『灰とダイヤモンド』の謎
数カ月前、NHK-BSで『灰とダイヤモンド』をやっていたのでDVDに録画した。この映画は何回見ているか分からないけれど、しばらくぶりにマチェック(ズビグニエフ・チブルスキー演ずる主人公のテロリスト)に会おうと思って冒頭の画面を見てびっくりしてしまった。ヴィスタ・サイズではないか!
ヴィスタ・サイズ(a)
アンジェイ・ワイダ監督のこの名作を僕は公開時(1959年)ではなく、60年代後半に名画座で見た。その後、テレビも含めて4、5回は見ている。僕の記憶ではすべてスタンダード・サイズだった。念のため、昔NHKで放映したのを録画したビデオを確認したら、やっぱりスタンダード・サイズだ。
スタンダード・サイズ(b)
いったい、どうなってるんだ?
もっとも、かつてはスタンダード・サイズの画面の上下をちょんぎってヴィスタ・サイズで上映することは時々あった。もともとはスタンダードのものを商業的な要請でヴィスタ・サイズにプリントしたり、時にはスタンダード・サイズのフィルムを上映館の映写機の都合で上下にマスクをかけてヴィスタにしたこともあったのかもしれない(スタンダードのフィルムをヴィスタの映写機にかけられるのかは知らないけど)。
今回のNHK-BSも、そういうことなのかと思った。ところが両方の画面を比べてみると、ヴィスタ(a)には、スタンダード(b)にはない部分が映っているではないか。スタンダードではマチェック(左)は首までしか映ってなく、仲間(右)は耳で切れている。ところがヴィスタではマチェックの首の下のシャツが映っているし、仲間は頭がすべて映っているうえに背後の草むらまで見えている。ということは、ヴィスタ(a)からスタンダード(b)をつくることはできても、スタンダード(b)の上下をちょんぎってヴィスタ(a)にすることはできない。
つまり、『灰とダイヤモンド』はもともとスタンダードではなく、ヴィスタだったのか?
映画を見ていない人は、そんな些細なことどうだっていいじゃないと思うかもしれない。でも、『灰とダイヤモンド』は古典と言っていい名作だ。僕が生涯に見た映画のベストテンをつくれば、必ず(しかも上位に)入ってくる。光と影のコントラストが鮮やかで、フレームのすみずみまで配慮のいきとどいたモノクロームのスタンダード画面。僕のなかでは、そう記憶されている。
たとえば『第3の男』や『市民ケーン』がヴィスタ・サイズだったら、どうだろうか。映画の印象はずいぶん変わってくるにちがいない。それと同じことだ。
NHKに往復はがきで訊ねてみた。答えは、1995年にヘラルドがリバイバル公開した際にはヴィスタ・サイズで、今回放映のフィルムはそのときのもの、それ以上詳しいことは分からない、とのこと。
とすると、ヌーヴェル・ヴァーグに影響を与えた当時のポーランド映画の傑作群は、ひょっとしてヴィスタ・サイズだったのか? 50年代から60年代のポーランド映画は、たいていカードルという国立の製作会社でつくられている(映画の冒頭、カチカチッというタイプライターの音とともに「KADR」と文字が打たれるのが印象的だった)。ヴィスタで撮影するには専用のカメラ(レンズ?)が必要だから、カードルが機材を購入したのなら、ほかの映画もヴィスタということはありうる。
ちなみに手元にある当時のポーランド映画のビデオをチェックしてみた。アンジェイ・ワイダ監督の『地下水道』(1957)も『夜の終わりに』(1960)も、イェジー・カワレロウィッチ監督の『影』(1956)も『夜行列車』(1959)も、すべてスタンダード・サイズだった。手元にないが、『パサジェルカ』がシネスコだった以外、『20歳の恋』も『水の中のナイフ』(ポランスキーの処女作)もスタンダードだったように思う(うーん、どの映画も何度見たことだろう)。
『灰とダイヤモンド』は本当にヴィスタ・サイズだったのか。謎だ。
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