本橋成一の力の抜けかた
本橋成一の写真展「生命(いのち)の旋律」(銀座キヤノン・サロン、~7月31日)を見てきた。
自分の身体を、手と足と頭脳とをまるごと使って働いている人々の肖像を、日本全国(外国もあるけど)、それぞれの営みの場所で捉えている。
いまも人手で田植えを続けている人、わさび田をつくっている人、山椒魚の漁師、昔ながらの船大工、干潟を守る人、細々と林業をやっている人、家内工業でバッグをつくっている一家、ダムに沈む村で子守歌を伝承しているおばあさん……。かつての日本ならどこにでもいた、当たり前に暮らしている人たちだ。
そういった人たちが働いている現場の後ろには、青い海が広がっていたり、雪に白くなったブナの森が広がっていたり、狭い谷に清流が走っていたり、窓の外に木造の町屋が見えたりしている。
そんな場所と人たちを、本橋成一は何の技巧もこらさず、ごく普通に撮っている。
いや、こういう言い方は正確じゃない。むろん、大変な技術に裏打ちされているのだけれど、「ドキュメンタリー」や「報道写真」が持っている暗黙の約束事--テーマを構図によって強調するとか、場をさりげなく演出するとか、見る人のヒューマニズムに訴える瞬間や表情を狙うとか--から自由であることが、結果として、なんでもない写真に見えるのだろう。
新聞の日曜版連載という条件からか、本橋が得意とするモノクロではなくカラーであることも、そうした印象を強めている。
「生命の旋律」はこれまでの本橋の頂点をなす作品、チェルノブイリ原発事故で汚染された村を静かに見つめた『無限抱擁』『ナージャの村』と比べても意味がないけれど、その2冊を経たの後の力の抜けかたがうまく生かされた仕事だと思った。
このところ、彼がつくった『ナージャの村』『アレクセイと泉』という2本の映画が国際的にも評価され、本格的な写真の仕事はひと休みのようだけど、本橋成一の写真をもっと見たい、と感じさせる。
<注>秋以降、札幌、大阪、名古屋などのキヤノン・サロンを巡回。同名の写真集も毎日新聞社から出ている。
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