January 26, 2012

『アニマル・キングダム』 無表情の内側

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Animal Kingdom(film review)

主人公の少年、17歳のジョシュア(ジェームズ・フレッシュビル)はまるで東映任侠映画の男たちみたいに最初から最後まで感情を表に出さず、言葉も少ない。演じているのが新人だから鶴田浩二や高倉健みたいにはいかないけれど、それでも能面のような無表情のうちにさまざまな思いが渦巻いているのは見てとれる。デヴィッド・ミショッド監督は、ジョシュアが抱くその感情を仁侠映画のようにカタルシスに向かって高め、爆発させるのではなく、見る者にいろんな解釈の余地を与えるエンディングを選んだ。

1980年代オーストラリアのメルボルン。母がドラッグの過剰摂取で死んだジョシュアは、祖母のジャニーン(ジャッキー・ウィーバー)の家に引き取られる。ジャニーンの家には3人の息子がいて、彼らは強盗やドラッグのディーラーをやっている犯罪者一家だった。なかで「ポープ(教皇)」と呼ばれる長男アンドリュー(ベン・メンデルソーン)は家族にも恐れられている。

ポープを演ずるベン・メンデルソーンが、一見してそれらしい悪でなく人の良さそうなのがいいし、息子たちを背後であやつるゴッドマザー役、ジャッキー・ウィーバーの慈愛と冷酷がくるくる入れ替わるのが凄い。

同居するジョシュアは犯罪に巻き込まれてしまう。一家と、ポープを追う警察とが殺し合いになる。一家をつぶしたいレッキー巡査部長(ガイ・ピアース)はジョシュアを証人として保護隔離するが、ジョシュアが裏切ったと考えたポープは彼のガールフレンドを殺し、さらに……。

内通や裏切りによって2転3転するプロットは、タランティーノふう。無表情なジョシュアがどちらの側に立って、何に衝き動かされて行動しているのかは、最後までうかがい知れない。

ラストシーン。復讐を果たしたジョシュアは祖母のジャニーンと抱きあうのだが、これは本当の結末になっていない、と思う。ジョシュアを殺そうとしたのは誰でもない祖母に他ならないのを観客は知っている。だから本当の対立とその解消は先延ばしされている。もしこの映画に続編がつくられるとしたら、どうなるのか。『ゴッドファーザーpartⅡ』のようにジョシュアは犯罪者一家の新たなポープとして君臨するのか、自分を殺そうとしたことを知るときジョシュアはジャニーンを許すのか、許さないのか。

見る者にカタルシスを与えずそんなことを想像させる『アニマル・キングダム』は、今ふうな犯罪映画を目論んだのか、それとも単に長編第1作である監督の腕が足りなかったのか。そのどちらでもある、というあたりが正解かな。

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January 24, 2012

雪の朝

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snow in my garden

箱根で雪に降りこめられたと思ったら、帰ってきてまた雪。

氷雨の中をヨガに出かけ、最後に仰向けになるシャバーサナ(屍のポーズ)を取って窓の外を見たら、暗い空に花弁のような雪が舞っていた。高空からまっすぐ降下してくる雪が、窓近くなると大粒になり風のせいか横なぐりになって窓を横切ってゆく。雪に意識を集中させると、自分の体がそのなかに浮いているような感覚に襲われる。

レッスンを終えて外へ出ると、もう積もっていた。深夜にはやんだらしく、朝起きてみると、雪は凍ってばりばりになっている。

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水甕も凍っていた。

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ドウダンツツジの雪。


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January 22, 2012

箱根の雪

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snow in the Hakone spa

箱根で20センチの積雪に会う。

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金曜の昼過ぎ、箱根の坂を登っていくと、前夜からの雪で立ち往生した車が何台も放置されていた。

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翌日も雪は降りやまない。

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ときどき来る宿泊施設の大涌谷温泉。白濁した硫酸塩・塩化物温泉。いつもは熱くて水でうめないと入れないけど、この日はぬるく感ずる。大涌谷温泉は、大涌谷で自噴する温泉と、湧き水を大涌谷の蒸気に通してつくった温泉を混合した造成温泉というもの。箱根はもともと湯本温泉、塔之沢温泉など「箱根七湯」と呼ばれたが、明治以降、外国人の保養地としての発展や戦後の「西武対小田急・箱根山戦争」などで次々に新しい温泉が開発され、現在は「箱根二十湯」といわれる。


