)、空母が単独で攻撃にさらされる結果になって大きな損害を出した。

また米軍のガダルカナル上陸は、陸海空の戦力を統合して運用するためにつくられた海兵隊の初めての実戦だったが、日本はこの米軍の新しい試みを分析できず、最後まで陸軍は陸軍、海軍は海軍として戦い、統合した作戦計画が立てられることはなかった。

結論として日本軍は「失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していた」し、「成功の蓄積も不徹底だった」。「母艦航空部隊中心戦法など日本海軍が成功させておきながら、その後の一貫した集中的運用が不徹底であった」。「最後まで、日本軍は自らの行動の結果得た知識を組織的に蓄積しない組織であった」。

「日本軍の失敗を現代に生かす」というこの本の狙いを刊行から20年後に敷衍するなら、「第2の敗戦」といわれたバブル崩壊は、高度成長期の成功体験を神格化したために生じた日本的組織の硬直がもたらしたものであり、日本軍のDNAは今も生きている、と言えるかもしれない。僕も組織に属する一員として、こういうこと、今でもよくあるよな、と頷くことが多かった。

もうひとつ。ここでの分析は良くも悪くも「組織論」「経営論」の立場から書かれており、兵士ひとりひとりへの視線はない。それはまた別の課題というべきだろう。

この本は一時、中公文庫に入っていたが、今は品切れ(という名の絶版)で入手できないようだ。古書店でしか手に入らないのは惜しい。

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鞍馬から貴船へ

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鞍馬寺では「子ども能」が奉納されていた

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鞍馬寺奥の院から貴船神社への道

京都で昼過ぎに仕事が終わったので、鞍馬寺から貴船神社まで足を伸ばした。本殿で奉納されていた「子ども能」をしばらく見て、謡と鼓の音がだんだん小さくなるのを聞きながら奥の院へ。ハイキングコースだから山歩きの服装をした人も多いが、こちらはスーツにネクタイ。ただ足周りは普段からウォーキング用のメフィストをはいているので、アップダウンもなんとかこなせる。

鞍馬の山は深いと実感。さわやかな空気と木漏れ日のなかを、鞍馬駅から貴船神社まで2時間の行程。帰りの新幹線でビールのうまかったこと。

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May 11, 2005

『バッド・エデュケーション』とフィルム・ノワール

謎めいた美青年イグナシオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)と、同性の彼に惚れた元神父が追われるように映画館に入る。映画館ではフィルム・ノワール特集が組まれている。映画館から出てきた元神父が、疲労の浮きでた顔でつぶやく。「まるで私たちのようだ」。

画面を横切る2人の背後にファム・ファタールをあしらったフィルム・ノワールのポスター(『深夜の告白』だったような気もする)が張られている。老人と美青年カップルのうちファム・ファタールは言うまでもなく美青年イグナシオで、ファム・ファタールに魅入られて堕ちてゆくのは老人の元神父だ。

『バッド・エデュケーション』はフィルム・ノワールの設定と雰囲気を換骨奪胎しながら、全編、アルモドバルの映画への思いをちりばめた作品だった。

主人公の一人は映画監督のエンリケ(フェレ・マルチネス)。若くして成功したという設定からも、ホモ・セクシュアルであることからも、アルモドバル自身の分身と思える。

映画のネタになりそうな新聞記事をスクラップしている姿も、あるいはアルモドバル自身かもしれない。アルモドバルは、少年時代に友人から聞いた話を元にこの映画をつくったとインタビューで答えているが、映画化のタイミングについて、多数のカソリック神父が少年に性的虐待を働いていた世界的スキャンダルを意識したジャーナリスティックなセンスが働いているに違いない。

スランプに陥った映画監督エンリケの元へ、役者で、少年時代に神学校寄宿舎で同級生だったというイグナシオが脚本を持ち込んでくる。彼がおいていった脚本をエンリケが読みふけるという設定で、映画の中の映画が始まる。脚本(劇中劇)に登場するのは少年時代のエンリケとイグナシオ、そして神学校の神父。神学校の生徒である2人の少年と神父との「三角関係」が主題になっている。

