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December 30, 2004

『恋に落ちる確率』の再構築

世界中の、いや過去も含めこの100年間のあらゆる映画のなかで、いちばん多くつくられたのは男と女のラブストーリーだろう。

『恋に落ちる確率』の原題「RECONSTRUCTION」は「再構成」、あるいは現代思想っぽく訳せば「再構築」。1974年生まれのクリストファー・ボー監督の長編第1作は、映画のもっともありふれたテーマであり19世紀末に映画が発明されて以来無数につくられることでパターン化し、通俗化した男と女の出会い、恋、別れを「再構築」しようという意欲にあふれている。

コペンハーゲンのバーで男と女が出会う。写真家の男と、小説家の夫と一緒にこの町に来た女。しばらくすると映画は近過去に戻り、実は男と女が駅のホームで奇術師のパフォーマンスを眺めていて視線を交わし(恋のマジックにかかり)、男は恋人を置き去りにして女を追いかけてバーに来たのだと分かる。「一緒にローマに行こう」と、男は女にいきなり言う。

マジックにかかった男に奇妙なことが起こる。アパートへ戻ると、自分の部屋があるべきところにドアがない。家主を訪ねると、あんたなんか知らないと追い出されてしまう。友人も、男を知り合いでも何でもないと言う。恋人からさえ、あんたは誰? とけげんな顔をされる。住み慣れたコペンハーゲンの街で、男はいきなり異邦人になってしまう。

そんなふうに映画は時制をバラバラにし、日常の因果関係もバラバラにしながら、2人の恋を追いかける。その恋がいつの間にか現実なのか、女の夫である小説家が書いている小説のなかの出来事なのかの区別もつかなくなる。繰り返される同じシーンの意味合いが、そこへいたる近過去が語られることで少しずつズレてくる。男が墜落するシルエットのイメージ・ショットが繰り返し挿入される。

だから窓からの逆光や北欧の室内装飾など、白を基調にした粒子の粗い画面のなかで語られる2人の恋は、どこか夢幻的な色合いを帯びてくる。夢幻の世界から日常にもどると、男は恋人と、女は夫である小説家と、2つの三角関係が軋みをたてる。

その夢幻と日常が必ずしもうまく接続されてないという気はするけれど、両者をつないでいるのがコペンハーゲンの風景。人影の薄い、落ち着いた、でも寂しそうな石造りの街。黒いトレンチに肩からライカを下げた野性的な男(ニコライ・リー・カース)と、黒いコートに白いマフラーが似合う金髪美女(マリア・ボネヴィー。男の恋人と2役。この2役もマジック感を醸しだす)のカップルがいかにも似合う。

果たして男と女は一緒にローマに旅立つのか? という、これも映画の通俗的なパターンをなぞりながら、出会いと同じ駅のホームを使って見る者をドキドキさせてくれる(このシーンの移動撮影は見事)。最後はまた、ファースト・シーンと同じコペンハーゲンの街角。お話はリセットされて、男と女の糸の偶然の絡み合いが、また別の展開を予感させる。

語り尽くされたラブストーリーを「再構築」して、恋の初発の輝きをいまいちど描きなおそうとする試みは成功したのか。「YES」とは言えないけれど、ひねりの利いたラブストーリーであることは確か。

若いスタッフの経歴を見ると、プロデューサーはラース・フォン・トリアーのアシスタントをしていたり、作曲家はビョークとコラボレートしていたり。僕は2人とも好みではないけど、北ヨーロッパでの2人の存在の大きさとネットワークの広がりを感じる。


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December 26, 2004

『ランティエ。』は和風味

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創刊された『ランティエ。』(角川春樹事務所)のコンセプトは「和」らしい。『LEON』『GQ』『日経大人のOFF』『一個人』などがひしめく「大人の男性誌」市場へ割り込むために、隙間を探したらそこへ行き着いたということか。

