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August 29, 2004

偏愛映画リスト 活劇編

活劇などと古めかしい言葉を使ったのは、他に適当なネーミングが思いつかなかったから。アクションと言ってしまっては、ちょっと違う。10代から20代にかけて、ロバート・アルドリッチ監督やドン・シーゲル監督の晩年の作品にぎりぎり間に合ったことが僕の映画体験に大きく影響していると、ずいぶん後になって気がついた。

●『007 危機一発』(1963)
007はやっぱりショーン・コネリーだ。中学時代から大学にかけて、『殺しの番号』から『ダイヤモンドは永遠に』まで全部見たけれど、『危機一発』が最高という意見に異論のある人はいないはず。ザグレブ(という地名をこの映画で覚えた)で夜行列車に乗り込んだロバート・ショウが、コンパートメントでコネリーと死闘を繰り広げ、列車から降りたコネリーをヘリが追跡して、これをライフルで撃墜するあたりまで、文字通り息をつかせない。今では誰も驚かないだろうけど、ヘリが爆発して木っ端みじんになるシーンに度肝を抜かれた。

ジェームズ・ボンドでしか知らなかったコネリーを、あれっと思ったのが『史上最大の作戦』。1シーンのみの出演だったけれど、下品な冗談を飛ばす髪の薄いアイルランド兵に扮しているのを見て、007のイメージが完全に崩れた。…と思ったら、あっという間に渋い名優になってしまったのはご存じの通り。007、最近では『ダイ・アナザーデイ』を見た。ハル・ベリーがセクシーだね。

●『飛べ! フェニックス』(1966)
石油会社の輸送機が不時着して、サハラ砂漠の真ん中に10人ほどが放り出される。並の監督なら、そのなかに美女を配するだろう。ロバート・アルドリッチはそんなことをしない。昔気質のアメリカ人機長と、人情家の助手。ごりごりの英国将校と、上官を見捨てても生き残ろうとする軍曹。冷静なドイツ人飛行機デザイナー。荒々しい採掘人夫。温厚な医師。男だけを配して男たちのドラマを物語る、アルドリッチの独壇場だ。

おいぼれ機長も、融通の利かない英国将校も、合理主義のドイツ人技術者も、型通りでありながら血が通っている。こわれた輸送機を分解し、小さな飛行機を組み立てて脱出しようというアイディアが面白く、それを指揮するドイツ人技術者が、実は本物ではなく模型飛行機のデザイナーだと分かった瞬間の機長の呆然とした顔が忘れられない。人間を描いてさりげなく深いこんなエンタテインメントが、この時代には何本もあった。

●ジャッキー・チェンの映画
そうと気づかずに、途方もない映画を見ていたものだ。子供が小さかった頃、『スパルタンX』(1984)、『プロジェクトA』(1984)、『ファースト・ミッション』(1985)、『ポリス・ストーリー 香港国際警察』(1985)、『サイクロンZ』(1988)なんかを見に行った。そのときは子供と一緒に喜ぶだけで、ジャッキー・チェンの凄さに思い至らなかった。それが分かるようになったのは、CGやワイヤ・アクションが全盛になってから。

カーチェイスでスラム街を突き抜け、崖のような急坂をころげ落ちる。建築現場で竹の資材をつたって、とんでもない高さからすべり降りる。ショッピングセンターで、大量のガラスを粉々にしながら戦う。生身の肉体のアクションこそ映画(ムーヴィー)の原点。ジャッキー・チェンは、ブルース・リーというよりキートンの流れを継ぐと考えるほうが、その位置がよく分かるのではないか。80年代の作品は完成度も高く、ジャッキーのアクションも充実しきっていると思う。

●『スペース・カウボーイ』(2000)
クリント・イーストウッド、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナーという、3、40年前からおなじみの、還暦をとっくにすぎた4人のおいぼれを使った活劇という発想がいい。バカにされた年寄りが最後に若いもんを見返すのはハリウッドの定型のひとつだけれど、イーストウッドはその伝統をきっちり守りつつCGも使って「宇宙の西部劇」に仕立て上げた。

僕はこの映画を大晦日の最終回に、今はない渋谷の東急文化会館で見た。最後、イーストウッドがおいぼれの技を使ってスペース・シャトルを無事に地上に降り立たせた瞬間、館内から拍手が湧いた。年の瀬で皆センチメンタルな気分だったのかもしれないが、普通の映画館で拍手が起こるのを経験したのは何十年ぶりだろう。子供の頃のちゃんばら、東映やくざ映画以来のことで、とてもいい気分で映画館を出た。

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August 28, 2004

偏愛映画リスト ノワール編

本来のフィルム・ノワール、1940年代から50年代にかけてつくられた一群のアメリカ映画は、いま見直してみると実に暗い映画だ。モノクロ画面が「ノワール」であるばかりでなく、映画の底に流れている感情も「ノワール」。第二次大戦後の冷戦やマッカーシズムが反映しているというのが通説だけれど、こんな映画がよく商業ベースに乗ったものだと驚いてしまう。僕の選んだ70年代以降のリストは、エンタテインメントとしても楽しめるものばかり。

●『リスボン特急』(1972)
北フランス海岸の淋しい町。銀行強盗のファースト・シーンが素晴らしい。低くたれこめた雲、波しぶきのかかる人気のない道路、車のウインドーを濡らす雨滴、トレンチコートを着て車の中で待機する無言の男たち。音楽もせりふもなく、聞こえるのは風の音、波の音だけ。初めて見たジャン=ピエール・メルヴィル。冒頭の緊迫した空気感だけで参ってしまった。

フランス製ノワールは、アメリカ製ノワールよりもむしろ日本映画に近い感性を持っているような気がする。強盗犯の顔役が経営するナイト・クラブで、刑事(アラン・ドロン)と、刑事の友人でもある犯人と、2人と関係を持っている情婦(カトリーヌ・ドヌーブ)が互いの腹を探りながら言葉少なに会話する場面は、加藤泰あたりがフランス映画を演出しているかのような気配と間の取り方(メルヴィルには『サムライ』もある)。だからこそ、僕らの胸にびんびん響いてくるのだろう。