2人の少年がガリシア地方のさびれた映画館に入って(『ラストショー』を思い出す)、互いにマスタベーションをしあう。劇中劇の中の映画館で上映されているのは、アルモドバルが少年時代に見たであろうスペイン映画らしい。ヒロインの元修道女が娼婦のようななりで修道院を訪れる姿がスクリーンに映されている。修道院の抑圧された欲望を感じさせる映画と、それを見ながらマスタベーションする2人の神学校生徒。映画の内と外の欲望が対応している。

脚本に惚れこんだエンリケが映画化を考えはじめると、イグナシオは映画の中でも成人したイグナシオ役(名前を変えた女装のゲイ)をやりたいとエンリケに迫る。イグナシオの魅力に負けて関係を結んだエンリケは、それを拒めない。が、イグナシオが本当にかつての友人のイグナシオなのか、疑問を感じはじめる。

イグナシオは本当にイグナシオなのか? もし別人だとしたら、その男は誰で、イグナシオはどうなったのか? 少年のイグナシオを性的に虐待した元神父が、なぜまた2人の前に現れたのか? 謎とサスペンスがフィルム・ノワールの定石を踏んで展開されてゆく。

劇中劇は、はじめエンリケがイグナシオの脚本を読んでイメージする想像のなかの映画という形で始まるのだが、やがて実際の撮影風景に変わってゆく。

イグナシオとエンリケと神父がからむ劇中劇と、それを撮影しているエンリケ、演じているイグナシオ、そこへ現れた元神父という現実が二重映しになって絡み合うのは、『フランス軍中尉の女』など映画づくりをモチーフにした映画でおなじみの手法。複雑なシチュエーションをテンポよく捌いてゆくアルモドバルの演出は鮮やかだ。

イグナシオと元神父のベッドシーンでも「映画」が登場する。2人は互いの姿を小型のビデオ・カメラに収めあう。手持ちビデオで撮影された荒れた画像が挿入される。これもまた、映画監督になる前に8ミリ映画をつくっていたというアルモドバルの自画像かもしれない。

アルモドバルのつくる作品は全体として「作家の映画」といえるのに、いつも面白く楽しませてくれるのは、その骨組みに必ず娯楽映画の構造--この場合はフィルム・ノワール--を据えているからだろう。しかも同性愛、カソリックの堕落、女装の芸人(『トーク・トゥー・ハー』なら死姦じみた行為やストーカー)といった「正常ならざるもの」や極限的状況をあざといくらいに持ち込み、しかも映画への愛という愛好家心理をくすぐる技まで繰り出してくる。

好みから言えば、この監督の映画はあまり好きではないのだけれど、いつも楽しんでしまい、しかも、うーん、よくできていると唸らざるをえない。

映像はいつもながらのアルモドバル世界。黒と深紅と緑を基調にした色彩に酔わせられる。

音楽がまたいい。少年がソプラノで歌う「ムーン・リバー」。ゲイの芸人が歌う「キサス・キサス・キサス」。レイジーなサックスにスペイン風なギターがからむジャズ。『トーク・トゥー・ハー』でカエターノ・ヴェローゾが歌った「ククルクク・パロマ」もそうだったけれど、選曲といい演奏といい、主題と密接にからみあって映画を一層深くしている(できれば新宿のタイムズ・スクエアで見ることをお薦めする。この劇場のJBLのサウンド・システムは天下一品)。

ガエル・ガルシア・ベルナルの女装はファム・ファタールの雰囲気を身にまとい、フェレ・マルチネスの映画監督も、成功者が美青年の魔力に引きずり込まれてゆく弱さを好演。『トーク・トゥー・ハー』に主演した2人、ゲイ役のハビエル・カマラと、出番は少ないがレオノール・ワトリングも魅力的だ。 

はじめ同性愛の映画と聞いていたから気乗りがしなかったのだけど、アルモドバルの魔術にまんまとはめられてしまった。

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May 08, 2005

アクセスの嵐、来たりて去る

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「アクセス解析」の数字を見て、あれ、表示が間違えてるぞ、と思った。何しろ1時間ごとのアクセス数が1万件を超えている。僕のブログは趣味のかたよった本や映画や音楽のことを書いていて、しかも更新頻度は週にせいぜい2、3回だから、訪れる人は日に100人から200人。その数でさえ、マイナーな話題にもかかわらずこれだけの人が読んでくれるのかと、ありがたく思っていた。