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January 19, 2012

『ヒミズ』 殴る張る映画

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Himizu(film review)

才能あふれてるけど作品に出来不出来の落差が大きいアーティストって、よくいるよね。小説家でいえば村上龍なんかそうだけど、園子温もひょっとしたら同じタイプかもしれない。傑作『冷たい熱帯魚』を見た後、『恋の罪』『ヒミズ』という出来損ないの作品を立て続けに見て、そう思った。2本とも退屈しないし、部分的にはすごく面白い。でも見る者を虚構の宇宙に引きずりこむ全体の完成度は、明らかに欠けている。

『ヒミズ』で作品をドライブさせる力になっているのは暴力、とりわけコブシで殴る、平手で張る、といった人間のいちばん原始的な暴力だ。祐一(染谷将太)と景子(二階堂ふみ)がコブシで殴る殴られる、平手で頬を張る張られるたびに、物語がコトリと動いていく。園子温の映画はストーリー展開も描写も過剰さが命だけど、登場人物たちは実によく殴ったり張ったりしている。まるでコブシや平手でもって相手とコミュニケーションしているみたいだ。祐一と景子が五七五で言葉をつなげながら詰まった相手を張るゲームは、明らかにそのようなものとしてある。

映画の背景になっている東日本大震災。津波で家を失った人々が、人と人のつながりをなくして祐一のボート場の周りにホームレスとして暮らしている。祐一の家庭も景子の家庭も崩壊し、親子関係すら断絶しているなかで、スクリーンを見ている観客も共有する殴り殴られる痛さ、張り張られる痛さだけが唯一信じられる人と人のつながりだと園子温は言っているみたいだ。

ただ、コブシや平手の痛さの向こうに見えてくるはずの物語は、僕にはどうにも腑に落ちないものだった。家庭崩壊した祐一の「普通」願望→父親の帰還・祐一への暴力→父親への逆転した暴力と死→「おまけ人生」の「悪人」探しと殺意→景子の愛による再生という展開が、原作のマンガがどうなっているのか知らないけど、僕にはどうも突き刺さってこない。

冒頭、教室で教師が「みんなオンリーワン」とSMAPみたいなセリフを叫ぶのを祐一と景子は冷たく見ていた。最後に自首を決め(社会のルールに従うことを決め)た後、2人が土手を走りながら叫ぶ「頑張れ、住田!」は、暴力と死の地獄めぐりをした挙句にもう一度「普通」に回帰したということかもしれないけど、60年以上生きてきたすれっからしの人間には、その熱が映画として空回りしているようにしか感じられなかった。たとえそこに東日本大震災の映像がかぶってきても。

とはいえ東日本大震災を、多分製作の途中で急遽映画に取り入れたことは評価したい。映画はフィクションだけど、フィクションを通して現実と相渉る。一面の瓦礫のなかを登場人物がさまようショットは、ちゃんとフィクションとして成り立っていた、と思う。ドキュメンタリーを別にすれば、東日本大震災をフィクションに取り入れた最初の映画として記憶に残るだろう。

ヴェネツィア映画祭で新人俳優賞を取った主役の2人を囲んで、園子温組ともいうべき面々(おまけに吉高由里子や鈴木杏まで)が次々に出てくるのを見ているだけでも飽きない。キム・ギドク『魚と寝る女』にインスパイアされたような貸しボート場の風景も風俗映画の味わいがあっていいな。


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January 16, 2012

脱原発世界会議

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Global Conference for A Nuclear Power Free World at Yokohama

1月14・15の2日間、「脱原発世界会議 2012」が開かれ、15日午後に参加した(横浜パシフィコ)。仕事でオフィスに寄る用事ができ会場に行くのが遅れたので、参加できたメイン会場の会議はひとつだけ。「首長会議:地域発・原発に頼らない社会のつくりかた」。桜井勝延・南相馬市長、井戸川克隆・双葉町長ら8人の現・元首長が報告。桜井市長ら現場からの話がずしんと来る。最後に保坂展人・東京都世田谷区長らの提案で脱原発全国市町村区長会議が結成されることになった。

