November 24, 2009

奈良に寄り道

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仕事で大阪へ行ったついでに奈良へまわり、興福寺の「お堂でみる阿修羅」展へ。

朝早い近鉄で行ったのに、チケットを買うだけで30分の行列。ようやく売り場まで来ると、会場の仮金堂へ入るのに更に2時間かかるという。行列ぎらいなので普段ならあきらめるけど、既に30分並び、このために奈良まで来たと思うと意地になる。博物館や美術館で見る仏像にはいつも違和感を覚えるので、上野でなくこちらに来ようと思っていた。考えてみれば3連休だし、会期最終日の前日だから当然か。

でも前に並んでいた地元の女性や、後ろの山梨から来たカップルと親しく話したり、互いに列を抜け出したり、「袖振り合うも他生の縁」を実感できたのが楽しかった。

阿修羅はじめ八部衆像は以前にも何度か見たことがあるけど、同時公開していた北円堂の弥勒如来、無著・世親菩薩立像(いずれも運慶作、国宝)が素晴らしい。

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五重塔の前で記念撮影する中国の若者たち。

彼らを見ていて思い出したけど、「奈良を歩くのは唐の長安にいるのと同じだ。長安は奈良にある」と書いたのは司馬遼太郎だった。

仏像が日本に入ってきたとき、それを納める建造物としてつくった「寺」は、もともと中国の官庁建造物がモデルだったという。「寺」には本来「仏寺」の意味はなく、「建物としての役所」を意味していた。漢の時代、中国に仏教が入ってきたとき、とりあえず「寺」に仏像を安置して拝んだことから「仏寺」を意味するようになった。それらの建造物はいま西安になく、奈良に残っている。役所の建物としての雰囲気をよく伝えているのは唐招提寺の金堂や講堂らしい。

はしゃいでいる彼らは、古の長安にいることを気づいているのかな?

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近鉄特急の車窓から見えた平城宮跡。以前は何もない野原だったけど、遷都1300年祭のために朱雀門が復元されている。


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November 19, 2009

近藤史人『藤田嗣治 「異邦人」の生涯』

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「アッツ島玉砕」(『藤田嗣治展』図録<2006、NHKなど刊>から)

近代日本の洋画というやつに心を動かされたことがない。高校時代にブリジストン美術館で初めて見た青木繁「海の幸」とか画集で知った岸田劉生「切通しの写生」とか記憶に残ってるものもあるし、その後熱心に日本人の洋画を見たわけでもないので他人に同意を求めるつもりはないけど、個人的経験としてはそうだ。

そのほとんど唯一の例外が藤田嗣治「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞臣節を全うす」。3年前の藤田嗣治展(国立近代美術館)で見て、その異様な迫力に、立ちどまったまましばらく足を動かすことができなかった。ともに2メートル×3メートル近い大作。悪名高い戦争絵画である。

それ以来、藤田の戦争絵画が気になっていたけど、だからといってなにか調べたわけでもない。4日ほど前、散歩の途中に寄った古書店で近藤史人『藤田嗣治 「異邦人」の生涯』(講談社文庫)を見つけて買った。著者はNHKのディレクターで、「空白の自伝・藤田嗣治」などの番組をつくった人。この本で大宅壮一ノンフィクション賞を受けている。

戦後、「日本に捨てられ」(藤田の言葉)、フランス国籍を取って日本を捨てた藤田は、亡くなってからも日本で大規模な展覧会が開かれたり画集が出版されることはなかった。それらを拒みつづけた未亡人と、著者は15年ものあいだ接触して番組をつくり、それが僕が見た回顧展開催につながった。

この本は残された藤田の日記や未亡人の談話、未発表の自伝などをふんだんに使って、彼の生涯を追っている。

パリで名声を得た藤田が2度と帰らないと誓った日本に戻ったのは1933年、2.26事件の年だった。南京虐殺があった翌年の1938年、軍部は美術家の戦争協力を求め、戦意高揚を目的とした戦争絵画の制作がはじまる。藤田もこれに応じた。

藤田がノモンハン事件に取材して1941年の「聖戦美術展」に発表した「ハルハ河畔戦闘図」は、「日本に油絵が入って以来の最大なる作品」と絶賛され、藤田は「聖戦美術の巨匠」と呼ばれるようになる。生涯で初めて日本画壇に受け入れられた藤田は、戦争画に傾斜していく。

