『父、帰る』の水の魅力
映画にもDNAはちゃんとあるんだなあ、と思った。しかもとび抜けて優れたDNAが、ソ連からロシアへと国は変わっても、政治の移り変わりなど何ほどのこともないように受け継がれていた。
『父、帰る』のDNAは間違いなくタルコフスキーのものであり、それは特に水の描写に見てとれる。『惑星ソラリス』の「海」と、記憶のなかの池。『ストーカー』や『サクリファイス』『ノスタルジア』の水たまりや沼や湖と、なにより降りしきる雨。タルコススキーの場合、水は目の前の現実が異界へと姿を変える予兆のようなものだったけれど、あの緊張に満ちた美しい水の描写が、姿を変えて40歳の監督(アンドレイ・ズビャギンツェフ)の処女作に現れたのには驚いた。
ファースト・シーン、湖底に沈んでいるボートのイメージ(実はラスト・シーン)からして、水が現れる。2人の兄弟が湖の飛び込み台で遊んでいる。飛び込み台は下方から高い塔を思わせるように撮られ(これが重要な意味をもつ)、それに対比されるように静かな湖面が広がる。夏のようだけれど、冷たさを感ずる風景だ。
次のシーン、子供たちが遊んでいる廃ビルでも、むき出しのコンクリートの床には水がたまっている。僕はこの場面で、あ、タルコフスキーと感じた(タルコフスキーを見てる人なら誰でもそう思うよね)。カラー映画なのに、湖面も空も廃ビルもくすんでほとんど色を感じさせないのも、その思いを強めた。
12年ぶりに父が家へ帰ってくる。2人の息子は、父の顔を知らない。権力的な父に、兄はそれでも嬉しさを隠せず、一方、弟は反発する。父が、息子たちに旅に出ようと誘う(命令する)。それがストーリーの骨格。シンプルだけれど、父は何者なのか、旅に目的があるのか、色んなことが説明されないので全体が謎めいている。
車で旅に出た3人は、ボートを漕いで湖に渡る。またしても水だ。凪いだ湖面のさざ波が光を受けて微妙に輝く。水面に雨が走る。霧がかかって空と区別のつかなくなった湖面が油のように重い。風を受けた梢がざわざわと音を立てる。
タルコフスキーのように現実と非現実が入り組んだ世界ではないけれど、水や、水を取りまく風景の映像には、別世界に引きずり込まれそうになる恐ろしい、抗いがたい魅力がある(「銀残し」という技法で撮影されているらしい。どんな技法なのだろう?)。水の映像が多く出てくるというだけでなく、水がそのような徴を湛えていることが、タルコフスキーのDNAの証だ。音楽は多用されないけれど、ビートの利いたミニマル・ミュージックのような低い音の繰り返しが風景に重なって耳に残る。
製作年から逆算すると、父がいなくなった12年前とはソ連崩壊の年に当たる。誰かが語っていたように、12年間不在だった父、突如現れて息子たちにあれこれ命じ、気に入らなければ容赦なく手を上げる父に父権的権力=国家の影を見ることもできる。そんな政治的な読みではなく、父に「神」を見るような宗教的な読みもできる。映画の原題は「帰還」。
2人の兄弟の対照的な態度は、「父」に対する愛憎なかばする感情を、それぞれ人格化したものだろうか。なかでも、怒られても殴られてもそのそばから帰ってきた父への親しみの感情がにじみ出てしまう兄の表情は、この少年が映画撮影後に事故死(しかも溺死)した事実も知ってしまうと、よけいに悲しい。
結末が来てスクリーンが暗転すると、雨音だけが闇に響く。水に始まって水に終わる『父、帰る』の兄と弟は、この後、どう生きていくのだろう。謎は謎のままありつづけ、そんな問いかけだけが残った。

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