スーザン・ソンタグの2冊
去年の暮れにスーザン・ソンタグが亡くなったとき、友人のブログ「Radical Imagination」(04年12月29日)が、彼女の素晴らしい言葉を紹介していた。
その「若い読者へのアドバイス…」が入った『良心の領界』(NTT出版、2200円+税)と、それと対をなす『この時代に想う テロへの眼差し』(同、1900円+税)の2冊はアメリカで出た本の翻訳ではなく、日本で独自編集されている。
『この時代に想う』には9.11直後に書かれた3本のエッセーや、内戦下のサラエヴォで芝居を上演した体験、そして大江健三郎との往復書簡などが、『良心の領界』には浅田彰、磯崎新らとのシンポジウムや『シュピーゲル』によるインタビュー、講演などが収録されている。
9.11以後のアメリカを「手に手をとって、全員一緒に愚者になることはない」と痛烈に批判し、そのために大きなバッシングも受けた彼女のエッセイが本国では出版されなかったところに、アメリカの出版界の置かれた状況と、それを取りまく社会の空気を感じることができる。
ソンタグはこれらのエッセーをアメリカで出版することは不可能だった。その一方でソンタグは、「公の事態」に対する「良心の表現」であり「道義的な範疇」に属するこれらのエッセーを本にすることに対して「居心地の悪さ」をも表明している。「これらの私自身が書いたものの言わんとするところに立脚しながらも、モラリストになることに内在する(作家にとっての)堕落の問題が気にかかる」と。
そうした二面性、多義性がソンタグの書くものを分かりにくくし、同時に陰影濃くもしているのだろう。時事的な短文やインタビュー、シンポジウム、講演、公開書簡を中心に構成されたこの2冊は、いわば「軽い本」(と彼女は言っていないが)だからこそ、逆に彼女の生な思考の経路や、その発想の根を知ることができる。
『この時代』でいちばん興味深いのは、ソンタグが旧ユーゴスラビア内戦の際にNATOによるセルビア爆撃を支持し、大江健三郎がそれにいぶかしげな反応をしているところだろう。あのときは僕も、へえー、ソンタグは爆撃を支持しているのかと思った記憶がある。
興味深いのは、ソンタグが爆撃を支持したことではなく(それが「正しかった」のか「間違っていた」のか、僕には判断できない)、彼女がそうした決断をするに至ったその発想の根っこ。そこにかかわりそうな記述を抜いてみる。
「私がすいぶん前に自分に課したことがあります。自分がそれまで知らなかったり、この目で見たことがなかったりする事柄については、決してどんな立場もとってはならないと。ヴェトナムでの戦争については六七年と七三年にそこへ行っているので語ることができます。サラエヴォでもほぼ三年にわたり相当の時間を過ごしました」(『この時代』)
「苦悩と多くの疑いを抱きながら、たしかに私は北大西洋条約機構(NATO)によるセルビア爆撃を支持しました。かつてユーゴスラヴィアだった地を、スロボダン・ミロシェヴィッチが破壊し続けるのをくい止めるには、軍事介入しかないと考えたからです。ミロシェヴィッチが一九九一年に戦争を始めたそのとき、もし軍事介入が行われていたら、多くの、じつに数多くの生命が失われずにすんだことでしょう」(『この時代』)
「何らかの原則にのっとって考え、何が可能かを問い続けなければならないのだと思います。戦争をめぐって私が困惑することを申し上げますと、まず、私は平和主義者ではありません。……状況を解決する試みとしてほかにいかなる可能な方法もないという、もっとも極端な場合にかぎって、戦争に訴えることを認める、というのが私の立場です」(『良心』)
「ある種のナイーヴなというか理想主義的な観点と、政治的現実主義やドイツ語でいう『レアルポリティーク』とを二項対立的に考えることは、私にとって居心地がよくありません。私たちは歴史のなかに生きており、諸国民やもろもろの共同社会のあいだには現実の対立が存在します。しかも世界は正義の原理に準拠して構成されているわけではありません。たいていの場合は、かなり悪いことと、とんでもなくひどいこと、そのあいだの選択をどうするかが問題になっているのがせいぜいではないでしょうか」(『良心』)
こういう発想を、僕たちはなかなか取れない。具体的に語ること。自分が体験したり、あるいは十分に知っていると思えることのみを語る態度。そしてまた、理想主義(原理主義)と、その裏返しの現実主義を共に排して、「原則」と現実のあいだを常に行き来して、ものごとを考えること。
たとえば戦争と平和について、僕たちの思考はつい理想主義(原理主義)的にか、あるいは逆に力が支配している世界を追認する現実主義的な方向へと傾きがちだ。それはどちらも安易で怠惰だと彼女は考えている。スーザン・ソンタグから受け取るべきものは、こういう異質の発想、思考のダイナミクスなのだろう。
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