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January 31, 2005

コン・リーと桃井かおり

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コン・リーと桃井かおりの記者会見を覗いてきました。断っとくけど、ちゃんと仕事です。でも、個人的にも2人のファンなもんで、つい2人の近くに席を取って…。

映画『SAYURI』のクランク・アップ。会見は2人だけでなく、ミシェル・ヨー、工藤夕貴、大後寿々花、渡辺謙、役所広司に、監督のロブ・マーシャルという顔ぶれ。主演のチャン・ツィイーはヨーロッパにいるらしく、ヴィデオ・メッセージでの参加でした。

コン・リーは「ツィイーをいじめる悪女で、むずかしい役だった」とのこと。桃井かおりは「白髪の置屋のおかみ。若い4人の芸者が美しさを競う競争に、君は入らなくていいからと監督に言われた(笑)」そうです。

桃井かおりがコン・リーのグラスににペットボトルの水を注いだり、2人は撮影中に仲良くなったらしい。何を話しているのか、小声で笑いあっておりました。コン・リーが口をかすかに開き、肘をついた右手の人差し指を唇の上にあてる仕草がなんとも美しく、見ほれてしまいました。憂いのある微笑みは、チャン・イーモウのあの映画、チェン・カイコーのこの映画で見たコン・リーとおんなじです(当たり前)。桃井かおりも、若いころの可愛さそのままでした。

クランク・アップしたばかりの映像も、ちょっとだけ上映されました。『シカゴ』と同じような色彩と音楽の乱舞。「映画の『シカゴ』が実際のシカゴと違うように、この映画も1930~40年代の京都ではなく、MIYAKOという都市のお伽噺なのです」と監督。リアリズムではなく、ファンタジーなのでしょう。公開は今年の12月だそうです。

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January 30, 2005

ベニー・ゴルソンを聴く

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ベニー・ゴルソンのライブを聴いて、満ち足りた気分で帰ってきた(1月25日、ブルーノート東京)。

ベニー・ゴルソンといえば、映画『ターミナル』で彼の演奏を耳にしたばかり。その後、何気なくジャズのライブ・スケジュールを眺めていたら、ブルーノート東京に予定が入っているではないか!

ここ数年、新譜が出た記憶もないし、近年はアレンジャーと教育者としての仕事が多いと聞いていたから、ベニー・ゴルソンを生で聴く機会があるとは思っていなかった。今回の来日は、映画出演がきっかけになって実現したのかも(店に映画のチラシがおいてあった)。そうだとしたら、『ターミナル』のアメリカ礼賛はうさんくさいなどと書いたけど(1月18日)、それはそれとして、スピルバーグさまさまだ。

ベニー・ゴルソンで日本人がいちばんなじみ深いのは、彼が作曲した「ファイブ・スポット・アフター・ダーク」だろう。カーティス・フラーのトロンボーンとゴルソンのサキソフォーンが織りなすソフィスティケートされた「ゴルソン・サウンド」の旋律はテレビCMにも使われたから、彼の名前を知らなくとも、音を聴けばたいていの人が、ああ、この曲ね、とうなずく。村上春樹の新作『アフターダーク』でもこの曲をめぐる会話が出てくるし、小説の題名もここから取られている。

僕が聴いた9時半からのセカンド・セットでは、残念ながらこの曲の演奏はなし。でも最初からエンジン全開で、自作の名曲、ヒット曲のオン・パレードだった。アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの演奏でなじみの「アロング・ケイム・ベティ」。同じくジャズ・メッセンジャーズのためにつくった「ブルース・マーチ」。僕はウィントン・ケリーの演奏が好きな「ウィスパー・ノット」。映画にインスパイアされた新曲「ターミナル1」。

極めつけは、クリフォード・ブラウンの死を悼んで作曲した「アイ・リメンバー・クリフォード」。25歳の若さで亡くなったブラウニーのトランペットが聞こえてきそうな切々としたバラード。何百回、何千回と演奏してるにちがいないのに、ベニー・ゴルソンの柔らかく、ハスキーな音色で途切れるとみせて息ながくつづくアドリブは、ブラウニーの死をたったいま知ったみたいな悲しさでその面影を現前させた。わたくし、泣きました。

若いピアノのマイク・ルドンが、とてもいい。ゴルソン節をファンキーに奏でてるかと思うと、チック・コリアふうにバリバリ弾いたりもする。ベース(バスター・ウィリアムス)とドラムス(カール・アレン)はゴルソンと息の合ったベテランだから、ルドンの存在がこのカルテットを懐メロではない今のバンドにしていると思った。

