November 13, 2018

戸袋の修理

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わが家は築90年(昭和3年建築)なので、次々に不具合が起こる。素人の手に負えないものは業者を呼ぶけれど、できるだけdo it yourselfでやらないと、年に何度も呼ぶ羽目になる。幸い大工仕事は嫌いではない。

先日の風台風で戸袋の羽目板が2枚、はがれた。家の裏側だったので気づくのが遅れたようだ。板は割れていないので、それを使って修理することにした。

外側に桟があるので、内側から桟に15ミリほどの釘で板を打ち付けることになる。戸袋の廊下側は高さ75センチの壁なので、その上の開口部から戸袋のなかへ上半身を差しこんで釘を打たなければならない。一人だと、暗いから懐中電灯も必要だし、板がきちんと嵌められたか外から確認できないので、なかなか難しい作業。何度かやり直して、1時間半ほどでなんとか仕上げた。

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November 08, 2018

末永史『猫を抱くアイドルスター』をいただく

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漫画家、エッセイストである末永史の遺稿集『猫を抱くアイドルスター』(ワイズ出版)をいただいた。

今年1月に亡くなった末永史の漫画、エッセイ、小説が収録されている。デビュー当時の少女漫画、1970年代に『ヤングコミック』に描いた劇画、結婚後に『COMICばく』に発表した家庭の主婦を主人公にした漫画、女性誌に書いたエッセイに、未発表の小説2本。

彼女とは互いに20代のころからの知り合いだった。だから追悼の言葉をこのブログに書いたところ(2月14日)、それがご遺族の目にとまり、この本に「追悼 末永史 まえがきにかえて」として収録されることになった。

エネルギーにあふれ、家庭も仕事も目いっぱいにこなしていた末永史。いつか小説家としての新しい顔を見られたかもしれないと思うと残念だ。


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November 02, 2018

『アンダー・ザ・シルバーレイク』 失速したカルト映画

Underthesilverlake
Under The Silver Lake(viewing film)

毎年、夏休みのお子様向け映画が終って秋になると、粒ぞろいの映画が公開される。でも今年は特に洋画がつまらなかったように感ずる。個人的に忙しくて本数が見られなかったのに加え、こちらの選択も悪かったのかもしれない。でも、好みの映画で見たいと思うものもあまりなかった。だから『アンダー・ザ・シルバーレイク(原題:Under The Silver Lake)』は楽しみにしていた作品なんだけど、これもまた期待外れだった。

「ヒッチコックとリンチを融合させた悪夢版『ラ・ラ・ランド』」というイタリア紙の評がキャッチとして使われていて、確かにその通りではある。1920年代の女優、ジャネット・ゲイナーの映画から、50年代の『ボディ・スナッチャー』『大アマゾンの半魚人』(『シェイプ・オブ・ウォーター』の元ネタ)といったカルト映画、マリリン・モンロー(『女房は生きていた』)やヒッチコック(『裏窓』)の引用、『チャイナタウン』『マルホランド・ドライブ』といったロスを舞台にしたミステリーのプロットを踏襲といった具合に、映画好きならあれもこれもと指摘したくなるようなシーンにあふれている。

映画だけでなく、音楽やコミック、ゲーム、古い『プレイボーイ』誌、アングラ風俗もふんだんに言及され、全編がカルト的なアイテムに満ち満ちている(公式HPで町田智浩が詳細に解説してる)。でもそれらが無秩序にとっちらかっているだけで、肝心の本筋に結晶してこない。『チャイナタウン』や『マルホランド・ドライブ』に比べるべくもない。

中年にさしかかろうというサム(アンドリュー・ガーフィールド)は職もなく、アパートも家賃滞納で追い出されそうになっている。楽しみは双眼鏡で他の部屋やプールを覗くこと。水着姿を覗いていたサラ(ライリー・キーオ)に声をかけられ、彼女の部屋でいい感じになる。また明日ね、と別れたが翌日、サラの部屋は引き払われていた。

失踪したサラを探して、サムがロスのあちこちを彷徨う。怪しげな3人組の女と片目の男。出没する犬殺し。この世界は何者かに操られていると信じこむ男。フクロウのキスと呼ばれる、梟の仮面をかぶった女殺し屋。カルト的な音楽が演奏されるパーティー。墓場の地下のライブハウス。ホーボー(30年代の放浪者)の暗号。丘の上の大邸宅に独り住む音楽家。目に入る文字や風景が、サムにはなにかの暗号か陰謀に思えてくる。現実ともサムの幻想とも判然としない迷宮。