表紙が桜、扉は注連縄(しめなわ)に朝陽、目次には鳥居や石灯籠の写真とともに「魂(にっぽん)の風物詩」「日本人論」の文字が踊る。ただ、誌名が横文字だったり(ご丁寧に「。」つき)、外国人の写真家をメーンに起用していることからも察せられるように純粋の「和」ではない。いわばヨーロッパのブランド・スーツに身を固めた男の「和」礼賛。

「総合プロデューサー」角川春樹は「退屈でない人生を求める男たちへ高等遊民(ランティエ--19世紀末パリの隠居的生活者)という新たな価値を提案するとともに、精神の無頼性、何ものにも束縛されない自由な遊び心で一生不良であり続けたい読者へメッセージを発信します」と宣言している。

つまり、金と心にゆとりのある中年男よ、日本の伝統を再発見して人生楽しもうぜ、ってことらしい。各地のお供えの写真を構成した「魂の風物詩」を巻頭に、凧や絵馬など正月習俗を写真とテキストで見せる「日本の習俗を言祝(ことほ)ぐ」、若狭三寺の千手観音を紹介した「古佛礼拝」、江戸以来の名店を紹介する「老舗総覧百五十軒 江戸~東京編」など、「和」テイストの記事が並ぶ。

写真は「古佛礼拝」など見応えがある。デザインもヴィジュアルの処理、テキストの組み、ともに悪くない。でも何かが欠けている。写真はいいけれど、ただ並んでいるだけ。テキストは味も素っ気もなく、「無頼」とか「遊び」というわりには教科書風。

そこで欠けているのは編集者の仕事だと思った。料理でいえば包丁さばきや出汁や味付けに当たる仕掛けが希薄なので、記事にコクがない。それなりの素材を、素材のままに見栄えのする盛りつけで並べただけ、という感じがしてしまう。 同じことはアンケート調査「いま『素敵な女性』『美人』『いい女』は誰だ?」にも言える。

推測するに、編集長、デスククラスに雑誌経験者を配しても、現場には経験者が少ない、あるいは外部の編集プロダクションにまかせたということかも。雑誌に大切なのは、その雑誌にしかない匂いだと僕は思っているが、読者と共有できるそんな匂いを醸しだすのが、実はいちばん難しい。創刊号にそれを求めるのは、ないものねだりかもしれないが、店構えも値段も素材も一流店の顔をしてるのに、味に決め手がない店のようだ。

ほかに気がついたことがいくつか。女性誌とちがって男性誌が「和」というと、すぐに「にっぽん」とか「日本人」とか『SAPIO』風ナショナリズムになびいてしまいがち。創刊号の「日本人論」では天下国家については避けているけれども、そこに一定の読者層がいることは確かなので、苦しくなったときに「硬派」に行く危険はあるかも。

「和」を標榜してるのにファッション・ページだけはモデルが西洋人なのが、なんとも奇妙だ。別の雑誌に紛れこんだみたいな違和感がある。若い世代向けの男性誌では日本人モデルはたくさんいるのに、50代以上ではまだ「こうなりたい」と読者に思わせるモデルがいないのか(せいぜいPAPAS止まり?)。競合誌『LEON』のモデルもみな西洋人なのを評して斎藤美奈子が言ったように、「日本のオヤジはまだ黎明期なのである」(『男性誌探訪』)。

福田和也「怪物列伝」(第1回は北大路魯山人)、荒俣宏「朱引のうちそと 江戸東京境界めぐり」の連載は読ませるけれど、コラムが物足りない。福田恒存、森茉莉の過去の名作コラムを載せていて、それは「名作」には違いないが、コラムにはやはり同時代の風が吹いてないとね。先ほど言った雑誌のコクや匂いを出す上でコラムの果たす役割は重要なのだ。

創刊号にしては広告がやや寂しいのも気がかり。この定価(680円)では、部数と広告がある程度の数字を出さないと苦しいだろう。次号を買う気は起こらないけど、1年後にどうなっているか、もういちど見てみることにしよう。


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December 21, 2004

深瀬昌久の黒

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このところタイトル(「本と映画とジャズ」)からはみ出して、写真のことばかり書いているような気がする。それだけ気になる写真展があるってことだろう。

