April 29, 2005
April 26, 2005
追悼・雑賀陽平
尼崎のJR脱線事故で知人2人が電車に乗っていた。1人は幸い9針縫っただけの軽傷ですんだが、もうひとりは還らぬ人となった。
30年ほど前、互いに20代だった時代に一緒に仕事をしていたことがある。そのころ彼は雑賀陽平というペンネームでマンガを描いていた。軽やかな線にナンセンスな笑いと関西ふうのユーモアが同居していて、雑誌『COM』の新人賞をもらった。雑誌の仕事で、こちらは文章を、雑賀陽平は1コママンガを同じテーマで描くのだが、やられた、と思ったことが何度もある。
その後、彼は故郷へ帰って、この20年間は年賀状だけのやりとりだった。毎年の賀状に、「美人の奥さん」(と、いつも言っていた)と、2人の息子が年ごとに大きくなっていく姿が描きこまれていた。
さまざまな記憶を共有している友人が、突然、いなくなる。それにどう対処したらいいのか分からない。ただ冥福を祈る。
(追記)神戸新聞で雑賀陽平のことが報じられて、このブログへのアクセスが急増した。その後、Googleで調べたり思い出したりした彼の経歴について、メモしておきたい。
サイト「西岸良平まんが館」(彼は西岸良平と同一人物ではないかと、当時から間違われていた)には、雑誌『COM』で「雑賀陽平は『我らの時代』で入選し、その後も単純な線と毒のある笑いを含んだ作品を発表していた」とある。僕は新人賞をもらったと記憶していたが、記憶違いかもしれない。
彼は1980年代にマンガ雑誌『漫金超』(第1号~第5号)にいしいひさいち、ひさうちみちお、川崎ゆきお、高野文子、蛭子能収らとともに作品を発表している。思い出した。押し入れを探せば『漫金超』が何冊かあるはずだ。雑賀陽平は、いしいひさいち、川崎ゆきおらを中心とする関西のマンガ家グループの一員だった。
神戸新聞によると、雑賀陽平は1980年代に同紙に4コママンガを連載していたという。これについては、どんなものだったのか僕は知らない。どなたかご存じの方がいたら教えてください。
雑賀陽平の名前と作品が、ひとりでも多くの人たちの記憶に残ることを願う。(4月28日)
(追・追記)年賀状に書かれていた下の息子さん(ギターを持ってる)は、「オシリペンペンズ」というバンドでボーカルやっているモタコさんというミュージシャン。全然知らなかったけど、グーグッてみると、町田康が「今いちばんパンク」と評していたり、面白そうなバンドです。雑賀陽平の風狂の血を継いでいるんだろうな。(4月29日)
April 24, 2005
『インファナル・アフェアⅢ 終極無間』はラウの映画
最初にお断り。『インファナル・アフェアⅢ 終極無間』は多少のネタバレなしに語れないので、これから見ようという方はご注意を。さらに老婆心でいえば1作目、2作目を見てからこの完結編を見ないと、ディテールの面白さや、そもそもストーリーすらよく分からないんじゃないかと思う。
映画の冒頭。1作目で、長期の潜入捜査で心を病みながらも、鬱屈を内に抱えこんで表情や行動に表さなかったヤン(トニー・レオン)が、弟分がトラブルを起こしたマッサージ・パーラーでいきなり暴力的になり、相手を叩きのめして立ちつくす姿が背中から捉えられる。ヤンの突然の変貌に、見る者は、おいおい、一体ヤンはどうしちまったんだ、と思い、その後の展開に息をのむ。そのゾクゾクする期待感は、例えば『仁義なき戦い』の第2作、第3作……の冒頭を見たときの興奮に近い。
しかもこのシーン、第1作で弟分が死に際にヤンに向かってつぶやいた、「今日のマッサージ嬢は美人だったか?」という言葉に対応している。1作目ではこのセリフが何を意味するのか説明されてなかったけど、3作目でその訳が明かされるという仕掛け。