でも間違いではなく、この日(5月6日)のアクセス数は70,659件。ブログを始めて10カ月、これまでの累計が30,000件を超したばかりだから、1日でその倍以上の人が訪問してくれたことになる。ありがたい、というより、怖ろしくなった。

あれだな、と、すぐに分かった。友人のマンガ家、雑賀陽平が尼崎のJR脱線事故で亡くなり、4月26日に追悼の短文を書いた。検索エンジンやTBをたどって、アクセスが日に200~500件ほどあったから、それに違いない。にしても、ケタが違う。

「リンク元」を調べると、9割近くが「Yahoo!ニュース」から来ている。見ると、「エンターテインメントトピックス」のヘッドラインに雑賀陽平の死が取り上げられ、このサイトへのリンクが張られていた。

翌日(7日)にも3万を超えるアクセスがあり、2日間で10万を超えた。今日(8日)はヘッドラインが別の話題に変わって落ち着いたが、その数と集中のすさまじさは、いきなり竜巻が来て、あっという間に去っていった感じ。

今までブログは「1対多」の、どちらかというとミニコミ的なコミュニケーションの空間と思い、自分でもそのように書いていたけれど、この数はミニコミというよりマスコミに近い。自分の経験からいえば、単行本や月刊誌の仕事ではなく、週刊誌の仕事をしていたときの感覚。

真っ先に思ったのは、自分の記事に間違いはないだろうか、ということ。これは編集者としての性だろうか。仕事をするときには事実確認なしに原稿は書けないが、ブログはそこまで厳密には考えず、記憶で書くことも多い(事実確認には時間もかかる)。実際、このエントリでも雑賀陽平が『COM』の新人賞を受けたと書いて、後にそれが「入選」だったと分かり、追記で訂正していた。

もしこの間違いに気づいていなかったら、雑賀陽平の若き日の受賞歴が誤って広がっていたかもしれない。それ自体は小さなことだろう。が、ブログの「ニュース」(にしては遅い)によって、このようなことが日々、誰かのブログで起きているかぎり、同じようなことが、より重大な問題で起きる可能性は常にある。あるいは、この過程に誰かの悪意がまぎれこんだら、その結果は一層深刻になるだろう。

もうひとつ気がついたのは、10万を超えるアクセスがありながら、コメントとTBが1件もなかったこと(2件のTBは、それ以前のもの)。

ふだん、1日に100~200程度のアクセスがあって、週に数本から10本近いコメントやTBをいただく。僕のほうからも、できるだけコメントやTBを返す。そうしたつきあいによって、ネット上の知り合いもできている。今回のアクセスの嵐は、そうしたコミュニケーションとは別の一過性のものだった。

無論これは、どちらがいい悪いという問題ではない。同じネット空間の中に、いろんな位相のコミュニケーションが併存している。仲間だけで閉じたミニコミ空間もあれば、瞬時に世界中にニュースが伝わるマスコミ的空間もある。その中間に、いろんな位相の空間があって、普段はそれぞれが交わることは少ないけれど、同じ空間にあるのだから何かあれば色んな交差が生まれる。いわば同人誌と自費出版の単行本と週刊誌と新聞とテレビが同じ空間にあるということだろう。その面白さと怖さがネット空間なのかもしれない、などと考えた。

(追記)「ZAKZAK」というサイトに、雑賀陽平は「漫画専門誌『COM』の昭和46年10月号で『月例新人賞』を獲得、プロデビューした」とあるのを見つけた。「新人賞」か「入選」か、おそらく同じ事実を別の言葉で言っているだけなのだろうが、正確にはどちらなのか。ここは原点に戻って、『COM』昭和46年10月号に当たるしかない。が、その余裕がないので、とりあえず疑問のままにしておく。ネット上の情報の信頼性をどう捉えたらいいか(自分のブログも含めて)についても、いずれきちんと考えてみたい。(5月11日)

