『決定的瞬間』の呪縛
大学病院へ何回か通うことになった。朝一番に出かけて、診てもらえたのは夕方、それも5分なんて話を聞くから、覚悟して、前から気になっていた今橋映子『<パリ写真>の世紀』(白水社)を持ってでかけた。本文、注など合わせて600ページを超す大著。
1回目は診察まで4時間待ち。2回目は5時間待ち。順番が気になったり、隣の病気自慢に思わず耳をそばだててしまったりするけれど、他にすることもないから、読書空間として悪くはない。行き帰りの電車も含めて、3分の2ほどを読んでしまった。
アジェにはじまり、ケルテス、ブラッサイ、ドアノー、エルスケン、カルティエ=ブレッソンなどの<パリ写真>の系譜を、仲間であり、写真集の共作者でもあったジャック・プレヴェールら文学者とのかかわりで読み解いた意欲的な本。
本筋について触れる余裕も力もないが、カルティエ=ブレッソンの有名な写真集『決定的瞬間』のタイトルをめぐる考察が面白かった。
『決定的瞬間(The Decisive Moment)』という言葉は、もともとフランス語原版ではなく、英語版のタイトルだった。フランス語のタイトル“Images a la Sauvette”は英語版タイトルとはニュアンスが違うという指摘はこれまでにもあったけれど、著者は新たな解釈を示して、これは『不意に勝ち取られたイマージュ』という意味だという。
『決定的瞬間』というタイトルは、(詳しい説明は省くが)フランス語原題のラディカリズムや曖昧さを覆い隠し、「空前絶後のシャッター・チャンス」という分かりやすい一方向へと読者を誘導してしまう。そしてそれは英語版の監修者が意図的にやったものだった。
確かに、「決定的瞬間」という言葉があまりにも有名になってしまった結果、僕たちはカルティエ=ブレッソンの写真を、作品そのものを見る以前にその言葉にしばられ、「決定的瞬間」という方法の成果として見てしまう。いまの感覚からすれば、ちょっとできすぎじゃないの、などと思ったりする。
もう一度、カルティエ=ブレッソンの写真を、「決定的瞬間」という言葉から離れて見直してみよう。
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