October 12, 2019

『マインドハンター』 ネトフリ廃人?

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「ネトフリ廃人」という言葉があるそうだ。ネットフリックスの、主に連続ドラマにはまってネットフリックスを延々と見つづけ、廃人のようになってしまった人間を言う。僕はネットフリックスで単発の映画やドキュメンタリーを見ているので無縁だと思っていたけれど、この1週間、「ネトフリ廃人」になりかけた。

その罪深いドラマは『マインドハンター(Mindhunter)』。『セブン』の映画監督デヴィッド・フィンチャーと女優のシャーリーズ・セロンが製作し、フィンチャーが19話中7話を演出している。かつて一世を風靡したデヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス』のフィンチャー版といった感じ。

主人公は1970年代のFBI捜査官二人。猟奇的な犯罪を犯した連続殺人犯に聞き取り調査をし、後にプロファイリングと呼ばれる手法を確立する男たちの物語だ。と書くと、よくある猟奇犯罪ものか、と思われるかもしれないが、このドラマが面白いし凄いのは猟奇的な残酷描写やアクションがほとんどなく、徹頭徹尾会話劇であるところ。

なかでも実在の犯罪者エド・ケンパー(キャメロン・ブリットン)と主人公フォード捜査官(ジョナサン・グロウ)が獄中で何度も対話するシーンはシリーズ1の白眉だ。シリーズ2ではチャールズ・マンソンも登場する。ケンパーやマンソンの語る言葉によって、猟奇犯罪を犯した男の心のうちがじわりじわりあぶり出され、世間の掟に従って日常生活を送っている私たちの奥底にも同じものが潜んでいるのに気づいてぞくぞくっとする。シリーズ2ではフォード捜査官もケンパーの言葉に感応し、抱きしめられてパニックを起こしてしまう。

もうひとりの主人公は、FBIに行動科学科というセクションをつくったベテランのテンチ捜査官(ホルト・マッキャラニー)。テンチは古い体質の組織や上司とつきあいつつ、若いフォードが時に暴走するのを抑える。そして二人に勧誘され大学の研究者からFBIに転身したウェンディ(アナ・トーヴ)。黒いスーツに身を固めたウェンディがクールな目で男二人を見据えて皮肉をとばすシーンがどのエピソードにも出てきて、なんとも恰好いい。

この三人を中心に、何人もの連続殺人犯へのインタビューが繰り返される。各地の警察署から連続殺人事件捜査への協力を要請される。三人それぞれのプライベートな生活が挿入されるのもドラマに彩りを与えてる。シーズン2の終わりでは、フォードは大学院生の恋人と、テンチは妻と、ウェンディは同性の恋人と、それぞれ破局を迎えてしまったようだ。

このドラマのもうひとつの魅力は、1970年代のアメリカが見事に再現されていること。街並み、自動車、ファッション、髪型、音楽……。この時代、ヒッピーやカウンター・カルチャーが話題になっていたとはいえ、そういうものと無縁な中西部や南部が舞台で、合衆国の多数派の人びとが登場するドラマ。中産階級が多く豊かだった時代の地方都市の空気が実によく描かれている。

 

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October 11, 2019

『帰れない二人』 現代史を凝縮したメロドラマ

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病院で「寛解」との診断をもらって、さて、まず何をしようか、と院内のカフェでお茶を飲みながら考えた。そうだ。このまま映画を見に行こう。これまでは感染症の恐れがあるので人混みは避けるよう言われ、映画館へ行くのを自分に禁じていた。それを解こう。映画館で映画を見るのは10カ月ぶりだ。ちょうど見たい映画がかかっていた。ジャ・ジャンクーの『帰れない二人(原題:江湖儿女)』。彼の映画はほとんど見ているから、見逃したくない。というわけで渋谷のル・シネマへ。

