『「彼女たち」の連合赤軍』をやっと読む
1996年に出版された大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍』(文藝春秋)を読んだ。この本については、以前に上野千鶴子が大塚への大きな評価といささかの批判と世代的なためらいとが入り交じった複雑な書評を書いていて、それを読んで以来、ずっと気にかかっていた。
そこで上野は、こんなふうにこの本を評している。
「大塚の仕事は、その分析のあざやかさと目配りの周到さで、他を圧している。全共闘世代に属するわたしとしては、このような仕事が、ポスト全共闘世代の大塚によってなされたことに、複雑な感慨を持たないわけにはいかない。連合赤軍事件とは、わたしを含む全共闘世代のひとびとにとって、見たくない過去、できれば忘れてしまいたい歴史の汚点に属する。……大塚の分析の新しさは、視点を連合赤軍内部の『女のディスコース』に向けている点である。そして、『女のディスコース』と『革命の論理』との齟齬をあつかうことによって、戦後反体制運動の限界をいっきょにつきぬけ、ポストモダンな『女の時代』にまで、戦後史を串刺しにしてみせた」(『上野千鶴子が文学を社会学する』朝日文庫)
この本を気になりながらも読まずにいたのは、「見たくない過去」という上野のためらいと同じものを、彼女と同世代の自分もやはり感じていたからだろう。いま刊行から10年近くたって読んだあとに、上野の見事な評につけ加える言葉を思いつかない。大塚の論点だけメモしておくことにする。
大塚は、事件とその後の報道から2つのことに注目している。ひとつは、サブ・リーダーの永田洋子が事件後、獄中で「乙女ちっく」なイラストを描くようになったこと。いまひとつは、殺された女性兵士がリーダーの森恒夫について、自分が批判されているさなかにもかかわらず「(森の)目が可愛い」と発言したこと。
この事件が起こったのは1972年だが、「乙女ちっく」なイラストも、「かわいい」という言葉の使い方も、その後の80年代の「かわいいカルチャー」を象徴するイメージであり用語であることは言うまでもない。彼らの「総括」のきっかけになったのが女性兵士の指輪や化粧やロングヘアなど「女性的なもの」への批判であったことは、事件に興味をもつ者なら誰でも知っているだろう。そのこともふまえて、大塚は事件の見取り図をこう描いてみせる。
「連合赤軍事件で殺された女性たちに共通なのは80年代消費社会へと通底していくサブカルチャー的感受性である。したがって12人が殺された山岳ベースで対立していたのは2種類の革命路線ではなく、意味を失う運命にあった男たちの『新左翼』のことばと、時代の変容に忠実に反応しつつあった女たちの消費社会的なことばであり、少なくとも4人の女性の『総括』はそのような『闘争』の結果生じたものだったのではないか。……彼女(永田)は革命思想と『かわいい』の間で逡巡し、最終的には前者の側に立つのだ」
大塚はさらに、他の男性兵士が当時はごく当たり前の「家父長的」「抑圧的」男だったのに対し、森恒夫にそのような「男性的」姿勢が希薄であることから(むろん「総括」を命じたのは彼にちがいないが)、後の「おたく」や「新人類」につながる心性を見ている。
大塚は1958年生まれだから、事件のとき中学生。「可愛い」という一言を80年代に結びつけるのにちょっと性急なところはあるけれど、同世代、あるいは同時代に事件を体験した者には思いもつかない角度から光が当てられている。これも最近読んだアメリカの若い社会学者、パトリシア・スタインホフの『死へのイデオロギー 日本赤軍派』(岩波現代文庫)のときも感じたけれど、同世代だからこそ、あるいは同時代に生きているからこそ見えないものがあるんだな、と痛切に思う。
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