どの曲もテーマ→アドリブ→他のメンバーのアドリブ→テーマとシンプルな構成。1ホーンのカルテットだから、サックスとトロンボーン、あるいはサックスとトランペットを重ねる「ゴルソン・サウンド」は聞かれない。でもアレンジャーとしても名高いゴルソンのこと、それぞれのアドリブ・パートでは節々で指示が出ているらしい。ゴルソンが手でリズムを取りながらピッと指さすと、ピタリとピアノやベースの音が入る。それがまた、気持ちよい。

大満足の夜。翌朝から、ゴルソン、ジャズ・メッセンジャーズ、ゴルソンとフラーのジャズテットのCD を繰り返し聴いている。

 

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January 26, 2005

スーザン・ソンタグの2冊

去年の暮れにスーザン・ソンタグが亡くなったとき、友人のブログ「Radical Imagination」(04年12月29日)が、彼女の素晴らしい言葉を紹介していた。

その「若い読者へのアドバイス…」が入った『良心の領界』(NTT出版、2200円+税)と、それと対をなす『この時代に想う テロへの眼差し』(同、1900円+税)の2冊はアメリカで出た本の翻訳ではなく、日本で独自編集されている。

『この時代に想う』には9.11直後に書かれた3本のエッセーや、内戦下のサラエヴォで芝居を上演した体験、そして大江健三郎との往復書簡などが、『良心の領界』には浅田彰、磯崎新らとのシンポジウムや『シュピーゲル』によるインタビュー、講演などが収録されている。

9.11以後のアメリカを「手に手をとって、全員一緒に愚者になることはない」と痛烈に批判し、そのために大きなバッシングも受けた彼女のエッセイが本国では出版されなかったところに、アメリカの出版界の置かれた状況と、それを取りまく社会の空気を感じることができる。

ソンタグはこれらのエッセーをアメリカで出版することは不可能だった。その一方でソンタグは、「公の事態」に対する「良心の表現」であり「道義的な範疇」に属するこれらのエッセーを本にすることに対して「居心地の悪さ」をも表明している。「これらの私自身が書いたものの言わんとするところに立脚しながらも、モラリストになることに内在する(作家にとっての)堕落の問題が気にかかる」と。

そうした二面性、多義性がソンタグの書くものを分かりにくくし、同時に陰影濃くもしているのだろう。時事的な短文やインタビュー、シンポジウム、講演、公開書簡を中心に構成されたこの2冊は、いわば「軽い本」(と彼女は言っていないが)だからこそ、逆に彼女の生な思考の経路や、その発想の根を知ることができる。

『この時代』でいちばん興味深いのは、ソンタグが旧ユーゴスラビア内戦の際にNATOによるセルビア爆撃を支持し、大江健三郎がそれにいぶかしげな反応をしているところだろう。あのときは僕も、へえー、ソンタグは爆撃を支持しているのかと思った記憶がある。

興味深いのは、ソンタグが爆撃を支持したことではなく(それが「正しかった」のか「間違っていた」のか、僕には判断できない)、彼女がそうした決断をするに至ったその発想の根っこ。そこにかかわりそうな記述を抜いてみる。

「私がすいぶん前に自分に課したことがあります。自分がそれまで知らなかったり、この目で見たことがなかったりする事柄については、決してどんな立場もとってはならないと。ヴェトナムでの戦争については六七年と七三年にそこへ行っているので語ることができます。サラエヴォでもほぼ三年にわたり相当の時間を過ごしました」(『この時代』)

「苦悩と多くの疑いを抱きながら、たしかに私は北大西洋条約機構(NATO)によるセルビア爆撃を支持しました。かつてユーゴスラヴィアだった地を、スロボダン・ミロシェヴィッチが破壊し続けるのをくい止めるには、軍事介入しかないと考えたからです。ミロシェヴィッチが一九九一年に戦争を始めたそのとき、もし軍事介入が行われていたら、多くの、じつに数多くの生命が失われずにすんだことでしょう」(『この時代』)

「何らかの原則にのっとって考え、何が可能かを問い続けなければならないのだと思います。戦争をめぐって私が困惑することを申し上げますと、まず、私は平和主義者ではありません。……状況を解決する試みとしてほかにいかなる可能な方法もないという、もっとも極端な場合にかぎって、戦争に訴えることを認める、というのが私の立場です」(『良心』)

「ある種のナイーヴなというか理想主義的な観点と、政治的現実主義やドイツ語でいう『レアルポリティーク』とを二項対立的に考えることは、私にとって居心地がよくありません。私たちは歴史のなかに生きており、諸国民やもろもろの共同社会のあいだには現実の対立が存在します。しかも世界は正義の原理に準拠して構成されているわけではありません。たいていの場合は、かなり悪いことと、とんでもなくひどいこと、そのあいだの選択をどうするかが問題になっているのがせいぜいではないでしょうか」(『良心』)

こういう発想を、僕たちはなかなか取れない。具体的に語ること。自分が体験したり、あるいは十分に知っていると思えることのみを語る態度。そしてまた、理想主義(原理主義)と、その裏返しの現実主義を共に排して、「原則」と現実のあいだを常に行き来して、ものごとを考えること。