僕が見た「アッツ島玉砕」は、藤田の戦争画の代表作。近藤が「ただ『死』だけが画面を支配する地獄絵」と描写するように、日本兵とも米兵とも定かでない戦士が銃剣をかざして殺し合い、死体が重なりあっている。異様に暗い画面の背後には、雪を抱いた山々がそびえている。少なくとも、この画を見て「戦意高揚」する人間は誰一人いないだろう。

藤田は、青森の巡回展で見た光景について記している。年老いた男女がこの絵の前に「膝をついて祈り拝んでいる」、また「御賽銭を画前になげて画中の人に供養を捧げて瞑目していた」と。絵画愛好者でもなんでもない、でも家族や友人を戦場に送った普通の人々に訴えるものを、この絵はもっていた。しかもお賽銭をあげ、祈り拝むという宗教的な所作を引き起こすなにものかを。

戦後、藤田は戦争画を描いた代表として責任を負うよう、画壇のなかで追及される。GHQが画家の戦争責任を追及することはなかったが、再び裏切られた(というのは、パリで名声を得たとき、画壇の反応は異国趣味を売り物にした宣伝屋だと冷ややかだった)と感じた藤田は日本を捨て、カソリックに改宗してフランスに永住することになる。老年の藤田は、少女の絵とともに宗教画に熱中した。

そんな藤田の生き方や、絵を前にした人々の反応からして、「アッツ島玉砕」は戦争画というより宗教画、鎮魂の図だったんだろうな。いずれにしても、作者の行為の是非や正義不正義の20世紀的問題設定が無意味になるかもしれない遠い将来、この絵は近代日本の絵画を代表する作品になるような気がする。

とはいえ、藤田が戦争に協力した事実は残るし、藤田を含めた画家(だけでなく芸術家)の戦争責任の問題は、戦後半世紀以上たつのにまだきちんと議論されていない。

十数枚ある藤田の戦争画のうち藤田展に出品されたのは5点だけだし、米軍が集め、後に日本に「永久貸与」された藤田、藤島武二、中村研一、川端龍子、橋本関雪、宮本三郎、小磯良平、向井潤吉らの戦争画が国立近代美術館に大量に眠っている。

ぜひ「戦争美術展」をやってほしい。大部分は作品として見るに耐えないものかもしれないけど、戦争期にこういうものがあったときちんと公開するのは公的施設の義務のはずだ。関係者のほとんどが亡くなった今、感情的な、あるいはイデオロギー的な反応から離れて、絵そのものにきちんと向き合えるはずだから。

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November 17, 2009

『脳内ニューヨーク』の生と死

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『脳内ニューヨーク』の原題は「Synecdoche, New York」って、見たこともない単語だなあ。synecdoche(シネキドク)を辞書で引くと「提喩」とある。「部分で全体を、全体で部分を表わす修辞法」なんだって。例として、breadでfoodを表わし、sailでshipを表わす、というのが挙げられてる。

莫大な賞金を手にした劇作家ケイデン(フィリップ・シーモア・ホフマン)が、ニューヨークの巨大倉庫のなかにニューヨークの町並みの巨大セットをつくりあげ、この町に生きる自らの生をそのまま芝居にしようとしている。一方、ケイデンと別れた元妻の画家アデル(キャスリーン・キーナー)は、高倍率の拡大鏡を使わなければ見えない小さなミニチュア画のなかに自分やケイデンの肖像を描いている。

ニューヨークに生きる彼らの現実と、現実の「部分」を切り取った芝居やミニチュア画。芝居のセットやミニチュア画のキャンバスに閉じこめられた「部分」が、ニューヨークという都市とそこに生きる人々の「全体」を表わす。

セットのビル群の背後には、吹き抜け天井の骨組が見えている(ポスター)。ミニチュア画の肖像で顔の部分には、何も描かれていない欠落がある。そんな極大あるいは極小のフレームに閉じこめられた「部分」のほうが、実は「全体」の隠された姿を露わにしているのかもしれない。原題には、そんな意味合いが込められているような気がする。

