August 17, 2018

今日の収穫

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8月に入って、ゴーヤは一日おきくらい、ミニトマトは毎日数個ずつ採れるようになった。ゴーヤはチャンプルーのほか、糠漬けがわが家の好み。しゃきしゃきした苦みがうまい。ミニトマトはほぼ自給。ブドウ(種アリのデラウェア)がようやく色づいてきた。来週あたりが食べごろか。夏休みで遊びに来ている孫が喜んで青い房まで食べてしまう。


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August 06, 2018

『ウィンド・リバー』 アメリカの「インビジブル・ピープル」

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Wind River(viewing film)

10年前、ニューメキシコ州サンタフェから先住民プエブロ族の保留地を車で走ったことがある。リオ・グランデ川の両岸に灌木の茂った荒野(砂漠)が延々とつづき、人家はほとんど見当たらない。そんな荒涼とした風景のなかに、いきなりカジノとホテルが出現する。先住民の保留地は自治権を持っているが、雇用と利益を生む産業(?)としてカジノが認められている。とはいえ鎌田遵『ドキュメント アメリカ先住民』(大月書店)によれば、カジノがうまくいっている保留地は少なく、大半の保留地では失業、アル―コール依存、ドラッグ依存、性暴力、ギャングなどの問題が蔓延している。

『ウィンド・リバー(原題:Wind River)』は、ワイオミング州にあるアラパホ族、ショショニ族の保留地。9000㎢の広大な地域にわずか26000人が住み、その80%が先住民だ(wikipedia)。そもそも保留地は、土地を追われた先住民を「人が住むべきでない地」(テイラー・シェリダン監督、公式HP)に強制的に押し込め、名目的な自治を与えたがドラッグ、暴力などさまざまな問題を生んだ「アメリカの最大の失敗」(同監督)と言われる場所だ。この映画は、そこを舞台にしている。

ワイオミングの映画といえば、心に残るのは雪の風景。『シェーン』で主人公シェーンは雪の山道を踏み越えてやってきたし、『ブロークバック・マウンテン』でも2人の男の背後にある山は雪に覆われていた。『ウィンド・リバー』の冒頭も夜の雪原。先住民の少女が、なにものかから逃げるように走っている。この映画でも、雪の風景が登場人物のさまざまな心象を映すイメージの鍵になっている。

先住民の妻と離婚した野生生物局のハンター、コリー(ジェレミー・レナー)が、保留地の雪原で狩りをしていて先住民の娘の死体を見つける。殺人事件なので部族警察でなくFBIが呼ばれ、新人捜査官のジェーン(エリザベス・オルセン)がやってくる。雪原での動き方すら知らないジェーンはコリーに助けを求め、部族警察のベンとともに捜査に当たることになる。死体があったのは人家から遠く離れた雪原だが、何キロも先にあるのは犯罪者やドラッグ中毒が集まる先住民の家と、石油掘削基地にある白人のトレーラー住宅だった。

保留地は自治ということになっているが、広大な保留地に部族警察官は6人しかいない。無法地帯と変らない。捜査は命がけだ。札付きの先住民の家では銃撃戦になる。石油掘削基地でも従業員は武装し、はじめから喧嘩腰で互いに銃を向け合うことになる。

捜査のなかであぶりだされるのは先住民の置かれた環境だ。札付きの先住民の家にたむろしていた被害者の弟はドラッグ中毒。先住民の妻との間にできたコリーの娘も、かつて行方不明になり死体で発見された。夜、コリーの妻の実家を訪れたジェーンに、コリーはそう自分の家族のことを語る。コリーの娘と被害者は高校の同級生だった。

それがコリーがジェーンに協力する理由なのだが、だから最後にコリーが犯人を追い詰めたとき、(もともと警察権を持ってないし)法の執行でなく復讐の色合いを帯びることになる。傷ついたジェーンもそれに同意していた。

