September 20, 2017

宮崎学・小原真史『森の探偵』を読む

Morino_miyzaki

宮崎学・小原真史『森の探偵』(亜紀書房)の感想をブック・ナビにアップしました。

http://www.book-navi.com/


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September 18, 2017

『ダンケルク』 逃げまどう戦争映画

Dunkirk
Dunkirk(viewing film)

クリストファー・ノーラン監督の映画は時間と空間の描き方が直線的でなく、独得にねじれている作品が多い。

『メメント』は、脳に傷を負って記憶が10分しか保てない男が、自分の行動をメモ書きしたり身体に刺青として刻みこんだりしながら追いつ追われつするサスペンスだった。同じ時間が何度も繰り返され、円環する感覚が新鮮だった(このインディペンデント系の長編2作目が評価され、ミステリアスな『インソムニア』を経て『バットマン ビギンズ』に抜擢される)。『インターステラー』は太陽系のワームホールを通って別の銀河系に行き、時間と空間がニュートン力学とは別の仕方でつながっている世界を描いた。

『ダンケルク』の面白さは、陸海空の戦いがそれぞれ別の時間軸で描かれていることだろう。陸の戦いは、ドイツ軍にダンケルクの海岸に追い詰められた英仏軍が、大きな犠牲を出しながらも撤退する1カ月を描く。海の戦いは、撤退する兵を乗せた輸送船が独空軍によって撃沈されるなか、徴用されたイギリスの民間船がダンケルクに救助に向かう最後の1週間を描く。空の戦いは、英仏の輸送船を狙う独空軍に対して攻撃を仕掛ける英空軍戦闘機3機の最後の1時間の戦闘を描く。1カ月と1週間と1時間の戦いが入れ子状になって1本の映画になり、最後に3つの時間が合体して終わる。

それぞれの戦いに主人公がいる。陸の戦いは英軍兵士のトミー(フィオン・ホワイトヘッド)。戦いといっても、独軍に攻撃されて銃を捨てて逃げ、ダンケルクの海岸でも独軍戦闘機に掃射され、別の隊にまぎれこんで乗った輸送船も独戦闘機に攻撃されて沈没し命からがら海岸に舞い戻りといった具合で、ただ逃げまどうだけ。桟橋の下に隠れて救助の輸送船に潜り込んだり、兵士としての規律を失ってしまったようにも見える。

海の戦いの主人公は観光船ムーンライトの船長・ドーソン(マーク・ライランス)。息子と息子の友達を乗せて、徴用された多くの民間船とともにダンケルクに向かう。海上で救助したショック状態の英兵(キリアン・マーフィー)は、ムーンライトがダンケルクに向かうと聞いて、英本土に戻れと暴れる。船長はダンケルクに行く訳をこう説明する。「自分たちの世代が戦争を始めた。でも息子たちの世代を戦場にやってしまった」。

空の戦いは戦闘機スピットファイアのパイロット・ファリア(トム・ハーディ)。ダンケルクへ出撃したのは3機。1機だけ残り、本国へ帰投する燃料がなくなってもなお独戦闘機と戦い、独機を海に沈めた後、燃料切れでダンケルク海岸に不時着して独軍の捕虜となる。空中戦や駆逐艦の脇をスピットファイアが飛ぶシーンなど、すべてCGでなく実写。飛行できるスピットファイアを飛ばしたというからすごい(65ミリのIMAXで撮影されているが、日本公開は35ミリ版。大スクリーンで見たらどんな感じだろう)。ファリアはずっと防風眼鏡をかけているので、最後に機体から離れるまでトム・ハーディとわからなかった(笑)。

この陸海空の1カ月と1週間と1時間のドラマが時間を行ったり来たりして描かれる。もっとも、それぞれのパートのなかで時間は順を追って進むので、そうと分かれば混乱はない。3つのパートが重なる最後の1時間、兵士のトミーは既に英国に帰り、列車に乗っている。逃げ回ってばかりいたトミーだが、駅のホームにかけつけた住民から、「生きて帰ってきただけでよい」と声をかけられる。一方、最後にトム・ハーディが格好良く愛機に火をつけ捕虜になるあたりは、いくら負け戦の撤退戦とはいえ、ヒーローがいないと映画が終らないんだろう。