『脳内ニューヨーク』って邦題は悪くないし、よく考えたと思うけど、ちょっとニュアンスが異なるようだ。日本の公式サイトやポスターに使われているイメージ──シーモア・ホフマンの頭蓋にニューヨークの町と人が詰まっている──も邦題に合わせてつくられたみたい。

「脳内」って言葉は、この映画の監督チャーリー・カウフマンが脚本を書いた『エターナル・サンシャイン』や脳科学ブームからの発想だろうけど、映画はカウフマン流のユーモアはあるものの全体に沈鬱で、青空にシーモア・ホフマンの頭蓋が浮かぶ宣伝や「驚嘆と感動のライフ・エンタテインメント」というキャッチとは差がある(製作費2000万ドルに対し現在までの興行収入313万ドルと、興行的には失敗作みたいだから、配給会社が明るいイメージで売りたいのは分かるけど)。

アメリカの公式サイト入口のイメージは、死体らしきものが累々と重なる彼方にニューヨークの巨大セットが見えるというもので、いやでも9・11を連想させる。この映画に描かれた生と死、絶望と希望は、アメリカ人、なかでもニューヨーカーには9・11を下敷きにしていると感じられんじゃないだろうか。

そう考えると、ケイデンの恋人ヘイゼル(太めのサマンサ・モートン)が買おうとするのが燃えている家という現実にはありえない設定で、ケイデンはそれが気に入り、炎のなかに住んでいるというのも、意味深に思えてくる。

そんなふうに現実と虚構を行き来し、主人公たちは、彼らの役を演ずる劇中の主人公たちとドッペルゲンガーみたいに重なりあい、劇作家の日常を主題とした芝居は17年たっても始まらず、始まらないんだから永遠に終わらず、ケイデンの死で断ち切られるしかない。

なんとも不思議な映画だった『マルコヴィッチの穴』の脚本家チャーリー・カウフマンの初監督作品(無論、脚本も)。『マルコヴィッチ』『エターナル』の脚本家らしく現実と非現実が入り混じり、ひねりの効いた構成だけど、そんな仕掛けを別にすれば、作品の感触はロバート・アルトマンの群像劇のテイストとウッディ・アレンの心情告白をミックスした感じ。アルトマン亡く、アレンがアメリカを去ったいま、こんなふうに笑いや悲しみ織り交ぜてニューヨークを語ってくれる作り手が出現したのが嬉しい。

ニューヨークの巨大セットの1シーンで、僕が住んでいたアパートの近く、ブルックリンのDUMBO(ダンボ)がロケに使われていた(と思う)。元は港だった地域の、古い建物が立ち並ぶ倉庫街。石畳の道路に、かつての路面電車の線路が残る。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でロケに使われた場所といえば、分かってもらえるか。ニューヨーカーが「ありうべき(あるいはかつてあった)ニューヨーク」を想像するとき、レンガ積みと鉄骨と石畳のこういう風景になるんだな。


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November 09, 2009

『母なる証明』の痛覚

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『母なる証明(原題:マザー)』の最初のシーンと最後のシーンで、母(キム・ヘジャ)が踊る。最初のシーンは秋枯れの草原。ひとり歩いてきた母が立ち止まり、最初おずおずと両手を上げ韓国の伝統的な踊り方で体を動かしはじめ、やがてそれに熱中する。見る者は、こんな場所でなぜ彼女がひとり踊っているのか分からない。ふつう踊りだすのは何か嬉しいことがあったときだけど、何が嬉しくて踊るのかも分からない。

映画の終わり近く、この草原を母が歩くシーンが再び呼び出される。このとき見る者は、母が息子トジュン(ウォンビン)のために何をしたかを知っている。映画の最後にファースト・シーンに戻るのはよくある手だから、あ、これで母は踊りだすんだと思う。ところがポン・ジュノ監督は、もうひとつのエピソードをつけ加える。

(以下ネタバレです)母は、殺人犯で捕らわれた息子の無実を証明するために、現場に居合わせたクズ拾いの男を問いつめながら、実は殺人を犯したのは息子だったことを知ってしまう。その瞬間、ためらいもなく母は男を殺し、放火する。母が草原を歩くのは、その次のシーンだ。