たとえば戦争と平和について、僕たちの思考はつい理想主義(原理主義)的にか、あるいは逆に力が支配している世界を追認する現実主義的な方向へと傾きがちだ。それはどちらも安易で怠惰だと彼女は考えている。スーザン・ソンタグから受け取るべきものは、こういう異質の発想、思考のダイナミクスなのだろう。

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January 23, 2005

『パッチギ!』はプログラム・ピクチャーの味

なんだか久しぶりにプログラム・ピクチャーの空気を味わったような気がした。東映、東宝、松竹、大映、日活の5社の映画が日本映画のすべてで、各社が系列館で次々に作品を公開していた時代。全盛時は週代わりだから各社が年に100本近く、60年代でもそれぞれ数十本は上映されていたろう。

そんな量産体制のなかでつくられていたから、まあ、手抜きもある。よく考えればストーリーに辻褄の合わないところや、無理なところがある。先月見た映画と同じセットが出てくる。映画のテンポを変えるのに多用されたのはディスコで、踊りくるう男女をズームアップして、音楽が高鳴る。どの映画でも、チンピラが死に際に「兄貴、寒いなあ」とつぶやく。

でも映画と観客のあいだには、ある種の約束事が成立していて、「寒いなあ」というセリフに、またかと思いながらもじーんと来る。そんな、いい意味でのいい加減さがあったように思う。

『パッチギ!(朝鮮語で「頭突き」)』に、それと似たものを感じた。井筒和幸監督は自主映画からピンク映画のコースだから5社の現場とは無縁だけど、そんなプログラム・ピクチャーを浴びるほど見てきたことがよく分かる。はしばしに『まむしの兄弟』やら『893愚連隊』やら『人斬り与太』やらクレイジー・キャッツの映画の匂いがする。

京都のジャズ喫茶、GSのオックスのライブで「♪お前のすべて~」で観客が失神する冒頭。昔、よくあったなあ、こういうシーンで始まる映画。絶叫と激しい音楽で観客を巻き込んでおいて、救急隊員のコントふうな笑いがからむのが懐かしい。

朝鮮高校に通うヒロインが、対立する高校のワルにからまれ、ひとりが助けを求めにいく。あっという間に数十人が集団になって彼女を助けに走ってくる。どんなに学校が近いからって、そんな訳ないだろと思う間もなく乱闘がはじまって、あげくにバスを横転させてしまう。ずいぶん無理のある展開。だけど、パワーがあるから許そうか、って気になる。

涙と笑いと音楽が詰まったエンタテインメントを目指す映画だから、狙いは単純明快。話の骨格は『ウェストサイド物語』と、その下敷きである『ロメオとジュリエット』。京都の公立高校と朝鮮高校の生徒が対立し、顔を会わせると殴り合いの喧嘩の毎日のなかで、公立高校の男の子(塩屋瞬)と朝鮮高校の女の子(沢尻エリカ。可愛い)が恋をする。

時代は1968年。全編にフォーク・クルセダーズの「イムジン河」や「悲しくてやりきれない」が流れる(音楽は加藤和彦)。都はるみの「あんこ椿は恋の花」も流れる。はるみに合わせて歌っていた前田吟(ヒロインの親)が、「♪あんこ~」でレコードが引っかかって笑いを取る。ビー玉を飲まされた番長が、トイレで力むとビー玉がカチンと音を立てて転がりでる。映画のなかでヒロインの家族が「てなもんや三度笠」を見ている場面が出てくるけど、「てなもんや」や「シャボン玉ホリデー」みたいなコントが随所にはさまれる。

フォークルが好きな男の子とフルートを吹く女の子を、「イムジン河」が結びつける。日本人の男の子がヒロインとつきあって朝鮮人集落に出入りするようになると、いろんな摩擦が起きる。そこがこの映画のコアな部分。なぜ日本にたくさんの朝鮮人がいるのか、彼らがどんな目に遭いどんな生活をしてきたか、そんな歴史的な背景を『血と骨』は切り捨てたけれど、この映画はそのところを、紋切り型になるのを承知で語る。それはプロデューサー、李鳳宇の意志でもあるだろう。

フォークルや「てなもんや」ばかりでなく、この映画には60年代のアイテムがいたるところに顔を出す。教育映画を装ったポルノ『女体の神秘』や「11PM」。GSにマッシュルーム・カット。毛沢東語録に全共闘。ライオンと豹の合いの子、レオポン。北朝鮮への帰還船。村上龍の『69』も映画化されたけれど、60年代後半はそういう「ジャパニーズ・グラフィティー」の主役がすべて顔をそろえていた。