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もうひとつ参加したのは、雨宮処凜、小熊英二、鎌田慧のトーク・セッション「解体『がんばれニッポン』」。小熊が「今、日本にはさまざまな分断線があり、大きなものは地方(対中央)、低学歴(対高学歴)、女性(対男性)で、福島の事故はそれを一層はっきりさせた」と前置きしつつ、それを3つとも背負っている雨宮さんと紹介されて苦笑する雨宮処凜。「事故後はその分断線がもっと細かくなっている。フクシマは貧困問題と結びつく」と彼女。

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会場にはたくさんのブースが出ていて、あちこちで話の輪ができている。いくつものブースで署名。

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「脱原発」をブログに書いたアイドル・藤波心ちゃんの「親子原発・放射能教室」。

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January 10, 2012

『哀しき獣』 外部の視点・朝鮮族

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The Yellow Sea(film review)

新年最初の映画を何にしようか。あれこれ迷った末に、韓国映画『哀しき獣(原題:黄海)』にした。まだ正月気分が抜けないからエンタテインメントがいい。その選択は正解だった。もっとも、明るくハッピーな映画じゃない。重苦しく、ノワールなアクション映画。140分、完成度に難はあるけど、見る者を釘付けにする。改めて韓国映画の実力を思い知らされた。

冒頭、映画は中国の延辺朝鮮族自治州の都市、延吉から始まる。6万元(約73万円)の借金を背負った朝鮮族のタクシー運転手グナム(ハ・ジョンウ)が、賭けマージャンに深入りして稼いだ金を失う荒んだ生活を続けている。借金は妻を韓国に出稼ぎに送り出すために使った金だが、妻からの連絡は途絶えている。暗い地下室のような賭場で暴れたグナムは、朝鮮族ギャングのボス、ミョン(キム・ユンソク)に引き合わされる。ミョンはグナムに、ソウルで人を1人殺してこい、そうすれば妻も捜せるし、借金もチャラにしてやると言う。

ここまでが導入部。実際に延吉にロケしたのかどうかわからないけど、薄暗く汚れた街の猥雑な空気が、ぐらぐら揺れる手持ちカメラと多用されるクローズ・アップで活写される。深作欣二の『仁義なき戦い』を初めて見たときみたいな印象。グナムは大連から密航船に乗り、黄海(原題)を横切って韓国の尉山(ウルサン)に密入国するのだが、このあたりの描写もダイナミック。原題にもなっている黄海の暗い海は、映画全体を象徴するイメージになっている。

ソウルでは漢江(ハンガン)の南の新開地、江南(カンナム)が舞台になる。殺す相手は大学教授だが、風俗ビルを何軒も経営している。グナムが教授の住むビルを見張っていると、別の男たちも教授を狙っていて、殺人現場で鉢合わせすることになる。ここから映画は逃げるグナムと、グナムを追う警察、教授の弟分率いる韓国人ギャング、延吉からやってきたミョンと朝鮮族ギャングが入り乱れた追跡と殺戮の劇になる。

追跡劇は、グナムが走って走って走りまくって逃げる。ナ・ホンジン監督の前作『チェイサー』もソウルの坂道を疾走する映画だったけど、そりゃあ無理でしょ、という状況でもとにかく逃げる。SFX全盛の時代に、こんなふうに生身の体を張ったシーンにこだわるのがいいね。

殺戮もまたすさまじい。『チェイサー』も血糊ぎとぎとだったけど、この映画はそれ以上。なかでも朝鮮族ギャングのボス、ミョンが手斧をふりかざして敵を殺しまくるのは、パク・チャヌク監督『オールド・ボーイ』の金槌と同様、振り下ろされるたびに見ている者の痛覚を刺激してリアルだ。映画の後半は、グナムを追いながら生き残りをかけなりふりかまわず殺しまくるミョンのほうが、ぐっと存在感を増す。

先ほど引き合いに出した『仁義なき戦い』シリーズは、激しいバイオレンスの底に、戦後日本とは何だったのか、という深作欣二の問いが流れていた。この映画も、主役二人が朝鮮系中国人という韓国社会の外部の人間に設定されたことで、現在の繁栄する韓国に対する苦い視線がそこここに感じられる。