釈放されたトジュンは男のバラックの焼け跡で、母のものである治療用の鍼の容器を拾う。母が放火殺人に関係していた証拠になりうるその容器を、トジュンは母に返す。なぜそれがそこにあったか、トジュンは母に聞かないし、母も何も言わない。

そしてラストシーン。母は仲間とバス旅行に出かける。バスの座席に座った母は鍼の容器を取りだして1本の鍼をつまみ、自らの太腿にその鍼を打つ。見る者は、鍼を打たれる一瞬の痛覚を母と共有する。母が踊りだすのはその後だ。物見遊山の旅で早くも踊りだした仲間にまじって、(たぶん)太腿に鍼を刺したまま母は踊る。カメラはシルエットになった彼女をクローズアップで捉えている。

ここがポン・ジュノだね。最後に草原のシーンに戻って母が踊るところで終わっては、よくある映画、になってしまう。母が鍼を自分の身体に打つ痛覚。その痛覚とともに踊ることで、この母と子、2人の殺人者の思い思われる関係がいっそう凄味を増す。

映画の舞台は韓国の地方都市に設定されているが、町の名前は明らかにされない。ロケもどこか1ヵ所ではなく韓国各地でやっているらしい。どこか1ヵ所でロケをすれば、韓国の観客にはだいたいの場所が分かってしまうだろう。複数の場所でロケをしているのは技術的理由もあるだろうけど、それだけでなく、見る者に場所を特定させないという意図も監督にあったかもしれないと思う。

それは母に名前が与えられていないことに対応している。特定の場所、特定の母ではなく、どこにもない場所の、誰でもない、ということは誰でもありうる母の物語なのだ。

ポン・ジュノは『ほえる犬は噛まない』でも『殺人の追憶』や『グエムル』でも、作品としてのまとまりを崩してでも自分のこだわりを執拗に描写する監督、という印象を受ける。この『母なる証明』でも、そのこだわりは一層強まっている。だからカンヌで賞を取れなかったのかもしれないけど、やはりこのほうがポン・ジュノらしい。


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Yの墓参

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亡くなって9年になる友人Yの墓参りに高尾へ出かけた。高尾駅から低い山をふたつ越えた谷あいにある寺。5年ほど前につくられた霊園で、どれも新しい墓石に午後の鈍い光が射している。

Yとは仕事仲間だっただけでなく、一緒に草ラグビーをやったり、皇居一周マラソン大会を走ったりした。山のベテランだった彼に誘われて八ヶ岳を縦走したこともある。なにより、新宿で、麻布十番で、よく飲んだ。掌を見せてもらうと真赤だったから、肝臓が悪いんだよ、医者に行ったらと勧めたけど、Yは構わず飲んでいた。

墓参の帰りにかつての仕事仲間、ラグビー仲間5人と軽く飲み、13回忌でまた顔を会わす日まで、なんとか生き延びようと言い合って別れた。

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November 05, 2009

アラン・トゥーサン みずみずしいピアノ

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こんなセロニアス・モンク、聞いたことなかったなあ。ニューオリンズ・スタイルで演奏されるモンクの「ブライト・ミシシッピ(Bright Mississippi)」。アラン・トゥーサン(Allen Toussaint)の演奏だ。

モンク右手の独特のタッチと、時に不協にもなる左手の和音を消し、アラン・トゥーサンの快いピアノをニューオリンズ・スタイルのバックが支えると、まるでストーリーヴィルの路上で演奏されているみたいに陽気なモンクになる。モンクの斬新な音が、実はこういう伝統のなかから出てきたことがよく分かる。

アラン・トゥーサンはニューオリンズのR&Bシーンで活躍するピアニスト、歌手、作曲家。オーティス・レディングやローリング・ストーンズ、Dr.ジョンなんかが彼の曲をカバーしている。僕はほとんど聞いたことがなかったけど、最新アルバム『ブライト・ミシシッピ』(Nonesuch)を、ここんとこ毎日のようにかけている。ニューオリンズのR&Bとニューヨークのジャズが出会うとこんな音になるんだ。

ベテランのアラン・トゥーサン以外、ニューヨークのジャズ、ロックの若い腕っこきが周りをかためている。ニコラス・ペイトン(tp)、マーク・リボット(acoustic g)といった連中に、ブラッド・メルドー(p)、ジョシュア・レッドマン(ts)も1曲ずつ加わる豪華メンバー。