ヒーロー、ヒロインは新人で、正直なところ荷が重い。その分、前田吟はじめ回りの役者がそれぞれの役回りで見せる。ヒロインの兄の番長(高岡蒼祐)と、彼が妊娠させてしまう日本人の恋人(楊原京子)。教室で毛沢東語録をかざし、ロシア人のストリッパーに惚れてドロップアウトしてしまう教師(光石研)。

そういうアクの強い役どころが多いなかで、男の子にフォークルを教える酒屋の若主人になるオダギリジョー(モデルはアルフィーの坂崎幸之助)が、はんなりしたなかに芯を感じさせる京都の男を演じて見事。『アカルイミライ』や『血と骨』の凄みもよかったけど、この映画ではがらっと変わった柔らかさを見せる。ただものじゃない。

『ウェストサイド物語』でリチャード・ベイマーとナタリー・ウッドの歌う「トゥナイト」が対立するグループの最後の抗争を呼び寄せたように、京都の街や鴨川の河原や朝鮮人集落の上に「イムジン河」が流れる。大団円も『ウェストサイド』のようには決まらない、どちらかというと荒っぽい映画だけど、これだけ泣かせ、笑わせ、懐かしいフォークルまで聴かせてくれたんだから、ま、いっか。と、これもプログラム・ピクチャーの空気のせい。

(追記)この映画、1月22日の初日にシネ・リーブル池袋で見た。2巻目の途中から、いきなり画面が暗くなった。つくり手の意図的なものでなく、明らかに露出不足か光源不足。劇場に苦情を言ったら、フィルムが途中から暗くなっている、光源はいっぱいに上げているのだが、とのこと。この劇場に届いたフィルムだけプリントに失敗したのか、オリジナルがこうなっているのか。他の劇場で見た方、教えてください。

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January 22, 2005

プラチナ・プリントの『地図』

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『日本の写真家 33 川田喜久治』(岩波書店)から

川田喜久治の『地図』(1965)は伝説的な写真集だ。原爆と戦争をテーマにしながら、社会的リアリズムから思い切りよく切れた即物的な表現といい、杉浦康平による凝りに凝った印刷・造本といい、戦後日本の写真史のなかで屹立した写真集として存在している。印刷部数も少なかったから本物を見る機会もなかなかなく、僕も10年ほど前に初めて見た。

その川田喜久治作品展「地図」が田町のギャラリーPGIで開かれている(2月10日まで)。最大の驚きは、作品がプラチナ・プリントで展示されていたこと。

プラチナ・プリントは19世紀からある古い技法で、通常の写真(ゼラチン・シルバー・プリント)では銀が光に感光する性質を利用しているのに対して、銀のかわりに白金を印画紙に塗って感光させる。シルバー・プリントに比べて、黒の深さ、銅版画のような細密描写、グレーの階調の豊かさなど、段違いに優れている。高価で手間のかかる、手工芸的印画。密着でしかプリントできないから、今回はオリジナル・ネガをスキャンして大きなサイズのネガを作ったという。19世紀の技法がデジタルを使って蘇った。

2003年の「川田喜久治展 世界劇場」(東京都写真美術館)にも「地図」は展示されていて、僕はそのとき初めて「地図」のプリントを見た。シルバー・プリントだったけれど、作者の意図に添って周到に印刷された写真集のイメージと違って、なんだか普通のドキュメンタリー・フォトに近い印象を受けたのが意外だったのを覚えている。

今回のプラチナ・プリントは、そのときのシルバー・プリントに比べてずっと写真集の硬質で即物的なイメージに近い。冷たくて、しかも官能的な感触をたたえている。それが川田の意図するところなのだろう。「シルバー・プリントの水っぽさがなくなった。カリカリした質感があるでしょう」と彼自身も語っている。

原爆ドームの天井のしみ。泥水のなかに踏みにじられた日の丸。廃墟となった要塞。被爆者のケロイド。捨てられたコカコーラの瓶やラッキーストライクの箱。勲章を胸にした将校の記念写真の複写。それら拾い集められた「時代のモニュメント・オブジェ」によって、戦後日本の精神の「地図」が、川田のイリュージョンのうちに描き出されている。これらのイメージ全体が、川田が幻視した原爆ドームの天井画であるような錯覚におちいった。


(追記)新版『地図』が月曜社から刊行された(定価12,000円+税)。中身は旧版と変わらないが、造本・装幀は新しくなり、小冊もついている。

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January 19, 2005

アラブ・ポップスにハマる

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ヨーロッパの街を歩いていると、いきなりアラブ歌謡が家のなかから流れてきて驚かされることがある。去年、パリの移民街、メニルモンタンを歩いているときもそうだったし、何年か前、リスボンの旧市街、アルファマをさ迷っているときも同じ体験をした。それ以来、アラブ歌謡がなんとなく気になってた。