探偵役のサムに工夫はある。たぶん俳優かミュージシャンを目指してロスにやってきたけれど、挫折。職も金もなく、心配する母親からしょっちゅう電話がかかってくる。そんなダメ男の目を通した享楽的な都市風俗。ハードボイルドを今ふうに蘇らせようという意図は分かるけど、P.T.アンダーソンの『インヒアレント・ヴァイス』がそうだったように、オフビートなリズムがハードボイルドという古風なジャンルとうまく適合しなかったのかもしれない。そんな意図がうまく生かされたのはロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』とハル・アシュビーの『800万の死にざま』(こちらはNYからロスへの舞台変換)くらいだろうか。ま、年寄りの感想ですけど。

しかしとりあえず、散りばめられたアイコンを楽しんでいれば退屈はしない。監督はデヴィッド・ロバート・ミッチェル。


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October 29, 2018

『ここは退屈迎えに来て』 誰も迎えに来ない

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廣木隆一監督の映画を初めて見たのは寺島しのぶが魅力的な『ヴィアイブレータ』だった。以後、廣木監督は『軽蔑』『さよなら歌舞伎町』『彼女の人生は間違いじゃない』といった作家色の濃いインディペンデント映画をつくる一方で、『余命1ヶ月の花嫁』『100回泣くこと』『ナミヤ雑貨店の奇蹟』といったメジャー系のエンタテインメント映画にも起用されてきた(こちらの系統はあまり見てないけど)。恋愛映画がうまいとか、女優をきれいに撮るといった評価が高かったからだろう。

KADOKAWA映画『ここは退屈迎えに来て』は後者のエンタテインメント系統だけど、いかにも廣木監督らしいテイストの作品に仕上がっていて楽しめる。まず「余命1ヶ月」のようなドラマチックな設定がない。最大の出来事が、高校時代の憧れだった男子に会いにいくというだけの話。そこでなにが起こるわけでもない。それに青春映画といっても高校生のキラキラした青春が中心になるわけでなく、30歳近くなった彼ら彼女らそれぞれの悔恨といった感情が映画の底を流れている。

地方都市(富山)を舞台に、2013年の現在、2004年の高校時代、そして2008年、2010年と、四つの時を自在に行き来しながら語られる群像劇。それぞれの時制でまず車に乗る男女(あるいは女性同士)が登場して話がどんどん広がり、しばらくは人間関係もよく分からない。ついに主人公とすれ違わない登場人物もいる。最後になってやっとつながる人間関係がある。そんなドラマの崩し方が、ドラマチックとは正反対なのに快いリズムになるから面白い。

「私」(橋本愛)は東京で仕事をしていたが故郷に戻り、タウン誌のライターをしている。ひょんなことから、高校時代はサッカー部のエースで女子の憧れの的だった椎名(成田凌)に会いにいくことになる。椎名は今、自動車教習所の教官をして地味に生きている。椎名に教官の職を紹介したのは新保(渡辺大知)で、新保は同性の椎名にほのかな思いを持っている。「私」は内気な新保に「椎名の元カノ」だと思われているのが嬉しい。

実は高校時代、椎名とつきあっていたのは「あたし」(門脇麦)だが、別れた後も椎名を忘れられず、椎名を知る元同級生とズルズルの関係をつづけている。美人のあかね(内田理央)は東京でモデルをしていたが仕事がなくなって戻り、フリーターの生活をしながら結婚願望がある。ほかにも何人かの登場人物が出てくる。

彼らが車に乗り、地方都市の特徴のない風景のなかを走りながら会話することで話ともいえない話が動いていく。一種のロードムービーと言えるかもしれない。ファミレスやゲーセンでも会話がつづく。東京が忘れられないタウン誌のカメラマン(村上淳)とか、女子高生と援助交際している皆川(マキタスポーツ)とか、脇役もいい味を出している。いかにも青春映画らしいのは、プール掃除をしていた「私」と新保がプールに飛び込み、周囲の高校生たちもみんな飛び込んで水をかけあうシーン。逆光に光る水しぶきが、ここだけは輝いている。

なんの変哲もない地方都市で、なんの変哲もない日常を、それぞれが悔恨を抱えながら生きていく。誰も迎えに来ないことは、登場人物のみんなが分かっている。その姿がじわっと沁みてくる。


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October 27, 2018

オールブラックスvsワラビーズ

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ラグビー、ニュージーランド代表対オーストラリア代表の定期戦ブレディスロー杯を見に、若いころの飲み仲間と横浜・日産スタジアムへ。この顔合わせは前回ワールドカップの決勝と同じだし、来年の日本大会の決勝戦であってもおかしくない。ラグビーファンなら生涯に一度は見ておきたい対戦。