●『ブレードランナー』(1982)
近未来のロスを舞台にしたSFだけれど、間違いなくハードボイルドでありノワールの傑作でもある。リドリー・スコットのオリエンタリズムと廃墟趣味が生みだした未来都市ロスの雨のチャイナタウンは、エイリアンの造形(ギーガーのデザイン)とともに、以後の映画に大きな影響を与えた。息子も娘も正統派のノワールやハードボイルドには興味を示さないのに、『ブレードランナー』は好きだという。ノワールの感性を新しい形で次の世代に伝えているからだろう。

リドリー・スコットの『ブラック・レイン』は僕が大阪に住んでいるときにロケがおこなわれた。いつも見慣れた町が、彼の手にかかると見知らぬ町に変貌し、初めて出会った異形の風景となってしまう。現実の彼方に別の風景を見ることのできる彼の幻視する力が、『ブレードランナー』には隅から隅まで張りめぐらされていた。その幻視の力が最近あまり感じられないのは残念だけれど。

●『LAコンフィデンシャル』(1997)
何人もの友人がハリウッド映画はつまらないという。善悪が単純だし、CGばっかりだし。それはそうだけどね、ハリウッドだって捨てたもんじゃないよ、と答える。どうして、と問われると、こう答えることが多い。だって『LAコンフィデンシャル』みたいな映画をつくるんだから。絶滅したかに見えたハリウッドのノワールが蘇った。

1950年代のロスという舞台がいい(CGはこれ見よがしでなく、こう使ってほしい)。ハリウッド・スターに似た高級娼婦という設定がいい。野心と欲望にまみれ、しかし正義感を心の片隅に持っている、善玉でも悪玉でもない3人の警官役がいい(ケビン・スペイシーもラッセル・クロウも、この作品でブレークした)。復活したキム・ベイシンガーが白いマントの内から見せる成熟した横顔が美しい。カーティス・ハンソンは、いまハリウッドでいちばんノワールの感性を持った監督だと思う。

●『インファナル・アフェア』(2002)
ジョン・ウーがハリウッドへ去って以来ご無沙汰していたけれど、久しぶりに香港ノワールを堪能した。夜の香港。道路をはさんだ雑居ビルの窓越しに、2人の男が対決している。麻薬の売人(実は警官)のトニー・レオンが窓際で指をかすかに動かし、モールス信号で売買現場の情報を送っている。窓越しにそれを解読した警部の指示に、現場を指揮する警官(実はギャング)のアンディ・ラウが情報漏れを組織に流そうとする。薄暗い電灯の下で繰り広げられる無言のドラマ。いい場面だなあ。

絵に描いたような対立と対決。過剰なまでの情感。これでもかと追い打ちをかけるストーリー展開。それが香港ノワールのいいところだ。そんな大げさな身ぶりが気恥ずかしさを感じさせないのは、「かりそめの都市」という香港がもつ歴史の条件のせいなのか。映画は、それを生む都市のエネルギーを映し出す。中国返還後の香港映画は衰退したといわれたが、こんな作品が生まれたことを喜び、これからも香港ノワールに期待する。

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August 26, 2004

偏愛映画リスト ハードボイルド編

ハードボイルドは男のハーレクイン・ロマンスだ、と喝破したのは斉藤美奈子サンだったか中野翠サンだったか。いや参りました。痛いことろを突かれた。それ以来、ハーレクイン・ロマンスをハーレクインというだけでバカにしないようにしている。僕の考えるハードボイルドは、いい意味での風俗小説であり、風俗映画であるということ。だから、人が、それ以上に街が生き生きとしている小説や映画が好きだ。

●『チャイナタウン』(1974)
ハメットやチャンドラーに夢中になっている頃に見たから、ひときわ印象深い。ロマン・ポランスキーがポーランドから亡命しハリウッドへ来て間もなく撮った映画。ポランスキーが社会主義の祖国でハードボイルドを読んだり見たりしながら、いつかこういう映画をつくってみたいと願っていた(に違いない)ことが実現した、その熱い思いが画面の隅々から感じられる。

1930年代のロスの街、オレンジ畑、後背地のダムや砂漠といった乾いた風景。ジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェー、ジョン・ヒューストンの役者たち。脚本・撮影・音楽とすべてがそろった映画で、僕はハードボイルドというと40~50年代の名作群よりこちらを評価の基準にしてしまう。定石通り依頼人が探偵を訪ねるファーストシーンから、死んだフェイ・ダナウェーの車からカメラが上方に引いていくとチャイナタウンの街並が俯瞰されるラストまで、一分の隙もない。

●『グロリア』(1980)
女ハードボイルド。シャロン・ストーンのリメイク版ではなく、ジーナ・ローランズのオリジナル版のほう。上空からのカメラがヤンキー・スタジアムの歓声を拾いながら移動すると、隣接するサウス・ブロンクスの荒廃した町並みが映し出される。そのファースト・シーンから映画に引き込まれる。

元踊り子のジーナ・ローランズが、偶然預かったプエルトリコ少年を連れて、追いかけるギャングからニューヨーク中を逃げ回る。大人ぶった生意気な少年と貫禄たっぷりのジーナのやりとりが小気味よい。ハリウッドと一線を画し、ニューヨークでインデペンデント映画をつくりつづけたジョン・カサベテスだけに、そのニューヨークの風景は心に滲みる。

●『800万の死にざま』(1986)
僕の好きな小説(ローレンス・ブロック)を好きな監督(ハル・アシュビー)が好きな俳優(ジェフ・ブリッジス)で映画化した、応えられない一本。舞台をニューヨークからロスに移し、相手役をアフリカ系からヒスパニック(アンディ・ガルシア)に設定を変えることで、原作とは違った雰囲気の映画になった。

