『子猫をお願い』の「いま」
高速道路の下に使われなくなった鉄道線路があり、その線路に沿ってバラックが並んでいる。ああ、アジアの風景だなと思う。
主人公のひとりが線路に沿って歩きながら、老婆に「おばあちゃん」と呼びかけて肩を寄せるのを背後から俯瞰気味に追うショットを見たとき、おや、これは考えていたのとは別の肌合いの映画だなと感じた。
『子猫をお願い』は、『8月のクリスマス』にはじまり『猟奇的な彼女』でブレークした、ソウルを舞台にした男女のトレンディーなお話だとばかり思っていた。宣伝もそんなふうだったし。ところが、これが違ったんですね。僕はそのことに、うなった。
まず、インチョン(仁川)が主舞台というのがいい。ソウルからの通勤圏にあるインチョンは港町、それも韓国の地方や、多分中国との航路があり、しかも漁港でもある港町(ソウル国際空港もインチョンにある)。だから、横浜や神戸のように欧米に顔を向けた洗練された町ではない。
映画はインチョンとソウルを往復しながら進むのだけれど、都会であるソウルと、対照的に地方都市ふうでスラムもあるインチョンのロケが見事だ。流れるような移動撮影が印象に残る。
インチョンの商業高校を卒業した5人の女性グループは、1人はコネでソウルの大企業に勤めているが(いつもルイ・ヴィトンのバッグを手に)、あとの4人はインチョンにいる。
中国系のコリアンらしい双子は、手作りのアクセサリーを路上で売っている。1人は親の経営する銭湯を手伝いながら、ボランティアで身障者の詩人の詩をタイプで打っている。スラムに祖父母と住むもう1人は、職をさがしているのだが見つからない。
ソウルにいる上昇志向の子の誕生日にプレゼントされた子猫が、次々に同級生の手に渡されてゆくかたちで、彼女らがそれぞれに抱える不安や家族の問題、5人の友情と葛藤があきらかになってゆく。
『8月のクリスマス』から『猟奇的な彼女』へつらなる韓国トレンディー映画は、1980年代に層として成立したといわれる韓国の中産階級を基盤にした映画だった。でもこの映画は、中間層(ソウルの主人公)と、その下に今も残る下層(スラムの主人公)という階層差に着目し、その緊張からドラマの主な要素を引っぱり出してきている。
日本映画に喩えれば、『桜の園』のつもりで見ていたら(古いなあ)、実は『キューポラのある街』だったんですね(これはもう、古いを通り越して映画史上の作品だね)。
階層差からドラマを取り出すたぐいの映画が、韓国では珍しいわけではない。むしろ、それがかつての韓国映画の主流だった。だからこそ、都会の中産階級のお話が新鮮で、『8月のクリスマス』が韓国でも日本でも注目を浴びた。
でも、かつての韓国映画、たとえば1980年代のイ・チャンホやペ・チャンホ監督以前だったら、この映画は涙と絶叫にあふれ、センチメンタルな音楽が鳴りひびく映画になったろう。
『子猫をお願い』は違う。主人公同士のやりとりは携帯のメールを通じてなされ、携帯の画面が字幕のように画面に表示される。ボランティアの主人公が、好きになった詩人の詩をタイプライターで打つときも、タイプの文字が字幕のように表示される。
ここでは友人同士、恋人同士のせりふや内面の声が、直に感情に訴えかけ、揺さぶる人の声ではなく、感情を抑制する働きをもつ字幕によって示されている。
さらに音楽も、携帯の着メロとして「チム・チム・チェリー」がデジタル音で流されたりし、ここでも感情を高めるようには使われていない。たしかに「いま」の韓国映画なんだな。
そのように抑えのきいた映画であるにもかかわらず(あるいは、抑えのきいた映画だからこそ)、ラストシーンで僕は不覚にも泣いた。
韓国映画の勢いを改めて確認させられる。脚本・監督は、これが処女作(信じがたい)という女性、チョン・ジェウン。
親の稼業を手伝い、最後にハッとさせられる主人公を演ずるペ・ドゥナがキュートだ。
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