でも、いちばん感情移入できたのは不甲斐ない兵士のトミーだった。身を隠す場所もない海岸で戦闘機の機銃掃射や爆撃を受け、別の隊にまぎれこんで乗った駆逐艦は爆撃され船室が浸水して溺れそうになり、再びダンケルク海岸に戻って干潮で座礁した船倉に隠れたところを銃撃される。兵士というより普通の人間に戻り、殺される恐怖にさらされるのがなんともリアル。『プライベート・ライアン』から『ハクソー・リッジ』まで、すさまじい戦闘シーンを売りものにした映画は多いけど、殺される恐怖をこんなふうに描いた戦争映画は負け戦だからこそかも。

セリフは最小限に抑えられ、そのかわりハンス・ジマーの音楽が負け戦にふさわしい(?)恐怖感をあおる。

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September 14, 2017

『散歩する侵略者』 観念的台詞とB級テイストの映像

Photo
Before We Vanish(viewing film)

黒沢清監督の映画に通底する特徴は、それが彼の映画のいちばんの魅力だと思うけど、「不穏な空気」とでも呼べるものじゃないかな。

ホラーでも、スリラーでも、黒沢清はおどろおどろしい仕掛けを好まない。ごく当たり前の日常がある瞬間、なにかをきっかけに「不穏な空気」が充満する場に変貌し、それが恐怖や不安を引き起こす。でも『散歩する侵略者』には、それがないように見える。

この映画はホラーでもスリラーでもなく、SF。SFといえば、街や人の服装が未来ふうなのが普通だろうけど、いま現在のこの国の風景のなかに宇宙人が人の形を借りて侵略してきたという設定。つまり普通じゃないSFをつくろうとしている。日常の風景と宇宙人の侵略という設定の齟齬を、映画としてどう処理するのか、それが観客にどう受けいれられるか。今まで見たこともない作品と評価されるのか、絵空事みたいに感じられるのか。

宇宙人に乗っ取られたのは真治(松田龍平)。夫のおかしな言動に妻の鳴海(長澤まさみ)は戸惑う。宇宙人は乗っ取った人間から「家族」「仕事」といった概念を奪ってゆく。真治は鳴海と家族を構成していることを忘れ、仕事を忘れ、ただふらふら歩きまわるだけ。

一方、週刊誌記者の桜井(長谷川博己)は一家惨殺の殺人現場で少年の天野(高杉真宇)に声をかけられる。天野と、家族を殺した娘のあきら(恒松祐里)もまた宇宙人だった。桜井は天野とあきらが宇宙人であり、地球を侵略する偵察をしていると聞き、2人と行動を共にする。2人が、もう1人の宇宙人である真治と連絡を取り、故郷の星に通信すると侵略が始まる。

『散歩する侵略者』はもともと前川知大作の舞台劇。宇宙人が人間から概念を奪うという設定も、ここから来ている。舞台劇なら、観念的な設定や台詞も観客ははじめからそういうものと思っているから違和感を感じない。でも映画の場合、よほど周到なカメラと演技とともにでないと、観念的な台詞とリアルな映像とが齟齬を来しお尻がこそばゆくなって落ち着かない。去年見た『ふきげんな過去』もそうだった。

黒沢清監督は、その観念的な台詞に対して、アメリカの宇宙侵略ものB級映画みたいな映像をつけた。金をかけないチープ(に見える)テイストと、唐突というか、おざなり(に見える)展開。それを、あえてやっているように見える。

「家族」や「仕事」そして「愛」の概念を奪われた松田龍平と長澤まさみの夫婦が、もう一度ゼロから愛をつくりなおしていく物語。うまく映画的に処理すれば、黒沢監督得意のサスペンスや、『岸辺の旅』のようなテイストの映画にもなりえたと思う。でも監督はあえて観念的セリフとB級映画ふうな映像を組み合わせたように感ずる。

「不穏な空気」も、最後に宇宙人が襲来するところでちらっと見せるだけ。いつもの黒沢映画の面白さは感じられなかった。期待していただけに残念。


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September 08, 2017

『エル ELLE』 倒錯した精神性

Elle
Elle(viewing film)

ポール・ヴァーホーヴェン監督の悪女ものといえば、どうしたって『氷の微笑』を思い出してしまう。でも『エル(原題:Elle)』は、面白さでもサスペンスでも変態度でも『氷の微笑』より一回り上。『氷の微笑』がハリウッド製エンタテインメントだったとすれば、『エル』はエンタテインメントでありつつ作家性を感じさせる作品になっている。その理由は、ヒロインがただの悪女でなく、その生き方から倒錯した精神性が匂ってくるからだろう。