タランティーノの『レザボア・ドックス』以来、対立する2人が拳銃を突きつけあうシチュエーションが大流行だけれど、ネタ元はこの映画ではないかと思っている。ただし、タランティーノ以後のこのシーンがカッコいいのに対して、この映画では2人ともへっぴり腰で、それを手持ちカメラががらんとした工場のなかで引き気味に捉えている。滑稽でもありリアルでもあるその視線に、ハル・アシュビーの個性を感じた。

●『ブラッド・ワーク』(2002)
クリント・イーストウッドは最後の正統派ハリウッド監督だと思う。これも上空からロスを撮ったカメラがぐいぐいと地上に降りてきて街の一角、一軒の家に近づくとそこが犯罪現場という導入部は、イーストウッドの師であるドン・シーゲル直伝。もうひとつ、ドン・シーゲルに似て夜のシーンが多く、闇の艶やかさが素晴らしい。海上の廃船を舞台にしたラストはじめ、50年代のフィルム・ノワールを見ているようだ。

サイコ・ミステリー仕立てになっているが、おどろおどろしくないのがいい。歳のせいか、サイコは好きになれないし、CGもすぐに飽きる。そもそもルーカス、スピルバーグ以後のハリウッドが肌に合わない。だから、イーストウッドの新作がいちばんの楽しみ。同じシーゲル=イーストウッド派のマイケル・チミノが新作を撮れていないようなのが寂しい。

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August 25, 2004

偏愛映画リスト ファム・ファタール編

珍しく仕事が忙しくて、映画を見る暇がない。音楽を聴く余裕もない。ろくに本も読めない。そんな三重苦が今しばらく続きそうなので、戯れに偏愛する映画のリストをつくってみることにした。

映画は同時代に見ているものにした。僕の場合は1960年代以降ということになる。だから、名画座やヴィデオで見た古典的名作は除外。若いときに見た映画の印象が強烈だから、どうしても60年代、70年代の映画が多くなる。1本は新しい映画(僕にとっては、90年代以降はみんな新しい映画)を入れることにしよう。作品を見直す時間がなく、すべて記憶で書いているので間違いがあるにちがいない。ご容赦を。

ファム・ファタール、訳せば「運命の女」。男を狂わせ、破滅させる女。この女となら地獄に行ってもいいと思わせる、女に対する男の身勝手な幻想を核にした映画。難しいことをいうより、ひとひねりしたスター映画と考えるほうが正解なのではないか。最近のフェミニズム映画批評なんかではこてんぱんらしいが、固いことは言いっこなしで。

●『刺青』(1966)の若尾文子
高校時代、学校帰りに赤羽の映画館で見た。当時、大映は『座頭市』や『忍びの者』『陸軍中野学校』シリーズをやっていたから、そっちを見るつもりで入ったのだと思う。でも、谷崎潤一郎の世界に息づく若尾文子の妖しい美にノックアウトされた。以来、「年上の女」というと、若尾文子の顔が思い浮かぶ。

まだ真面目な高校生だったから、あんなふうに着物をしどけなく着崩した女性に、あの目、あの声で命令調で誘われたらと思うと、これはやばい世界だと思った。にもかかわらず、抗えないほど引きつけられた。増村保造=若尾文子コンビに出会った初めての作品。このコンビには傑作が何本もあるし、若尾が川島雄三と組んだ『女は二度生まれる』も大好きだけれど、ファム・ファタールとしての若尾といえばこの映画に尽きる。

●『小間使の日記』(1964)のジャンヌ・モロー
これも高校時代に新宿文化で見た。その前に、ジャンヌ・モローが人気絶頂のブリジット・バルドーと共演した『ビバ! マリア』を見て、僕はなぜか皺の目立つモローのほうが好きになり、それで見に行ったのだと思う。もちろんルイス・ブニュエルという名前は知らなかった。これも高校生には理解を絶する世界で、ヨーロッパのブルジョアの退廃した空気に初めて触れた。

古い館に住むブルジョア一家の老主人と息子が、小間使のジャンヌ・モローの魅力に引きずりこまれ、やがて権力関係が逆転して、モローの手玉に取られてしまう。老主人が、黒い服に身を固めたジャンヌ・モローの黒ストッキングに包まれたきれいな脚に触れるのを、カメラも好色そうに嘗めるように撮る。靴フェチ、脚フェチがブニュエルの十八番だと知るのは後のこと。への字のようなモローの唇が、笑うと一転して可愛いのがたまらなかった。前後して見た『エヴァの匂い』のジャンヌ・モローも忘れられない。 

●『愛の嵐』(1973)のシャーロット・ランプリング
これは20代になってから見た。シャーロット・ランプリングはチャンドラー原作の『さらば愛しき女よ』で、正統派のファム・ファタールを演じている。でも、「男を狂わせる女」ということでは、こっちのほうが狂気の度が格段に高い。

収容所のナチス将校とユダヤ少女との過去の愛。高名な指揮者夫人になった彼女と、彼女が宿泊するホテルに勤める元将校との現在の愛。二重に倒錯した関係が重なってラストになだれこみ、元将校と部屋に閉じこもったランプリングが砕けたガラスに傷ついた足の血を嘗めてにっと笑う。その危うさに魅せられて、彼女の映画をずいぶん追いかけることになった。最近も『スイミング・プール』などで健在なのが嬉しい。

●『花の影』(1996)の鞏俐(コン・リー)
鞏俐は『菊豆』でも『紅夢』でもファム・ファタール的な要素のある役を演じているけれど、まだ少女の面影を残していた。成熟した女として全身からファム・ファタールの匂いを発するようになったのは『上海ルージュ』『花の影』あたりだろう。一方で歴史ものや中国のお母ちゃんみたいな役柄も多いから、ファム・ファタールとしての鞏俐はこの2本、僕は恋人だった張芸謀ではなく陳凱歌と組んだ『花の影』を好む。