ゲームはいきなりワラビーズ(オーストラリア代表)が展開して攻め込み、ウィングがトライしたかに見えたがノックオンでノーゴール。その後はオールブラックス(ニュージーランド代表)が徐々にゲームを支配しはじめる。奔放で自由なワラビーズに対して、オールブラックスは鉄の規律の軍団といった感じ。見ていて面白いのはワラビーズだが、ペナルティが多すぎた。後半はオールブラックスの強さが際立つ。スタンドオフとウィングのサインプレーで自陣から走りきったトライは鮮やか。ワラビーズがシンビンで10分間退場になったところで勝負あり。スコアは37対20。


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October 26, 2018

『僕の帰る場所』 二つの祖国

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Passage of Life(viewing film)

日本は移民を認めていないけれど、合法非合法の外国人労働者なしに国が回らなくなっていて、実質的には移民受け入れ国になりつつある。しかし建前の上では彼らは移民ではないので、その狭間でさまざまな問題が起こる。矛盾のしわ寄せは当然ながら法的に不安定な在日外国人にくる。また難民についても、例えば去年の難民申請者数は約2万人だが、難民として認められたのはわずかに20人、認定されなかったが在留を認められた者を含めても65人にすぎない。

日本=ミャンマー合作映画『僕の帰る場所(原題:Passage of Life)』に登場するのは在日ミャンマー人の家族。夫のアイセ(アイセ)は難民の認定を申請中で、審査の結果が出るまでは日本に滞在することができる。その間、本当は働いてはいけないらしいが、アイセはホテルのレストランで働いて拘束されたりもしている。妻のケイン(ケイン・ミャッ・トゥ)は不安定な暮らしに精神のバランスを崩し、国に帰りたいと訴える。夫婦には小学生のカウン(カウン・ミャッ・トゥ)と弟のテッ(テッ・ミャッ・トゥ)の子供がいる。二人は日本語しかしゃべれず、ケインにビルマ語を習っている。

一家の日々の生活がドキュメンタリーのようなタッチで描かれる。拘留が解かれ久しぶりに家へ帰ったアイセに子供たちが甘える。子供たちが寝た後、夫婦は深刻な表情で話し合う。会話シーンでは2台のキャメラで定番の切り返しショットなど使わず、手持ちのキャメラ1台でセリフごとに左右にキャメラが振られる。資金が乏しいせいもあるだろうけど、あえてこういうスタイルを取っているのかもしれない。

アイセが日本人支援者と入管に出かけるシーンもあるけれど、観客に難民申請についての細かな説明はせず、ともかく外国人に扉を閉ざしていること、職員がぶっきらぼうで不親切なことだけを伝える。アイセはそれに対して、辛抱強く穏やかに対応する。

映画はこのまま進むのかと思ったら、ケインが国に帰ることを決め子供たちとミャンマーに戻ったところから、がらりとタッチが変わる。このままいけばアイセの一家を通して在日ミャンマー人の生活と入管法・難民認定の壁といった社会問題を訴える映画になったろう。ところが、ミャンマーが舞台になる後半で、実はこの映画の主役はカウンとテッの兄弟、なかでも兄のカウンであることが分かってくる。

ヤンゴンの母の実家に着いたカウンは拗ねて、日本に帰りたいと繰り返す。日本の小学校でクラスメートと仲良く学校生活を送っていたのだ。ある晩、カウンはクラスメートからの餞別を持って、家を飛び出す。路上で拙いビルマ語で「空港はどっち?」と聞くと、路上の物売りからは「日本人かい?」とからかわれる。少年にとって見知らぬ街の夜のショットが素晴らしい。路上をさまよい歩く、不安と好奇心がないまぜになったカウンの表情も素晴らしい。昔、ヴェンダースのモノクロームの映画でこんな感情を掻きたてられたことがあったなと思い出す。カウンの少年らしい意思的な表情からは、『誰も知らない』の柳楽優弥を思い出す。

兄弟は母のケインに連れられ、農村にある父方のおばあちゃんの家を訪れ、温かく迎えられる。日本人学校にも行けることになる。最初、故国へ拒絶反応を起こしたカウンだが、少しずつミャンマーの生活になじんでくる。

映画は人間がきちんと描かれていなければつまらない。何かを訴えるにしても、その人間を通してでなければリアルなものにならない。この映画はカウンという少年を通して、移民の問題を考えさせられる。監督の藤元明緒はこれが長編デビュー作で、脚本も書いている。二つの祖国を背負って成長していくであろうカウンを、こんなふうに造形した力はすごい。