去年の暮れ、不見転で2枚のCDを買った。ナワール・エル・ズグビーの『エイネイク・カダビン』(写真右)とアンガーム『あなたと生きる』(写真左。ともに輸入元はOffice Sambinha)。ナワールはレバノンの、アンガームはエジプトの人気歌手だそうだ。

これが2人ともいいんですね。ノリのいいリズム。オリエンタルなメロディー。アラブ楽器独特の音色。こぶしの利いた艶っぽい歌。陽気で、パワフルで、そのくせ甘い感傷があって、すっかり気に入ってしまった。

2人ともアル・ジールと呼ばれるアラブ・ポップスの歌い手らしい。古いアラブ歌謡に比べて、欧米ポップスの影響がいちだんと濃いんだって。日本でいえば、演歌に対するJポップといったところか。もっとも、無国籍のJポップより演歌っぽさ(アラブっぽさ)はずっと強い。喩えれば坂本冬美がクレイジー・ケン・バンドの歌を歌ってる感じ?(関係ないけど、彼女のレゲエを聴いたことがある。実によかった)

だから楽器もウード(ギターの祖)、ナイ(笛)、ダルブッカ(太鼓)といったアラブ楽器やアラブの旋律を紡ぎだすバイオリン。それに加えて、ベースやドラムス、シンセサイザーも使われる。打ち込みやリミックスもある。ブラスやラテン風味のギターが入ったりもする。

リズムは単調で、ドドン・ド・ドンと日本の太鼓みたいなのもある。ひゅるひゅると笛が入ると、すっかりお祭り気分。親しみやすいメロディーを少しずつ変化させながら、独特のこぶし回しで歌われる。バック・コーラスとのコール&レスポンスがあって盛り上がる。

ナワール・エル・ズグビーは歌といいルックスといい、なんとも濃くて、官能的。聴く者を音の渦に巻きこむオーラを発してる。「アラブ音楽入門」というサイトによると、「ビデオ・クリップは必見。ナワルのお色気パワーには女性でもくらくら」だそうだ(僕は残念ながら見てない)。ジャケットからも、それは想像できる。

アンガームはナワールに比べると透明な歌声。こぶし回しも繊細で、歌の表情は豊か。父親はアラブ古典音楽の声楽家で、彼女自身も古典を歌っていたらしいから、アラブ音楽の伝統をしっかり身につけてるんだろう。その一方、欧米ポップスふうのバラードを歌っても、しっとり聴かせる。

いまのところ、この2枚を繰り返し聴いているけど、ハマッてしまいそう。

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January 18, 2005

『ターミナル』のアメリカ礼賛

スティーブン・スピルバーグがハリウッドを代表する監督であることは異論がないとして、でも僕はなぜか彼のヒューマン・ドラマといわれる系列が好きになれない。

とかいって、そもそも『カラーパープル』も『シンドラーのリスト』も見てないんだから食わず嫌いというか、言いがかりに近いかも。でも、スピルバーグのどんな作品からも感じとれるヒューマンな優しさと、しかしその裏に張りついているアメリカ的なイデオロギーの匂いがどうも気になる。

『ターミナル』もヒューマン・ドラマ系列のエンタテインメント。斜めから見ることさえしなければ、とても楽しめる作品に仕上がっている。

観客を笑わせたり泣かせたり、喜怒哀楽を自在にあやつるスピルバーグの演出は見事なものだし、英語がわからない東欧人を演ずるトム・ハンクスは絶妙。ファム・ファタール風のメークと髪型で出てくることの多いキャサリン・ゼタ=ジョーンズがナチュラル・メークで新しい魅力を感じさせるのもいいし、最後にジャズ・プレイヤーのベニー・ゴルソンがちらっと、でも重要な役で出てきて演奏を聴かせるのも憎い。それにJFK空港のロビーを再現した見事なセットを見るだけでもお金を払う価値がある。

でも、と臍曲がりの虫がうごめき出す。

この映画にはモデルがある。パリのド・ゴール空港にはパスポートを失ったイラン国籍の男が今も住んでいるという。彼をモデルに映画化するに当たって、スピルバーグはド・ゴール空港をニューヨークのJFK空港に、イラン国籍を架空の東欧国籍に変えた。

トム・ハンクスはクラコウジアという東欧の社会主義国から、ある「夢」をもってニューヨークにやってきた。ところが飛行中に祖国でクーデタが起こり、ビザが無効になってアメリカへの入国許可も下りず帰国することもできず、空港ロビーに居つづけるほかなくなってしまう。

ド・ゴール空港をJFK空港に変えたのは、9.11以後のアメリカが外国人の入国にきわめて厳しい制限を加えていることを考えると、単にアメリカ映画だからという以上の意味をもってしまう。つまらない深読みをされても仕方ない設定になってしまった。