『花の影』の鞏俐は、この映画のなかでも、レスリー・チャンとの愛と裏切りを経験して少女から女へと変貌を遂げる。艶やかなクリストファー・ドイルの映像が、彼女のぞくぞくするような横顔や髪のほつれを際立たせていた。一族の家長として君臨するラストシーンの恐ろしいほどのアップが記憶に残る。その後、あまりファム・ファタール的な役どころがないのが寂しい。秋には『2046』が公開されるが、ウォン・カーウァイが鞏俐をどう撮るのか、楽しみでもあり不安でもある。

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August 21, 2004

戦争の「思想」

先日のサッカー、アジアカップで、中国人サポーターによる日本チームへのブーイングが話題になった。特に重慶会場がひどく、その背景には日中戦争での日本軍による重慶爆撃があると言われた。ほかにいくつもの要因があるにしても、そのような歴史があり、若い重慶サポーターの意識のなかに、親や祖父母から受け継いだ爆撃の記憶があったかもしれないことは押さえておくほうがいい。

その重慶爆撃についてきちんと調べた唯一の日本語の本が、前田哲男『戦略爆撃の思想 ゲルニカ-重慶-広島への軌跡』(朝日新聞社)。この本はいま書店では入手不可能なので、要点だけ紹介してみよう。

前田がいう「戦略爆撃」とは、航空機による都市への無差別大量爆撃を指す。第一次世界大戦で軍隊に組み入れられた航空機は、すぐにその軍事的価値を認められた。けれども航空機が陸海軍の補助的役割から脱して、陸海軍が展開できない場所への「戦略爆撃」の具として、「空軍」として独立するためにはいくつかの飛躍が必要だった。

ひとつは当然のことながら技術的な問題で、大量の爆弾を抱えて長距離を飛べる航空機の開発。もうひとつが「思想」の問題だった。

戦闘員は殺してもいいが非戦闘員を殺してはならないという戦争の「思想」から、「交戦員と非交戦員の概念は時代遅れである。今日戦争をするのは軍隊ではなく、全国民である。すべての民間人が交戦者なのだ」(伊・ドゥーエ少将)という「思想」への転換。

この「思想」が初めて実戦のかたちで表れたのがナチスによるゲルニカ空爆だった。ゲルニカ空爆は1日限りの小規模なものだったが(重慶に比べればの話。この空爆で市民1600人が死に、ピカソの「ゲルニカ」が生まれた)、戦略爆撃の手法を開発し、つくりあげたのが、3年間200回に及ぶ日本軍による蒋介石政権の首都・重慶への爆撃だった。

作戦の意図は、「政治、経済、産業等の中枢機関を破壊し、又は直接その住民を空襲し敵国民に多大の恐怖を与えて、その戦争意志を挫折する」(陸軍航空本部)というもの。政治経済体制の破壊とともに、国民の「戦闘意欲」を萎えさせるのが最大の目的とされた。

1939年から3年に及ぶ爆撃の被害は次のようなものだった。
 空襲回数  218回
 来襲機数 9,513機
 投弾   21,593発(爆弾より焼夷弾が多い)
 焼失家屋 17,608棟
 死者   11,889人
 負傷者  14,100人

この「戦略爆撃の思想」をすぐさま英米軍も採用し、英軍のベルリン爆撃、ドイツのロンドン爆撃から、英米軍のハンブルク、ドレスデン爆撃へと次々に規模を拡大し、さらには東京から広島、長崎へと続くことは言うまでもない。日本にとって東京大空襲や広島・長崎の原爆は、自らが開発した「戦略爆撃」の手法が、より大規模になって自らに返ってくるという歴史の皮肉でもあった。

 この本は日米中の資料を徹底的に調査し、重慶で被害者数十人にインタビューした労作だけれど、印象に残るエピソードがいくつも記されている。

ひとつは重慶への「戦略爆撃」を推進したのが海軍の、とりわけ井上成美(支那方面艦隊司令長官)だったこと。井上は対米戦争に反対した海軍のハト派として評価が高いが、重慶市民から見れば「地獄の使者」にほかならなかった。

また、英米軍が「戦略爆撃」という名の無差別殺戮作戦を採用するに当たって、どちらかというと英国(チャーチル)のほうが積極的で、アメリカは「軍事目標への高高度精密爆撃」を主張して消極的だったというのも(そのような爆撃機を開発していたという技術的理由もあるにせよ)、朝鮮戦争からベトナムへと至るその後の歴史を考えれば意外な気がする。

もっとも、アメリカは日本本土への爆撃に際しては、そのような議論なしに無差別爆撃に踏みきるという、アングロサクソンに対した時と東洋人に対した時の「ダブルスタンダード」を示し、一方、日本も重慶の米英権益に対しては国際法を遵守して爆撃対象からはずすと言いつつ(実際には不可能だが)、中国に対しては無差別爆撃を行うという、こちらもアングロサクソンと東洋人に対する「ダブルスタンダード」を示している。

この本の中国側の主役は蒋介石だけれど、もう一人の主役が周恩来。重慶での「表」の顔は蒋介石指揮下の八路軍首都駐在代表で、「裏」の顔は共産党南方局書記。蒋の共産党弾圧に耐えつつ、発行する新聞が検閲されると、その空白に即興で詩を書いて抵抗する姿など、そのふるまいは鮮烈な印象を残す。

現在にいたるまで、重慶爆撃は歴史のなかにきちんと位置づけられていない。「重慶後」の進展があまりにも速く大きかったこともあるが、負けた日本は沈黙し、新中国にとっては蒋政権下の出来事として重視されず、重慶で爆撃を体験したアメリカの外交官たちはマッカーシズムのもと沈黙を余儀なくされた。

この労作がいま、図書館で読むか古書店で探すかしかないのは、自分も業界の片隅にいるひとりとして、歯がゆい思いだ。

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August 19, 2004

暑い!