僕はモダン・ジャズ好きなので、ニューオリンズ・ジャズを聞くとどうもモダンジャズ前史をお勉強するみたいな気分になってしまう。去年、ニューオリンズでセント・ピーター・ストリート・セレナーダーズというバンドを聞いたときも、ニューヨークでウィントン・マルサリスのニューオリンズ・スタイルの演奏を聞いたときも、それなりにいいとは思ったけど、心が浮き立つような満足感はなかった。

でもアラン・トゥーサンのピアノは聞いてて本当に楽しい。70代とは思えないみずみずしいタッチに、優しい音色がたまらない。なかでも「セント・ジェームズ診療院(St. James Infirmary)」のトゥーサンとリボットのかけあいは泣ける。

「エジプチアン・ファンタジー(Egyptian Fantasy)」などシドニー・ベシェやデューク・エリントンの曲をニューオリンズ・スタイルで、あるいはブルースでやっていながら、伝統的なニューオリンズ・ジャズやブルースそのままではない。古いけど新しい、新しいけど古い、不思議な音。このメンバーならそれも当然か。ストリート・ミュージックの香りがするのもいいな。


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October 29, 2009

『ユリイカ臨時増刊 ペ・ドゥナ』

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長いこと雑誌編集者をしていたのに、最近、雑誌に魅力を感じることが少なくなった。多いときは4冊ほど定期購読していたのに今ではゼロになったし、本屋へ行っても、雑誌売り場であれこれ覗いて面白そうなのを予算オーバーなのについ買ってしまう、そんなことが少なくなった。近頃の雑誌に魅力がなくなったのか、こちらのアンテナが錆びついたのかは分からないけど、中身が薄い、買って損した、とがっかりする経験が続いたことは確かだ。

久しぶりに、わくわくしながらレジへ雑誌を持っていったのが『ユリイカ臨時増刊 ペ・ドゥナ』。「『空気人形』を生きて」というサブタイトルがついて、1冊206ページがまるごとペ・ドゥナ特集に当てられている。

彼女が主演する『空気人形』公開に合わせての発売。24ページをカラーにして定価1300円ということは、1万5千から2万部くらい刷ったんだろうか。ペ・ドゥナはいわゆる韓流スターの人気者でははないけれど、コアなファンはそれなりにいる。僕も映画を見にいったし、そもそもペ・ドゥナのファンだから、まさしく『ユリイカ』の狙う読者ターゲットだったわけだ。それにしても現代詩の雑誌が女優をテーマにまるごと1冊特集するとは、それだけでもえらい。

ペ・ドゥナへのインタビュー、『空気人形』スチールと撮影現場でドゥナ自身が撮ったスナップ、『空気人形』の是枝裕和監督と『リンダ・リンダ・リンダ』でドゥナを使った山下敦弘監督の対談、そして野崎歓、宇野常寛ら12人の論者によるペ・ドゥナ論、フィルモグラフィーと、この手の別冊としてはまず王道をいく構成。

いちばん面白いのは是枝・山下両監督の対談だったな。2人はそもそも彼女の熱烈なファンなんだね。そこから出演の話が始まった。現場では2人とも「すげえなあ」「可愛いなあ」「キッとにらまれて、すごく怖かった(笑)」「もう完敗」と、めろめろ。そんなふうにヒロインを立てながら、「身体のコントロールが完全にできてる」「プロフェッショナル」とペ・ドゥナの凄さをきちんと見つめてる。

あとは野崎歓の、「なまめかしすぎるペ・ドゥナに、共感ではなく欲望を、友情ではなく恋情を覚えかねない自分を発見」するドゥナ論、彼女が出演した映画ばかりでなく韓国のテレビドラマまで丁寧に追った木村立哉、韓流ドラマのなかのドゥナの立ち位置と韓国の社会状況との関係を考えた田中秀臣のエッセイが読ませる。