冒頭、暗闇のなかで鋭くガラスが割れる音がする。画面が明るくなると、いきなりショッキングなレイプ・シーン。パリの高級住宅地に住むミシェル(イザベル・ユペール)がダイニング・ルームで黒覆面の暴漢に襲われている。暴漢が去った後、ミシェルは事もなげに割れたグラスを集めて捨てる。その冷静さが普通ではない。

場面が変わるとミシェルの仕事場。彼女はゲーム会社の社長をやっている。若いスタッフが開発中のゲーム(モンスターが女性を襲う)に、ミシェルは冷たくダメを出す。スタッフには権力者であるミシェルへの反感が感じられる。ミシェルは元夫のリシャール(シャルル・ベルリング)、共同経営者のアンナ(アンヌ・コンシニ)、アンナの夫のロベール(ミシェルは彼と不倫の関係にある)と食事しながら、暴行されたこと、警察へは届けないことを告げて、「これ以上何も言わないで」と、すぐに話を切り上げる。

映画の前半は犯人捜しのサスペンス。レイプ犯はどうやらミシェルの知る人間らしい。自宅の近所には怪しげな人物が出没している。ミシェルは向かいに住むパトリック(ロラン・ラフィット)と、敬虔なカソリックであるレベッカ(ヴィルシニー・エフィラ)の夫婦と親しくなる。ミシェルはパトリックに惹かれたらしく、食事に招いた席のテーブルの下で彼に足を絡ませ誘惑する。

会社では、開発中のゲームでレイプされる女性にミシェルの顔を張りつけた動画がスタッフ全員に送信される。ミシェルは実直そうなスタッフに犯人捜しを命ずる。そんな事件と並行して、ミシェルの過去が明らかになってくる。ミシェルの父はかつて何人もの子どもを惨殺し無期懲役で服役中。少女だったミシェルも現場にいた。

ほかにも、ミシェル名義のアパートに暮らす厚化粧の母親と、若いアフリカ系の愛人。マザコンの息子・ヴァンサンと、妊娠した恋人(ミシェルとは互いに嫌いあっている)。ひと癖もふた癖もある人物が次々に出てくる。たくさんの登場人物を、短い描写のなかでキャラを立たせるのはさすが。

映画の中盤で、暴漢が再びミシェルを襲う。ミシェルはナイフで抵抗し、暴漢の覆面をはぎ取ってそれが誰であるかを知る。ここからは、その男とミシェルの倒錯したゲームが始まる。

襲われても、敵意に直面しても、嬉しいときも、ほとんどクールな表情を崩さないイザベル・ユペールがすごい。犯罪者の子どもから成り上がったパリのブルジョア。冷たい表情と裏腹に欲望とエゴイズムを隠さず、相手を傷つけることを何とも思わないミシェルに嫌悪を感ずる観客もいるだろうけど(隣に座っていたカップルは途中で出ていった)、ここまで徹底すると、すげえなあ、という気にもなってくる。ヨーロッパの個人主義の窮極の、しかし倒錯した形のようにも見えてくる。

ミシェルだけでなく、彼女をとりまく10人近い登場人物の誰もが、ミシェルほどでないにしても欲望とエゴイズムに支配されている。どの人物にもセリフや行動の端々に伏線が仕掛けられていて、なるほどと納得させられてしまう。ただ一人善人と見えた敬虔なカソリックのレベッカも、最後のセリフでそうでなかったことが明らかになり、うーん、やられましたと言うしかない。

ヒロインの存在だけでなく、スキャンダラスでモラルに反する描写を嫌う人も多いだろうけど、僕はこの映画、気に入った。


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September 02, 2017

東京ジャズ・フェスティバル

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The 16th Tokyo Jazz Festival

東京ジャズ・フェスティバルへ。2日午後のNHKホール。

山下洋輔 寿限無2017。山下トリオ<坂井紅介(b)、小笠原拓海(ds)>+ゲストで、1980年代のアルバム「寿限無」を再現。ゲストは1曲目・類家心平(tp)、2曲目・渡辺香津美(g)、3曲目・類家+菊池成孔(as)、4曲目の「寿限無」は全員にラップのOMSBが加わって大盛り上がり。豪華メンバーだが、若い類家のトランペットにしびれる。