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四国・九州は台風15号で大きな被害が出ているのに、東京には暑さが戻ってきた。いったん涼しくなっただけに、よけい応える。

夏のあいだずっと、このお面かぶって人寄せしてるんだろうか。仕事とはいえ、ご苦労さん。

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August 18, 2004

嶋津健一の冒険

嶋津健一というピアニストを追いかけている。有名ではないけれど、知る人ぞ知る存在。6、7年前にはじめて聴いたとき、こんなすごいプレイヤーがいるのかと驚いた。

嶋津はいくつもの顔を持っているピアニストだ。

ヴォーカルの伴奏を務めれば、歌い手の個性に合わせて自在にサポートし、インスパイアされた歌手がどんどんノッてゆくのを何回も目撃した。もっとも、アメリカにいた10年の間にジミー・スコットのグループでレギュラー・ピアニストを務めていたというから、うまいのも当然か。今年の夏は、来日したサリナ・ジョーンズのバックで弾いていた。

サイドメンとしても、原朋直、大坂昌彦、向井滋治らのグループで演奏してきた。どんなスタイルのグループでも、その音にきっちり溶けこみつつ、ソロになると、その枠をはみ出す個性的な音を聴かせてくれるのが楽しみで、よくライブに出かけた。

そして自分のグループでは、思いきりオリジナルな世界を展開する。

これまでに出ている4枚のCDのうち、僕は最初のCD『double・S』(徳間ジャパン)と、最新作『Double Double Bass Session』(Roving Spirits)が好きでよく聴く(『double・S』は、今は『アンフォゲッタブル』として3361*blackから発売)。

『double・S』は、西海岸で演奏してきたベテランで、最近では東京を本拠にしているスタン・ギルバートと組んだピアノとベースのデュオ。演奏している11曲は、オリジナルの2曲はじめ、スタンダード、モンク、エリントン、クラシックのパガニーニとバラエティーに富む。

そのうち4曲演奏されているバラードがいい。「Amapola」や「Unfogettable」「Georgia On My Mind」といったなじみの曲を、息の長いソロを少しづつ変化させながら情感を徐々に高めてゆく。唄ごころあふれる美しいピアノ。ギルバートの暖かな音色のベースがぴったり寄り添う。

最近、「素人おじさんピアノ」で話題の井上章一『アダルト・ピアノ』(PHP新書)もこのCDを取りあげていて、井上は「私はここにおさめられた『アマポーラ』を、こよなく愛している」と書いている。

バラード以外の曲も、もちろんいい。よく「ジャズっぽい」と言うとき、いわゆるファンキーなフィーリングを指していることが多い。嶋津のアップテンポの曲は、そこから意識的に(と思う)遠ざかった独特のスイング感に満ちている。

自作の「Harapeko」ではバップの匂い、モンクの曲ではフリージャズに近い音も聞こえ、エリントンの曲ではオクターブの音を重ねて、ピアノ1台でふとエリントン・オーケストラを思わせる厚みのある音をつくりだしている。アップテンポのジャズを聴いていて、聞き手の内部の水位がどんどん上がり、その果てに精神がふだんの自分の殻を突きぬけて別次元に飛び出したと感ずる、あの至福の瞬間を体験できる。

このCD、僕にとってはジャズのリラクゼーションと緊張をともに味わわせてくれる1枚なのだ。

『Double Double Base Session』は、加藤真一、山下弘治という個性の異なる2人のベーシストと組んだ、ピアノに2ベースという一風変わったトリオ。

ふつう、グループのなかでベースの位置は、一定のリズムでフロント楽器をサポートしながら、ときどき短いソロを取るというもの。嶋津は2本のベースを使うことで、ベースをそんな固定的役割から解放し、弓での演奏も多用しながら、ベースを自由自在にフロント楽器として動かしている。

僕が好きなのは、11曲中3曲を占める加藤真一のオリジナルで、どれも素晴らしい演奏。

「黒ネコの理由」は、重力を感じさせないネコの足取りのようなピアノに、加藤のベースが自在に絡んでゆく。「ピコ」は2ベースだけのデュオで、エモーショナルな加藤に対し、クールな山下という2人のベースの対照が面白い。「Old Diary」では、嶋津の悲しみに満ちたピアノにうっとりする。

嶋津のオリジナルも2曲演奏されている。こちらは静謐なピアノ。ジャズの枠組みを使いながら、ジャズのリズムや「ノリ」からは意識的に離れた音が紡ぎだされる。「はるかなる山の呼び声」(どこかで聴いた曲だと思ったら『シェーン』の主題歌)やレノン=マッカートニーの「Nowhere Man」も同じで、主に山下の構成的に音を配置してゆくベースとの組み合わせが透明な音宇宙を生みだしている。

ほかにも、MJQの名曲「ジャンゴ」をバラードで演奏したピアノは絶品。

嶋津健一は、秋にはまた別のグループでライブをするらしい。今度はどんな音を聴かせてくれるのか。

http://www.rovingspirits.co.jp/shimazu/

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August 13, 2004

『ドリーマーズ』の細部

細部がこんなに魅力的なのに、どうして映画全体として心に響いてこないんだろう。それが、ベルナルド・ベルトルッチの『ドリーマーズ』を見ての感想だ。

1968年のパリ。「5月革命」のさなかに出会ったアメリカ人留学生と双子の姉弟との、ねじれた「愛」のゲーム。

出会ったばかりの留学生のマチューが、姉のイザベルに聞く。「生まれはパリ?」。イザベルが答える。「1959年、シャンゼリゼ。産声は『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』」。

映画好きなら、ぴんとくる。これはゴダール『勝手にしやがれ』の、ジーン・セバーグの透明な声のせりふ。次の瞬間、ゴダールのモノクロ画面が引用され、カラーに戻ると、今度はイザベルがジーン・セバーグと同じ格好でシャンゼリゼを歩いている。

引用はさらにつづく。両親が旅行中のアパルトマンで3人が同棲(?)をはじめ、イザベルがマチューを挑発して、ルーブル美術館を3人で手を組み端から端までを駆け抜ける。ゴダール『はなればなれに』の印象的なシーンそのまま。ゴダールの映像とベルトルッチの映像がモノクロとカラーでつながれる。