原題の「江湖儿女」は、流れ者の男と女、といった意味らしい。中華人民共和国は建前として黒社会の存在など認めないだろうけど、どの時代どの国にも社会からはみ出して生きる人間は存在する。この映画は流れ者として生きる男と、その男を愛する、彼女自身もなかば社会からはみ出た女が主人公。時代は2001年、2008年、2017年。場所は山西省、三峡ダムとウィグル、再び山西省。時代と場所を越えて一組の男と女の物語が語られる。

 2001年、炭鉱の町、山西省大同。炭坑夫の娘チャオ(チャオ・タオ)は雀荘を経営している。恋人はヤクザ者で、若いもんを束ねるビン(リャオ・ファン)。炭鉱は不況で、炭鉱局は新疆に移ることが決まっている。チャオはビンに一緒に暮らそうと迫るが、ビンはうんと言わない。ある夜、町でビンは若いチンピラに囲まれぼこぼこにされる。見かねたチャオはビンが持っていた拳銃を発射する。2008年、三峡ダムで沈む町、奉節。刑務所を出たチャオは、事業に成功した弟分の世話になっているビンを訪ねてゆく。が、ビンは弟分の妹の恋人になっていた。船着き場で無言で向き合う二人。チャオはゆきずりの男に誘われ新疆ウィグルへ向かう列車に乗る。2017年、再び大同。古巣の雀荘の女将に収まっていたチャオのもとへ、脳出血で半身不随になったビンがころがりこんでくる、、、。

離れそうで離れられない男と女を、ジャ・ジャンクー映画のミューズであるチャオ・タオと、武骨なリャオ・ファンが言葉少なに、そのかわりふとした身振りや表情で陰翳たっぷりに演じている。それがこの映画の最大の見どころ。雑草が生え人けのない炭住を背景にチャオとビンが並んで歩くショット、揚子江の船着き場で無言で向き合うショット、粗末なホテルの部屋でぽつぽつ語りあう二人のショット、チャオにあてがわれた雀荘の部屋で言い合う二人のショット。忘れがたい場面がいくつもある。2001年では可憐な娘の風情を残すチャオが、2008年では刑務所帰りの女詐欺師に変身し、2017年には貫禄ある雀荘の女将になっている。チャオ・タオは服装と髪型の変化でそれぞれに魅力的な女を造形している。

もうひとつの見どころは、風景と人。2001年と2008年のパートでは、一部に当時撮影したフィルムが使われているという。街のたたずまいも人々の服装や表情にも、つくりものでないリアルさがある。2008年くらいまで、まだ服装も顔も僕が知っている1980年代の貧しい中国とさほど変わっていない。2001年のパートに出てくる乗り合いバス、2008年の新疆へ向かう夜行列車、2017年の新幹線と、乗り物も変わりゆく時代を雄弁に物語る。エリック・ゴーティエの撮影も、2001年と2017年では質感が異なって古いフィルムと違和感なくつながる。

ジャ・ジャンクーの作品群はすべて改革開放以後の中国を舞台にしている。だから彼の映画を全体として見れば、叙事的な中国現代史になっている。この映画は、そのうち山西省を舞台にした『青い稲妻』と三峡ダムを舞台にした『長江哀歌』の設定を引き継いでいる。『青い稲妻』はずいぶん昔に見たので覚えてないが、山と川を背景に船上のチャオを捉えた『長江哀歌』と同じようなショットがあった。

映画のスタイルも、ずいぶん変わってきた。ドキュメンタリーふうな初期作品から、『罪の手ざわり』では武侠映画のスタイルを取り入れ、犯罪や暴力をテーマにした。前作『山河ノスタルジア』では過去・現在・未来という三つの時代をオムニバスにしている。『帰れない二人』はそうした要素をふんだんに取り入れて、ジャ・ジャンクーの全作品が語る長大な中国現代史を1本に凝縮したメロドラマといった味わいがある。

 

