
この数年、映画を見る本数が減り、今年は劇場で見た映画が30本に届きませんでした。そのなかから記憶に残る10本を挙げてみます。日本映画を比較的たくさん見ました。それは外国映画の興行成績が振るわないこと、公開本数が減っている(ような気がする)ことと関係あるかもしれません。僕の好きなマイナーな、あるいはB級テイストの洋画が少なくなっているのが残念です。
●『ブラックドッグ』
中国辺境の砂漠地帯の町。荒涼とした風景を数百匹の野犬が駆け抜ける。刑期を終えた男が帰ってくる。再開発のための野犬狩りに駆りだされた男と、黒いボス犬の間に生まれた、はぐれ者同士の絆。ハリウッドの西部劇を現代中国に置きかえた空気感がたまらない。政治批判は一切しないが、言葉にしなくとも伝わってくるものはある。
●『私たちが光と想うすべて』
歌と踊りのボリウッド映画とは違う場所から生まれたインド映画。ムンバイに生きる三人の女性が、悩みを抱えながら生きていく。外国へ出た夫から連絡のない看護師。イスラム教徒の恋人を持つ若い看護師。病院に勤めているが立退きを迫られ故郷へ帰ろうとする女性。巨大都市の光と音が彼女らを包む。ラストの眩いショットは忘れがたい。
●『新世紀ロマンティクス』
新型コロナは中国社会に大きな影を投げかけた。ジャ・ジャンクー監督は過去の2作品に主演した男女二人を起用し、過去作の映像とコロナ禍の現在をつなぎ合わせ、30年にわたる男と女の出会いと別れの新しい作品に仕上げた。コロナを素材としてだけでなく、新しいスタイルの創造に用いた実験精神に脱帽。時の流れと、にもかかわらず持続する思いの深さに圧倒される。
●『ルノワール RENOIR』
なんともみずみずしい映画。小学5年生の少女フキの目を通して描く、ひと夏の経験と成長。1980年代の地方都市。「みなしごになりたい」と作文して母を嘆かせるフキは、癌になった父親が入院したり、母が別の男と怪しげな関係になりそうだったり、周囲の大人の世界を何も言わず黙って見ている。黙って首を振る意思的な瞳が印象に残る。
●『教皇選挙』
世界中の枢機卿がバチカンに集まり密室の教皇選挙となれば、いろんな思惑が交錯しないはずがない。執行役となった枢機卿の視点から、保守派とリベラル派の対立に人種やジェンダーも絡んで、最終決着まで投票ごとにトップが変わるその内幕が興味津々。上映が現実の教皇選挙と重なったことで、一段と面白みが増した。
●『遠い山なみの光』
日本映画ではあるが、原作はカズオ・イシグロの小説だから英国が舞台になる場面のセリフは英語、撮影もポーランドのキャメラマンで、日本映画とは違うテイストの作品になったのが新鮮。イシグロの淡い光の世界が再現されている。原作が多義的な解釈を許す部分を、監督はひとつの解釈で映画にした。製作に加わったイシグロもそれを楽しんでるみたい。吉田羊、広瀬すず、二階堂ふみ、3人ともいいな。
●『美しい夏』
ムッソリーニ政権下の北イタリアを舞台にした女性二人のシスターフッド映画。田舎から出てきたお針子と、年上で奔放なモデル(演ずるディーヴァ・カッセルが魅力的)の二人が話したり、歩いたり、自転車に乗ったりする背後の北イタリアの街角や、紅葉と雪の風景を見ているだけで気持ちよい。観客はやがて戦争が始まるのを知ってるだけに、二人の時間が儚く美しい。
●『旅と日々』
つげ義春の二つの短編が原作。主人公は映画の脚本家で、原作の一本は脚本家が書く劇中劇として、もう一本は主人公が原作に入り込んでしまうという、前後半で別の構造を持つ。それを旅というテーマでつなげてみせた。旅といっても名所旧跡でなく、夏の海岸と雪深い村を淡々と旅しながら、ふっと異世界が紛れこむのが「つげワールド」。
●『殺し屋のプロット』
哲学を教えていた元大学教師の殺し屋が、記憶を失う病にかかる。そこへ息子が人を殺してしまったと助けを求めてくる。ぷつぷつ途切れる記憶と戦いながら、殺し屋は息子を救うため 、ある計画を立てる。マイケル・キートンが製作・監督・主演。西海岸ロスを舞台にしたクールな犯罪映画。こういうの、好きだなあ。アル・パチーノも老いていい味。
●『国宝』
僕は単館ロードショー系の映画をよく見るけど、面白い大作ももちろん見たい。久しぶりに見ごたえのある、日本映画のど真ん中をいく作品。歌舞伎の見せ場を折りこみながら、片や血筋、片や才能を背負った二人の成長と挫折の果てまでを楽しませてくれる。「日本大好き」の風潮も追い風になったか。
● 番外
他に記憶に残ったのは『宝島』(出来はいまひとつだったけど、スタッフ・キャストの熱を感じた)、『名もなき者』『ハルビン』『桐島です』『ザ・バイクライダーズ』など。
皆さま、よいお年をお迎えください。
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