不満もある。肝心のドゥナ・インタビューが短すぎることだ。公開前のプロモーションで来日したときのインタビューで、小生も経験があるけど、プロモーションは取材がびっしりつまっていて1時間くらいしか時間をもらえない。写真撮影もあるから、話をできるのはどんなに頑張っても40~50分。通訳が入ると、実質はもっと短くなる。新聞の短い記事や雑誌の1ページ程度ならなんとかなるけど、増刊の目玉としてはつらい。

ここは2~3時間、あるいはもっと長時間のロング・インタビューで、『空気人形』だけでなく他の作品や、女優としての道筋、バックグラウンドをじっくり語らせてほしいところだ。今は北海道や沖縄へ行くよりソウルへ行くほうがカネも時間もかからないんだから、段取りさえきちんとすれば可能だったと思うけど。『ユリイカ』なら、そのくらいの期待をしてしまう。

あと、『ユリイカ』らしく現代思想ぽい言葉遣いのエッセイが並んでいるけど、どれも同じような感触で、読んでいて飽きがきた。インタビュアーでもある宇野のエッセイ1本あればいい感じ。その代りに、例えば韓国の書き手を探してほしかったな。もうひとつ。映画のなかの重要なシーンで吉野弘の詩が引用される。詩の雑誌なんだから、そっちの視点もほしい。

などと、ないものねだりしたけど、久しぶりに雑誌の面白さを堪能しましたね。


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October 27, 2009

湯の小屋温泉へ

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2年ぶりに昔のオフィスにに通う仕事が一段落したので、群馬の湯の小屋温泉に行ってきた。湘南新宿ラインで高崎まで行き、上越線水上行きに乗り換える。前橋を過ぎると右の車窓に赤城山、左に榛名山が見えるはずだけど、この日は今にも降り出しそうな厚い雲で、風景は霞んでいる。写真は後閑あたり。

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湯の小屋温泉は、水上から利根川の上流へバスで1時間ほど遡った木の根沢川沿いにある。標高が上がると、木々が紅葉してくる。

このあたりには藤原ダム、矢木沢ダム、奈良俣ダムと、いま問題になっている利根川水系のダムがかたまってある。バスに乗っていると次々にダムが現れる。それを見ても、200年に1度の洪水のためにあと十数基のダムをつくるという計画がどんなに無理なものか想像がつく。

道は栃木、福島との県境近くを走り、峠を越えると尾瀬になる。湯の小屋には数軒の旅館があり、以前に2度ほど泊まったことがある。

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旅館(龍洞)には17の風呂がある。僕はこの、斜面の下にあるいちばん古くて大きな露天が好き。拙い写真ではスケール感が出ないけど、ぬるめの湯に体をひたすと山にすっぽり包まれた気分になるのがたまらない。前回来たとき、風呂の周りは数十センチの積雪で真白だった。今日は、ブナ、カエデなどの色づいた木々にかこまれる。湯につかりながら紅葉を見上げ、冷たい雨に顔を打たれるのもいいもんです。

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こちらは木の根沢川に面した風呂。

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ここから5キロほど遡ると照葉峡という紅葉の名所がある。バスは通ってなく、車でしか行けないので行ったことはないけど。

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この旅館、昔は湯治場だったんだろうけど、今は露天風呂をたくさんつくり、すべて貸切で入れるようにして若いカップルを狙っているようだ。

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近くの道路脇では農家の人がテントを張って、きのこの路上販売。きのこ汁がうまかった。


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October 22, 2009

『アンナと過ごした4日間』 曇天の光

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『アンナと過ごした4日間(原題:Cztery noce z Anna)』で、太陽の光が顔を出し、このポーランドの田舎町を照らしているシーンはわずかに1カットしかない。ポスターやチラシに使われている、教会の尖塔を中心に町並みを俯瞰した印象的なショットで、それも尖塔の向こうには黒々とした雲が流れている。

それ以外の昼間のシーンはすべて、厚い雲がかかって暗欝な光を町に投げかけている。焼却場から出てきたレオン(アルトゥル・ステランコ)が、淋しい路地を歩いて教会の辻でアンナ(キンガ・プレイス)に気づいて隠れるファースト・シーンの重く鈍い光を見て、やっぱりポーランド映画だなあ、と思った。

僕の記憶に残るかつてのポーランド映画、『夜行列車』も『水のなかのナイフ』も『大理石の男』も曇天の重苦しい光に満ちた映画だった。どの監督も決まって曇天の光を好むのは、それぞれの個性というより風土と、風土に影響された精神の姿勢に関係しているんじゃないか。

