追悼・雑賀陽平
尼崎のJR脱線事故で知人2人が電車に乗っていた。1人は幸い9針縫っただけの軽傷ですんだが、もうひとりは還らぬ人となった。
30年ほど前、互いに20代だった時代に一緒に仕事をしていたことがある。そのころ彼は雑賀陽平というペンネームでマンガを描いていた。軽やかな線にナンセンスな笑いと関西ふうのユーモアが同居していて、雑誌『COM』の新人賞をもらった。雑誌の仕事で、こちらは文章を、雑賀陽平は1コママンガを同じテーマで描くのだが、やられた、と思ったことが何度もある。
その後、彼は故郷へ帰って、この20年間は年賀状だけのやりとりだった。毎年の賀状に、「美人の奥さん」(と、いつも言っていた)と、2人の息子が年ごとに大きくなっていく姿が描きこまれていた。
さまざまな記憶を共有している友人が、突然、いなくなる。それにどう対処したらいいのか分からない。ただ冥福を祈る。
(追記)神戸新聞で雑賀陽平のことが報じられて、このブログへのアクセスが急増した。その後、Googleで調べたり思い出したりした彼の経歴について、メモしておきたい。
サイト「西岸良平まんが館」(彼は西岸良平と同一人物ではないかと、当時から間違われていた)には、雑誌『COM』で「雑賀陽平は『我らの時代』で入選し、その後も単純な線と毒のある笑いを含んだ作品を発表していた」とある。僕は新人賞をもらったと記憶していたが、記憶違いかもしれない。
彼は1980年代にマンガ雑誌『漫金超』(第1号~第5号)にいしいひさいち、ひさうちみちお、川崎ゆきお、高野文子、蛭子能収らとともに作品を発表している。思い出した。押し入れを探せば『漫金超』が何冊かあるはずだ。雑賀陽平は、いしいひさいち、川崎ゆきおらを中心とする関西のマンガ家グループの一員だった。
神戸新聞によると、雑賀陽平は1980年代に同紙に4コママンガを連載していたという。これについては、どんなものだったのか僕は知らない。どなたかご存じの方がいたら教えてください。
雑賀陽平の名前と作品が、ひとりでも多くの人たちの記憶に残ることを願う。(4月28日)
(追・追記)年賀状に書かれていた下の息子さん(ギターを持ってる)は、「オシリペンペンズ」というバンドでボーカルやっているモタコさんというミュージシャン。全然知らなかったけど、グーグッてみると、町田康が「今いちばんパンク」と評していたり、面白そうなバンドです。雑賀陽平の風狂の血を継いでいるんだろうな。(4月29日)
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