April 16, 2024

『ハリケーンの季節』を読む

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フェルナンダ・メルチョール『ハリケーンの季節』(早川書房)の感想をブック・ナビにアップしました。

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April 13, 2024

写真展ふたつ

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ふたつの写真展を巡る。

ひとつは「安井仲治 1903‐1942」(~4月14日、東京ステーションギャラリー)。1930~40年代に個性的な写真を撮り、若くして亡くなった写真家の回顧展。昭和初期、シュールレアリスムなど前衛的な写真と、後に報道写真と呼ばれるドキュメンタリー的な要素がひとりのなかに共存しているのが興味深い。大胆な光と影の画面がいいな。

もうひとつは大西みつぐ「TOKYO EAST WAVES」(~4月25日、目黒・ふげん社)。自身も暮らす東京東部、川と湾岸の街と人を撮りつづける写真家の1980~90年代のカラー作品。街歩きしながら捉えた小さな光景が積み重なって、バブルと呼ばれた時代のありのままの姿を、ちょっと寂しげに照らし出す写真群。

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April 11, 2024

菊地成孔ダブ・セクステット

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久しぶりにブルーノート東京へ出かけ、菊地成孔ダブ・セクステットを聞く(4月10日)。

今夜のライブは「リユニオン」と名づけられている。20年前に結成されたが、メンバーがみな自分のバンドを持っており、それぞれ忙しかったりコロナがあったからだろう、10年以上活動がなかった。菊地はこのバンドについて以前、現代的なマイルス・クインテットと言っていたと記憶する。コルトレーンやウェイン・ショーターがいたマイルス・クインテットは1960年代に活動したが、現代的なとは、その後のフリージャズや電化を経験したということだろう。サックス(菊地)、トランペット(類家心平)の2管にピアノトリオ、それにダブ・イフェクトのエンジニアが加わった6人編成。

メンバーが揃ってダークスーツにネクタイで登場したせいもあるか、みんないいおっさんになったなあ。でも演奏を始めると以前とまったく変わらない。曲名などMCもなく、ぶっつづけで5曲の白熱したプレイ。このグループに惹かれるのは、どんな激しい演奏であろうと菊地と類家の音色のよさと唄心が滲みでているから。

アンコールで1曲だけ若いラッパーが加わり、クールなジャズを聞かせてくれた。

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March 18, 2024

『小山さんノート』を読む

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小山さんノートワークショップ編『小山さんノート』(エトセトラブックス)の感想をブックナビにアップしました。

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March 11, 2024

嶋津健一トリオ

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嶋津健一トリオのライブへ(10日、渋谷・Body & Soul)。スタンダードからドビュッシー、オリジナル曲まで、どんな曲も嶋津の音にしてしまうのがすごい。アップテンポのスタンダード「Go Upstairs」、ひたすら美しいドビュッシーの「月の光」、快調な自作曲「ビビッと来た瞬間」。たっぷり楽しみました。

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February 23, 2024

「中平卓馬 火│氾濫」展

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「中平卓馬 火│氾濫」展(竹橋・国立近代美術館。~4月7日)へ。

中平卓馬とは小生が写真雑誌にいたとき、1970年代前半と1990年代半ばに何度か会っている。70年代には写真家というより論客として、マッド・アマノの著作権裁判や、友人にしてライバルである森山大道について話を聞き記事を書いた。90年代は昏倒・記憶喪失から再起しての作品掲載のためだった。

以前に横浜美術館で開かれた展覧会は再起後のカラー作品に焦点が当てられていたが、今回は60年代の雑誌発表から晩年のカラー作品まで丹念に見せて、ああ、中平卓馬はこういう写真家だったんだと納得がいった。記憶喪失以前の写真と以後の写真には断絶があると言われ、小生もそう感じてきたけれど、撮影スタイルに違いはあるにせよ、ずっと同じものを見て、シャッターを押していたんだと思った。それは彼の写真集のタイトルを借りれば「来るべき言葉のため」の現実の断片ということだろう。

時を同じくして柳本尚規『プロヴォーク 中平卓馬をめぐる50年目の日記』(読書人刊)が出て、雑誌編集者から写真家へ転身する時代の中平卓馬が、親しくつきあった仲間の眼から鮮やかに描きだされている。小生、登場人物の多くに面識があるので、風貌からしゃべり方、その場の雰囲気が目に浮かぶ。

70年代、中平さんと会うのはいつも数寄屋橋の喫茶店で、歌手の安田南がふらっと姿を見せたりした。舌鋒鋭いが、人懐っこい表情でにやりと笑う、あの笑顔が忘れられない。

 

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February 17, 2024

奥武則『明治六大巡幸』を読む

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奥武則『明治六大巡幸』(中公選書)の感想をブック・ナビにアップしました。

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February 03, 2024

「みちのく いとしい仏たち」展

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ほっとする展覧会を見た。「みちのく いとしい仏たち」展(~2月12日、東京駅・東京ステーションギャラリー)。素晴らしさに惚れ惚れしたり、勉強になったりもいいが、たまにこういう展覧会もいい。青森や岩手の村のお堂や祠や農家の神棚に祀られる仏や神が130点。奈良や京都の寺にある洗練された仏像と違う、素朴で粗削りな仏たちだ。