森山大道にはじまり意欲的な写真集を次々に出版しているヒステリック・グラマーが、深瀬昌久の写真集を2冊刊行した。そのうちの1冊(『histeric Twelve』)と連動した写真展「WALKING EYE, 1983」が新宿の小さなギャラリー、PLACE Mで開かれている(12月29日まで)。

深瀬昌久といえば1960年代から70年代にかけて、妻を撮った『洋子』や、どす黒い自分のなかの闇をカラスに重ねた『烏』、80年代に入って、写真館を営む父の死の前後を撮った『父の記憶』など、自ら「私景」と呼ぶプライベートな、しかし見る者に深く突きささる作品群の作者として、森山やアラーキーと並んで常に気になる写真家だった。だが、1992年に事故によって脳挫傷の障害を負い、以後、作家としての活動は休止したままだ。

今回の写真展は1983年に「歩く眼」というタイトルで雑誌に連載されたもの。コントラストのくっきりした、ほれぼれするオリジナル・プリントが展示されている。

なにより面白かったのは、「歩く眼」というタイトルが示す通りに、写真家の眼が歩きながら何に反応し、どんなフレーミングでシャッターを押すのか、写真家という生きものの生理的な反射神経がそのまま作品化されているように思えたことだった。

ふつう写真家が写真を撮るとき、媒体の求めに応じて、あるいはそうでなくても写真家自身によって何らかのコンセプトが設定され、それに相応しいモチーフが選ばれることが多い。ところが深瀬昌久は、このシリーズではどんなコンセプトも、どんなスタイルもあらかじめ決めていないように見える。

どうやらかつて深瀬自身が暮らした場所を訪ね歩いているらしいが、それはただのきっかけにすぎず、写真の上にどんな痕跡も残していない。バブルへの助走を始めた時代に撮影されているにもかかわらずその気配さえ写っていない(そういう場所に住んでいなかった)ことも興味深いが、かつて暮らした場所を再訪しながら、写真家の「歩く眼」が本能的に反応したものにカメラを向け、その生理に従ってシャッターを押しているように思える。だからこそ写真家の意識によってコントロールされない裸の眼が露わにされているのだろう。

コンクリートがひび割れた公団住宅の壁の脇で、ゴム弾遊びをしているらしい女の子がいる。路面すれすれに低く飛ぶカラスの黒い姿がある。すれちがいざまシャッターを押したらしい、画面いっぱいに風になびく女性の髪の生々しいショットがある。闇のなかでモルタル壁の配管が街灯の光を浴びて光っている。

あるいはまた、人気のない公園のブランコが写っている。強い日差しを受けて白茶けた地面には、ブランコとチェーンとそれを支える鉄パイプとがくっきりと濃い影を落としている。その影の黒さは、プリントでは影を生み出している鉄パイプ自体の黒と区別がつかない。だから印画紙の平面上では、質量をもった実体である鉄パイプと、質量をもたないその影とが全く等価な黒として定着されている。そうした実体と影がひとつの黒となって織りなす奇妙な形が、現実とは異なる「もうひとつの世界」を予感させる。

この「歩く眼」が好んで反応するのは、日常のなかに、かすかにのぞいている裂け目のようなものに対してだ。その裂け目を、光と影のマジックで印画紙の上に拡大して、ほら、裂け目の向こうにはこんな異界があるよ、と見る者に誘いかけてくる。そうした「歩く眼」の生理の背後には、深瀬昌久がかつて暮らした場所で喚起された黒々とした記憶の海が横たわっていることは言うまでもない。そうした意味で、深瀬昌久はまぎれもなく1960年代の感性と精神を核心に抱えこんだ写真家だと思った。

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December 17, 2004

永遠の不良少年 ラリー・クラーク

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作品もすごいけど、作品をつくりだした作者がそれ以上に時代の縁を綱渡りして生きているようなとき、安全地帯にいて作品についてあれこれ言うのはなんだか上っ面を撫でているような無力感に襲われる。小説でいえばチャールズ・ブコウスキーがそうだし、写真家のラリー・クラークも同様だ。