一方、イラン国籍を東欧国籍に変えたのは、ハリウッド的なリスク回避。イラクに戦争を仕かけた後、ブッシュの次の標的がイランであることははっきりしているから、イラン人がアメリカに入国できないという設定は少々やばいことになる可能性がある。東欧の、それも架空の社会主義国ならば過去の話だし、それにいま東欧諸国は親米だから問題はない。

空港にはさまざまなエスニックが働いている。アフリカ系はもちろん、ヒスパニックやインド系。一方、空港の警備局長は出世主義の白人で、これが敵役。官僚的な警備局長から無許可の薬を没収されそうになったロシア人をトム・ハンクスが救ったことで、彼は空港で働く人々のヒーローになる。

エスニックたちは皆でトム・ハンクスを応援し、ある者は故国へ強制送還されるという自己犠牲もいとわずに、ニューヨークへ行きたいという彼の「夢」を実現させようとする。だからここでは、エスニックたちにとってアメリカが「自由で豊かな国」であることが疑われていない。彼らにとってアメリカが「夢」であることが疑われていない。官僚的な警備局長までが最後にはトム・ハンクスの入国を黙認して「いい人」になってしまって、みんなが彼の「夢」の実現を祝福する。

9.11以後のアメリカのスローガンは「United We Stand(団結する我ら)」だった。その空気はブッシュ再選後も変わる気配がない。そのなかに『ターミナル』をおいてみると、異論を許さずみんなで「団結」しようという流れに、『インディペンデイス・デイ』のようなネオ・コンではなく、あくまでソフトにしかしすんなりフィットするスピルバーグのヒューマニズムとアメリカ礼賛を素直に楽しむ気にはなれない。

トム・ハンクスがついに行くことのできた雪の舞うニューヨークの街角が美しいだけに、ほんの短い時間プレイするベニー・ゴルソンのサックスの柔らかい音色が都会の粋を感じさせるだけに、素顔に近いキャサリン・ゼタ=ジョーンズが魅力的なだけに、その裏側のイデオロギーが気になる。

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January 15, 2005

森山大道とアラーキーの新宿

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「森山 新宿 荒木」展(3月21日まで、初台・東京オペラシティアートギャラリー)が始まった。森山大道と荒木経惟。1960年代以来この国の写真表現のトップランナーとして疾走をつづけ、国際的評価も高い2人が撮った新宿を集大成した写真展。

2人の写真を30年以上にわたって見ているので、作品について語りはじめたらキリがなくなる。気づいたことだけ簡単にメモしておく。

森山にとっての新宿は、処女作『にっぽん劇場写真帖』(1968)以来のホームタウンのようなもの。60年代の牧歌的な歌舞伎町やゴールデン街裏の都電の線路なんぞが懐かしい。荒木も70年代から新宿を撮っているけど、本格的に新宿を主題にしたのは80年代に入ってからからと(「東京ラッキーホール」)、意外に新しい。インターナショナルな風俗街に変わった歌舞伎町や建設がはじまった都庁庁舎など、ああ、今の新宿は80年代から始まったんだなと感慨。

レトロばかりではない。去年の8月、森山と荒木が一緒に新宿を撮った新作が、入口を入ってすぐの大きなスペースに展示されている。森山はデジタル出力(カラー出力のモノクロ)の大判が2面の壁いっぱいに12点、荒木はカラープリントが66点というガチンコ対決。2人とも、パワー、スピードともに拮抗して見応えあり。

過去から今日までの2人の新宿を見て、その視線がそれぞれ見事に一貫していること、2人の視線の質がなんとも対照的なのが面白かった。森山はいわば透明人間のように街に紛れこみ、自身の肉体と街とが擦過する一瞬の触感をひたすらに追いかける。荒木は「アラーキー」というキャラとして街に立ち、街と会話を交わしながら、表層のきらめきといとおしさを掬いあげようとする。

2人が新作を撮影する様子が写真とヴィデオで撮られているのが嬉しい。新宿の街で2人のなんと生き生きしていることか。ちなみに森山のカメラはリコーGR21とミノルタα-8700、荒木は中判のプラウベルマキナ67だった。

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January 08, 2005

『「彼女たち」の連合赤軍』をやっと読む

1996年に出版された大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍』(文藝春秋)を読んだ。この本については、以前に上野千鶴子が大塚への大きな評価といささかの批判と世代的なためらいとが入り交じった複雑な書評を書いていて、それを読んで以来、ずっと気にかかっていた。