 はにかむような笑みを浮かべた山神像(写真)。ちっとも怖くない不動明王像。三途の川で助けてと拝む童子跪坐像。隣のおじさんのような地蔵菩薩。かっこつけた若衆みたいな鬼形像。母のまなざしで子を抱く子安観音坐像。どれもこれも、なんとも豊かな表情をしていらっしゃる。立派なお寺でなく生活の隣にいて、日々の喜怒哀楽にそっと寄り添っているような。

 平安から江戸時代にかけて、専門の仏師でなく土地の船大工や木地師によって彫られた。北東北には、こういう民間仏がまだたくさん残っているらしい。こんな仏たちを風土のなかで眺める旅をしたくなった。

 

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January 30, 2024

『哀れなるものたち』

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『哀れなるものたち』(原題:POOR THINGS)に主演し、プロデューサーでもあるエマ・ストーンを知ったのは『バードマン』や『ラ・ラ・ランド』だった。彼女の経歴を見ると子供のころから舞台に出たり、主にコメディ分野のTVドラマや日本未公開映画にたくさん出演している。そんなことを調べたのは、この映画のエマが並みのハリウッド女優と違うギミックな演技や激しい性描写で、どんなキャリアの女優か知りたいと思ったから。『女王陛下のお気に入り』で組んだヨルゴス・ランティモス監督と再びタッグを組み、19世紀ヨーロッパを舞台に夢幻的なダーク・ファンタジーになっている。

フランケンシュタインのような容貌の天才外科医ゴドウィン(ウィレム・デフォー)は、身体は大人で精神は幼児のベラ(エマ・ストーン)と、ロンドンのヴィクトリア様式の館で暮らしている。ゴドウィンは、ベラの発育を記録する医学生とベラを婚約させるが、それに飽き足らないベラは遊び人の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)と駆け落ちし、リスボン、アレキサンドリア、マルセイユ、パリと冒険の旅に出る。何人もの大人とつきあい、一方、虐げられた人々を見て、ベラはダンカンの庇護を離れ独り立ちしてゆく。パリでベラは自ら望んで娼館で娼婦として働く。やがてロンドンへ戻り……。

ゴドウィンの顔に醜い縫い痕があったり、ベラの精神と肉体が乖離している秘密。産業革命後のブルジョアジーや貴族の子弟が、大人になるイニシエーションとしてヨーロッパ各地を旅した「グランド・ツアー」。それらを軸にしたゴシック・ロマンふうな物語に、女性の自立や男権社会への風刺が重なってくるのが、いかにも今ふうだ。各都市の幻想的なセットも楽しい。昨年のヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞作。

 

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January 21, 2024

『PERFECT DAYS』

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『PERFECT DAYS』の主人公・平山(役所広司)の質素な木造アパートには、古びた時代もののアイテムがいくつかある。ひとつはポータブルのテープデッキとたくさんのカセットテープ。テープはアニマルズ、オーティス・レディング、ローリング・ストーンズといった1960~70年代のロックやフォーク。それからコンパクトのフィルム・カメラ。フィルム・カメラで毎日撮るのは公園の木々と、そこに降り注ぐ光。映画のなかでたびたび、陽光と木々の揺らぎが織りなす木漏れ日のショットがモノクロームで挿入される。

公共トイレの清掃員として暮らす平山の部屋にそれ以外にあるのは、100円均一で買ったたくさんの文庫本と、道端に芽吹いた植物を採って植えた自家製の植木鉢。それ以外のモノはいっさい持たず、毎朝、道を掃く箒の音で眼ざめ、植木鉢に水をやり、ドアを開けてその日の空を眺め、缶コーヒーを飲んで仕事に出る。清掃会社のミニバンを運転し、カセット・テープを聞きながら渋谷区にあるらしい公園のトイレを回る。仕事が終われば、開いたばかりの銭湯につかり、浅草地下街の決まった店で飲み、夜は文庫本(フォークナーや幸田文)を読んで寝る。平山がその生活に喜びを感じていることは、便器の裏まできれいにする丹念な仕事ぶりや、毎朝、空を見上げる平山の喜びに満ちた表情からも分かる。

平山の、毎日判で押したような生活が繰り返し描かれることで、見る者は平山がある時、自分の人生を捨てた人間であることを感知する。いや、この映画に即して言えば人生を捨てたのでなく、ある時を境に、逆に生きる喜びに目覚めたと言うべきだろう。それまでの自分の生活こそ、捨てるべき人生と感じられたにちがいない。それは平山の持つアイテムからすると、たぶん1980年代、この国がバブルの絶頂に向かっていた時代。映画のなかで、平山がそれまでどんな生活をしていたかは語られない。でも、家出して彼のアパートにころがりこんだ姪を迎えに来た平山の妹が運転手つき高級車に乗っていることからして、裕福な暮らしをしていたのは分かる。

平山という名が、小津安二郎『東京物語』で笠智衆が演じた男と同じものだと知れば、 もう少し違う見え方もしてくる。この映画はヴィム・ヴェンダースの、小津とはまた違った『東京物語』ではないか。平山が東京という都市を巡る物語。彼が日々を暮らすのは東京スカイツリーが見える押上や浅草。隅田川にかかる橋を歩いて、あるいは自転車で何度も渡る、川面と橋の風景。渋谷周辺の公園と一風変わった公共トイレ。ミニバンで走る首都高速道路。そこに60~70年代の音楽が重なって、ちょっと不思議な東京の映画になった。

そして映画に血と肉を与えているのは、なんといっても役所広司の仕草と表情、その存在だった。

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