ゴーゴー・ペンギン。英国のマンチェスターから来たピアノ・トリオ。テーマをテクノふうなリズムに乗せて延々と変奏する。モダン・ジャズで育った小生には退屈。

THE COREA / GADD BAND。チック・コリア、スティーブ・ガッドのリターン・トゥ・フォーエバーに若いメンバーが加わって。最後に「リターン・トゥ・フォーエバー」を演奏したのが懐かしくて。

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NHKホール外の屋外ステージでも演奏が。


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September 01, 2017

裏磐梯・五色温泉へ

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福島県の裏磐梯・五色温泉に行ってきた。無色透明・無味無臭の温泉。ぬめぬめ、あるいはすべすべ感も少なく、言われなければ温泉と分からないかも。でも、あったまります。ナトリウム・カルシウム─硫酸塩・塩化物温泉。

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秋雨前線に台風と、ぐずぐずした天気。昼間は半袖で過ごせるけど、朝晩は寒いくらいだ。磐梯山の東にある白布山にも雲が次々に湧いては流れていく。

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コバルトブルーの毘沙門池を歩く。

磐梯山は明治22年に噴火して山体崩壊を起こし、500人近い犠牲者を出した。土石流が長瀬川をせきとめ、裏磐梯に300以上の湖沼をつくった。毘沙門沼もそのひとつ。近代になって生まれた新しい風景なんだ。

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近くの木にニホンザルがいて、赤い実を食べている。人を見ても逃げる様子はない。全国でニホンザル(野生動物)が増えているというニュースを実感。

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諸橋近代美術館で「ダリの美食学」展を見る。裏磐梯にダリを300点以上所蔵する美術館があるとは知らなかった。オーナーは福島県でスポーツ用品チェーンを経営する人。日本人好みの印象派でなくダリ好きというのがいい。

食をテーマに70点以上の油絵、リトグラフ、彫刻を展示。ダリの妄想世界がよくわかる。思わぬ場所で充実した展示を楽しんだ。

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August 31, 2017

福島でJアラートに遭遇

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福島県の裏磐梯・五色温泉に滞在していた8月29日朝6時すぎ、スマホがいきなり大音量で鳴りだした。なにごとかと思って見るとJアラートというやつで、「北朝鮮がミサイルを発射した模様。頑丈な建物や地下に避難してください」というもの。屋外の防災無線も同じことを放送しはじめた。ミサイルといっても日本に狙いを定めて撃ったわけではあるまいと思ってTVをつけると、「上空を通過した」との画面。まだ眠かったので、もうひと眠りしようと寝てしまった。滞在していたホテルの廊下も屋外も、しんと静まりかえったまま。人があわてている様子はない。

2時間ほどして起きTVをつけたら、「避難指示」が出た北海道や東北の街が映っていた。朝早かったこともあり、人々が避難している様子はなかった。「発射」から「上空通過」まで十分ちょっとだから、「頑丈な建物に避難」と言われても動きようがなかったというのが正直なところだろう。でもJRは東北・秋田新幹線を含めて北海道・東北の全線をストップさせ、学校を休校にしたところもあった。政府と公共部門が前のめりで、国民はどうしたらいいか戸惑っている。

そもそも、ミサイルが日本を標的にして発射されたのか、太平洋上のどこかを標的にして日本の上空を通過するのかは、まったく意味合いが違う。前者なら「避難指示」は当然のことだけど、後者なら、今回北海道・東北の一千万人以上に「避難指示」が出たわけだが、政府は本気で避難させようとしたのか。そうは思えない。

政府は北朝鮮のミサイル発射を「完全に把握」していたそうだし(首相も前夜から珍しく公邸に泊まっていた)、防衛相もすぐに「上空通過」と判断した。現在、日本と北朝鮮の間に対立や緊張があるにしても、明日にでも戦争が始まるという緊迫した状態ではまったくない。現在の情勢で北朝鮮が実際に日本を標的にミサイルを発射することがないのは政府は百も承知だろう(日本が集団的自衛権を発動してグアム標的のミサイルを攻撃しない限り)。「攻撃」ではなく「上空通過」なら、ありうるのはミサイルが不具合を起こして日本の領土に落ちてくる可能性。(その可能性は論理的にはありえても、現実にはどうか。ミサイルの故障は打ち上げ直後と大気圏突入時に多い。「上空通過」しているミサイルが日本の領土に落ちる可能性は天文学的とまでは言わなくても、ほとんどないはずだ。──カッコ内の文章は後で追加)そんな不測の事態に対して、実態として自衛隊が対処できないのは多くの人が認めている。