ゴダールだけではない。バスター・キートン、ハワード・ホークス、サミュエル・フラー、ロベール・ブレッソンらの映像が、同じように引用される。こういう引用は、言うまでもなくゴダールの手法だった。ベルトルッチはゴダールのシーンだけでなく、手法そのものを引用しながら、ゴダールと先行する監督たちにオマージュを捧げている。

シネマテークの前でジャン・ピエール・レオがしたアンドレ・マルロー文化相弾劾の有名なアジ演説を、レオ本人が演じているのも嬉しい。

引用は映画だけではない。ジャニス・ジョプリンが繰り返し流れる。タイトル・ロールの背後にはジミ・ヘンドリクス。ほかにもドアーズ、ボブ・ディラン、グレートフル・デッドときて、最後はやっぱりという感じでエディット・ピアフ。

3人が「愛」のゲームを繰り広げるアパルトマンの内装も、イザベルのファッションも、いかにも耽美派のベルトルッチ好み。だからこの映画、細部を見ているぶんには実に楽しい(特にベビーブーマー=団塊世代には)。

それがなぜ映画的感動につながらないのだろう。答えは出ないけれど、ベルトルッチと彼が師と仰ぐゴダールの資質の差かな、という気はする。

ゴダールは物語を解体し、外部からたくさんの映像や音や言葉をポリフォニックに取り込むその速度によって映画をつくってゆく。一方、ベルトルッチは僕の見るところ物語作家で、唯美的な映像を積み重ねながらじっくりと物語を編んでゆく(だからベルトルッチはゴダールでなくヴィスコンティの後継者だと僕は思う)。そんな資質のベルトルッチがゴダールふうな拡散とスピードで映画をつくろうとしたことが、この映画に齟齬をもたらしているのではないかな。

ラストシーン。「ドリーマーズ」となってアパルトマンに閉じこもった姉弟の耳に、窓の外から街路のデモの音が聞こえてくる。マチューにうながされて2人は外に出る。ドアを開ける瞬間、僕は鈴木清順みたいな映像の飛躍を期待したんだけど(真っ赤な雪、とまでは言わないが)、デモの波と赤旗が映し出されただけだった。まあ、ベルトルッチは赤旗好きだから仕方ないか。リアリズムの「正しい」映像だけど、ちょっとがっかりした。

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August 10, 2004

控えさせていただきます

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これって、どういうことなんだろうね。「客用のトイレを従業員が使っていいのか」とか、「お宅の従業員はトイレで会っても挨拶しない」とか、苦情が出たんだろうか。それとも、そういう苦情が出ないように先回りして、こんな看板をつくったんだろうか。

いずれにしても、こういうことを文字にして明示することで、なにかが壊れてゆくと感ずる。なにかとは、一言で言えばコモン・センスということだろうか。こういうことは、お互い「言葉」や「文字」以前の文化として、これまでうまく対処してきたんだと思うけれども。

日本社会は同質性が高いと言われるけど、同じ眼の色、同じ肌の色をしていても、実は共通の了解がなくなりつつあり、「日本人」という(とされる)同一性がどんどん崩壊しているのかもしれない。

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August 07, 2004

ブログの可能性

ブログを始めて1カ月になる。アクセスは多くて日に50件だけれど、8月5日の木曜日、いきなり165に跳ね上がった。

どうしたのかと思って、「アクセス解析」で「検索ワード」を調べたら、ほとんどが「カルティエ=ブレッソン」「決定的瞬間」だったんですね。この日の夕刊に、ブレッソンの死が報じられている。

「『決定的瞬間』の呪縛」と題した僕の記事は、今橋映子『<パリ写真>の世紀』について、本文の記述から、ブレッソンの有名な写真集のタイトルがフランス語の原題とはニュアンスが違うという部分を紹介して、自分の感想を記したものだった。

さらに細かく時間ごとのアクセスを調べると、2つの山があった。ひとつは午前中で、まだテレビや新聞で彼の死が報道されていない時間帯に当たる。もうひとつの山は夕方以降で、これは夕刊が配達された後の時間に当たる。

まだ報道されていない時間帯の山は、誰が検索したのだろうか。おそらくブレッソンが亡くなったという一報を受けたメディアの人間が、記事を書くための参考に引いたに違いない。それは編集者として僕自身がよくやることだから、よく分かる。最近では平凡社の大百科(CD-ROMを常備)を引く前に、まずGoogleで引いてみることが多い。

さらに数日して新聞のコラムで、『決定的瞬間』というタイトルの「意訳」について触れた文章を目にした。このタイトルの件は写真関係者には知られているし、そもそも僕のブログが他人の本を紹介したものだから、その本を読んだ人なら誰でも知っている。だからコラムの筆者が僕のブログを読んだ可能性は小さい。

でも、ブレッソンの死にいろんな意味で興味を持った人が、信頼度は低いが無数の項目の立つ百科事典の代わりにインターネットを使ったことで、僕のブログへのアクセスが一時的に跳ね上がったことは確かだろう。

話は変わるけど、ブログにはホームページとはまた別の可能性を感ずることがある。なにより専門知識を必要とせず、僕のようにワープロとメールとインターネットがあれば十分というレベルの人間でも運営できるのがいい。僕はまだ十分に使いこなせていないけれど、コメントによってホームページよりずっと互いの意思を伝えやすいし、トラックバックを張ることで簡単にネットワーキングもできる。

僕の友人はブログでそんな可能性を指摘しているし、実際に教えている大学でブログを使って授業を試みてもいる(サイト「Radical Imagination」[Links参照]の「ブログと2ちゃんねる」)。

友人はそこで「一人総合雑誌」とでも言えるブログを紹介しているが、これも興味深い。コメントやトラックバックをうまく使えば、「一人雑誌」や「一人新聞」といったネット上の新しいジャーナリズムのかたちだって見えてくるかもしれない。

