ウォルフガング・ティルマンスの色
ウォルフガング・ティルマンス(1968年ドイツ生まれ)は1990年代にロンドンで発行されていたポップ・カルチャー誌『i-D』に写真を発表して名を知られた。以来、現代写真の先端を走る写真家として、世界中の若い写真家に大きな影響を与えている。彼の日本でのはじめての個展「Freischwimmer」が東京オペラシティ・アートギャラリーで開かれている(12月26日まで)。
数点を除いて額装せず(つまり絵画的に見られることを嫌い)、3×4メートルはありそうな巨大なものからサービスサイズまで、270点近いプリント(デジタルも)がクリップで壁に直接に留められていた。その作品群は、大きくいって2つのテーマ系に分けられる。
ひとつは、ティルマンス自身の生活圏のなかで、身の回りを撮った写真群。窓辺の果物やプランターやジャムの瓶が写されている。脱ぎすてられたTシャツやジーンズが皺くちゃになっていたり、無造作に手すりにかけられている。パートナー(男性)、友人、知人たちのポートレートがある。紅葉していたり、緑だったりする街路樹や公園の風景がある。
それらは従来のジャンルでいえば「静物」だったり「ポートレート」だったり「風景」だったりするのだろうけど、そうしたジャンル分けよりも、「ティルマンスが日々のなかで見たもの」と括るほうがしっくりくる。それはティルマンスのフレーミングが、それぞれのジャンルが歴史的に積み重ねてきたフレーミングの美意識をすっとずらして、僕たちがふだん眼球というレンズでモノを見ている視野に近いフレーミングを(むろん意識的に)取っていることにもよるのだろう。
また素材に関して、同じように写真家の生活圏のなかで撮られたものでも、たとえばナン・ゴールディンの写真群が彼女が属するコミュニティーを浮かび上がらせるのともちがうし、荒木経惟の写真群が現在の東京を浮かび上がらせるのともちがう。そこからティルマンスの属するコミュニティーが見えてくるわけではないし、今のロンドンが見えてくるわけでもない。
いまひとつのテーマ系は、タイトルがそこから取られている「Freischwimmer(フライシュヴィマー。直訳すると『自由な泳ぎ手』)」という抽象的な作品群。実際にどう撮った(あるいは現像段階で操作した)のかよく分からないけど、さまざまな色をバックにライトを動かして光の航跡が捉えられている。具体的なモノが写っているのでないことでは、マン・レイらシュルレアリストが試みたフォトグラムの現代的なカラー・バージョンと考えていいのかも。
会場ではそれら抽象・具象2つのテーマ系が区分けされているわけでなく、ごった煮のようにシャッフルされて展示されている。
そこから見えてくるものは何だろうか。ティルマンスの写真は、これまで僕たちが見てきた「近代写真」の範疇ではとらえにくい、なんだかよく分からない新しい魅力をたたえている。それをうまく言葉にできないけれども、とりあえず2つのことを感じた。
ひとつは、作品群のメタ・レベルでそれらを統御している「作家」が感じられないこと。むろん、それらの写真は疑いもなくウォルフガング・ティルマンスという個性的な写真家によって撮られている。でも、たとえばナン・ゴールディンや荒木経惟が持っているようには自分の作品群をこの世界や時代のなかに意味づけようとする意志(それが「近代写真」なのかも)を感ずることがない。
ふたつめは、色について強いこだわりが感じられること。アートとしての写真が、どちらかといえば「黒&白」の世界で発展してきたこともあって(美術館は今でも褪色を理由にカラーを収集しないところが多い)、世の中で流通する写真のほとんどがカラーになったにもかかわらず、色について意識的な写真は少なかった。
1980年代に現れた「ニューカラー」はカラーについて自覚的な写真だったと思うが、ティルマンスのこだわりはもっと徹底している。世界を色を通して触覚する、とでもいうか。われわれが目にするモノにはすべて色があるのだから、それを再現するのに何の不思議もないという「自然」さを超えて、色が人間の五感に与える官能や美の感覚やリアリティーをどう再構成するかという意識に貫かれているように感じた。その点において抽象・具象2つのテーマ系は等価なのだと思った。
言い方を変えれば、「色」を媒介にして世界を感知しようとする態度こそが写真群の背後を貫く作家の意志なのかも。
Comments
はじめまして。
「落武者の行方」のfeltmountainと申します。
トラックバック有難う御座います。
まだ、全て読ませて頂いたわけではありませんが、確固たる知識に基づいてご自身の
感覚などを明確に書かれていらっしゃって、本当に読み応えがあります。
プロフィールを見させて頂いてある意味納得、という感じでした。
また、遊びにこさせて頂きます。
それでは。
Posted by: feltmountain | December 10, 2004 12:43 AM
>feltmountain様
TB&コメントありがとうございます。
この歳(四捨五入すれば60)になると、ティルマンズのような写真にすっと入り込めないで、もどかしさを感ずることがあります。過去に見た写真を参照し、なにがしかのゴタクを並べて初めて理解できる。feltmountainさんみたいに「好きなんです。感覚的に、視覚的に。それだけで充分な気がします」と言えればいいんですが。
私も衣服のシリーズがいちばん好きです。
Posted by: 雄 | December 13, 2004 12:49 PM