チェロキー・インディアンの血、10代でのドラッグ中毒、拳銃不法所持、服役、12年に及ぶ沈黙、再度のヘロイン中毒、絶えざる喧嘩と中傷、37歳年下の恋人。彼が発表した6冊の写真集と5本の映画よりもラリー・クラークの存在そのもののほうが、この50年間のアメリカ社会のエッジを露わにしてみせているように思える。そんな彼の展覧会「パンク・ピカソ」が青山のワタリウム美術館で開かれている(05年1月30日まで)。

展示されているのは「作品」ばかりではない。家族の写真(純血のチェロキー族だった祖母の盛装が美しい)、お気に入りのレコード・コレクション(ビリー・ホリディ『レディ・シングズ・ザ・ブルース』やコルトレーンの『バラード』)、自身の裁判や自作に出演した少年の自殺記事など新聞のスクラップ、リバー・フェニックスの雑誌グラビアの切り抜き、映画の小道具や出演したティーンエイジャーたちのポラロイド、中年をすぎて熱中したスケートボード、走り書きのメモやファクスにいたるまで248点。

それらが、「作品」以上に存在感をもつラリー・クラークの生きてきた軌跡を僕らに語りかけてくれる。なかでも、ラリーが自分の映画に起用したかったリバー・フェニックスの大量の切り抜きが興味をそそる。

リバーが23歳でLAの路上で死んだ後、ラリーはこれらの切り抜きを集めて本をつくったという。リバーはラリーと同じくドラッグ中毒だったらしいけど、常にティーンエイジャーを素材にしてきたラリーの写真や映画にとって、リバー・フェニックスは失われたアイドルとして見果てぬ夢のような存在だったのだろうか。

『キッズ』などの映画(未見)については資料が展示されているだけだが、写真家としての作品は展示されている。1960年代のアメリカの田舎町で、麻薬と暴力とセックスの青春を自分も仲間のひとりとして記録した『タルサ』(1971)。その後、拳銃不法所持と服役をはさんだ十数年の、やはりドラッグとセックスの日々のドキュメントである『ティーンエイジ・ラスト』(1983)。

当時、性器やセックス・シーンが写っている写真はスキャンダルとなり、いくつかの州で販売禁止になった。それらも含めて、この2冊の写真集でラリーに写しとめられたティーンエイジャーたちは数十年の歳月を経てなおみずみずしい。

車のシートでペニスを立てている少年も、そのペニスをにぎっている少女も、スキャンダラスどころか、今となっては静かな、とでも呼べそうな光を受けて青春の一瞬の輝きを放っている。展示されている点数は少ないけれど、写真集とは別カット(僕が持っているのは2冊ともTaka Ishii Gallery発行の日本版)が選ばれているのも嬉しい。

90年代に入って、ラリーの仕事の重心は写真よりも映画に移ったようだが、ニューヨークのストリート・キッズを撮ったその時代の作品と併せ見ても、少なくとも写真に関する限り、ラリー・クラークは自らのスタイルや手法にはほとんど関心を示していないように見える。

まず生きることが先決であり、ティーンエイジャーたちと交わることこそが大切で、彼らをどう撮るかについては、ただ好きなように撮っているだけというふうに思える。アートとしての完成度を高めたり、方法を意識化しようとはしていない。それが彼のいさぎよさであり、だからこそ写真や映画作品以上にラリー・クラークの生き方そのものが「作品」になっているのだと感じられる。

60歳を過ぎた最近の作品--9・11に貿易センターが崩壊する瞬間をマンハッタンの自宅から撮った写真、37歳年下の恋人のヌード、ストリート・キッズたち--も展示されている。ラリー・クラークは筋金入りの、永遠の不良少年だ。

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December 14, 2004

映画『変身』の滑稽味

『父、帰る』もそうだったけれど、久しく沈滞していたロシア映画が面白くなってきた。この映画、もとは舞台で上演された芝居だったらしいが、舞台にしろ映画にしろ、カフカの『変身』を劇化しようという発想からして「買い」だ。しかも、虫になってしまった主人公ザムザを役者が素のまま演じるという。いったい、どうやって?