僕はサイト「ブック・ナビ」で書評を書いているが、『サラーム・パックス』という本を取り上げたことがある。イラク戦争のとき、米軍爆撃下のバクダッドから同時中継的に書かれていたブログを翻訳したものだ。次々にトラックバックが張られることで世界に広がり、多くの人が彼のブログを見た。これなど湾岸戦争時のCNNに匹敵するジャーナリズム性を持ったんじゃないだろうか。

ジャーナリズムは情報が命で、その収集には膨大なカネと人手が必要だから、メディアは必然的に企業化するというのがこれまでの常識だった。でも、「サラーム・パックス」がバクダッド発だったことで意味をもったように、誰でもなんらかのオリジナルな立場や主張をもっている。そのオリジナルによって、「一人新聞」や「一人雑誌」は成立する。

そんな「一人新聞」や「一人雑誌」がテーマに応じてネットワークを組むことで、時にはマス・メディア以上の力を発揮することができるかもしれない。情報流通のスピードに関しては、ネットは十分にテレビに対抗できる同時性を持っていると思う。

またそれぞれのブログが独自のスタンスを取ることで、多様な視点も期待できる。別の友人が、プロ野球の1リーグ制騒動で「読売不買のすすめ」を書いたら、やはりアクセスとトラックバックが急増したと書いている(ブログ「ブック・ナビ」[Links参照])。主張のはっきりした「一人新聞」「一人雑誌」がゆるやかにネットワークを組むことで、「客観報道」ではない個性あるジャーナリズムをつくれるかもしれない。

ただ、これも先の友人が指摘していることだが、ブログはアメリカでは実名が基本だという(友人も実名でブログを運営している)。そのことによって情報の信頼性を確保しているわけだ。この国では「2ちゃんねる」に代表される匿名の悪意がネット上を吹き荒れているけれど、これからのネット文化がどういう方向に進むのか(進めていくのか)は大きな問題だろう。

僕もいくつかの理由から実名を出さずにこのブログを運営しているが、いずれは実名でやりたいと思っている。

以上、ブログ初心者が見当違いのことを言ってるのかもしれないけど、友人のブログを最初に見たとき、これは面白いって直感したので、いささか大げさなことを考えてみた次第。

http://oak.way-nifty.com/radical_imagination/

http://saya.txt-nifty.com/booknavi/


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『コヨーテ』と新井敏記

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新しく創刊された隔月刊誌『コヨーテ』を買った(スイッチ・パブリッシング)。編集長は『SWITCH』の名編集者として知られた新井敏記。

僕は『SWITCH』の割といい読者だったと思う。創刊間もない頃から愛読していて、「スポーツ・ライター特集」「サム・シェパード特集」なんか強く印象に残っている。

本を読んで、その著者が好きだなあ、会ってみたいなあ、と思う。そういう読者の気持ちのままに、つてもなく未知のジョージ・プリンプトン(確かそうだった)やサム・シェパードに連絡を取り、会いに行き、その熱意で彼らの協力を得て、1冊まるごとの大特集をつくってしまう。

その姿勢にアマチュアリズムというか、雑誌の初原のかたちが感じられて新鮮だった。「ジョン・カサベテス特集」なんか、今も大事に保存している(僕は自分がかかわった雑誌も捨ててしまうけど)。

その後、沢木耕太郎、池澤夏樹、星野道夫、藤原新也、荒木経惟、坂本龍一らが登場するようになり、文学と写真と音楽の接点での特集がふえた。彼らビックネームが寄稿するようになったのも、1冊の雑誌を生み、見事に育てた編集者としての新井敏記への信頼があったからこそだろう。

雑誌がぐっと若くなったと感じたのは数年前からだろうか。メジャー、マイナーを問わず、ミュージシャンが登場することが多くなった。雑誌が大きくなって部数が伸びたこと、若いスタッフがふえたことが理由なのだろうな、と想像していた。編集長の個性で売ってきた雑誌だけれど、吉田美和やミスチルが新井の好みとも思えなかった。

やがて、新井敏記が編集長を降りるという告知が誌面に載った。雑誌は編集長のものだけれども、同時につくり手を離れて独自の生命を持ってしまうものでもある。新井はおそらく最近の『SWITCH』に、自分との折り合いの悪さを感じていたのではないか。

だから『コヨーテ』は、新井がもう一度、初めからやってみたいと思って創刊した雑誌だな、と感じた。表紙に「magazine for new travelers」とあるように、テーマは「旅」。コヨーテというタイトルが、その精神を表している。

雑誌は創刊間もないころの『SWITCH』に似て、1冊まるごとの大特集というつくりになっている。巻頭に谷川俊太郎の詩、沢木耕太郎と藤原新也のコラム、荒木経惟の連載。特集以外のページはこれだけ。つくりはシンプルだが、筆者は豪華メンバーだ(創刊号に新しい書き手がいないのは寂しいが)。

特集は森山大道。いままで 『SWITCH』が森山を取り上げないのを不思議に思っていたけれど、新井はこの創刊号のために、企画をずっと暖めていたのかもしれない。

メインは大竹昭子が森山に密着したロング・ドキュメント。パリ、松江、池袋と3部構成になっていて、1年以上かけて準備され、取材されたものであることが分かる。森山の過去と現在をていねいに交錯させたドキュメントで、おそらく90年代以降の森山しか知らない若い読者は、彼の年期の入った「放浪」に圧倒されるだろう。パリで森山がウィリアム・クラインに再会する場面が感動的だ。

もちろん森山自身が撮影したパリと宇和島(大竹伸朗とのコラボレーション)、東京(阿部和重とのコラボレーション)があり、写真とはまた別の魅力をもつ文章も寄せている。

ほかにホンマタカシによるインタビュー、森山の愛読書紹介、パリでの展覧会の反響などあって、盛りだくさん。60年代から現在まで一貫して路上を撮りつづけ、しかも時代時代の空気に敏感に感応してしぶとく生きてきた森山大道の現在を、たっぷり楽しめる。なかで森山の写真を大竹伸朗が「貼り付け」た「宇和島」が、意表をつく組み合わせで楽しめた。