そう考えてみると、ミサイルを口実にJアラートを発動し、国民の危機感をあおる、というのが政府の目論見なんだろう。安倍政権が考えそうなことではある。北朝鮮は今後も太平洋にミサイルを飛ばすと公言しているようだけど、仮に関東や関西の大都市圏上空を飛ぶことになっても政府はJアラートを出すつもりなんだろうか。金正恩の危険なゲームは許されないけど、それを利用して危機感をあおろうとするこの国の政府も危ないことをやろうとしている。


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August 27, 2017

『ベイビー・ドライバー』 車とダイナーと美少女

Baby_driver
Baby Driver(viewing film)

冒頭の5分間に目をみはった。大音量のパンク・ロックが流れている。真っ赤なスバルの運転席に座るベイビー(アンセル・エルゴート)が音楽に合わせて身体や唇や指先を動かす。ギアを入れたり、アクセルを踏む動作も音楽のリズムに乗っている。銀行強盗を働いた仲間が車に走りこんでベイビーが車を急発進させ、ドリフトし、スピンターンし、高速道路を縫うように逃走する。その動きもセリフのタイミングもすべてリズムに乗っている。それだけではない。カットとカットのつなぎも、音楽のリズムと同期している。まず音楽があり、すべてが音とリズムに合わせてつくられている。

これが全編つづいたらすごいと思ったら、さすがにそこまではいかない。物語を動かさなければいけないから説明的な会話も入るわけだし。とはいえ、カーチェイスの場面になると音楽と画面がシンクロすることは変らない。ほとんどの画面に音楽が鳴っている。

ベイビーは幼い頃の事故で耳鳴りがし、音楽を聞くと耳鳴りが消えるのだ。すると、天才的なドライブ・テクニックが発揮される。強盗団のボス、ドク(ケビン・スペイシー)に雇われ、逃走車のドライバーとして分け前をもらっている。仲間は強面のバッツ(ジェイミー・フォックス)、バディ(ジョン・ハム)とその愛人。

音楽はほとんど知らない曲ばかりだった。1960年代くらいからのソウル、ロック、パンク、ダンス・ミュージックなど。聞いたことがあるような音が数曲あり、調べてみるとビーチ・ボーイズ、デイブ・ブルーベック、T・レックス、サイモン&ガーファンクル(タイトルの「ベイビー・ドライバー」は彼らの曲)だった。時代もジャンルもさまざまで、どの世代が見ても、ああ、これ知ってるなと感ずる曲があるだろう。それも計算のうちか。

ベイビーの耳鳴りは、両親が運転中に事故死したとき、同乗して衝突の瞬間を目撃したトラウマによるらしい。母親への思慕が、バッツやバディからは「ベイビー」と呼ばれるキャラクターをつくっている。子どものように押し黙り、打ち解けようとしない。そんなベイビーが、母親が働いていたダイナーでウェイトレスのデボラ(リリー・ジェームズ)に出会う。デボラに若かった母の面影が重なる。

監督のエドガー・ライトはイギリス出身の若手。映画フリークらしく、過去のいろんな映画の記憶が感じ取れる。ギャングのお抱え逃走運転手という設定が『ザ・ドライバー』を受けていることは言うまでもない。ほかにも、ダイナーと車と美少女、1950年代ふうファッションは『アメリカン・グラフィティ』、バディとベイビーが仲間割れして車同士ぶつかりあうシーンは、銃を車におきかえた『レザボア・ドッグズ』といった気配だ。ベイビーとデボラが車で逃げるのは『俺たちに明日はない』だし(通行人が2人を見て「ボニーとクライドか」と叫ぶ)、最後は『バニシング・ポイント』のシチュエーションになる(スバル、トヨタ、三菱と日本車が出てくるけど、最後はやっぱりシボレーでした)。

もっとも、バニシング・ポイントと思った観客は肩透かしをくらって、ベイビーは投降してしまう。1970年代ニュー・シネマとは違い、ベイビーは良い子なんだ。ラストは50年代ふうの車とデボラに迎えられてハッピーエンド。その、しれっとしたあたりが今どきなのかも。楽しめました。

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August 26, 2017

『夜明けの祈り』 信仰と命と

Innocentes
Les Innocentes(viewing film)

