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March 18, 2005

リスボン 白い街

いままで訪れたことのある外国の都市で、しばらく住んでみたいところはどこかと聞かれたら、ためらいなくリスボンと答える。

旅行者として、リスボンには3度、行ったことがある。3度とも街から受けた印象は変わらない。住んでみたいと思わせる親近感を感じさせる街、といったらいいか。

ヨーロッパの都市に身をおくと、アジアの片隅に暮らす民としては街全体から拒否されているように感じることがある(それは都市の問題というよりこちらの心の問題だし、だからこそ刺激が大きいのだが)。でもリスボンは初めて訪れたときからこの身を柔らかな空気でふわりと包み込んでくれるような気がして、街全体から刺すような気配を感ずることがなかった。

それは、繁栄から取り残されたかつての世界帝国の落魄とか、数世紀にわたってイスラムに支配され、街にどことなくアジアの空気が漂っていることとも関係しているかもしれない。

最後にリスボンに行ったのは1998年。それ以前に行った年から数えて十数年ぶりで、その間にポルトガルはECに加盟していた。街には流行の尖端をゆくショップも増えていたけれど、灰色の建物と鮭色の屋根、くすんだ石畳という街の基本をなす色彩と、その優しい表情は変わっていなかった。

杉田敦『白い街へ――リスボン、路の果てるところ』(彩流社)を読んで、ここに僕などよりはるかに深くリスボンの魅力にとらわれた人間がいると思った。それだけでなくヨーロッパや南米の人間のなかにも、リスボンに否応なく引き寄せられた何人もの作家や音楽家や映画監督がいることを知った。

杉田は毎年リスボンを訪れ、ひと月ほど、中心街を見下ろすなじみのペンサオンに滞在するらしい。そこから出かけるリスボンの街の印象、名所旧跡ではなく、いかにもこの著者らしくテージョ河の対岸からリスボンを遠望するレストランといった無名の場所の印象や、カフェで出会った人たちとの会話を一方の軸に、リスボンに魅せられた作家やアーティストをめぐるテーマ群をもう一方の軸にした思索的紀行、あるいは紀行的思索といった趣をこの本はもっている。

そこに登場するのは、ポルトガル人では国民詩人のフェルナンド・ペソア、室内楽にファドをのせたマドレデウス、建築家のアルヴァロ・シザら。外国人では映画監督のヴィム・ベンダース、アラン・タネール、イタリアの作家アントニオ・タブッキ、ブラジルの歌手カエターノ・ヴェローゾ、デヴィッド・バーン、そしてナチスから逃れてリスボンを目指す途中、ピレネー山中で自死したヴァルター・ベンヤミンといった人々。

杉田がリスボンに惹きつけられるきっかけになったというアラン・タネールの『白い町で』(本のタイトルもここから)は、僕にとっても記憶に残る映画だった。リスボンに上陸した船員が、アジアやアフリカの匂いのする旧市街アルファマをさ迷い歩き、家々の壁すれすれにすり抜けていく路面電車に乗り、酒場で女と知り合い、次第に街の魔力にとらわれてゆく。

『白い町で』という題名は、この町で主人公が過去を捨てて「真っ白な状態」になることと、リスボンの街の白さとを重ね合わせているのだが、杉田はここからさらに、ポルトガルやリスボンがヨーロッパ人にとって「現代社会の逃走地」といった性格をもっていることを指摘してゆく。

たとえばリスボンを舞台にしたタブッキの小説『レクイエム』を取り上げて、タブッキの小説は「自分自身を真っ白な状態にリセットしようと」していると記す。またヴェンダースの映画『リスボン物語』に触れて、「西欧近代外部としてのポルトガル」という言い方がされたり、「ポルトガルという国が、人間主義を掲げながらもその内部を空洞化してきた先進諸国からある種の希望と映る」とも書かれている。

人間くさいと言ってしまってはあまりに陳腐だけれど、パリからリスボンへ入っても、マドリッドからリスボンへ入っても、街へ足を踏み入れた瞬間に、冷たい合理や鎧に身を固めた孤立から解き放たれたような安心感を感ずる。ヨーロッパでありながらヨーロッパでないというそのポジションが、この時代、ヨーロッパ的な価値をゆさぶり、新らしいものを生みだす可能性を秘めているのかもしれない。

「逃走地」とか「外部」といった言葉遣いからはいかにも観念的な本のようだけれど、そんなことはない。杉田の紀行的な文章には醒めた抒情といった雰囲気がある。たとえばこんな描写。

「眼の前をエレクトリコ(注・路面電車)がすり抜けていく。振り返ると、降車扉の近くに、帽子を被ったペソアの後姿のようなシルエットが浮かんでいた。振り払うように横道に入る。大きくなりながら遠ざかる人影が路地の壁に浮かび上がる。いつのまにか空は紺色に変わり、ナトリウムランプも灯りはじめている」

まるで映画の1シーン。この本全体に、定住者になりえない旅人の寄る辺なさや不安と、そんな根無しゆえの快感とがちりばめられている。著者が撮った写真も挿入されているが、これがまたクールな文章にぴったりと寄り添っている。読みおえたら、このところCDラックに収まったままになっていたマドレデウスを聴きたくなった。


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Comments

最初の旅でカメラ盗まれたの、リスボンの地下鉄じゃなかったっけ?

Posted by: 健 | March 19, 2005 at 09:30 AM

そう。あの旅のことを書こうと思って書き始めたら、長くなりそうなのでやめてしまった。ファドのこととか、アルファマのこととか、そのうち書こうと思ってます。

Posted by: | March 20, 2005 at 12:11 PM

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