物語は、第1作から半年さかのぼった時点での「過去」の出来事と、第1作の結末を受けた「現在」とが交錯しながら進行する。「現在」で、マフィアを裏切って警察官として生きることを選んだラウ(アンディ・ラウ)は、潜入マフィアのあぶり出しを任務としつつ、自分の秘密を守るために彼らを密かに始末しているらしい。
自ら選んだそんな生によって、ラウはヤンと同じように激しい鬱屈を内に抱え込む。ラウは、自分の手で殺したヤンの恋人である医師のリー(ケリー・チャン)に近づき、ヤンの過去を探るうちに、「警官として生きた」ヤンの心に同化していくようになる。リーとは男女の関係になる(ように見える)。鏡を見ると、自分の姿ではなくヤンが写っている。自分がヤンになったと錯覚し、上司のウォン警視を殺したのはお前だと、ラウ(自分)に銃を突きつけているヤンを幻視する。
ラウはヤンと同じように、ソファーに横になって精神科医リーの治療を受ける。このとき、画面はリーの後ろ姿を中央に、左手にヤンを、右手にラウを同時に映している。ヤンがラウになり、ラウがヤンになる。2人のかかえる地獄が通底する。「過去」と「現在」、現実と幻想とが入り混じる。
そんなラウの内面のドラマが映画の一方の軸になっているが、現実の世界ではラウはエリート警官ヨン(レオン・ライ)を潜入マフィアとにらみ、彼と、彼が連絡を取っている大陸の武器密輸商人シェン(チェン・ダオミン)を追う。それが第1作の半年前の「過去」の出来事と重なって、ラストへとつながっていく。
1作目も2作目も、夜の撮影が素晴らしかったけれど(第1作は05年8月28日の、第2作は9月27日のブログでそれぞれ触れた)、3作目も同じ。夜のシーンになると急に画面が艶めいて、闇の濃さが主人公たちを際立たせる。
加えて、この作品では海と港が効果的に使われる。香港が港町であり、船と波止場がノワールやアクション映画に欠かすことにできない舞台であることを考えれば納得がいく。
全面ガラス張りの今ふうな警察の建物の窓からは、常に海が見えている。この作品は警察内部の抗争が重要な鍵になっているが、それは常に海を背景にしながら語られる。僕は香港にあまり詳しくないけど、おそらく香港島側北角(ノース・ポイント)のもっと東側から、ヴィクトリア湾をはさんで九龍半島の新市街を遠景とする場所で撮っているのではないか。
「過去」の場面で、ヤンは武器取引のために小さな船に乗り込む。夜の海に揺られながら、遠く町の灯りを背景に風に髪をなびかせる少し疲れた表情のトニー・レオンのショットは、男の僕が見ても惚れ惚れする。女性ファンならたまらないだろうな。
その後、波止場でのヤンとシェンとヨンのからみ--銃撃戦と、ある重大な秘密が分かってのやりとりは、3人の立ち姿が闇のなかで逆光に浮かび上がって陶然とさせられる。ここはクライマックスの伏線になるだけでなく、後々まで、この映画でまず思い出すショットとして記憶に残りそうだ(このシーンではじめて、第1作でヤンが手にギプスをしていた理由が分かる)。
完結編は、いわばラウの内と外での破滅の物語といえる。心の内で、ラウは自らが殺したヤンやマリーやウォンの影から逃れられない。外側では、「警官として生きる」ためにラウは潜入マフィアを摘発し殺しつづけることによってしか、自らが元潜入マフィアであることを隠しおおせない。しかしラウが潜入マフィアと睨んだヨンは、ヤンと波止場のシーンである誓いを立てていた……。
ラストシーン、車椅子にのったラウは、またしても幻影を見ている。2人のマリー--ファム・ファタールとしてラウの運命を決めたボスの女、子供を連れてラウの元を去った妻--がやってきて、ラウに拳銃を向ける。
死んだヤンも、繰り返しラウのもとへやってくるだろう。ラウは指先で車椅子のフレームをモールス信号のようにたたいているが、それはすでにヤンの癖がラウに乗り移ったものに他ならない。画面は第1作の冒頭、ラウとヤンがオーディオ店で初めて顔を会わせるシーンにメビウスの輪のように回帰し、身体は屍となったラウの心の中で無間地獄がつづくことを暗示して終わる。
