マン・レイ 欲望全開
マン・レイが写真だけでなく絵を描きオブジェもつくるアーティストであることは知られていたし、過去の展覧会でも部分的に見ることができたけれど、今回の展覧会はその全貌を見せてくれた(「マン・レイ展 『私は謎だ。』」埼玉県立美術館、10月27日まで)。
写真はもちろん、油彩、デッサン、イラストレーション、ブロンズ、オブジェ、映画、ポスター、書籍やパンフレットなど印刷物にいたるまで、マン・レイの60年近い活動のすべてが見渡せるように展示されている。
面白かったのは、マン・レイの作品がその時々に生活していた場所と、一緒に暮らした女性に大きく左右されていること。あの街に住んで、あの女(美女ばかり)に惚れて、だからあの作品ができたのか、っていうのが手に取るように分かる。
ブルックリン育ちのロシア系ユダヤ人、若きマン・レイがベルギーから来た詩人のアドン・ラクロワに惚れたニューヨーク時代(「ドンナの肖像」)。憧れのパリに渡り、有名なモデルのキキ・ド・モンパルナスと同棲(「ヴェールをかぶって座るキキ」)。やがてキキと別れ、写真家志望のモデル、リー・ミラーとも同棲したパリ時代(「天文台の時刻に」)。
マン・レイを踏み台にした野心的なリーに去られ、夏をコート・ダジュールで過ごすうちに「カフェ・オレ色の肌」のダンサー、アディと暮らすようになった南仏時代(「アディの肖像」)。第2次大戦が始まってフランスを去り、ロサンジェルスに到着したその日に出会って、亡くなるまで暮らすことになるモデルのジュリエット・ブラウナーとのハリウッド時代(「スペイン風の手」)。
これにパリ時代のクールなシュルレアリストの美女、メレット・オッペンハイム(「エロティックな-ヴェールをまとう」。彼女とは何もなかったんだろうか?)と、ポール・エリュアールの妻、ニュッシュ(「容易」。彼女とは?)を加えれば、マン・レイが撮ったり描いたりした女性ポートレートやヌードの名作の大半はカバーできてしまう。
展覧会ポスターに使われた「天文台の時刻に」(空に巨大な赤い唇が浮かんでいる)は、別れた恋人リー・ミラーの唇で、熱愛していた女に去られたマン・レイの狂おしい思いがなまなましい。対照的にキキやアディの写真には、親密で楽しげな空気が満ちあふれている。パリへ戻った晩年、新進女優カトリーヌ・ドヌーブや、モナリザと同じポーズで撮った宮脇愛子のポートレートも美しい。
ソラリゼーションやレイヨグラフといった写真の実験、ユーモラスでエロティックなオブジェにフィギュア、好奇心のおもむくままに混然としたスタイルの油彩やスケッチを見ていると、シュルレアリスムの前衛というより、手仕事の好きな仕立屋の息子がいくつになってもおもちゃを自作している、といった風情。まあ、この時代のシュルレアリストは、ダリにしろブニュエルにしろ、みな似たような趣がある。
いくつもの街に住み、たくさんの女と愛憎を繰り返し、死ぬまでおもちゃをつくりつづけたマン・レイは、欲望全開のまま20世紀を駆けぬけた幸せなアーティストだった。
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