ノーダール・プレイズ・ミンガス
ペーター・ノーダールを食わず嫌いだった。ヨーロッパ・ジャズ、それもピアノ・トリオが流行りはじめたころ、何人かをちょっと聴いただけで止めてしまった。癒し系のヤワなジャズだからというより、スタンダードをお定まりのフレーズで聞かせるだけなのが多く、すぐに飽きてしまったような気がする。ペーター・ノーダールもそういうひとりだと思っていた。
それなのに新作「THE NIGHT WE CALL IT A DAY」(ARIETTA)を買ったのは、9曲のうち4曲でチャールス・ミンガスの曲を取り上げていたから。へえーっ、という驚き。
チャールス・ミンガスといえば、その代表作『直立猿人』は1960年代の学生時代にジャズ喫茶に長時間たむろしていると、たいてい一度はかかった。「前衛ジャズ」と呼ばれた実験的な音と、アフリカ系を差別するアメリカ社会への挑戦的なメッセージをもった音楽だった。そんな熱いミンガスを、クールで叙情的なノーダールがどう弾くのかという興味。
ノーダールはまず、ミンガスの「前衛的」な部分をきれいに捨てた。これはうなずける。いま聴くと、不協和音にみちた当時の「前衛ジャズ」の音が、いささか時代からずれて聞こえるのは仕方がない。それだけでなくノーダールは、ミンガスのブルース・フィーリングやグルーブ感(ミンガス・グループは少人数なのに時にオーケストラのように聞こえる)までも捨てた。その結果残ったのは、なんとも魅力的な旋律を生みだすメロディー・メーカーとしてのミンガス。
取り上げた4曲はいずれもバラードだけれど、「Weird Nightmare」にかすかなブルース・フィーリングを感ずる以外、どの曲も穏やかで、え? これがミンガス? と、思わずつぶやいてしまう。そんな可憐とさえいえるような表情を見せている。うーん、ミンガスはこんなきれいな曲を書いていたのか。これは発見だった。
そう思って久しぶりに『直立猿人』を聴いてみると、改めてミンガスの曲が美しいメロディー・ラインをもっていることを確認することになる。「直立猿人」で2本のサックスがケモノの咆吼のように吼えまくった後、一転してジャッキー・マクリーンがかすれたトーンで憂いにみちたメロディーを吹きはじめるあたりは、何十回、いや何百回聞いてもしびれる瞬間だ。
「Profile of Jakie」も「Love Chant」も、いま聴くと実験的というよりファンキー・ジャズのように聞こえるけれど、メロディだけを取りだしてみると、なんとも都会的な洗練と憂愁の香りがする。でも当時はミンガスのそんな部分よりも、「前衛」としての攻撃的な音に興味が行っていた。
ノーダールの弾くミンガスは、彼の強烈なブルース・フィーリングをここまで漂白してしまっていいの、という気もするけれど、それによってミンガスの繊細で心にしみるメロディーに光が当てられたのなら、それもまたアリ。
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