興味は、その一瞬に集中する。「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気懸かりな夢から眼をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変っているのを発見した」(高橋義孝訳)。映画でも、小説の冒頭のこの一節がナレーションによって語られる。

と同時に、それまで普通の男だったザムザ(エヴゲーニイ・ミローノフ)が虫になる。といっても、特殊メークしたりCGが使われるわけではない。前夜、ベッドにもぐりこんだパジャマのまま、手が左右に開き、脚は後ろに跳ね返り、関節がヒトではなく虫のようにしか動かなくなる。手脚の指先が「ワヤワヤと」うごめく。顔も昆虫が口をもそもそ動かしているみたいになり、発せられる言葉は意味をなさなくなる。

そんな状態で以後の90分、スクリーンを這い回るエヴゲーニイ・ミローノフは快演というのか怪演というのか。動きと言葉という武器を奪われて、しかも虫であることを演じて見る者を納得させるのは、並みの役者じゃない。

変身の瞬間、思わず笑ってしまった。「不条理文学」に笑いはふさわしくないかもしれないが、ミローノフの動作や表情になんともいえないおかしみを感じてしまったのだ。

その笑いを自己分析してみると、強者が自分とは無関係の弱者の滑稽さを笑ったのではないと自分では思った。ザムザの滑稽さを笑うことのなかに、自分を笑うという要素が少し含まれているように感じた。それは、冒頭の短いプロローグのなかで、すでに自分がザムザに共感してなにがしか自己を投影して見るようになっており、だからザムザの変身がいくぶんか自分のこととして感じられたからだと思える。

小説にはない、このプロローグが素晴らしい。『父、帰る』と同じようにタルコフスキーのDNAを感じさせる激しい雨のなか、長い旅に出ていたセールスマンのザムザが帰ってくる。雨滴のつたう窓ごしに、アパートの居間のテーブルで談笑する父と母、妹が見える。カメラはそのまま室内に移動して、帰ってきたザムザを迎える家族の団らんを映しだす。ザムザと妹の近親相姦の気配もある親密さ。雨音のなかで床に入ったザムザは「気懸かりな夢」を見て……。

ザムザが虫に変身した後、映画は小説の筋をわりあい忠実にたどってゆく。虫になったザムザを役者が素のまま演ずるという一点だけを除けば、映画はオーソドックスにつくられている。プラハにロケしたらしい町や墓地をザムザがひとり歩いたり、妹を自転車に乗せて走る回想シーンが美しく、ザムザが失ってしまったものへのノスタルジーがひしひしと迫ってくる。虫であるザムザは会社の上司やお手伝いばかりでなく、家族からも疎まれてゆく。ザムザが孤立すればするほど、その滑稽さは悲しみへと変わってゆく。

映画を見たのを機会に、前から気になっていた池内紀の新訳で『変身』(『カフカ小説全集』白水社、2001年)を読みなおしてみた。

新訳だから地の文やしゃべりの言葉遣いが今の口語に近くなっているのは当然として、僕が映画から感じた滑稽味は、この新訳からも感じられた。意識は昨日と変わらない自分でありながら体は虫になってしまったザムザの滑稽さを、どこか突き放して見ている気配があり、そうすることで余計に彼の悲しみが際だつようになっている。知的な諧謔小説ふうな味もあると思った。

30年以上前に読んだ記憶では、もっと不気味さと切迫した不安に満ちた小説だと思っていた。それは高橋義孝の文語的な翻訳(名訳)によるものというより、「不条理文学の傑作」という通説から読む側が勝手にそう思いこんだのにちがいない。またこちらも若かったから、不気味さや不安に過剰に反応したということもある。