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October 04, 2019

タイサンボクの実

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一昨日、病院へ検査結果を聞きにいった。結果は、寛解していますとのこと。がんの場合、寛解とはがん細胞は見つからず症状もない、ただし本当にがんが消えたかどうかは時間がたってみないと分からない、ということらしい。診断結果を聞いて、ほっとひと息。もっとも、手足のしびれなど抗がん剤の副作用は残っているし、体重もだいぶ減ったので体力・筋力が低下している。これからは、定期的に検診を受けながら体力を回復するリハビリに当たることになる。

皆さんからたくさんの励ましをいただきました。それに支えられてここまで来られたのだと思っています。ありがとうございました。

写真は病院の入口にあるタイサンボクの葉と実。巨大な白い花、日差しを受けて光る肉厚の葉、堂々とした枝ぶりは、その下を通りぬけるたびに力強い生命の力をもらうように感じられた。

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September 25, 2019

1日がかりの検査

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昨日は1日がかりの検査。朝6時半に軽く朝食をとった後は、夕方に検査が終わるまで摂取できるのは水のみ。午前中は採血、午後は、微量の放射性物質を体内に注射し、その動きをCT撮影するというもの。

今朝の朝日新聞をみたら、たまたま素粒子物理学者の村井斉が反物質という物理学の理解しにくい現象を利用したその仕組みを解説してた。放射性フッ素を含んだ糖分を体内に入れると、糖分を好むがん細胞の周辺に集まる。がん細胞にとりこまれた放射性フッ素が反応して反物質の陽電子を生みだし、陽電子が崩壊するときガンマ線を放出する。それを撮影することで、がんの存在を確認できるというもの。僕はPET-CT検査と呼ばれるこの検査法の画像を見たことがある。ガンマ線は赤いボールのように点々と妖しく光っていて、がん細胞がつくりだす人体のなかの美しい光景になぜか感動してしまった。

この検査での人体への被ばくは2.2ミリシーベルトで、人間がふつうに暮らしていて1年間に受ける自然放射能とほぼ同じ値だという。しかも短時間で減っていくが放射能には違いなく、帰るときに妊婦さんや幼児には近づかないよう注意される。自分がいわば放射能漏れしている小型原子炉になっているわけだ。

そのこともあり、また腹も減っていたので、病院の最上階にあるレストランで遅い昼食。レストランからは建設中の新国立競技場が眼下に見える。ずいぶんこぢんまりとまとまった外観。これに比べれば当初のザハ・ハディッドのデザインのほうがインパクトは強烈。衰退しつつある国が注ぎ込むムダ金の記念碑として、こちらのほうが時代的意味があったのではないか。

 

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August 28, 2019

ボルタンスキー展へ

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今日は雨で気温も30度を切る。病院に行くたび、帰りに寄ろうと思いつつ暑さにめげてあきらめたボルタンスキー展(国立新美術館、~9月2日)にようやく行ってきた。展覧会に行くのは病気になって2度目。混雑しそうな展覧会は避けていたが、これはゆったり見ることができた。

薄い布にプリントされ微風に揺れる、モノクロームでおぼろげな、人の顔・顔・顔。アウシュビッツを連想してしまう、山と積まれた黒い服。死の匂いに満ち満ちていて、黄泉の国をひとめぐりしてきたような気がした。

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August 22, 2019

今日の収穫

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雨が降ったり、孫が来たり、友人と会ったり、4日ほど畑をさぼったていたら、今日はこれだけの収穫。小さなゴーヤの実がいくつもあって、初収穫は遅かったけど夏も終わろうかというこれからたくさん採れそうだ。

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August 18, 2019

ゴーヤの初収穫

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今年はじめてのゴーヤの収穫。今年は種蒔きが遅れ、おまけに長雨で生育が悪く、梅雨が明けて急激に伸びたが雄花ばかりで雌花が咲かず、例年より一月遅れでようやく実が大きくなった。わが家ではチャンプルーよりも糠漬けやサラダで食することが多い。