いくつもの短いショットが先住民の悲しみを伝える。防寒具を用意してこなかったジェーンがコリーの娘(殺されていたことが後に観客にわかる)のものを着て部屋から現れたとき、娘の祖母が見せる一瞬胸をつく表情。無力感にとらわれながら、淡々と自分のなすべきことをする部族警察のベン。これから収監されたドラッグ中毒の息子を迎えにいく、と静かにコリーに語る被害者の父。

保留地とそこに暮らす人々は、ケイト・ブランシェットが『万引き家族』を評した言葉を借りれば、アメリカ人にとっての「インビジブル・ピープル(見えない人々)」だろう。8年前に公開された『フローズン・リバー』もカナダ国境の保留地を舞台にしたクライム・ストーリーで、コートニー・ハント監督の長編第1作だった。『ボーダーライン』の脚本家テイラー・シェリダンが監督第1作に選んだこの映画も居留地と先住民が主題になっていて、アメリカ(ハリウッド)でも意欲的な新鋭がこういうテーマを積極的に選ぶことに頼もしさを感ずる。

シェリダン監督は、本作の前に劇場公開しないネットフリックス・オリジナル映画『最後の追跡(原題:Hell or High Water)』の脚本を書き、これも評判になった(ジェフ・ブリッジス主演。アカデミー賞にノミネート)。いま、ネットフリックス・オリジナルやアマゾン製作などで、次々に意欲作がつくられている。劇場未公開映画のノミネートをめぐって、カンヌ映画祭とネットフリックスが対立したことは記憶に新しい。映画をつくる、見る環境がどんどん変わってゆく。映画館の暗闇、という映画を見ることの魅惑は20世紀のものだったのかもしれない。


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July 31, 2018

ナタリア・ラフォルカデを聞く

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毎年夏になると、毎日のようにそればかり聞く音楽が出てくる。暑すぎて朝から本格的なジャズを聞く気になれないから、その代わり。

昔ならナベサダの爽やかなジャズとかボブ・マーリイ、その後はブラジル音楽、アラブ・ポップス、ポルトガル音楽(マドレデウス)、キューバ音楽(ブエナビスタ・ソシアルクラブ)、ハワイ音楽(ハパ)、アフリカ系音楽(セザリア・エヴォラ)なんかを聞いてきた。今年はまったのはナタリア・ラフォルカデの「MUSAS Vol.2」。信頼する書き手(岸政彦.。ミュージシャンでもあるらしい)がツイッターでほめていたので不見転で買ってしまった。これが大正解。

ナタリアはメキシコのポップス歌手。このCDではフォルクローレを、時に現代的なアレンジで歌ってる(ジャケ解説のスペイン語が読めないので詳しいことはわからない)。アコースティック・ギター・デュオのロス・マコリノス(ゴンチチみたい)がバックをつけている。

パーカッションにブラスが入った1曲目「DANZA DE GARDENIAS(くちなしの舞、とでも訳すのかな)」がいいなあ。メキシコのフォルクローレは聞いたことがないけど、キューバやブラジルよりメロディアスで哀愁がある。ナタリアの声は高音が澄み、低音はニュアンス豊かで、色んな曲想を毎日聞いていて飽きない。

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July 30, 2018

バスを待つ

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介護で実家へ泊まった翌朝、川口駅東口行きのバスを待つ。寝不足と暑さで頭がくらくらする。このあたり市街化調整区域で、風景が30年来変わらない。


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July 25, 2018

岸政彦『はじめての沖縄』を読む

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岸政彦『はじめての沖縄』(新曜社)の感想をブック・ナビにアップしました。


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July 23, 2018

浦和の夏祭

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summer festival in Urawa

小学校が夏休みに入った翌日に娘が孫を連れてやってきた。翌日は浦和の夏祭り。延喜式の神社に奉納する旧宿場町の祭りなので、現在は住宅街といってもそれなりに賑わっている。月曜からは娘が仕事に出てしまうので、1週間、孫2人の面倒を見なければ。