完結編はラウ=アンディ・ラウの映画だ。精悍なマスクが、心の葛藤がもたらす陰翳を帯びていっそう引き立ち男っぽい。トニー・レオンはケリー・チャンとのからみが多く、それだけ第1作に比べひときわ女殺しの優男(やさおとこ)に見える。ファンは痺れるだろう。
さらに新しく加わったレオン・ライと大陸の俳優チェン・ダオミンがいい。エリート警官か潜入マフィアか、どちらとも取れる複雑な表情を見せるライ。黒のコートにサングラス、顎髭と、いかにものコスチュームで香港ノワールにぴたりとはまったにダオミン。エリック・ツァン、アンソニー・ウォンの脇役も3作通して健在で、彼ら男優を見ているだけでも心おどる。
映画的感動ということでは、正直のところⅠとⅡにいささか及ばない。多分、Ⅰ、Ⅱで張られた伏線を解決するためにやや説明的なこと、ヤンとリーのラブストーリーが別のテイストになっていること、などの理由によるのだろう。でも3本の『インファナル・アフェア』は香港ノワールの最高傑作だと、ためらいなく断言できる。
April 19, 2005
『サイドウェイ』と70年代映画の記憶
アレクサンダー・ペイン監督はこの映画をつくるに当たって撮影のフェドン・パパマイケルにハル・アシュビーの作品を見せた、という記事を読んで、『サイドウェイ』の何ともぬるい感じの心地よいテイストがどこから来ているのか、その一部が分かったように思った。
ハル・アシュビーは1970年代から80年代にかけて、そんなに数多くはないが印象的な映画をつくっていた。当時、「アメリカン・ニュー・シネマ」と呼ばれた新しいハリウッド映画の、どちらかといえば地味な一員で、『真夜中の青春』『さらば冬のかもめ』『シャンプー』『帰郷』『800万の死にざま』といったところが主な作品。
なかでもジャック・ニコルソンの『さらば冬のかもめ』、ジュリー・クリスティーの『シャンプー』、ジェフ・ブリッジスの『800万の死にざま』が記憶に残っている。脱力系とでもいうのか、そこはかとないユーモア、淡々とした語り、マイナー感覚、柔らかな色彩、「決め」をはずしたフレーミングなんかが特徴的。
『800万の死にざま』でジェフ・ブリッジスと悪役が互いに拳銃を向けあい(タランティーノ以降、『インファナル・アフェア』にいたるまで流行したあれの原形と思う)、でも互いにへっぴり腰で「拳銃を捨てろ」と叫ぶのを、ガランとした倉庫の空間を取り込んだ「引き」の画面で緊迫感というよりユーモアを湛えて捉えたシーンなんか、ハル・アシュビーの面目躍如だった。そんなセンスが『サイドウェイ』には流れこんでいる。
この映画は、キャラの異なる2人が絡む「おかしな2人」系列のコメディーや、ロードムーヴィ、スラップスティック(ワイン畑を駆け抜けたり、車を壊したり、財布を盗んだり)といった映画史のジャンルを踏まえているけれど、もうひとつ70年代映画のセンスも忘れてはならない要素のひとつ。実際、主役2人のからみは『スケアクロウ』を思い出させるし、逆光にきらめく草原のピクニックのシーンは『明日に向かって撃て』を彷彿させる。
主人公は大学の寮で同室だった2人の中年。ひとりは小説が出版されるのを夢見る、離婚したばかりの作家志望の高校教師(ブコウスキーが好きというんだから、長大な小説がどんなものか想像つきます)。もうひとりは、かつては人気テレビシリーズに出演したこともある、結婚式を1週間後に控えた落ち目の役者。鬱気味の教師はカリフォルニア・ワインのオタクっぽい愛好者で、一方、落ち目の役者はかつての人気シリーズの役を女性に思い出させてはナンパする女好きだ。