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August 10, 2019

ブルースの語りと歌に酔う

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ネットフリックスのオリジナル作品『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ(原題:Springsteen on Broadway)』は、ブルース・スプリングスティーンが2018年にブロードウェイの劇場で開いたライブのドキュメント。これが素晴らしい。

シンプルな舞台にグランドピアノが1台。ブルースが登場し、アコースティック・ギターとハーモニカ、時にピアノを弾きながら歌と語りで自分の音楽人生を回顧する(1曲だけ、妻のパティがギターと歌で共演)。

ブルースはニュージャージー州の小さな町で工場労働者の息子として生まれた。7歳で初めてギターを手にしたときのこと。地元のヒーローだったロックンロール・バンドへの憧れ。寡黙な労働者である父への尊敬と反発。父親が通うバーへ初めて足を踏み入れたときのこと。地元の仲間と組んだバンド。やがて詞を書き、曲をつくるようになる。題材は身近な家族、仲間、ストリート、工場、小さな町の風景。

それにしてもブルースの語りの見事さに驚く。周到に準備されたものと思うけど(エンドロールにwritten by Springsteenとあった)、それを感じさせない自然な語り口とユーモア。なにより彼が選ぶ言葉のセンスが見事だ。その間に挟まれる名曲の数々。ベトナム帰還兵に話を聞いてつくった「ボーン・イン・ザ・USA」は、聞きなれたEストリート・バンドのロックンロール・バージョンでなく、ブルースのシンプルなギターで聞くと、こんな悲しい曲だったのかと改めて気づく。

アメリカの健全な魂と民主主義への信頼。最後はやはりニュージャージーの思い出、故郷の伐採されてしまった大木の記憶と家族への思いで終わる。こういう歌い手を持っているアメリカという国は、やはり捨てたもんじゃない。

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August 02, 2019

コラム3本

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週刊朝日MOOK『司馬遼太郎と明治』に去年書いたコラム3本(「西郷の旧家と隠れ家」「江藤新平、三筋町に立ちつくす」「編集者としての子規」)が収録されました。

 

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July 27, 2019

和菓子店の廃業

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小熊英二『日本社会のしくみ』を読んでいたら、1980年代以降、非正規雇用者は一貫して増えているが、よく言われるようにその原因として正規雇用者が減ったわけではなく、その数はあまり変わっていないという記述があった。それでは非正規雇用者の増加はどこからきたのかといえば、そのぶん自営業主と家族従業者が減っているという。

 

その現象は大都市圏よりも地方都市で目立つけれど、ここ首都圏の浦和でも自営業の廃業が相次いでいる。先日は、自宅まで集荷配送してくれるクリーニング店に店を閉めると言われ、さてどうしたものかと思案している。経営者は僕より少し若く、趣味はバンド。うちへ来るといつも音楽の話で盛り上がるが、奥さんが仕事に疲れ、本人も車を運転していて何度か危ないことがあったという。跡継ぎはいない。

 

今日は駅前商店街を歩いていたら、和菓子店に廃業の貼り紙があった。線路の反対側なので買うことはあまりなかったが、ガラス戸を開けると店内は暗く、声をかけるといつもおばあさんが出てきた。

 

わが家がよくいく近所の和菓子店は健在だけど、ここも子供は別の職業に就いている。経営者夫婦は僕と同世代で、子供はうちの娘と小学校で同級生だった。製造販売している和菓子店の朝は早く、開店時間に品物を並べるには毎日午前3時半に起きるという。「いつまで続きますかね」と、このごろはやつれの目立つおかみさん。毎日売り切りの商売だから、もちろん防腐剤なんか入っていないし、午後も少し遅くなると桜餅とか葛梅とか季節の和菓子は売り切れてしまう。いつまでも続けてほしいけれど、歳のことを考えると無理は言えない。

 

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