グナムに銃を向けながら、へっぴり腰で逃がしてしまう警察官。グナムが、「お前は朝鮮族か」と問われる場面があるのは、貧しく非合法な滞在者も多い朝鮮族は韓国人から見れば身についた空気(あるいは言葉遣い)が違い、そこにはなにがしか蔑みの視線も含まれているだろう。

そして最後に、グナムが請け負った殺しがたかだか男女関係のもつれの果てであることがわかる。そんなことのために自分の命が買われたことを知ったとき、グナムは無言で無表情だ。逃亡の果てに、グナムは深い哀しみを抱えて妻の遺骨を抱え瀕死で黄海に船出する。

もっともこの映画、韓国上映版はもっと長く、日本版はかなりカットされているようで、話がよくわからないところがある。大学教授を狙う暗殺者が鉢合わせするのは、教授夫妻のW不倫の果てらしいんだけど、そのあたりが腑に落ちないので、コマとして使い捨てられたグナムの哀しみがいまひとつ伝わってこない。長い長いカーチェイスや殺戮シーンを削ってでも、物語のキモに当たる部分をきちんと描写してほしかった。

エンドロールになってからも、どんでん返しのショットが挿入されるけど、それがグナムの哀しみを際立たせるようにはなっていない。残念だなあ。うまくつくれば深作欣二の『仁義なき戦い 広島死闘編』や『仁義の墓場』みたいな傑作になったかもしれないのに……。ではあるけれど、楽しめた。

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January 09, 2012

春はまだ

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buds of a fragrant daphne and plum in my garden

この季節は庭に花がない。椿を植えようか迷っているんだけど、適当な場所がない。春いちばんに咲くのは白い沈丁花だけど、まだ蕾は固い。

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梅の蕾もまだふくらんでいない。

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朝起きて外に出、冷たい空気に触れて、ぐさぐさと霜柱を踏むのが心地よい。


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January 01, 2012

明けましておめでとうございます

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a household Shinto altar

明けましておめでとうございます。今年もたくさん本を読み、映画を見、音楽を聞いて、感じたこと考えたことを記していきたいと思います。

元旦にはまず習慣として神棚にお神酒をあげる。祀ってあるのは浦和の氏神、調(つき)神社の祭神。神棚は木と稲藁と紙だけでできているし、捧げるのは酒と榊と火。いかにも質素な原始宗教の面影を残している。


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December 30, 2011

映画 今年の10本( 2011)

Uncle_boonmee
Movie, My Best 10

1  ブンミおじさんの森 
2  悲しみのミルク
3  無言歌
4  サウダーヂ
5  冷たい熱帯魚
6  アンストッパブル
7  さすらいの女神<ディーバ>たち
8  ビューティフル
9  ゴーストライター
10 モンガに散る

1 タイ映画。映画を見始めて半世紀以上になるけれど、こんな感触の映画をはじめて見た。人間と動物と精霊と幽霊が何の不思議もなく同居している世界。タイは仏教の国だけど、東南アジアの仏教以前、人間が森で暮らしていた時代の空気を肌身に感じた。

2 ペルー版『天国と地獄』。黒沢明版は山の手の「天国」と崖下にある下町の「地獄」の対比だったけど、ペルーでは「地獄」の貧民街は山上にある。黒沢版では刑事が天国と地獄を仲介していたけど、ペルー版に仲介者はなく、先住民の少女と白人系「持てる者」が直にぶつかりあう。先住民にとって「マジック・リアリズム」はマジックでもなんでもなく、当たり前のリアリズムなんだな。

3 上映時間9時間のドキュメンタリー『鉄西区』は評判が高く、秋にも上映されたが見損なった。そのワン・ビン監督の劇映画第1作。映画製作の方法も内容も、腹の据わったインディペンデント映画。中国国内では上映禁止になっているが、明らかな毛沢東批判。中国にもこんな映画が出てきたんだ。

4 こちらは日本のインディペンデント映画。甲府を拠点に、資金も地元の個人や企業中心に集めているようだ。地方都市を舞台にした地元住民や在日外国人のドラマ。インディペンデントということで下駄をはかす必要が全くない完成度の高さ、斬新さ。日本にもこんな映画が出てきたんだ。