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May 07, 2005

『きもの草子』の楽しみ方

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田中優子『きもの草子』(淡交社)は、いろいろな楽しみ方のできる本だ。

この本は、江戸・アジア学の研究者である田中優子が、自らの「着物生活」について、季節感を織り込みながら12カ月にわたって雑誌連載したもの。まず何よりも、複雑な隠し味の利いた着物エッセイとして面白く、美しい。

例えば1月は、父親の形見である仙台平(せんだいひら)の袴を仕立て直した帯から語りはじめ、「着物……とは単なる『もの』ではない。それを身にまとった人の魂(言葉を変えれば共有した時間、想い、記憶)がそこには移り住んでいる」ことを記す。

あるいは10月。20代で着ていた艶やかな山吹色の色無地の着物が30代で着られなくなり、焦げ茶色の蝶を全体に染めぬいた(表紙)。が、50代になってこれも着られなくなり、次には山吹色の地色を海老茶色に染め、「濃茶色の蝶が闇を舞うようにすることだろう」。「その次には、全体をこの蝶と同じ色に染め上げ」「蝶は闇の中に融けて消えゆく」ことになるだろうと、着物の「生まれ変わり」と老いについて語っている。

あるいは11月。カンボジアとインドネシアの絹布で仕立てた羽織の縞(しま)柄が江戸時代の縞と共通であるところから、「私たちが現在、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、ブータン、インドネシアなどで江戸時代と同じ縞物に出会うのは、かつて日本も東南アジアと縞を共有していたからである」と、江戸の布と文様が東南アジアやインド、更にはヨーロッパと交流していたことを指摘する。

毎月、主題となる着物がカラーで紹介されている(撮影=小林庸浩)。「ビジネス・スーツのような」江戸小紋や、逆光に透ける鼠色の縮(ちぢみ)、「琉球の風のにおいがする」苧麻(ちょま)と木綿の縞などが、さっぱりと渋い江戸の「粋」を好む著者の、豪華絢爛とは別の着物の美しさを伝えてくれる。造本(菊地信義)もいい。

さらにまた、「私の着物術」という12本のコラムは、着物とつきあうハウツー本としても役に立つ。「私は楽にゆったりと着ることを目標としているが、それはともすると『だらしなさ』と紙一重になる。そこで……」と言った具合に、田中優子流着物術のノウハウが伝授される。着物を着る習慣のない僕はこれもエッセイとして楽しむしかないけれど、着物ビギナーの女性には参考になるにちがいない。

この本は、一方では横浜で茶屋のおかみをしていたという祖母や、父親の形見、母親から譲り受けたものなど、田中優子の個人史にかかわる着物が取り上げられている。また、彼女がアジア各地を歩いて手に入れた布で仕立てられた着物も取り上げられている。

他方では、江戸時代から今日にいたるまで、着物がどんなふうにアジアの経済と文化の交易・流行のなかに位置するか、江戸文学と近世アジア比較文化の研究者としての知見が、さりげなく散りばめられてもいる。

だからこのエッセイ集では、著者が家族から伝えられ身にまとった着物=魂を素材にするという身体性と、江戸・琉球・アジア・ヨーロッパを貫通する広い視野をもった学問の方法とが綯いまぜになり、鮮やかな花を咲かせている。こういう言い方が適当かどうか分からないが、爽やかなエロティシズムすら感じさせる。

読んで面白く、見て美しく、役に立ち、同時に知的興奮も味わわせてくれた本だった。

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May 02, 2005

高山寺の新緑

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このところ、仕事で月に2度ほど京都へ行っている。3、4時間の自由時間ができるので、どこか1カ所を訪れることにしている。前回は枝垂桜の原谷苑へ行ったが、今回は、前から行きたいと思っていた栂尾の高山寺へ。

紅葉の名所だけあって、楓の新緑が萌えるように鮮やかだ。

写真家の星野道夫がアラスカの新緑について、それがほんとうに美しいのは数日にすぎない、何日かして気がつくともう夏の緑になっている、と書いていた。その通りだと思う。この日の高山寺も、そんな年に数日しかない貴重な1日だったかも。連休の2日目だったが人は少なく、静寂のなかで緑の酒に酔ったような気分を味わった。

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