映画『変身』の滑稽味
『父、帰る』もそうだったけれど、久しく沈滞していたロシア映画が面白くなってきた。この映画、もとは舞台で上演された芝居だったらしいが、舞台にしろ映画にしろ、カフカの『変身』を劇化しようという発想からして「買い」だ。しかも、虫になってしまった主人公ザムザを役者が素のまま演じるという。いったい、どうやって?
興味は、その一瞬に集中する。「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気懸かりな夢から眼をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変っているのを発見した」(高橋義孝訳)。映画でも、小説の冒頭のこの一節がナレーションによって語られる。
と同時に、それまで普通の男だったザムザ(エヴゲーニイ・ミローノフ)が虫になる。といっても、特殊メークしたりCGが使われるわけではない。前夜、ベッドにもぐりこんだパジャマのまま、手が左右に開き、脚は後ろに跳ね返り、関節がヒトではなく虫のようにしか動かなくなる。手脚の指先が「ワヤワヤと」うごめく。顔も昆虫が口をもそもそ動かしているみたいになり、発せられる言葉は意味をなさなくなる。
そんな状態で以後の90分、スクリーンを這い回るエヴゲーニイ・ミローノフは快演というのか怪演というのか。動きと言葉という武器を奪われて、しかも虫であることを演じて見る者を納得させるのは、並みの役者じゃない。
変身の瞬間、思わず笑ってしまった。「不条理文学」に笑いはふさわしくないかもしれないが、ミローノフの動作や表情になんともいえないおかしみを感じてしまったのだ。
その笑いを自己分析してみると、強者が自分とは無関係の弱者の滑稽さを笑ったのではないと自分では思った。ザムザの滑稽さを笑うことのなかに、自分を笑うという要素が少し含まれているように感じた。それは、冒頭の短いプロローグのなかで、すでに自分がザムザに共感してなにがしか自己を投影して見るようになっており、だからザムザの変身がいくぶんか自分のこととして感じられたからだと思える。
小説にはない、このプロローグが素晴らしい。『父、帰る』と同じようにタルコフスキーのDNAを感じさせる激しい雨のなか、長い旅に出ていたセールスマンのザムザが帰ってくる。雨滴のつたう窓ごしに、アパートの居間のテーブルで談笑する父と母、妹が見える。カメラはそのまま室内に移動して、帰ってきたザムザを迎える家族の団らんを映しだす。ザムザと妹の近親相姦の気配もある親密さ。雨音のなかで床に入ったザムザは「気懸かりな夢」を見て……。
ザムザが虫に変身した後、映画は小説の筋をわりあい忠実にたどってゆく。虫になったザムザを役者が素のまま演ずるという一点だけを除けば、映画はオーソドックスにつくられている。プラハにロケしたらしい町や墓地をザムザがひとり歩いたり、妹を自転車に乗せて走る回想シーンが美しく、ザムザが失ってしまったものへのノスタルジーがひしひしと迫ってくる。虫であるザムザは会社の上司やお手伝いばかりでなく、家族からも疎まれてゆく。ザムザが孤立すればするほど、その滑稽さは悲しみへと変わってゆく。
映画を見たのを機会に、前から気になっていた池内紀の新訳で『変身』(『カフカ小説全集』白水社、2001年)を読みなおしてみた。
新訳だから地の文やしゃべりの言葉遣いが今の口語に近くなっているのは当然として、僕が映画から感じた滑稽味は、この新訳からも感じられた。意識は昨日と変わらない自分でありながら体は虫になってしまったザムザの滑稽さを、どこか突き放して見ている気配があり、そうすることで余計に彼の悲しみが際だつようになっている。知的な諧謔小説ふうな味もあると思った。
30年以上前に読んだ記憶では、もっと不気味さと切迫した不安に満ちた小説だと思っていた。それは高橋義孝の文語的な翻訳(名訳)によるものというより、「不条理文学の傑作」という通説から読む側が勝手にそう思いこんだのにちがいない。またこちらも若かったから、不気味さや不安に過剰に反応したということもある。
池内訳から感じた滑稽さと、それゆえの悲しみが原作の味を正確に映しだしているとすると、この映画の監督であり舞台の演出家でもあるワレーリイ・フォーキンは、原作のもつ空気をそのまま舞台や映画に移したことになる。であれば、やはりザムザは特殊メークやCGではなく、素顔のまま虫に変身しなければならなかったのだ。
Comments
TBありがとうございます。
新訳は未読ですが、やはり映画に近い感じでしたか。この映画を見て、「変身」は非常に現代的な題材だと改めて思いました。カフカの先見の明と言いましょうか。
Posted by: [M] | December 15, 2004 12:13 PM
>Mさま
TB&コメント、ありがとうございます。
池内訳は今ふうな言葉遣いを避け、意外なほど古風でまっとうな翻訳でした。それでもカフカの現代性は痛いほど伝わってきます。「流刑地にて」の奇妙な処刑機械なんかも、若い監督が映画にしたらどんなになるかと夢想しました。
Posted by: 雄 | December 15, 2004 04:03 PM
はじめまして。ちょっと前からちょくちょく覗かせてもらっています。
この記事を読んで、随分前にNHKの放送で見た宮本亜門さんの舞台「変身」を思い出しました。
宮本ザムザも人間の格好のまま(舞台だから当然か)四肢を虫のように不気味に曲げ動かして表現していたのですが、鬼気迫るものがあったのを覚えています。
新訳も読みたいし、映画もみたくなりました。
Posted by: etsu_okabe | December 21, 2004 12:38 PM
>etsuさま
コメントありがとうございます。
監督(演出家)のプロフィルに、確か日本での上演とあったような気がしますから、ひょっとしたら亜門のがそれなのかも。もっとも、こちらはずいぶん映画的処理がされていますが。
こちらからもブログ、訪問させていただきます。阿部薫が好きなんて珍しいですね。私も30年ほど前に新宿ピットインで、山下洋輔トリオ+阿部薫のオールナイト・ライブを聴いたことがあります。そのすさまじさは未だに忘れられません。
Posted by: 雄 | December 22, 2004 12:57 PM