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October 22, 2018

『沖縄アンダーグラウンド』を読む

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藤井誠二『沖縄アンダーグラウンド』の感想をブック・ナビにアップしました。


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October 08, 2018

早稲田へ

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早稲田大学で開かれている諜報研究会というものに、関心あるテーマのときだけ参加している。戦時中の写真関係が主。この日も、『FRONT』という対外宣伝誌を出していた東方社について発表があったので聞きにいく。

会場は学生時代に4年間通った政治経済学部の3号館。今は建て直され高層校舎になっているが、正面だけ古い建物(かつての本部)が残されている。建物中央が空洞のパティオづくりになっているのは当時と同じで、昔の校舎に一瞬、センチメンタルになる。

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構内の立看が撤去されたのはニュースで知っていたが、すべての意見表明が許されないわけではないらしい(当たり前!)。塀の看板に、かすかにかつての早稲田の空気を感ずる。


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October 06, 2018

『運命は踊る』 砂漠のステップ

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Foxtrot(viewing film)

イスラエルの映画を見るのは初めて。近頃、世界の映画祭でイスラエル映画の評判が高い。『運命は踊る(原題:Foxtrot)』もヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を得た。例えば韓国がそうであるように国家が映画製作を支援して、その成果が出始めたということだろうか。もっとも国の基金による支援を受けたこの映画、文化大臣ら右派政治家から「イスラエルにとって有害な映画。基金から資金が与えられるべきでなかった」とクレームがついた。

といって、映画が政治的なテーマを扱っているわけではない。イスラエルは周囲を敵対するアラブ国家に囲まれ、さまざまな戦争を経験してきたし、パレスチナ人との内戦もある。でも、そんな敏感な問題に触れてはいるわけではない(サミュエル・マオズ監督の前作『レバノン』はレバノンとの戦争を扱ったものだそうだが)。では何が「有害」なのかといえば、実はよく分からない。

イスラエルには表現の自由がどの程度あるのか、これもよく分からない。ちなみに世界各国の「報道の自由度ランキング」でイスラエルは87位。アメリカは45位、日本67位、中国176位。日本よりも悪いが、中国よりずっとまし、ということか。少なくとも政治批判をすれば映画製作を禁止されたり、亡命を余儀なくされるようなことはなさそうだ。だから時々中国映画にあるように、隠喩的な政治批判をしなければならない状況ではないだろう。では何が「有害」なのかという先の問いに戻れば、人間の精神の「弱さ」を扱っているから、だろうか。戦後ずっと周囲のアラブ国家と戦争をしてきた国の国民として、弱くあってはならないということか。

ミハエル(リオール・アシュケナージー)とダフナ(サラ・アドラー)夫妻のもとに、息子のヨナタンが戦死したという知らせがもたらされる。ダフナは失神し、ミハエルは一見悲報に耐えているように見える。国境でヨナタンに何が起こったかの描写をはさんで、戦死したという知らせは間違いで、ヨナタンは生きていたことが分かる。その知らせにダフナは喜ぶが、ミハエルは一転して怒りだし、ヨナタンを今すぐここへ連れてこいと居丈高に軍の担当者に食ってかかる。そのことが逆にヨナタンの運命を狂わせる……。

リアリズムで物語を語るのでなく、象徴的な映像で見せるのが新鮮。ヨナタンら兵士が守る国境の検問所をラクダがのんびり横切ってゆくのを真横から捉えた皮肉なショット(このショットがラストで生きてくる)。ヨナタンが銃を抱え砂漠でフォックスタロットのステップを踏むショット。コンテナのような兵士の宿舎の水平が傾いていて、事あるごとに缶詰がころころと床を転がってゆくショット。どれも素晴らしい。

もっとも、この映画の主役は息子のヨナタンではなく父親のミハエルであり、主題は出来事ではなく精神の内であることが途中から分かってくる。ヨナタンが描くイラスト(動画)を通して、ミハエルが抱えるトラウマが見えてくる。もっとも僕はイスラエルという国もユダヤ人という民族も、キリスト教の母体となったユダヤ教もよく知らない。だからミハエルの内面が実のところよく分からない。マオズ監督がHPのインタビューで語る、思い上がりの罪とその罰というユダヤ=キリスト教の観念もよく理解できない。ただ、魅力的な映像が記憶に残る。

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October 02, 2018

ゴーヤチャンプルーの夕飯

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三日ほど外食がつづいたので、今日は早めに自宅へ帰って夕食をつくる。庭のゴーヤを使ってチャンプルー。さすがに採りたてはシャキシャキしていて旨い。もっとも三人分のレシピでつくったので明日もチャンプルー。

明後日、医師との面談があるが家族の退院はまだ先になりそう。


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