教師が役者の結婚を祝って、カリフォルニアのワイナリーをめぐる1週間の旅に出る。ワイナリーに働く2人の女性と知り合うが、教師はワインの蘊蓄を傾けるばかりで女性を口説こうとせず、役者は火遊びのつもりが相手が本気になり……。教師は役者の女好きにあきれ、役者は教師の臆病を笑う。
厳しい競争社会であるアメリカでは、どちらかといえば「負け組」に属する2人の中年男の心情に、アレクサンダー・ペイン監督は寄り添っている。「サイドウェイズ」(脇道)というタイトルが示すように、そんな「小さなもの」の心に敏感な監督なのだと思う。
「勝ち組」への皮肉と反感がもろに出た『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』(何て邦題だ)も、定年退職した会社員の感情の揺れをユーモラスに描いた『アバウト・シュミット』も、「小さなもの」への優しい視線がベタにではなく突き放したコメディーとして提出されているのが好ましかった。
『サイドウェイ』はカリフォルニア・ワインを生む谷にロケされ、男2人やカップルの会話を通してカリフォルニア・ワインについての蘊蓄が傾けられる。ワインと2人の中年男の生き方が重ね合わされているので、ワインについて触れないとこの映画を語ったことにならないのだけど、知識がないので、ふーんと感心するばかり。
でもアレクサンダー・ペイン監督のコメディーは、いつもビターなチョコレートのような味がする。
April 16, 2005
三条木屋町の渡辺貞夫
仕事で京都へ来ている。京都へ来るといつも寄る三条木屋町の店でうまい肴を食していい気分になり、ふらふら歩いていたら、「渡辺貞夫カルテット2005」という手書きの看板が目に飛び込んできた。ここ10年、ホールやブルーノートのような広い空間でナベサダを聴いたことはあっても、ライブハウスで聴いたことはない。RAGというその店に、誘われるように入ってしまった。
ちょうど1stセットが始まったばかりらしく、ドアを開けたとたん、ごりごりのバップの音が聞こえてきた。あ、ナベサダの音だ、と嬉しくなる。立ち見でよければとステージの脇に案内され、ほんの数メートルの距離でナベサダを聴く至福。
1stセットはハードバップふうなナンバーが多かった。フルートの幻想的なイントロで始まり、アルトに持ちかえて熱いアドリブを披露した曲が圧巻。
2ndセットは自作の曲を中心に。神戸震災後に当地のコンサートでつくったという美しいバラード「I'm With You」。次に「モーニング・アイランド」の頃を思わせる軽快で気持ちいいナンバー。アフリカの歌手、セザリア・エヴォラに触発されたというアフリカン・リズムの「カポ・ヴェルデ・アモーレ」(この日の朝、僕はセザリアを聴いていたのだ!)。サンバを続けて2曲。4人のメンバーの歌とチャーリー・パーカーを引用したクロージング。ピアノとデュオでアンコールに応えた「私のすべての愛を」。
こんな間近で渡辺貞夫を聴けるなんて、京都はいい。ホールでやれば千人単位で客が入るのに、小さなライブハウスで力のこもった演奏を聞かせるナベサダの姿勢も素敵だ。
初めて渡辺貞夫を生で聴いたのは1967年、大塚のライブハウス、ジャズギャラリー8だった。菊池雅章(p)、稲葉国光(b)、渡辺文男(ds)という、いま考えるとものすごいメンバーだったように記憶する。
まだアメリカから帰ってきて間もなく、彼が日本に紹介したボサノバを中心に、渡辺貞夫がそこから出発したバップ・ナンバーがあり、合間にビートルズの「イェスタデイ」をさらりと吹いて泣かせた。休憩時間にアート・ペッパーがかかり、「こんなすごい曲やられたら困るよなあ」と笑ってつぶやきながら2ndセットを吹きはじめた姿が忘れられない。
その後、何年かに1度は聴いているけれど、艶やかで温かな音色は変わらない。自分のアドリブが終わると、シャツの袖をまくった右手でアルトを支え、左手をポケットに突っこんでリズムを取りながら、孫の世代にあたる若いプレイヤーの演奏に耳を傾けインスパイアする姿も変わらない。