池内訳から感じた滑稽さと、それゆえの悲しみが原作の味を正確に映しだしているとすると、この映画の監督であり舞台の演出家でもあるワレーリイ・フォーキンは、原作のもつ空気をそのまま舞台や映画に移したことになる。であれば、やはりザムザは特殊メークやCGではなく、素顔のまま虫に変身しなければならなかったのだ。

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December 08, 2004

白川勝彦さん、職質を受ける

元自民党の国会議員で国家公安委員長も務めた白川勝彦さん(現在は弁護士)が、渋谷の道玄坂で4人の警察官に取りかこまれ、執拗な職務質問を受けた体験を細かにHPに記している。その日、風邪で寝ていた白川さんは「むさい格好」をしていたというが、4人(渋谷署の警察官)が数十分にわたって白川さんを取り囲んで逃げられないようにし、ポケットの中を見せろと、ズボンの上から白川さんを触った。

これはむろん違法で、白川さんは最後には渋谷署まで行き、身分が判明したのち元国家公安委員長として(?)こんな職務質問を行ってはならないと説諭するのだが、その経緯から「このような職務質問が一般的かつ日常的に行われていることの証拠」と結論づけている。「忍び寄る警察国家の影」と題されたこの長文のレポート、読み物としても、またこういう場合どう対処したらいいかという「実用」としても、そして「熱烈な自由主義者」白川勝彦の考えを知る上でも興味深い。白川さんも心配するように、今のこの国はかなりやばいところまで来ている。一読をお勧めします。

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December 07, 2004

ウォルフガング・ティルマンスの色

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ウォルフガング・ティルマンス(1968年ドイツ生まれ)は1990年代にロンドンで発行されていたポップ・カルチャー誌『i-D』に写真を発表して名を知られた。以来、現代写真の先端を走る写真家として、世界中の若い写真家に大きな影響を与えている。彼の日本でのはじめての個展「Freischwimmer」が東京オペラシティ・アートギャラリーで開かれている(12月26日まで)。

数点を除いて額装せず(つまり絵画的に見られることを嫌い)、3×4メートルはありそうな巨大なものからサービスサイズまで、270点近いプリント(デジタルも)がクリップで壁に直接に留められていた。その作品群は、大きくいって2つのテーマ系に分けられる。

ひとつは、ティルマンス自身の生活圏のなかで、身の回りを撮った写真群。窓辺の果物やプランターやジャムの瓶が写されている。脱ぎすてられたTシャツやジーンズが皺くちゃになっていたり、無造作に手すりにかけられている。パートナー(男性)、友人、知人たちのポートレートがある。紅葉していたり、緑だったりする街路樹や公園の風景がある。

それらは従来のジャンルでいえば「静物」だったり「ポートレート」だったり「風景」だったりするのだろうけど、そうしたジャンル分けよりも、「ティルマンスが日々のなかで見たもの」と括るほうがしっくりくる。それはティルマンスのフレーミングが、それぞれのジャンルが歴史的に積み重ねてきたフレーミングの美意識をすっとずらして、僕たちがふだん眼球というレンズでモノを見ている視野に近いフレーミングを(むろん意識的に)取っていることにもよるのだろう。

また素材に関して、同じように写真家の生活圏のなかで撮られたものでも、たとえばナン・ゴールディンの写真群が彼女が属するコミュニティーを浮かび上がらせるのともちがうし、荒木経惟の写真群が現在の東京を浮かび上がらせるのともちがう。そこからティルマンスの属するコミュニティーが見えてくるわけではないし、今のロンドンが見えてくるわけでもない。

いまひとつのテーマ系は、タイトルがそこから取られている「Freischwimmer(フライシュヴィマー。直訳すると『自由な泳ぎ手』)」という抽象的な作品群。実際にどう撮った(あるいは現像段階で操作した)のかよく分からないけど、さまざまな色をバックにライトを動かして光の航跡が捉えられている。具体的なモノが写っているのでないことでは、マン・レイらシュルレアリストが試みたフォトグラムの現代的なカラー・バージョンと考えていいのかも。