ポーランド映画、あるいはポーランドを舞台にした映画というと、つい見たくなってしまう(本作は仏・ポーランド・ベルギー合作)。若い頃、ポーランド映画に入れ込んだ記憶が今もうずくからだろうか。『灰とダイヤモンド』『夜の終りに』『尼僧ヨアンナ』『パサジェルカ』『水の中のナイフ』といった映画は青春時代の鮮烈な映画体験として残っていて、仮に生涯の10本を選ぶとすればどれを落とすか迷いに迷うだろう。

『夜明けの祈り(原題:Les Innocentes)』は修道院の物語と知って、すぐに『尼僧ヨアンナ』を思い出した。悪魔に憑かれ悦楽に身を委ねる尼僧と彼女を救おうとする青年僧を主人公にしたこの作品は、善悪正邪がはっきりしない、カトリック国で社会主義国だった当時のポーランドでは異色の映画だった。荒野に建つ石造の修道院を舞台にし、光と影のシンプルな構図のモノクローム画面が記憶に残っている。

『夜明けの祈り』の冒頭を見て、ああ、まぎれもなくポーランドの風景だなと思った(って映画の記憶で、行ったことはないんですが)。夜明けの祈りのあと、若い尼僧が修道院を抜け出して雪の舞う森を歩く。シンプルな構図も、色彩に乏しくモノクロームに近い画面も、音楽が入らない静謐さも、かつてのポーランド映画の空気に似ている。バルト海に近い北ポーランドの平原地帯で撮影されている。

1945年、第二次大戦末期。若い尼僧は町に来て、駐留するフランス赤十字に助けを求める。女医のマチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)が一緒に赴くと、修道院にはソ連兵に暴行され妊娠した7人の修道女がいた。事実に基づいた物語だそうだ。

厳格な修道院長は何が起こったかを隠そうとする。身ごもった修道女たちは、その事実と信仰を両立させることができず苦悩する。当初、修道女たちは他人に肌を見せるのは罪と考え診察を拒むが、マチルドはシスターのマリア(アガタ・ブゼク)の協力を得て夜、赤十字を抜け出しては診察をつづける(途中でソ連兵に乱暴されそうになったりしながら)。やがて、出産が始まる。

出産したばかりの我が子と添い寝する修道女の顔はすでに「母」になっている。修道院長は養子に出すと言って赤ん坊を抱いて修道院を出るが、後でマリアが訪ねると子どもはいない……。

マチルドが同僚の医師と酒を飲んだり、ダンスを踊ったり「世俗」のシーンではカメラが手持ちになったり、よく動き、修道院のシーンになると端正な構図の静止画になる。音楽も修道院の教会音楽と酒場のダンス音楽が対照的。

僕にはキリスト教がよく分からない。だからこういう映画の深刻な意味を受け取れていないかもしれない。近代になってからのラテン系カトリックはかなりゆるい宗教というイメージがあるが、北ヨーロッパの修道院にはまだ中世の厳格なカトリックの戒律が残っているのだろう。修道女の妊娠も出産も、あってはならないこと。突然襲った暴力に、修道女たちは祈る以外の対処法をもたない。そこにマチルドが、まず無垢な命(Les Innocentes)を救うという医師の倫理で対処することで、事態が動きだす。

最後、マチルドが修道院から赤十字へトラックで戻る途中、世俗に戻ることを決心して院を出た元修道女が歩いているのを乗せる。彼女はマチルドに「タバコくれない?」とねだって印象的な笑顔を見せる。

良い映画だった。ただヒューマニズムにのっとったこの作品、悪魔が青年僧を破滅させる『尼僧ヨアンナ』のように何十年も記憶に残るかというと、うーん、どうだろう。監督はフランスのアンヌ・フォンテーヌ。


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August 21, 2017

『ハイドリヒを撃て 「ナチの野獣」暗殺作戦』 政治の非情

Anthropoid
Anthropoid(viewing film)

ナチス親衛隊のハイドリヒ暗殺がテーマと聞けば、どうしても古典である『死刑執行人もまた死す』を思い出してしまう。

このハリウッド映画は、ナチス・ドイツからアメリカに亡命したユダヤ系のフリッツ・ラング監督によってつくられた。ハイドリヒ暗殺直後から物語が始まり、暗殺犯と彼をかくまう大学教授一家、暗殺犯と教授の娘の偽装恋愛などが絡み、犠牲を払いながらも主人公の暗殺犯は無事生きのびる。プラハ市民が団結してナチス協力者を暗殺犯に仕立て上げるこの映画は、劣勢になりつつあったとはいえナチス・ドイツがヨーロッパを席巻していた1943年につくられた。史実とは別の、光と影の映像が美しい良質なプロパガンダ映画(『カサブランカ』のような)といった趣だった。