1960年代にデビューして注目されたスコリモフスキーはポランスキーと同世代だから(僕は『早春』を見てないけど、『水の中のナイフ』『夜の終わりに』の脚本家として知っていた。役者としても出演していたと記憶する)、ワイダ、カワレロウィッチからムンク、ポランスキーに至るポーランド黄金世代に共通した感性をもっているんだなあ。

そんな重苦しい光に満ちたこの映画は、それだけでなくかなりの部分が夜のシーンになっている。夜こそ、この映画の主題だから(原題は「アンナとの4つの夜」)。闇のなかをレオンが動きまわるとき、ほんのかすかな光で撮影されているらしく、人や物の輪郭すらはっきりしない。映画が真の暗闇を表現することはできないけど(何も写らないんだから)、こんなわずかな光が暗闇の存在を指し示すことができる。

画面は最初から不穏な空気を漂わせている。病院の雑役夫レオンが、ゴミ箱から手首を無造作に取り出して焼却炉に放り込む。犯罪の匂い。夜、暗くした自室にいるレオンは壊れかけた双眼鏡を手に、庭をへだてた看護師寮のアンナの部屋を覗いている。レンズ越しのショットが秘密めいてていい。回想シーン(と後で分かるのだが)のなかで、レオンが川で釣りをしていると、不気味な牛の死骸が流れてくる。激しい雨のなか、レオンは廃屋で男がアンナをレイプしているのを目撃する。

スコリモフスキーは曇天の鈍い光だけでなく、音を効果的に使って見る者を映画に引きずり込んでゆく。ギイーッと不意に鳴るアコーディオン。かすかな遠雷。ちょろちょろと流れる水音や鳥の鳴き声。激しい雨音。パトカーのサイレン。印象的な光と闇、そして音の使い方は1950年代の映画ふうで、とりわけヒッチコックを思い出させる。

レオンは遂にアンナの部屋に忍び込むのだけど、それまで犯罪映画のようなふりをしていた映画が、そこから別の顔をのぞかせはじめる。1つ目の夜。睡眠薬でぐっすり寝込んだアンナの裸の胸に触ろうとして、レオンは手を引っ込める。2つ目の夜。レオンはアンナの足の爪に真っ赤なペディキュアを塗る。3つ目の夜。アンナの誕生日にレオンは花束と指輪をおいてくる。そして4つめの夜……。

犯罪者の烙印(冤罪)を押された中年男の、強迫観念にとらわれた愛、と言葉にしてしまうと、いかにも類型的に思える。でもスコリモフスキーは、ほとんど説明しない。レオンの犯罪者と間違われるような(部屋に忍び込むのはまぎれもなく犯罪だけど)行動を、黙って見る者に差し出す。しかもスコリモフスキーは、最初のうちあたかもレオンを犯罪者のように描いて、見る者を騙しにかかる。一筋縄ではいかない。観客はレオンの胸の内を、その行動から推し量るしかない。

レオンの思いは映画の中で遂に誰にも共有されない。アンナですらレオンの冤罪は信ずるものの、彼の愛を理解しない。それを分かっているのは、暗闇でアンナを覗くレオンの行動を暗闇のなかで見ている者、つまり観客だけだ。暗闇のなかでレオンと僕だけ(観客はひとりひとりがそう思う)が秘密を共有している。そんな暗闇のなかの親密と、外界との孤絶が、この映画の芯なんだなと思った。

『アンナと過ごした4日間』はイェジー・スコリモフスキーが17年ぶりにポーランドへ帰って撮った作品だそうだ。ラストシーンは、その17年間の不在と重なってみえる。


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October 20, 2009

帰り道

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古巣から声がかかり、ムック本を編集するために50日ほど、ほぼ毎日かつての仕事場に通った。2年ぶりに定期も買った(リアイア組の誰もが感ずることだけど、交通費の高いこと)。

この日は珍しく空が明るいうちに仕事場を出ることができた。

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昔、毎日歩いていた通勤路。金曜日の夜で、人が出ている。

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最後の数日は終電で帰る日がつづいた。ようやく、今日でおしまい。


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