5 今年から来年にかけて園子温監督の映画が『冷たい熱帯魚』『恋の罪』『ヒミズ』と3本も公開され、乗りに乗ってる印象がある。『ヒミズ』は未見だけど、『冷たい熱帯魚』は園監督の過剰さ(内容も描写も)が見事に結晶した一作だと思う。それにしても、でんでんが豹変する瞬間は怖かった。

6 今年のハリウッド製エンタテインメントのベスト。リュミエールの昔から、映画と列車ってどうしてこうも相性がいいんだろう。蒸気機関車は19世紀前半、映画は19世紀後半と、ともに19世紀の発明。当時の最新テクロロジーが今や時代遅れの技術やメディアとなりつつあり、その共振がある種の質感と懐かしさを醸しだしているのかも。

7 この映画、好きだなあ。港町、キャバレー、旅回りの一座とくれば、日本なら艶歌の世界。でも艶歌のようにベタつかず、透明感のある映画。しょぼくれた座頭マチュー・アマルリックの哀しみがたまらない。

8 観光地ではないバルセロナの風景が素晴らしい。「余命○ヶ月」ものだけど、涙や感動の押しつけがなく、不法移民の外国人と接して生きる下層の男ハビエル・バルデムを通して都市のリアルが見える。

9 『戦場のピアニスト』以来、ロマン・ポランスキーは復調したみたい。ポランスキーお得意の「不安心理」ドラマ。品のいいミステリーとしても楽しめた。若いころ見た記憶が甦る、こういう古いテイストの映画が好きだ。

10 台湾映画。今年のノワール&青春映画のベスト。台北でいちばん怪しげで面白い一帯、萬華を舞台にしているのもいいなあ。

他に10本の候補として考えたのは『監督失格』『マイ・バックページ』『ウィンターズ・ボーン』『SOMEWHERE』『ブラック・スワン』『ヒア・アフター』『奇跡』など。どれも楽しんだけど、後の3本はそれぞれの監督の前作・前々作、『レスラー』『グラン・トリノ』『空気人形』が素晴らしかったので、それと比べてしまい損してる。

今年もおつきあいくださって、ありがとうございました。皆さま、よいお年をお迎えください。


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December 21, 2011

『無言歌』 風の風景

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The Ditch(film review)

先週、「中国が映画規制を強化」というニュースがあった。

内容は、「憲法に対する破壊・反抗を扇動する映画」「国家統一、領土保全に危害を与える映画」「民族の歴史を歪曲する映画」などの製作を禁止するいうものだ。要するに党が好ましくないと判断したら、どんな映画でも製作・上映を中止することができるということ。映画を未許可で外国の映画祭に出品すると、以後の映画製作を禁止するという条項もある。経済は野放図な資本主義化を進めながら、文化については逆に党によるイデオロギー統制を強めようというものだ。

もちろんこれまでの中国も映画に対する統制はあった。1980年代にチェン・カイコー、チャン・イーモウらが登場して傑作を次々に送り出した時期、政治的テーマに関しては「4人組」の仕業とされた文化大革命批判までは許されても、神格化された毛沢東批判は許されないと言われた。そのラインを踏みこえ、暗喩表現とはいえ毛沢東批判を滲ませた『青い凧』(作品としてはあまりいい出来とは思わなかったが)のティエン・チュアンチュアン監督は、以後10年以上も映画をつくることができなかった。その後、中国映画はさまざまに花開いたけれど、直に政治に触れるテーマは周到に避けられている。

今回のニュースは、政治的には来年の国家主席交代による統制強化を先取りしているのかもしれない。でもこの記事を読んだとき、具体的には『無言歌(原題:夾辺溝)』と監督ワン・ビン(王兵)のことが絡んでいるかもしれない、と感じた。

『無言歌』はこれまでのワン監督のドキュメンタリー(未見)と同様、資金もスタッフも元国営の大手撮影所でなくインディペンデント系の映画として製作されている。資本はフランスとベルギーで、「制作会社が中国ではないので、中国の電影局に申請することはしませんでした」とワン監督は言う(web DICE「ワン・ビン監督は映画の最も根幹に遡る」)。この作品は無許可で撮影されたわけだ。

