ケータイと監視カメラの未来
斉藤貴男『安心のファシズム--支配されたがる人びと』(岩波新書)を読んでいたら、ケータイと監視カメラの未来がこんなふうに描かれていた。
ケータイは、アメリカの軍事衛星を使って持ち主の位置を特定するGPS(Global Positioning System)が現在もう実用化されており、徘徊老人や外回りの営業・運転手の「管理」に使われている。
このGPSと顧客情報データベースを組み合わせれば、持ち主が「いま、どこにいて、なにをしたいか」に応じて、近くの好みのレストランとか、その時々の情報がケータイに届けられる。それと似たシステムとして、小田急では自動改札機とケータイを組み合わせ、定期券で駅を出た利用者のケータイにショップ広告なんかを流すことを計画している。
いま政府が計画している「ユニバーサル社会創造法案」では、道路や電柱、住居表示板にICチップを埋め込むことによって、GPSよりもずっと精密にケータイ所有者の位置を特定できるようになる。それによって高齢者や障害者のケータイに目的地までの経路や情報を届け、バリアフリー社会をつくるというのだが、もちろんこれは犯罪捜査に転用すれば大きな威力を発揮することになる。
一方、ソニーとNTTドコモ、JR東日本が出資した会社では、1台にプリペイドカード、定期券・航空券、クレジットカード、キャッシュカード、会員カード、クーポンサービス、社員証、マンションキーなど多機能を盛り込んだケータイを開発している。
ここまで来ると、ケータイは家を出たら絶対に手放せない、命の次に大事なものになるだろう。と同時に、ケータイを持っているかぎり、いま持ち主がどこにいるのかをシステム管理者に常に把握されることになる。
もちろん斉藤貴男は、こんなに便利になりますよと言っているのではなく、一人ひとりが巨大システムに管理され、個人情報のデータベースがビジネスに利用されることに警告を発しているわけだ。
監視カメラには将来、顔認証システムが組み込まれるだろう。生涯変わることのない顔面の特徴を顔貌データベースとして登録し、監視カメラの映像と照合する。例えばテロリストとされたデータと一致する人がカメラに映ると、警告音が鳴り響く。変装も役に立たない。英米ではすでに実用化されている。
増えつづける犯罪への不安、テロへの不安から、人々は「安心」を求め、そのために巨大システムに「管理」され「監視」されることが苦痛でなく、むしろ心地よく感じられる……そんな社会が来ようとしている、と斉藤は言う。
「国民にはあたかも一般的な犯罪防止を目的とする技術だと思い込ませつつ、実際にはテロ対策という名の政治・公安警察イデオロギーばかりが突っ走っていく」
もちろん、そんな社会は願い下げだ。でも、「監視」と「管理」の社会を招きよせないためにどうしたらいいのか。「監視カメラ反対」、それはまだ理解を得ることはできる(既に賛成派が多数だろうけど)。でも、「ケータイ反対」とは誰も言えないだろう。
東浩紀は「<監視社会>と<自由>」というシンポジウムでのデイヴィッド・ライアンの発言に触れて、こんなふうに言っている。
「国家によるSF的監視と市民的自由を対立させるこのような図式は、あまりに単純すぎて、9.11以前に書かれた『監視社会』の射程を濁らせてしまうものでもある。ライアンは『監視社会』では、監視技術の危険性を抉り出すとともに、それが私たちの日常生活にとって不可欠なものになりつつあることも指摘しています。したがって、ライアンの議論は、本来であれば、『監視カメラ反対』『住基ネット反対』といった総論にはなじまない」(hirokiazuma.com/blog)
監視カメラはともかく、ケータイはすでに社会に深くビルト・インされていて、「日常生活にとって不可欠」なツールになりつつある。「監視カメラやケータイは管理の道具だ」というだけでは、議論が新しい技術を否定する方向に流れやすい。
たとえそれが「悪魔の発明」であろうとも、技術の発展を倫理や善悪で否定することは、政治的・一時的にはともかく、本質的にはできない。だから新しい技術とどう向き合うかは、いつも僕たちにむずかしい選択を強いてくる。
『「退歩的文化人」のススメ』を書いた嵐山光三郎のように、パソコンもケータイも持たないという考え方は、個人の生き方としてもちろんありうる。隠遁者への願望は、リタイアが数年後に迫った年まわりには、けっこう魅力的な誘惑なんだなあ。
でも、僕は今のところ、新しい技術にできるだけつきあってやろうと思っている。パソコンもケータイも若者に独占させておくだけではもったいない。高年者にとっての利用価値だっていろいろある(僕も徘徊老人にならないとは限らないしね)。このブログをやっているのも、会社や仕事とはまた別のコミュニケーションや人間関係がありうるかもしれない、と考えてのこと。まあ、そんな大上段に振りかぶらなくても、たんに楽しいだけなのだが。
新しい技術には新しい可能性が生まれる。でも、もう一度繰り返すけど、どこで何をしていても誰かに常に「監視」されるような社会はごめんだ。
« 金木犀の香り | Main | 島尾伸三の脳内風景 »
Comments
確かに難しい問題ですね。
監視カメラと違って、ケータイは一見、持つ自由と持たない自由があるようにみえて、ケータイによるサービスが増えれば増えるほど、情報格差(デジタルデバイド)を生み出してしまいます。
なお、些細なことですが、小田急のサービスはgoopasという名称で、すでに昨年から実施されています。
http://www.goopas.jp/top.html">http://www.goopas.jp/top.html
Posted by: 健 | October 12, 2004 09:34 AM
小田急のは、もう実現してるのか。小田急定期券利用者のどのくらいが登録してるのだろうか。性別・年齢・好みによる情報の選択が、どのくらいのレベルでなされているのだろうか。
でも情報というより(こういうものの情報が大したことないのは皆わかってるから)、教室やオフィスで話題にできる面白いコンテンツか、会員への特別サービス、が決め手なのかもね。
Posted by: 雄 | October 12, 2004 01:36 PM
そう、結局は中身なんだよね。
有線だ、地上波だといってチャンネル数はやたら増えても、見たいコンテンツがほとんど無いテレビがいい例だと思う。
Posted by: 健 | October 12, 2004 03:34 PM
来年の万博では入場券に信号を発信するタグが埋め込む実験をするので、広告の前を通りかかると案内板が持ち主に合った内容に切り替わるという”インテリジェントボード”も登場するらしい。 タグは小さいので何にでも組み込まれて持ち主と一緒にどこへでも付いて行く。面白いのはこのタグ情報を読み取る装置を手に入れれば、前を歩く人がどこをどう歩いて、何を買って、どんなサイズの服を着て、最近何を買ったかなどが
わかるようになるのも夢ではない。 交差点に座って通る人の数を数えるアルバイトなど昔話になるのも遠くは無いな。最近の広告には携帯に特別に仕込んだソフトを持つ人だけに向けたものもちょくちょくみるようになったし、変な時代になったね。
Posted by: リモージュ | October 17, 2004 06:33 PM
アメリカでは9.11以後のセキュリティー強化の流れのなかで、個人のあらゆる情報をデータベース化しようという「ライフログ」計画が現れたり消えたりしているらしい。(http://hotwired.goo.ne.jp/news/gro_news/websecurity/)
「ライフログ」や、政府が民間のあらゆるデータベースにアクセスできるようにする計画とかと、こういうタグが結びつくと、ほんとに個人の一挙手一投足が監視・管理される日がくるのかも。
Posted by: 雄 | October 18, 2004 12:20 PM