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September 23, 2004

『珈琲時光』の時間

映画が終わって場内が明るくなり、映画館の外へ出ると、何時間かひたっていた虚構の時間から抜けだし、現実の時間に戻ったと感ずる。それは、見た映画がどんなに面白くとも退屈であっても変わらない。『珈琲時光』には、それがなかった。映画館の外へ出ても、映画のなかと同じ時間が流れていると感じられた。これはどういうことだろう。

場所の問題ではないはずだ。この映画は今の東京を舞台に僕たちがなじんだ風景がたくさん出てくるけれど、そんな映画は珍しくもない。

やはり、時間の流れ方なんだと思う。ほとんどの映画では、時間が濃縮される。時には人の一生が数時間で物語られるように、ストーリーの密度が現実よりもずっと濃くなる。喜び悲しみの感情の密度も濃くなる。人の顔のクローズアップや風景のロングショット、映像と映像のモンタージュといった手法やバックの音楽が、時間と感情の密度を高めるのを助ける。見る人は、そんな凝縮された時間に涙を流したり、笑ったりする。

『珈琲時光』に流れているのはそのような時間ではなく、限りなく現実に近い(と感じられる)時間だ。しかもそれが退屈でない。むしろ快い。そんな映画は、これまで見たことがなかった。これって、すごく実験的な映画なのかもしれない。

とにかく電車と駅とがよく映る。早稲田・三ノ輪間の都電。山手線。中央線。高崎線。上信電鉄。都電の鬼子母神駅。大塚駅。お茶の水駅。新宿駅。有楽町駅。日暮里駅。電車の音、ホームのアナウンスや発車を知らせるデジタル音など、日常的すぎて僕たちの耳を通りぬける音も意識的に拾われている(これは浅野忠信の趣味とも絡む)。

そして駅界隈の風景。主人公の一青窈が住む鬼子母神駅界隈。都電から山手線に乗り換える大塚駅界隈。友人の浅野忠信の古書店がある神田神保町界隈。有楽町駅界隈(僕も時々行く喫茶店「ももや」がマスターともども登場)。どこも懐かしく雑多な商店街が広がる。そして一青の両親が住む上信電鉄の、田園のなかの実家。この映画は、一青窈たち登場人物が電車に乗ってそれらの地点を行き来するだけで成りたっている、と言ってもいいくらいだ。

一青窈はライターで、戦前の台湾出身(当時は植民地だから「日本人」)作曲家・江文也のことを調べている。友人の浅野忠信は古書店を営み、一青の調査を助けながら、電車と駅の音を録音して歩いている。一青は台湾人の恋人の子を妊娠していて、結婚はしないが子供を産むと両親に告げる。それが、この映画のストーリーのすべて。そこからドラマは一歩も動かない。

結婚しないで子を産むと決めた一青。何も言えない両親(小林稔侍と余貴美子が、いい味出してる)。一青を見守る浅野。大状況としてはその場所に宙づりにされたまま、4人は日常生活を営んでひとつの地点から別の地点へと移動する。その移動が、ひたすら描かれる。

僕たちの日常は映画や小説のように濃縮されたドラマが起こるわけではない。でも毎日、小さな出来事があり、感情の波立ちがあり、1杯の珈琲にほっとする時間がある。そんな僕たちの日常の時間の流れと同じ時間感覚が、電車と駅と界隈の風景から立ち上がってくる。その時間の流れは、たとえば僕たちが8ミリビデオを回しっぱなしで日常を撮っても捕らえられるものではない。これも巧みに構成された虚構の時間なのだ。

それに関連して気づいたことがある。侯孝賢の映画は長回しの多いことで知られるが、この作品ではそんなに多用されていない。カメラを長時間据えっぱなしで撮る長回しは、現実の時間の流れをそのままフィルムに定着させるものだと思っていたけれど、どうもそれは逆で、長回しはむしろ時間と感情を濃縮させる効果をもつのではないか。それは『悲情城市』の長回しを思い出してみれば納得できる。

それにしても侯孝賢は列車と駅が好きだ。『恋恋風塵』は、トンネルをくぐる列車内で幼なじみが会話する印象的なシーンで始まるし、2人が台北と故郷の十分を列車で往復する。『冬冬の夏休み』では、少年が台北から列車に乗って銅鑼のおじいちゃんの家へ行くことで、夏休みという「特別な時間」に入り込む。『悲情城市』でもラストに近く、官憲に追われた主人公一家が海の見えるホームに佇む悲痛なショットがあった。