また『無言歌』は2010年のヴェネツィア映画祭に出品されているけれど、それが「サプライズ上映」だったことから察するに、中国国内で撮影したフィルムを未現像のまま国外に持ち出し、国外でポスト・プロダクションをして中国当局には何も知らせず映画祭で上映したのではないだろうか。もしそうだとすれば、このやり方にはかつて戒厳令下の台湾でホウ・シャオシェン監督がタブーだった「2.28事件」を素材に『悲情城市』を撮影し、持ち出した未現像フィルムを日本で仕上げてヴェネツィア映画祭に出品し、グランプリを取ったことで台湾当局も認めざるをえなかった先例がある。

『無言歌』は中国では上映禁止になっている。それはワン監督のこうした確信犯的な映画づくりの手法にもよるだろうが、それ以上に、この映画がまぎれもなく毛沢東批判になっているからだと思う。

映画の舞台は1960年。「反右派闘争」で右派のレッテルを貼られた都市住民やインテリがゴビ砂漠の収容所に送られ、強制労働させられている。折から「大躍進」政策の失敗で数千万人の餓死者が出たといわれる飢餓に襲われ、収容された人々が次々に死んでいく。『無言歌』はそのありさまを声高に非難するのではなく、引き気味のカメラがそこで起きていることをじっと見つめる、といったスタイルの映画になっている。。

先ほどの記事でワン監督は「自分としては、純粋に政治的なものとか、何かについて抗議をしたいとか反抗したいとかそうした意図はまったくありません」とも言っている。そのとおりなのだろうし、またワン監督は今も中国で映画をつくっているから、そのことへの配慮もあるだろうけど、「反右派闘争」も「大躍進」も毛沢東が発動したものだから、見る人が見れば、その意図はどうあれ毛沢東批判と読まれてしまうのは作り手自身も十分に分かっているだろう。

でも僕が『無言歌』をすごいと思うのは、そうした映画をめぐる状況のせいじゃない。なにより、作品としての完成度が高い。映画製作をめぐるいきさつや、映画の背景にある1960年前後の中国の現代史を知らない人が見ても、『無言歌』には打ちのめされるはずだ。それはこの作品が余分な情報をすべて切り捨てて主題を単純化し、人間の生と死、そのぎりぎりの局面での人間のふるまい方についての映画になっているからだと思う。

見渡す限りの荒野と、吹きすさぶ砂嵐。地下に穴を掘っただけの部屋と、土の上にベッドが並ぶ収容所。収容者たちは着のみ着のままで冬を越す。食料を求めてネズミを殺し、枯れ草のわずかな実を集め(このシーンの出演者は実際に収容所を生き延びた人)、他人が吐いたゲロを食べ、果ては人肉を求めて墓を暴く。

朝、地下の一室でまた死者が出た。死体を布団にくるんで運び出そうとする収容者に、部屋の班長が言う。「そのままにしておけ。まずは飯にしよう」。班長は冷酷な人間ではない。収容者にも収容所長にも信頼されている男だ。彼は、別の死者が出て、着ているものが剥がれて丸裸にされ、布団も持ち去られてしまったことを告げられたときも、こう言う。「誰かがそれを村へ持っていって食料と交換したのなら、それでいい。死んだ者より生きてる者が大切だ」。

そんな生と死のぎりぎりの選択が迫られる場面で、なお友の頼みを聞き、歩けなくなった師を背負い、夫の死を受け入れられない妻の墓探しに何日もつきそう。そんな男たちがいることを、カメラはぶっきらぼうに映し出している。

この映画に「悪人」は出てこない。収容所長も死者が続出していることを上部に告げ、収容者を家に帰すことを求めていた。所長に目をかけられた班長は、家に帰らず、新たに来る収容者の面倒を見るために残ることを決める。

この収容所の過酷は誰がもたらしたものか。映画は何も言わないけれど、吹きすさぶ風の風景がその答えを指し示している。

ワン・ビン監督の劇映画第1作。「規制強化」のニュースも絡み、彼の映画と彼自身から目が離せない。


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