そこで上野は、こんなふうにこの本を評している。

「大塚の仕事は、その分析のあざやかさと目配りの周到さで、他を圧している。全共闘世代に属するわたしとしては、このような仕事が、ポスト全共闘世代の大塚によってなされたことに、複雑な感慨を持たないわけにはいかない。連合赤軍事件とは、わたしを含む全共闘世代のひとびとにとって、見たくない過去、できれば忘れてしまいたい歴史の汚点に属する。……大塚の分析の新しさは、視点を連合赤軍内部の『女のディスコース』に向けている点である。そして、『女のディスコース』と『革命の論理』との齟齬をあつかうことによって、戦後反体制運動の限界をいっきょにつきぬけ、ポストモダンな『女の時代』にまで、戦後史を串刺しにしてみせた」(『上野千鶴子が文学を社会学する』朝日文庫)

この本を気になりながらも読まずにいたのは、「見たくない過去」という上野のためらいと同じものを、彼女と同世代の自分もやはり感じていたからだろう。いま刊行から10年近くたって読んだあとに、上野の見事な評につけ加える言葉を思いつかない。大塚の論点だけメモしておくことにする。

大塚は、事件とその後の報道から2つのことに注目している。ひとつは、サブ・リーダーの永田洋子が事件後、獄中で「乙女ちっく」なイラストを描くようになったこと。いまひとつは、殺された女性兵士がリーダーの森恒夫について、自分が批判されているさなかにもかかわらず「(森の)目が可愛い」と発言したこと。

この事件が起こったのは1972年だが、「乙女ちっく」なイラストも、「かわいい」という言葉の使い方も、その後の80年代の「かわいいカルチャー」を象徴するイメージであり用語であることは言うまでもない。彼らの「総括」のきっかけになったのが女性兵士の指輪や化粧やロングヘアなど「女性的なもの」への批判であったことは、事件に興味をもつ者なら誰でも知っているだろう。そのこともふまえて、大塚は事件の見取り図をこう描いてみせる。

「連合赤軍事件で殺された女性たちに共通なのは80年代消費社会へと通底していくサブカルチャー的感受性である。したがって12人が殺された山岳ベースで対立していたのは2種類の革命路線ではなく、意味を失う運命にあった男たちの『新左翼』のことばと、時代の変容に忠実に反応しつつあった女たちの消費社会的なことばであり、少なくとも4人の女性の『総括』はそのような『闘争』の結果生じたものだったのではないか。……彼女(永田)は革命思想と『かわいい』の間で逡巡し、最終的には前者の側に立つのだ」

大塚はさらに、他の男性兵士が当時はごく当たり前の「家父長的」「抑圧的」男だったのに対し、森恒夫にそのような「男性的」姿勢が希薄であることから(むろん「総括」を命じたのは彼にちがいないが)、後の「おたく」や「新人類」につながる心性を見ている。

大塚は1958年生まれだから、事件のとき中学生。「可愛い」という一言を80年代に結びつけるのにちょっと性急なところはあるけれど、同世代、あるいは同時代に事件を体験した者には思いもつかない角度から光が当てられている。これも最近読んだアメリカの若い社会学者、パトリシア・スタインホフの『死へのイデオロギー 日本赤軍派』(岩波現代文庫)のときも感じたけれど、同世代だからこそ、あるいは同時代に生きているからこそ見えないものがあるんだな、と痛切に思う。

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January 06, 2005

ガード下の風景

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年明け早々、仕事で神戸へ出かけた。神戸へ行くと、たいてい元町の愛園(上海料理)か丸玉食堂(台湾料理)に寄る。この日(5日)は迷った末に丸玉へ。あばら肉の煮込みと老麺を肴に明るいうちからいい気分になる。

震災から10年。三の宮、元町界隈はすっかり新しい街になったけれど、丸玉のあるガード下は昔のまま。われわれ世代には懐かしい戦後の匂いが残る。

ところでスマトラ沖の地震・津波は、いまだに犠牲者の数が増えつづけている(6日段階で国連などの推計で15万人)。途方もない災害で心が痛む。とりあえず自分にできることはささやかな金銭を差し出すくらいしかないので、会員になっているNGOと国連難民高等弁務官事務所に寄付をした。国連についてはいろいろ議論があるけれど、アメリカと懸命に距離を取ろうとしている姿勢はひとまず評価したい。それに比べると、小泉の自衛隊派遣はここでも米軍と歩調を合わせているようで胡散臭い。こうした大災害に自衛隊を派遣するのはいいとして、国際援助部隊に再編成する(当然、携行する武器は制限される)などの議論がなくてはと思う。

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January 03, 2005

『マイ・ボディーガード』のテンポ

クリント・イーストウッドを別格とすれば、トニー・スコットはいま、ハリウッドでアクションものを撮らせたらナンバーワンかもしれない。兄のリドリーがどちらかといえばノワールやハードボイルドの匂いをもち、時に作家性を垣間見せるのに対して、弟はハリウッドの求めるものに忠実に従いながら、しかし自分のスタイルをもって職人的な技を発揮するタイプ。だから兄はプロデューサーにエンディングを変えられた『ブレードランナー』のディレクターズ・カットをつくったけれど、スコットはそんなことに無関心だろう。