さすがに創刊号だけあって、力の入ったつくり。雑誌としての新鮮さや刺激はないけれど、上質の誌面づくりが快い。次号の特集は星野道夫。『SWITCH』で繰り返し特集し、やりつくした感もある星野道夫をどう料理するか。そこに『コヨーテ』の今後がかかっているように思う。期待しよう。

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August 05, 2004

夢のかけら

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古いけれど、しゃれた木造アパートのコーナーに棕櫚の木があった。昭和初めに建てられた我が家(日本家屋)の玄関前にもある。

南方系にルーツを持つこの椰子科の植物が、庭木として好まれるようになったのはいつごろだろう。

明治28年、台湾の植民地化。大正9年、南洋諸島を委任統治。そうしたことが背景にあるのではないかと僕は思っている。

明治末から大正にかけて、日本人は南方に進出すべしという「南進論」に酔った。ゴム園、鉱山経営、製糖、そしてそれに伴う「からゆきさん」たち。

「冒険ダン吉」にまでつながる、そんな「南方幻想」の砕けた夢のかけらが、日本家屋に棕櫚というかたちで僕たちの目の前に残っているのではないか。

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August 03, 2004

セザリア・エヴォラの「哀しみ」

先日、パリから成田への長旅のあいだ、眠れないので機内サービスのアフリカ・ポップスをずっと聴いていた。知らない曲ばかりだったけれど、次々に耳に入ってくるアフリカのリズムが快く、身動きできない身体を音の洪水にゆだねていた。

突然、それまでの強烈なリズムとはまったく異質の、メロディアスで耳慣れた曲が耳に飛び込んできた。セザリア・エヴォラの「Beijo Roubado」だった。ああ、これはやっぱりアフリカではなくファドなんだなと思った。

セザリア・エヴォラをよく聴く。大地に根ざしたような太く、優しい声。ファドに似て哀しみにあふれたメロディー。それでいて、ファドより軽快なリズム。こんなにも心に染みこんでくる歌を、久しぶりに聴いた。

僕はファドが好きだけど、アマリア・ロドリゲス、フェルナンダ・マリア以降、惚れ込むほどの歌い手になかなか出会わない。近頃はファドもワールド・ミュージック化して、若い歌手やグループのCDもずいぶん出ているし、コンサートにも出かけたが、しばらく聴くと彼らのCDはいつの間にかラックに収まったままになっている。

セザリア・エヴォラはかつてポルトガルの植民地だったカヴォ・ヴェルデの出身。若い頃はリスボンで歌っていたらしいから、ファドの影が色濃いのは当然かもしれない。ファドの精神といわれる「サウダージ」(郷愁とでも訳したらいいか)の感情を、本国の若いファドの歌手以上にたっぷり湛えていると僕は思う。

その意味では、ファド代わりにセザリアを聴くのも、あながち見当はずれではないのだろう。「サウダージ」の深さと透明さにおいて、アマリアが新作ファドばかりを歌った『COM QUE VOZ』(永遠の愛聴盤です)に近いといえば誉めすぎだろうか。

カヴォ・ヴェルデはセネガルの沖(といっても500キロ以上離れたところ)にある島。おそらく、大航海時代に喜望峰を目指すポルトガル船によって「発見」されたのだろう。アフリカ系の奴隷を南アメリカに「輸出」する中継地として栄えた。

だから「モルナ」と呼ばれるカヴォ・ヴェルデの音楽は、三大陸の要素が混交したクレオール音楽だった。ポルトガルのメロディー。アフリカ西海岸のリズム。ブラジルのサンバやショーロで使われる小型の4弦ギター、カバキーニョ。商業的な「ワールド・ミュージック」の遙か以前から、過酷な運命に条件づけられたワールド・ミュージックだったわけだ。

そのような音楽が僕たちの耳に届くようになったのも、皮肉なことに近年の「先進」諸国のワールド・ミュージック・ブームのおかげなんだよね。

「Beijo Roubado」(名曲です)の入った『VOZ D'AMOR』(BLUEBIRD、日本盤も出ているはず)は、グラミー賞のワールド・ミュージック部門受賞作。前作『遙かなるサン・ヴィセンテ』(SONY)ではカエターノ・ヴェローゾはじめ、ブラジル、キューバ、スペイン、アメリカのミュージシャンと共演しているし、『VOZ』ではバックにピアノ、エレクトリック・ベース、サックス、ヴァイオリンが入っている。

僕はワールド・ミュージックとして録音された2枚を聴いただけで、それ以前のカヴォ・ヴェルデ音楽としてのセザリアを知らない。でも、おそらく本質的な差はないだろうと思っている。

そもそも本来の「モルナ」が三大陸の要素が混血したクレオール音楽なのだし、「ワールド・ミュージック」としてつくられた最新の2枚も、そのような混淆の上に、サンバやフォルクローレやキューバ音楽の音とリズムをとてもうまく乗せているように思えるからだ。

それをソフィスティケートされたと呼ぶか、非アフリカ化されたと呼ぶかは、聞き手の価値観にもよる。でもファドから入った僕には、価値判断以前に、なにより耳に心地よい。

ただ、あまりにもファドのメロディー的要素が強すぎ、機内で聴いたアフリカン・ポップスが、アメリカ的要素をアフリカのリズムが食い破ったなという印象なのに比べると、音全体としてヨーロッパ-南米的な哀愁に回収されてしまっているような気もする。セザリアの歌が「サウダージ」を体現した素晴らしいものであるだけに、よけいにそういう印象を与えるのだろう。

セザリアの声に聴きほれながら、「植民地の哀しみ」という言葉がふっと頭をかすめたりもするのだ。

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August 01, 2004

美術館

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わが家のご近所の「美術館」。米屋の経営者が趣味と実益(?)を兼ねてやっている。

ヴィーナスに考える人、ウインドーには掛け軸、ここには写ってないが、看板の陰に中国ふうの石像もある。入場料200円也だけど、まだ入ってみる勇気が出ない。

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