納浩一の切れのいいベースは相変わらずだし、初めて聴く小野塚晃のノリのいいピアノには興奮する。マイルス・デイビスやアート・ブレイキーがそうだったように、渡辺貞夫も次代を背負う若手を発掘し、次々にメンバーに起用してきた(山下洋輔もここの出身だし、世界的ミュージシャンになったリチャード・ボナを初めて聴いたのもこのグループだった)。半世紀、常にジャズ・シーンの最前線にいる貞夫さんに脱帽。
ジャズ・ファンとして、渡辺貞夫と同時代に生きる幸せを噛みしめた夜だった。
April 09, 2005
『ユリイカ』の「ブログ作法」
雑誌『ユリイカ』(4月号)が「ブログ作法」という特集を組んでいる。「激突! はてな頂上作戦」とタイトルされた座談会を中心に、内田樹、上野俊哉、北田暁大ら10人のエッセー、それに「ブログ・ガイド100@2005」という構成。
大学教師の立場を生かして学生に運営を任せ、ひたすらテキストを書きつづける「日本最弱のブロガー」内田樹(でもそこから本が生まれた)。4年半にわたってウェブページとブログをやって300万ヒットを記録し、「ひたすらウケるネタを考え、生活を犠牲にしてページの更新を繰り返した。一日休めば客が半分に減ってしまうのではないかと怯える芸人のようだった。……やがて力尽きた」というスズキトモユ。これらは体験系エッセー。
ネット空間に行きかう「わたし」の意味を、主体と環境の双方向からスケッチしてみせる上野俊哉+泉政文。2ちゃんねるや「炎上」から「ブログ作法」について論ずる北田暁大。こちらは論考系エッセー。
ブログをいろんな角度から考えていて、それぞれに面白い。でも、いちばん楽しめ、同時にヒントをもらえたのは、仲俣暁生、鈴木謙介、吉田アミ、栗原裕一郎による座談会だった。
「はてな頂上作戦」という題からもわかるように、4人とも「はてなダイアリー」でブログを運営しているから、話題は自然に「はてな」内部のものが多くなる(この特集全体が「はてな」に寄っている)。「はてなアンテナ」を使ってはいるが、ブログ自体は「ココログ」にいる僕には、よくわからない話題もある。4人のなかでは、仲俣暁生のブログは頻繁に訪問する。文学系の話題が豊富だし、「I LOVE TOKYO」キャンペーンのいかがわしさについてのエントリーなど、刺激的で読ませるテーマが多い。鈴木謙介のブログを覗いたことはないが、東浩紀のメルマガ座談会での発言は読んでいる。
そんな4人のディープなブロガーの話をエンタテインメントとして楽しんだけど、初心者オヤジ・ブロガーである僕には、文章作法についての部分が参考になった。というのは、ブログを始めて9カ月、書けば書くほど自分の文章がどうしようもなく活字文化のなかにあって、ネット空間になじまないと感じているからだ。
文章をどう入力するかという話で、4人のうち3人は下書きなしで「はてな」の入力フォームに直接書いている。
吉田 そのまま書くと消えちゃったりするじゃないですか。
鈴木 間違えてバックスペースとか押しちゃって、慌てて戻すんだけど「ああ! 中身ねえ!」って(笑)
そうなのだ! 僕もかなり長い文章を書いて、さあアップしようというところで操作を間違えて消してしまったことが2度あり、それからは短い文章以外はワープロで下書きするようになった。でも3人は同じような体験をしながら、下書きなしで書いている。
栗原 エディタで書けばいいじゃないですか(笑)
仲俣 ……エディダで書くと、なんだか仕事用の原稿を書くのと同じ姿勢になっちゃって、丁寧に推敲しはじめたりしちゃうでしょ。……むしろ、しゃべってるのに近いかもしれないね。
吉田 ……まあ、そこがオモシロイところでもあるし、危険なところでもありますが。私はその迂闊さがセクシーだと思っているのでバカを晒すためにもバンバン書いて、書くハードルを低く見積もっていく傾向にあります。