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July 18, 2018

猛暑に展覧会3つ

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さいたま市の予想気温37度と出ていた日、東京の方が少しはましかと(嘘です)、昼から展覧会を三つ回る(それにしても暑い)。

まず四谷三丁目のギャラリー・ニエプスで、大西みつぐ・ハービー山口・中藤毅彦3人展「TRINITY」。3人が路上で撮影したスナップショット的なモノクロームが、撮影者の名前抜きで並んでいる。大きなものはだいたい誰の撮影かわかるけど、小さなものになると、うーんこれは誰だろう? そんな楽しみがある。

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次に新宿のニコンプラザで沖縄の写真家、山田實生誕100年を記念した「山田實写真展 きよら生まり島」。1950~60年代、本土復帰前の沖縄の街と人。エキゾチシズムも米軍基地もことさらに強調されず、さりげなく写りこんでいるのは、やはり地元の写真家だから。ちょうどこの時代の沖縄を舞台にした真藤順丈の小説『宝島』を読んでいたので、写っている風景と小説とが重なった。

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最後に上野の東京国立博物館で「縄文」展。全国から出土した縄文の土器・土偶をこれだけ網羅した展覧会ははじめて。考古学の遺物ではなく美術品として展示されているのもいい。縄文の美を堪能。この時代の世界各地の土器も比較展示されているが、どれも実用的な形で、縄文の造形感覚は飛びぬけている。


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July 10, 2018

『ゲッベルスと私』 103歳に刻まれた皺

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A German Life(viewing film)

ナチの宣伝大臣ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼル。撮影当時103歳の老女の顔、というより皮膚のすべてに刻まれた無数の深い皺を、カメラがあらゆる角度から撮影している。黒い背景のなか、椅子に座った彼女が語る。目元や口元のアップから上半身のバストショットまで、ほとんど変化のないモノクローム映像。時に皮膚の細部は人間のものとは思えない相貌を見せてぎょっとさせられる。その映像の力が、『ゲッベルスと私(原題:A German Life)』を支えている。

ブルンヒルデの語りの合間に、各国が製作したニュース・プロパガンダ用の記録映像が挿入される。彼女は30歳の1942年からナチスが敗北するまでの3年間、ゲッベルスの秘書として彼の近くにいた。でも「言われたことをタイプしていただけ」で「ホロコーストについては何も知らない」と言う。彼女が本当のことを語っているのかどうかはわからない。挿入される強制収容所や虐殺されたユダヤ人の映像。69年の沈黙を破った語りと記録映像。映画はそれを何のメッセージもなしに交互に観客に見せる。そこから何を受け取るかは観客に任されている。

ブルンヒルデの皮膚に刻まれた深い皺は、69年という時間を意味していよう。でも、ホロコーストを生んだ人種差別やナショナリズムの問題は何ひとつ解決していない。というより、21世紀になって人種や宗教上の対立や排外主義、ナチスと同様に大衆を動員するポピュリズムは世界のあらゆる場所で燃えさかり、世界は野蛮に向かっている。ブルンヒルデが仮に何も知らなかったとしても、知らなかったこと、知ろうとしなかったことが、ナチスを支えた。それは、この映画を見る私たちの問題でもある。

監督はクリスティアン・クレーネスら。クリスティアンが設立した映像プロダクション、ブラックボックス・フィルムの製作。撮影機材はソニーの高精細ビデオカメラHD-CAM。


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July 06, 2018

高味君の墓参

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西日本に大雨が降り、関東も雨模様の一日、六年前に亡くなった高味壽雄君の墓参に同級生と鎌倉へ。腰越の満福寺。昼飯にシラス丼を楽しみに行ったのだが悪天候で漁がなく、一同がっかり。


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July 03, 2018

ジャズ・ボーカル発表会

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カミさんが通っているジャズ・ボーカル教室の発表会で銀座・シグナスへ。皆さん実に楽しげに、入りを間違えても笑いとばして歌ってました。写真は、最後に先生の坪井紀美江さんが歌ってます。


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