会場ではそれら抽象・具象2つのテーマ系が区分けされているわけでなく、ごった煮のようにシャッフルされて展示されている。

そこから見えてくるものは何だろうか。ティルマンスの写真は、これまで僕たちが見てきた「近代写真」の範疇ではとらえにくい、なんだかよく分からない新しい魅力をたたえている。それをうまく言葉にできないけれども、とりあえず2つのことを感じた。

ひとつは、作品群のメタ・レベルでそれらを統御している「作家」が感じられないこと。むろん、それらの写真は疑いもなくウォルフガング・ティルマンスという個性的な写真家によって撮られている。でも、たとえばナン・ゴールディンや荒木経惟が持っているようには自分の作品群をこの世界や時代のなかに意味づけようとする意志(それが「近代写真」なのかも)を感ずることがない。

ふたつめは、色について強いこだわりが感じられること。アートとしての写真が、どちらかといえば「黒&白」の世界で発展してきたこともあって(美術館は今でも褪色を理由にカラーを収集しないところが多い)、世の中で流通する写真のほとんどがカラーになったにもかかわらず、色について意識的な写真は少なかった。

1980年代に現れた「ニューカラー」はカラーについて自覚的な写真だったと思うが、ティルマンスのこだわりはもっと徹底している。世界を色を通して触覚する、とでもいうか。われわれが目にするモノにはすべて色があるのだから、それを再現するのに何の不思議もないという「自然」さを超えて、色が人間の五感に与える官能や美の感覚やリアリティーをどう再構成するかという意識に貫かれているように感じた。その点において抽象・具象2つのテーマ系は等価なのだと思った。

言い方を変えれば、「色」を媒介にして世界を感知しようとする態度こそが写真群の背後を貫く作家の意志なのかも。

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December 04, 2004

山崎ナオコーラはいい

今年の文藝賞受賞作、山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)に、こんな描写があった。

「空は透度が高い。/吸い込まれそうだ。/ブラジャーの中の乳首のように、オレを引っ張る」

「オレ」は絵を勉強している19歳の専門学校生。女の子が自分を「オレ」と呼んでるわけではないし、男の子がブラジャーをつけて女装しているわけでもない。ごく当たり前の男の子が電車の窓から空を見上げている場面。

文章を1行ごとに改行しているから、センテhttp://www.blacklab-morphee.com/blog/tt_tb.cgi/121ンスを際立たせたいという意図があるのだろう。そこで山崎ナオコーラは、「ブラジャーの中の乳首」という女の子にしか分からない感覚でもって男の子の気持ちを語っている。普通はこういうことしないよね。

最近の小説はゲイと女の子とか、ゲイ同士とか、ピアス・フリークとか特異なカップルがいろいろ登場するけど、描写に関しては、ゲイならゲイの心と行動に沿って、フリークならフリークの心と行動に沿って、特異は特異なりに、普通は普通なりにそれぞれのコードに従って記述される。ところが山崎ナオコーラは確信犯的に、しかも軽々と誰も破らなかったそのコードを侵してしまっている。そこが面白い。

そういえば山崎ナオコーラというペンネーム(日に500mlのコーラを1、2本飲むコーラ好きらしい)も、『人のセックスを笑うな』というタイトルも、かなりヘンだ。だけどヘンであることを挑戦的に主張しているわけでもない。「ブラジャーの中の乳首」みたいな描写がたくさん出てくるわけでもない。当たり前のような顔をして、でもしれっとヘンなことをしている。

内容は19歳の「オレ」と、美術の先生である39歳の「ユリ」との恋物語。20代半ばの作者が、19歳の「オレ」と39歳の「ユリ」になりきって不自然さを感じさせない。素直に読む者を納得させる。

「恋してみると、形に好みなどないことがわかる。好きになると、その形に心が食い込む。そういうことだ。オレのファンタジーにぴったりな形がある訳ではない。そこにある形に、オレの心が食い込むのだ。/あのゆがみ具合がたまらない。忘れられない/三日と置かず、会いたくなった」