いま全盛のアクション映画のスタイルがハリウッドで生まれたのは1980年代後半だったろうか。短いカットで畳みかける怖ろしく速いテンポ。数分に1度の見せ場。絶え間ない音楽。派手な映像と音。見る者の身体感覚を揺さぶりながら息を抜く間も与えないよう計算された「ヒット作の方程式」は、ミュージック・ビデオやコマーシャルの手法を取り入れてつくられた。トニー・スコットの『トップガン』や『ビバリーヒルズ・コップ2』は、そんな新しいスタイルの初期の作品だったように思う。

僕のような古いタイプのファンの目からは、そういう映画には人間がどこにもいないと思えた。癖のある役者が癖のある人間たちを演じたロバート・アルドリッチやドン・シーゲルの映画は、そんな「方程式」から見ればなんともテンポののろい、時代遅れのアクションものに見えたに違いない。僕の見るところ、いまだに古いタイプのアクション映画にこだわり、しかも傑作をつくりつづけているのはクリント・イーストウッドくらい。

トニー・スコットは90年代の『トゥルーロマンス』や01年の『スパイゲーム』などで、それなりに完成度の高い新しいタイプのアクション映画をつくってきた。『マイ・ボディガード』もその延長線上にある。

ただ、この映画で注目したいのはブライアン・ヘルゲランドが脚本を書いていること。『LAコンフィデンシャル』や『ミスティック・リバー』がそうだったように、彼はじっくりと人間を描き込んでゆくタイプで、テンポだけのアクションとは対極のところにいる脚本家。これはプロデューサーでもあるトニー・スコットの指名だろうから、彼が今までの映画とは違うところを狙っているのが分かる。

映画の前半は、米軍特殊部隊の暗殺者の経歴をもち、アル中で自殺願望にさいなまれるデンゼル・ワシントンと、彼がボディー・ガードをつとめることになった少女、ダコタ・ファニングの出会いから心が通いあうまで。派手なシーンも動きも少ないけれど、トニー・スコットは相変わらずのテンポと短いカットの積み重ねで、2人の交流と誘拐への伏線を描いてゆく。デンゼルの心の闇、ダコタの可愛らしさ、型通りだけど悪くない。

デンゼル・ワシントンを、僕はあまり好きでなかった。かつてのシドニー・ポアティエふうというか、正義派のアフリカ系として、「ポリティカリー・コレクト」に配慮したハリウッド映画でいつも似たような役柄を演じていたから。でもメキシコシティーに向かう車のなかから、レイバーンをかけ、無精髭をはやして無表情にポポカテペトル山の印象的な姿をながめるファーストシーンから、いつものデンゼルではない。

映画の後半はアクションに次ぐアクション。誘拐をビジネスにしている汚職警官への復讐に、デンゼルの鬱屈したエネルギーが爆発する。エリート層の厳重に警護された邸宅と、貧困層のスラムと、貧富の差が極端なメキシコシティーの風景がリアル。

トニー・スコットの映像は短くテンポが速いだけでなく、常に動いている。移動撮影しながら、カメラの首を振ったり、ズーミングしたり。その2重に動いている感じが見る者に奇妙な揺らぎの感覚を与える(余談だけど、『24』シリーズの微妙に揺らぐテンポの速い映像を見たとき、あ、トニー・スコットみたいと感じた)。さらにスローやスピードアップ、多重露出やソラリゼーション(?)、マルチカメラ、16ミリ、デジタル加工など、ありとあらゆるテクニックを駆使してクライマックスに向かって走る。

クレジットで初めて気がついたけど、これ、原作はクィネルの『燃える男』なんだね。原作はイタリアが舞台で、主人公は白人、ストーリーも20年前に読んだ記憶ではずいぶん違っていたような気がする。でも、いま映画化するとしたら、確かにこうなるんだろう。

クリストファー・ウォーケン、ミッキー・ロークと、僕たちの世代には思い入れのある役者が出ているのも憎い。このタイプの映画は好みでないんだけどなと思いながら、すっかり楽しんでしまった。


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January 01, 2005

あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます

わが家の庭から見た元日の空です。昨日の雪とうって変わった青空。

ここ数年、大晦日にひとりでふらりと都心に出てぶらぶらするのが習慣になりました。昨日は銀座に出て、コーヒーを飲みながら雪のなかをゆきかう人々を1時間ほど眺め、映画(『マイ・ボディガード』)を見て帰ってきました。この映画の感想が、このご挨拶につづく「ブログ始め」になりそうです。

去年7月から、なかば自分のメモとして始めたブログですが、思いのほかたくさんの方々に見ていただいて感謝しています。また皆さんのブログからもたくさんの刺激を受けています。勝手なことばかり書いているブログですが、今年もよろしくお願いします。

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