夢のかけら
古いけれど、しゃれた木造アパートのコーナーに棕櫚の木があった。昭和初めに建てられた我が家(日本家屋)の玄関前にもある。
南方系にルーツを持つこの椰子科の植物が、庭木として好まれるようになったのはいつごろだろう。
明治28年、台湾の植民地化。大正9年、南洋諸島を委任統治。そうしたことが背景にあるのではないかと僕は思っている。
明治末から大正にかけて、日本人は南方に進出すべしという「南進論」に酔った。ゴム園、鉱山経営、製糖、そしてそれに伴う「からゆきさん」たち。
「冒険ダン吉」にまでつながる、そんな「南方幻想」の砕けた夢のかけらが、日本家屋に棕櫚というかたちで僕たちの目の前に残っているのではないか。
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