思わずうなずいてしまう洞察力。綿谷りさのような正統派ではないし、金原ひとみみたいに個性がほとばしるタイプでもないけれど、さらさらと流れる透明な水のような文章が気持ちよい。楽しみな作家がまた現れた。

関係ないけど、作者はどうやら僕と同じJR駅を使っているらしい。会社務めということだから、駅のホームですれちがっているかもしれない。

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December 01, 2004

続『灰とダイヤモンド』の謎

スタンダード・サイズだとばかり思っていたポーランド映画の名作『灰とダイヤモンド』が、実はヴィスタ・サイズだったのかもしれないという疑問を先日書いた(11月6日「『灰とダイヤモンド』の謎」)。その後の話。

なにはともあれ、インターネットでいくつかの映画データベースを当たってみた。でも、どのデータベースも公開時の画面サイズまでは書いてない。そこで早稲田大学図書館へ行く用事ができたついでに、『キネマ旬報』のバックナンバーを調べてみることにした(関係ないけど、全館開架式になったこの新しい図書館の使い勝手は素晴らしい)。

そしたら、なんと「製作58年 黒白ビスタビジョンサイズ」とあるではないか(1959年9月1日号、岩淵正嘉「戦後ポーランド映画10選」)。

『灰とダイヤモンド』はヴィスタビジョン・サイズだった! じゃあ僕が繰り返し見たスタンダード・サイズの『灰とダイヤモンド』は何だったんだ? 「フレームの隅々まで計算された構図」なんて書いた(実際、長いことそう思っていた)のは、実はヴィスタサイズの左右を適当にちょんぎった画面についてそう言っていたわけなのか。そう思うと、がっかりしてしまった。

そもそもヴィスタビジョンとは何なのか? 「映画はこうなっている」というHPの「ワイドスクリーンの研究」によると、こういうことらしい。1950年代、テレビの普及で観客減に見舞われたアメリカ映画界はスクリーンのワイド化でこれに対抗し、シネラマやシネマスコープが生みだされた。パラマウントが開発したヴィスタビジョンも、そうしたワイド・スクリーンのひとつだった。

ヴィスタ・ビジョンはシネラマやシネスコに比べ画質は飛び抜けて良かったのだが、横長の比率が低かったために(シネラマの縦横比率1:2.88、シネスコ1:2.37に対し、ヴィスタは1:1.85)ワイド化競争に負けてしまう。なぜ1:1.85の縦横比率かというと、これが人間の視野にいちばん近い自然なサイズという理由。ビデオ戦争のベータもそうだが、良心的技術が得てして敗北するというのは歴史の教訓か。

その後、現在までつづくヴィスタサイズは、専用レンズを使って撮影するパラマウント開発のヴィスタビジョンではなく、スタンダードサイズで撮影したものの上下をちょんぎって1:1.85にしたもの。

では、僕が見たスタンダード・サイズの『灰とダイヤモンド』は何だったのか? 想像するに、ヴィスタビジョンがワイド化競争に負けた結果、世界的にヴィスタを上映する映画館が減ってしまった。そこでやむなく、本来のヴィスタ・サイズの左右をちょんぎってスタンダード・サイズでプリントし直したものを流通させることにした。多分、そういうことなのだろう。

となると、次の疑問が湧く。僕たちがスタンダード・サイズだと思っているこの時代の映画で、実はヴィスタサイズのものがあるのではないか。『灰とダイヤモンド』を製作したポーランドの国立製作会社カードルでも、ヴィスタのレンズを購入した以上、他にもヴィスタで撮った名作があるのではないか。

そんなことを考えながら気を取りなおして、冒頭を見ただけで止めてしまったヴィスタ・サイズの『灰とダイヤモンド』を改めて見てみることにした。結果、スタンダード・サイズで気になったようには、画面の美学的構成に意識が行かず、その分、内容にすっと入っていけるような気がした(本来はヴィスタだったと分かったとたんに、現金なもんだ)。でも久しぶりにマチェックに会って、ラストの悶えるように息絶えるシーンには、やっぱりシンとなってしまったのだった。

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