鈴木 ……入力フォームに思考する順番のままに書いていく、という感覚が重要なんじゃないかと。
なるほどね。それが彼らの文章や、これがブログの文体なんだなと感ずるいくつかのサイトの、なんというかライブ感を生んでいるのだと思う。
まあ、30年以上も雑誌や単行本にかかわってきたから、自分の書く文章が活字世界に属しているのは当然といえば当然の話。でも、自分の書く文章の匂いにはいいかげん嫌気がさしていたし、飽きもきていた。どうせブログをやるなら、自分のスタイル(そんなものがあるとして)を変えてみたいという密かな望みはあった。でも、書けば書くほど、それは無理なことだと認識せざるをえない今日このごろ。
吉田 だいたいみんな最初、自意識過剰になるんだけど、紆余曲折あって最終的に、自分の好きなようにやればいいじゃないか、というところに落ち着いて、そして更新は続く、という(笑)。
「好きなようにやればいいじゃないか」という場所に行きつくまで、もう少しじたばたしてみよう。
April 07, 2005
『アビエイター』と怪物の魂
アメリカの雑誌の『アビエイター』評に、「これはスコセッシによる『市民ケーン』だ」というのがあったらしい。これにもう一言だけつけくわえれば、僕も同じような感想をもった。「これはスコセッシによる失敗した『市民ケーン』だ」。
『アビエイター』が『市民ケーン』を意識していることは歴然としている。
なにより、アメリカン・ドリームを体現した怪物的存在を主人公にしていること。『市民ケーン』は、「新聞王」と言われ、20世紀前半のアメリカのマスコミを支配したウィリアム・ハーストをモデルにしている。ハーストは新聞・雑誌・ラジオの経営によって莫大な富を築いた一方、その強引さや扇情的な紙面づくりで戦争屋、裏切り者と呼ばれた。女優を愛人とし、スキャンダルにまみれた。『アビエイター』の主人公ハワード・ヒューズもまた映画産業と航空機産業に君臨し、富と壮大な野心とスキャンダルに満ちた存在だった。
主人公の設定以上に2本の映画に共通しているのは、ひとつの言葉が映画を支配していること。『市民ケーン』でそれは「rosebud(バラの蕾)」という単語だった。主人公が死に際に残した「rosebud」という謎の言葉の意味を探るかたちで、映画は進行してゆく。一方、『アビエイター』では「quarantine(隔離)」という単語が物語を支配している。
手法の上でも、『市民ケーン』はニュース映像(フィクションだから作りものだが)をインサートする演出法の古典的な例だけれど、『アビエイター』もこの方法を踏襲している。アメリカン・ヒーローを取り上げながら、孤独な怪物としてのアンチ・ヒーロー的側面を強調していることでも2本は共通している。
でも一方は映画史に残る作品になり、一方は僕の見るところ失敗作となった。
その理由の一端に、映画を支配するひとつの言葉のもつ意味合いの差があるように思う。「rosebud」という言葉の謎は、映画の最後で明かされる。少年時代の回想シーン。屋敷の庭で雪のなかに置き去りにされた橇の側面に「rosebud」という文字が刻まれている(30年以上前に見た記憶で書いているので、それがラストシーンだったかどうか確信はない)。つまりこの言葉は、スキャンダルにまみれ、戦争屋と言われた主人公の、少年時代の無垢の夢を象徴していた。
『アビエイター』で「quarantine」という言葉は映画の冒頭で出てくる。裸のヒューズ少年の体を拭きながら、伝染病の感染を怖れる母親の口から発せられる。そのような母子関係がトラウマとなって、ヒューズは細菌恐怖症となり強迫性障害を病む。自らを豪邸の居室に閉じこめ、他人をいっさい寄せつけない。石鹸で手を執拗に洗ったり、テープを張って結界をつくり細菌を避けようとする描写によって主人公の抱える病と孤独が浮かび上がるのだが、それはrosebudが少年の無垢な夢だったようには見る者を揺さぶらず、逆に観客の生理的な拒否反応を生んでしまうように思う。