『ハイドリヒを撃て 「ナチの野獣」暗殺作戦(原題:Anthropoid)』は史実に沿って、イギリスで訓練を受けた7人のグループがプラハに送り込まれ、暗殺を決行し、密告されグループが壊滅するまでを描く。前半はサスペンス、最後の30分はすさまじい銃撃シーンで、初めから終わりまで息もつかせない。ナチスに抵抗した地下組織を描く「レジスタンス映画」は第二次大戦後、フランスはじめ各国でつくられたが、第二次世界大戦から半世紀以上たって今なおこのジャンルの映画がつくられるのは、ハイドリヒの暗殺とナチスへの抵抗がチェコ人にとっては戦後のチェコスロバキア建国につながる歴史的事件だったからだろう(チェコ・英・仏合作)。

主人公は暗殺を実行するヨゼフ(キリアン・マーフィー)とヤン(ジェイミー・ドーナン)。イギリス政府とチェコ亡命政権がハイドリヒ暗殺(エンスラポイド作戦─原題)を決め、2人はパラシュートでプラハ近郊の森に降下する。怪我したところを農夫に助けられた2人だが、密告しようとしたこの農夫をヨゼフが殺す。経験の浅いヤンは手が震えて引き金を引けない。ナチスは密告者に報酬を約束していた。国内にレジスタンスがいる一方、密告者もいる実状を冒頭で描き出す。

2人はプラハでレジスタンス側の一家に匿われる。何も知らない夫とレジスタンス側の妻、娘のマリー(シャルロット・ルボン)、バイオリニストを志す息子、伯母が一緒に住む。このあたりの家族構成や、ヤンとマリーが愛し合うようになることは、『死刑執行人もまた死す』の設定を借りているのかもしれない。国内のレジスタンスと送り込まれたヨゼフらの会合では、「もし暗殺を実行すれば、すさまじい報復を受けることになる」と亡命政権の指令に疑問をはさむ幹部もいる(実際そのようになり、ナチスは報復として1万3000人のチェコ人を殺害した)。

暗殺シーンは史実通りなのかどうか。メルセデスのオープンカーに乗るハイドリヒに向けたヨゼフの機関銃が故障し、ヤンが投じた爆弾でハイドリヒが負傷。暗殺に失敗するが、ハイドリヒは1週間後に死亡して、結果として作戦は成功する。非常事態のなかで犯人の捜索。市民から人質が取られ(一家の夫も)、犯人が発見されるまで毎日数人が処刑される。抵抗組織の会合では、市民が殺されるのに苦悩するヨゼフが自ら名乗り出ると提案するが、否決される。2人を匿った一家の息子は拷問を受ける。レジスタンスの協力者のなかから密告者が出る。このあたりのリアリズムは史実なのかどうか知らないけど、レジスタンス映画の傑作『影の軍隊』を思い出させる。

グループは正教会の地下に潜む。密告からドイツ軍が包囲し、銃撃戦になる。7人全員が射殺、あるいは用意した青酸カリで自殺。作戦には成功したものの大きな犠牲を出し、映画は救いのないかたちで終わる。

でもロンドンのチェコ亡命政権はこの犠牲を必要としていた。事件の3年前、英仏独伊が合意したミュンヘン協定でチェコはドイツ領に編入されて保護領となり、チェコは消滅した。チェコは英仏など連合国になかば見捨てられたかたちだった。だから亡命政権としては、どんな犠牲を払ってでもナチス幹部であり「ユダヤ人絶滅」を指揮したハイドリヒを暗殺してみせる必要があった。事実、この暗殺の成功をチャーチルは喜び、それが戦後のチェコスロバキア復活につながった。映画の主人公たちと殺されたチェコ市民は、歴史的に見ればそのための捨て石だった。

戦争と政治の非情、そのなかで運命に殉じる男たち女たちを、緊迫したサスペンスとアクションで描き出した力作。手持ちの16ミリカメラ、デジタルではなくフィルムで撮影され、荒い粒子と沈んだ色彩が戦中のプラハの街と空気を再現している。監督はショーン・エリス。

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