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March 27, 2005

『猟人日記』 水中の密室

水中の密室を主な舞台にするという設定によって、この作品の通奏低音ともいうべき孤独で、暗く、重い感情が映画全体に満ちることになったのだと思う。水中の密室は地上から切り離されている。周囲を水に囲まれ、見えない水圧で押しつぶされそうになっている。そんな世界で、この映画は展開する。

グラスゴーから運河を伝って近在に石炭を届ける木造の平底船。船を所有する夫婦と幼い息子は水上生活者で、船底の狭い部屋に暮らしている。そこへ若い男(ユアン・マクレガー)が雇われ雑役夫として転がり込んでいる。男は平底船のなかで、夫婦と板壁1枚を隔てて寝起きしている。密室のなかに男が2人と女が1人。映画の後半になると、男が1人に女が2人。何かが起こらないほうがおかしい。

若い男は石炭の積み降ろしで真っ黒になる作業の合間に、桟橋や船の屋根の上で静かに本を読んでいる。小説家を志して挫折、大学からドロップアウトし、恋人とも別れて流れ者の労働者になったのだ。厳然とした階級社会であるイギリスで、男は自らの手で自分の未来を閉ざした(再会した元恋人から、「あんたは労働者階級になったの」と言われる)。

若い男と家族が船底の狭い部屋で食事をしている。水圧で船がぎしりぎしりと音を立てる。見えない力が密室の彼らを取り囲んでいるのが、ひしひしと感じられる。

ドロップアウトした男ばかりでなく、水上生活を営んでいる夫婦(この船の所有者は妻で、夫は若い男と同じ流れ者だったことが後にわかる)も地上に住む人間とのつながりは希薄だ。唯一のつながりは、夫が行く先々で訪れるパブだけ。

平底船が係留されている近くの水底には、かつて作家志望だった男が投げ捨てたタイプライターが沈んでいる。そして、薄いペティコートを身につけただけの女の死体が浮いてくる。

若い男が水死体を引き上げて、物語が動き始める。男は無表情ながら、女の水死体に毛布をかけてやり、その背にいとおしそうに触れる。その夜から、男は狭い船室のなかで雇い主の妻(ティルダ・スウィントン)を誘惑しはじめる。

若い男と水死した女をめぐる謎と、男と雇い主の夫婦をめぐる危うい関係とが絡まりあって映画は進行する。男は地上の人間関係もモラルも信じていない。どの女とも、愛憎も内面の葛藤もなしに性的関係を結ぶ。無実だと自分だけが知る人間が裁判で死刑になりそうになったときだけ裁判所に匿名の手紙を書くのだが、結局は無実の人間を見殺しにしてしまう。

曇天の空、淀んだ水面、夜露が光る土手の細い路。画面は全編がブルーの色彩に統一されている。男が舵を取る平底船の両岸に広がる風景は、自己放棄した男の目を通して見た世界そのものだといえるのかもしれない。

バロウズとも交友のあったビートニク作家トロッキの原作。ノワールの香り、ポルノグラフィー的な描写(ただしエロティックな匂いは皆無)。そんなアンダーグラウンドな雰囲気を漂わせているけれど、奇を衒うところのない演出で、イギリス映画にいつも感ずる生活感あふれるリアリズムはここでも生きている。

1960年代の「アングリー・ヤングメン」と呼ばれたトニー・リチャードソンらの映画も、「トレインスポッティング」以降のニューウエーブも、労働者階級の男たち、女たちからテーマを引き出すことが多い。上流階級とは文化も生活様式も歴然と違う彼らの生活のディテールが、そうした映画に独特のリアリティーを与えていた。それは『猟人日記』でも変わらない。

この映画の設定は1950年代だけれど、平底船と水上生活者という、あまり触れたことのない世界が素材にされているのがなにより面白い(日本でも高度成長以前には水上生活者はいた)。実際に平底船が運河を行き来するのが撮影され、2つの運河の水位を調節する閘門までロケされているところをみると、21世紀になった今でも現役として活動し、水上生活が営まれているのだろうか。

平底船に住む妻を演ずるティルダ・スウィントンがすごい。表情や仕草から粗野な労働者階級の女になりきって、最初、まったく女を感じさせないのに、密室のなかで次第に男を誘惑する香りを発散させてゆく。

デヴィッド・バーンの音楽もいい。文芸映画のような重厚なストリングスと、クールなロックとが、過去と現在を混淆させたような奇妙な味を醸しだしている。ストーリーも現在と回想が混在して進行するけれど、50年代という設定の時代性を感じさせないのは音楽のせいかもしれない。

原題は「YOUNG ADAM」。平底船の船名は「ATLANTIC EVE」。地上から水中へと追放されたアダムとイブの物語ということなのだろうか。

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Comments

TBありがとうございました。
50年代の設定だったのですか…時代設定が全然気になりませんでしたね。
タイプライターや女性の服装で古いのかなとは思いましたが、単にファッションの一部として取り入れてるようにも見えましたし。

Posted by: hit_me_ | March 27, 2005 at 10:14 PM

>hit meさま

TB&コメントありがとうございます。

ブログで取り上げている映画や言葉遣いから推察すると、映画の好みがどうも私と似てる、ような気がしました。間違ってたらごめんなさい。

Posted by: | March 28, 2005 at 12:36 PM

トラバありがとうございました。 私の想像では、邦題を「猟人日記」にしたのは、戸川昌子の同名小説とカブらせようという配給会社の意図ではないかと思います。 戸川の「猟人日記」は中平康監督で2度(日本版と中国版)映画化されています。 日本版のほうはとてもよくできていますので、機会がありましたらぜひご覧になってみてください(参考:中国版のタイトルは「獵人」です)。 ちなみに、私のブログタイトルもそこから拝借しました。

Posted by: 猟人 | March 29, 2005 at 12:31 PM

>猟人さま

中平康からブログ・タイトルというのもすごいですね。残念ながら『猟人日記』、見ていません。戸川・中平という組み合わせは面白そう。高校時代に見た『光る海』『泥だらけの純情』の線と、その後に見た『狂った果実』『月曜日のユカ』の線と、どっちの中平康も好きです。

Posted by: | March 29, 2005 at 11:37 PM

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