そしてこれはこの映画だけでなく、スコセッシの映画を見ていつも感じることなのだが、スコセッシは感情を積分することが下手な監督なのではないか。
スコセッシの映画には、今度も裏切られたという思いを抱くことが多い。裏切られたというのは、逆に言えば期待しているということであり、それはかつて『タクシードライバー』『レイジング・ブル』といった傑作に出会った記憶が今なお鮮烈だからでもある。でもそれ以来、期待が満たされたことはあまりない。『グッドフェローズ』も『ギャング・オブ・ニューヨーク』も、評判ほどにはいいと思わなかった。
『アビエイター』も、ひとつひとつのショットやシーンは素晴らしい。冒頭の『地獄の天使』撮影シーン、豪華で華麗なパーティーの場面、キャサリン・ヘップバーンとの夜間飛行のデート。どれもたっぷり金をかけ、美しく、見る者を酔わせる。でも、そうしたシーンの積み重ねが感情の積分に結びつかないところが、スコセッシの映画にはいつもある。
感情の積分は、物語を丹念に構築していくタイプの映画(例えばクリント・イーストウッド)にもあるし、物語を断片化・複線化していくタイプの映画(例えばスティーブン・ソダーバーグ)にもある。スコセッシはハリウッドに物語を断片化してゆく現代的な手法を持ち込んだ初期のひとりだと思うけれど、それに成功した例は(彼の映画をすべて見ているわけではないが)『アフターアワーズ』以外、あまりないように記憶している。
自らの夢を実現させた巨大飛行艇が空を飛ぶシーンも、偵察機XF-11の試験飛行も、あくまでエピソードのままとどまり、ヒューズの壮大な夢と挫折を、見る者を納得させるようには描いていない。それは細菌恐怖から手を洗ったり、部屋に閉じこもったりするシーンが、病気の症状以上のものを伝えてこないように感じられるのと一緒だ。『市民ケーン』のオーソン・ウェルズのような、あるいは大型船に山を越えさせた『フィッツカラルド』のクラウス・キンスキーのような怪物の魂を感じさせない。
スコセッシの映画だからと期待して、その期待を裏切られる体験を、また繰り返してしまった。
少年の面影を残したレオナルド・ディカプリオは、若いころの野心に満ちたはつらつとした感じがいい。口ひげをたくわえダブルの背広を着るあたりはちょっと無理があるけれど。女優ではキャサリン・ヘップバーンを演ずるケイト・ブランシェットが気品を感じさせる。ケイト・ベッキンセールのエヴァ・ガードナーはボリューム、色気、凄み、いずれも足りない。もっとも、今あんな女優はいないから、ないものねだりだけど。
April 03, 2005
堀江敏幸の河岸
このところ堀江敏幸の小説は日本を舞台にしたものが多かったけれど、長編『河岸忘日抄』(新潮社)は久しぶりにフランスの風景のなかで物語(ともいえない物語)が展開される。作品の評価などというレベルでなく、きわめて個人的な興味として、主人公の設定がわが身と引きくらべて応えるものがあった。
主人公は、かつてパリ市内と思しい公園で倒れているところを助けて知り合った老人に向かって言う。「少し働きすぎた、ような気がするので、しばらく、ぼんやり、するために、時間をつくって、また、やってきたんです」。
同じことが、後に地の文ではこう述べられている。「高等遊民なんてもう死語だけれど、下等ではあれ遊民の権利を得るために、彼はこの何年か人並み以上に根をつめて働いてきた。いや、そうではない。『少し』根をつめすぎたがゆえに、遊民の身分にみずからを擬して不要物を洗い流そうと思いはじめたのだ」。
