島尾伸三の脳内風景
ページをめくる行為が、そのまま作者の内的なリズムや感覚に結びついている。そんな稀な体験をもたらしてくれたのが、島尾伸三写真集『中華幻紀』(ワールドフォトプレス)。
最初の見開きには「バス車中」と大きな文字があり、停留所で乗り降りする人々の白いシャツがブレて写っている。「とっくに/朝は/始まって/いて、」と、短い言葉が添えられている。
次の見開きは、路上の店先。プラスチック人形や日本製らしい刀が売られている。「駄菓子屋」と見出しがあり、「夢中から/醒めぬまま光に包まれ、」の短文。
三番目の見開きには、門前で獅子舞の音楽を鳴らす少年たちと、古い建物の2点の写真。「澳門街角」の見出しと、「朝が来るたびに/死から蘇る神経は、/覚醒に無頓着のままです」の短文。
写真と見出しと短文が、見開きごとにワンセットになっている。写真は香港、澳門(マカオ)、広州、上海など中国の都市。見出しは、その写真を説明するものもあり、「温度差」「消滅速度」など写真の「内面」を言葉に置き換えたものもある。短文は写真や見出しと関係ありそうでも、なさそうでもあり、読点(、)で見開きから見開きへとつながってゆく。
例えば、「時として、/幻覚は現実に勝る実感(リアリティー)を/第3信号系にもたらし、」「現実もまた幻覚に似て、/蒙昧とした快感を伴い、」「神経系は実在の肉体を/置き去りにして、」……
写真と見出しと短文とが、微妙にからみあう。そこから現れてくる風景は、別の世界から来るような光と色につつまれていて、現実のようでもあり、幻覚のようでもある。写っているのは確かに中国の街角や人々なのに、そこに質量の実体があるようには感じられない。
そう思ったとき、これは島尾伸三の大脳皮質に蓄積された映像と言葉の記憶なのだなと分かった。確かな因果関係から漂い出て、夢のようにつながっている断片。見る者は、まるで写真集のページをめくるように島尾伸三の脳内の風景をながめている。
島尾伸三とパートナーの潮田登久子は、1980年代から中国の町々を歩いてきた。その体験は写真集『中国庶民生活図引』(共著)や『香港市民生活見聞』(島尾著)にまとめられている。どちらかといえば中国・香港の生活図鑑的なものだったけれど、その間、島尾はこんな魅力的な夢をずっと見つづけていたのだった。
<追記>島尾、潮田と、2人の娘でまんが家のしまおまほの3人展「まほちゃんち」が10月23日から水戸芸術館現代美術ギャラリーで開かれる。島尾の写真「まほちゃん」「季節風」、潮田の写真「冷蔵庫」「HATS」と2人の「中国庶民生活百科遊覧」、しまおまほの「まほちゃんの部屋」などで構成される、楽しそうな「家族展」。3人のホームページもある。
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