そんな侯孝賢が東京で映画を撮るに当たって電車と駅を選んだのは、ごく自然なことだったかもしれない。日本をよく知らない外国人監督であれば、たとえば『ロスト・イン・トランスレーション』がそうだったように高層ビルや渋谷や新宿歌舞伎町といった、今の東京を象徴する舞台を選ぶだろう。また日本人監督であれば、あまりにも日常的でありすぎる風景を映画の主役に据えることをためらうだろう。

過去20年、しばしば東京を訪れて仕事もし、旅人の目ではない目で東京を見(しかし外国人であることには変わりない)、さらに市内に電車が走っていない台北に住み、しかも列車大好きの侯孝賢が、これが自分の東京だと選んだのが電車と駅と界隈の風景だったわけだ。とりわけ丸の内線と中央線と総武線が3重に交差し、神田川の流れと鉄橋が立体感をいっそう際立たせるお茶の水駅のロングショットが繰りかえし映し出される。侯孝賢が感ずる東京の風景と音のエッセンスが、そのショットに込められている。

ところで。侯孝賢には傑作が何本もあるけれど、それらは過去を素材にした映画ばかりで、現代の、しかも都会を描くのは下手だと言われてきた。実際、『ナイルの娘』にしても『好男好女』(現代の部分)にしても失敗作と言っていいのだろう(僕は『憂鬱な楽園』は好きだし傑作だと思うが)。

侯孝賢が現代を扱った作品は、たいていは日常をあてもなく浮遊する女の子とやくざな男との絡みで物語がつくられていた。『珈琲時光』では、主人公をそうした設定やストーリーで動かすことをしていない。映画が始まった時点での登場人物の設定はほとんど動かさず、宙づりにされた主人公の日々のささやかな移動をひたすら見つめることで映画が成り立っている。

映画的に濃縮された時の流れない、こんなヌルい映画はつまらない、と言う人も多いに違いない。でも、僕は好きなんだなあ、この映画。

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Comments

トラバありがとうございます。

この映画は「時間が凝縮されていない」ということに納得しました。
普段の生活では、ほとんど毎日同じことをしていて、本音を話すこともそれほどありません。でも、そういう生活をしながらも、人は感情を少しづつ動かしています。
そういうことを観せてくれているのですね。

御茶ノ水駅の電車が交差するところは、中央線で東京方面行くときにいつも窓に張り付いて見ています(笑)きっと違う方向から見たほうがよく見えるんでしょうけどね。

Posted by: なも | September 25, 2004 at 12:26 AM

丸の内線から見るお茶の水駅交差も、地上に出ているのがほんのわずかな距離だけに印象的です。丸の内線は四谷駅で地上に出たときの風景もいいですね。

Posted by: | September 26, 2004 at 12:35 AM

こんにちは。
この記事を読んで、すごくこの映画が見たくなりました。
予告を見て気にはなっていたんですけど、
時間みつけて見に行ってみようと思います。

Posted by: manamizw | October 04, 2004 at 07:23 AM

>manamizwさま

侯孝賢の映画は、よく小津安二郎の影響を言われますが、監督が小津を見たのはずいぶん遅く、世界的な監督になってからのことです。

侯孝賢の映画の編集をずっと担当し、「台湾ニューウェーブの父」と言われる廖慶松は、若き侯孝賢と共にゴダールを見て、監督のスタイルはゴダールから影響を受けていると言っています。カットとカットのつなぎには論理的な整合性がなくてもよい、ただ感情的なものが持続していればいいということを、侯孝賢はゴダールから学んで「感情を編集するスタイルをつくった」と彼は言います。

その意味では、侯孝賢はまぎれもなくmanamizwさんが好きな「60年代の子」ですね。

Posted by: | October 04, 2004 at 01:06 PM

珈琲時光に関する記事をTBさせて頂きました。マモルと申します。よろしくお願いします。

Posted by: マモル | December 16, 2004 at 02:11 PM

マモルさんも書いているように、一青窈はいいですね。素のままなんでしょうが、携帯をかけているときのしゃべり方なんか私の娘の口調とまったく同じで、思わず笑ってしまいました。

Posted by: | December 17, 2004 at 12:20 AM

携帯のシーンよかったですよね。TBありがとうございました。

Posted by: マモル | December 17, 2004 at 06:28 PM

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