主人公の職業は明らかにされていない。でも、主人公を作者の分身と考えると(こういう短絡的な読みは、より客観的・公共的な場では許されないけど、ブログでならまあいいだろう)、芥川賞はじめ文学賞を立てつづけに取った作者が殺到する原稿依頼に応えた結果として疲れはて、フランスでしばしの「休養」を企てたという事実をなにがしか反映しているように思えてしまう。
その心持ちは、才能の問題を別にすれば自分にも重なる部分がある。なにせこちらも、30年以上にわたって、それなりに「根をつめて」働いてきたような気がするからだ。「しばらく、ぼんやり」したい、「遊民の身分にみずからを擬して不要物を洗い流」したいと思う主人公の気持ちは、自分にとっても切実なものがある。
主人公が老人にそんなことを述べると、ワイン樽の運搬で財をなした老人は、彼が所有し、セーヌらしき河岸に係留してある船を住居として主人公に提供しようと申し出る。「二、三人ならじゅうぶん快適に暮らせる設備の整った」船での主人公の日々がはじまる。その日常のうつろいが、この小説のすべてと言ってもいい。
河岸に係留されている動かない船、という設定が絶妙な舞台を提供している。川はひとときも留まることなく上流から下流へと流れている。船はその川に浮かびながら、流れに乗って、あるいは流れに抗して動くようにつくられた本来の目的からはずれ、エンジンをかけられることなく岸に固定されている。それは主人公が立っている場所とほとんど相似形をなしている。
「動かないこと、とどまること、そして、待つこと。五分より十分、三十分より一時間、半日より一日という時間の長短が問題なのではない。むしろ心の状態、精神のありかたをこの猫(注・ある小説に登場する黄色い猫)は伝えているのだ、目のまえに生起している事象をいかに立ち止まって味わいうるか、その強さを言っているのだ、と彼は愚考する。行く川の流れは絶えずして、なにもかも運ばれていく。時間も、人間も、そこではあまりにはかない。けれどもその流れのさなかで足を止め、とどまるものを摘出しようとする試みは、まぎれもなくいまを生きる者だけの特権ではないか」
主人公の船での生活がはじまる。毎朝、対岸でアフリカ系の男がたたく太鼓の音に耳をすます。近くのマーケットで買ってきた豆を挽いて珈琲を入れ、郵便を配達にきた男にふるまって、彼と知り合いになる。やはり船上に暮らしている、ロマ族らしき女の子が船を訪れる。病身である船主の老人や、ファクスでつながった日本の友人と、ぽつりぽつりと対話が試みられる。
係留された船には主人公以前にも女性が暮らしていたらしいこと、老人の係累らしき少女の姿が見え隠れすることといった、かすかな謎がある。でもそうした謎が物語を引っ張ってゆくことはなく、やがてさりげなく訳が明かされてしまう。この作者にはめずらしく、アメリカがイラクにしかけた戦争のことも間接的に触れられるけれど、それも遠雷のように響いてくるにすぎない。水の上の物語にふさわしく一夜の暴風雨がクライマックスらしくないクライマックスをつくるが、それもすぐに普段と変わりない日常に回収されてしまう。
とどまる、立ち止まる、ためらう、という行為の意味が探られる。それらは、ある目的地へ着くための途中経過や無駄な時間ではなく、それ自体が「命の芯」をなしているのだという認識。すると、文中に繰り返し記述されるその日の天候が、自然現象の記録であるとともに精神の「彼の天気図」でもあることが自然に納得されてくる。
「気温九度、湿度四〇パーセント、気圧一〇一八ミリバール。西よりの微風が吹いている。木々にほとんど揺れはなく、水面は穏やかだ。風力一、と彼は判定する。下流に船の気配がある。船影でも発動機の音でもなく、見えない下流から伝わってくる船の気配が」
いつもながら読み終えるのが惜しい、なんとも贅沢な読書の時間。
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