スティーブ・キューンの「シャレード」
ピアノ・トリオが全盛だ。かくいう僕も、ピアノ・トリオを愛するひとり。毎月、新作のCDが何枚も発売されるから、つい買ってしまう。僕は新しいCDを買うと、ともかく1週間、毎日聴くことにしているけれど、なかには1週間ももたず飽きてしまうものもある。
そのなかで、2年前に買ったにもかかわらず、いまだによく聴くのがスティーブ・キューンの「シャレード」。キューンは、いま僕がいちばん好きなピアニストで、「シャレード」は彼が演奏するスタンダードのなかで、いちばん好きな曲だ。
『ワルツ』(VENUS)という2枚組(別売)のアルバムに入っている。『ワルツ』は「レッド・サイド」と「ブルー・サイド」に分かれていて、それぞれ9曲のうち8曲が同じ曲という構成。大胆というか、ずるいというか。
なにが違うかといえば、ベーシストが違う。「レッド」はエディー・ゴメス、「ブルー」はゲイリー・ピーコックという対照的な2人。ベーシストによって、トリオの演奏が同じ曲でこんなに変わるの? という驚きがこのアルバムの狙いであり、面白さでもある。
ヘップバーン主演の映画音楽の有名なテーマがピアノで演奏された後、ベース・ソロに入る。エディー・ゴメスのベースは、ゆったりと心地よくスイングしながら情感を盛り上げてゆく。ゲイリー・ピーコックのベースは、ペースを崩さずに淡々と自分の世界を紡ぎだしてゆく。
だから、ベース・ソロの後のピアノのアドリブの入りが、最初の音からして違う。「レッド」は、既に感情が高まっている。「ブルー」は、抑え気味。ゴメスのベースは、キューンの音を支え、ピアニストの情感をさらに挑発してゆく。ピーコックのベースは、キューンの音に距離を取りながらからみつき、ピアニストを煽ることをしない。
「レッド」の「シャレード」は、だから熱い。「ブルー」の「シャレード」は、冷たい官能、とでもいうべき美しさを湛えている。
こんな変化のあるプレイができるのも、もともとキューンがフリー・ジャズ的なアルバムも出してきた(あるいは本来そっちの)プレイヤーだからだろう。その音は、ECMの一連のアルバムで聴ける。
「レッド」にしろ「ブルー」にしろ、キューンの弾くスタンダードはよくスイングし、エモーショナルだけれど、ノリのよいジャズに時々あるように、繰り返し聴いていると飽きるということがない。そのようなキャリアをもっているミュージシャンだから、アドリブが常套句にならず、難しいことをやっているわけではないのに新鮮な音が次々繰り出されてくるのだと思う。
僕は、何かをしながら聴くときは「レッド」をかけ、じっくり聴きたいときは「ブルー」を選ぶことが多い。はじめての人には、「レッド」がお薦め。
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