August 26, 2016

『ミモザの島に消えた母』 干潟の道の風景

Boomerang
Boomerang(viewing film)

『ミモザの島に消えた母(原題:Boomerang)』の舞台はフランス大西洋岸のノアールムーティエ島という小さな島。この島とフランス本土の間は潟になっていて、満潮のときは海だが、干潮のときは陸地になる。潟のなかを島と本土を結ぶ「ゴアの通路」と呼ばれる4キロほどの道が走っていて、潮が満ちると道路は海に没する。この道はグーグル・アースでも見ることができるが、この道路が映画の鍵になる。

かつて島に住んでいた家族をめぐるミステリー。際立つ個性があるわけじゃないけど、楽しめる映画に仕上がっている。

アントワン(ローラン・ラフィット)は離婚したばかりの男。子供のころノアールムーティエ島に住んでいて、30年前に母が不可解な死を遂げたことをいまだに忘れられない。父も祖母も、その話題になると口をつぐむ。ある日、気が進まない妹のアガッタ(メラン・ロラン)を誘って島を訪れる。アントワンは母が死んだ病院で、死体修復師をしているアンジュル(オドレイ・ダナ)と出会って惹かれあい、二人で母の死について聞いて回る。かつて一家の家事手伝いとして働いていた老女は、なにかを隠している……。

「ブーメラン」という原題は、アントワンが30年後にノアールムーティエ島にブーメランのように帰ってきたことを指しているのか。加えて、もうひとつ。アントワンの10代の娘は、女友達を愛していると父に打ち明ける。そのことと、母が美術家の女性に惹かれたことが死の原因になったこと。世代をまたいで、過去が現在にブーメランのように戻ってくることが重ねられている。30年前といえば1980年代。もうフェミニズムの時代だけど、フランスの田舎ではまだ同性愛は許されないことだったんだろうか。

母の運転する車が、潮が満ちてきた「ゴアの通路」を水しぶきをあげて走る。フランソワ・ファブラ監督は、このショットを撮りたかったんだろうな。こんな道路が今も残っているのが、いかにもヨーロッパという感じがする。

| | Comments (0) | TrackBack (3)

August 25, 2016

作並温泉から立石寺へ

1608251w
from Sakunami Spa to Risshakuji-temple

宮城の作並温泉に4日ほど滞在した。三つの台風が続けて東北から北海道へ抜ける合間、二つ目の台風の後を追って新幹線に乗り、温泉に着くと三つ目の台風が追いかけてくる。

作並温泉は仙台から天童へ抜ける作並街道沿い、広瀬川の渓谷にある古い温泉。泊まった宿は源泉を三つ持っている。湯は無色透明で無臭。「ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉」だそうだ。

1608252w

露天風呂は三つ。広瀬川渓流沿いの風呂と、崖上にカモシカや猿が来るという崖下の湯、源泉の一つを使ったぬるめの湯。

三つ目の台風は深夜。いっとき激しい雨と風に見舞われたけど大きな被害はなかった。翌日も雨模様。前日は細い流れだった崖上からの水が滝のように流れている。崖下の湯に寝そべると、頭上は濃い緑。暗い空から落ちてくる雨が顔を打つのが気持ちいい。

ぬるめの湯は、台風の雨で源泉の湯温が下がったそうで入浴できなくなっていた。

1608253w

翌日は天気がもちそうだったので、山形の立石寺へ。JR仙石線の作並駅から山寺駅まで20分ほど。作並駅では名物のこけしが観光客を迎える。

1608254w

山寺駅を降りると、ホームから立石寺が見える。

1608255w

根本中堂を見て山門をくぐり、1000段の石段を登りはじめる。右膝に不安があるので、ゆっくりと。

1608256w

300段ほど登って、せみ塚の近く。せみは鳴いているけど、夏休みとあって人は多く、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」とはいかない。 

1608257w

仁王門が見えて来た。ここで600段くらいだったか。

1608258w

崖上に建つ納経堂が見えてきたと思ったら、にわかに空が暗くなり、雨が落ちてくる。

1608259w

展望のきく五大堂で雨宿り。雨はすぐに上がった。この後、奥の院まで上り、華蔵院で御朱印をいただいて下山。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

『属国民主主義論』を読む

Zokkoku_uchida
reading books

内田樹・白井聡『属国民主主義論』(東洋経済新報社)の感想をブック・ナビにアップしました。

http://www.book-navi.com/


| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 15, 2016

『ニュースの真相』 実名で映画化

Truth
Truth(viewing film)

特ダネを追うジャーナリストを主役にした映画はたくさんある。たいていはスクープをものにするまでを描いた成功物語。でも『ニュースの真相(原題:Truth)』は、スクープが誤報(?)だったという失敗をテーマにしているところが異色だ。しかも、すべてが実名で描かれる。

2004年、アメリカの大統領選挙。CBS放送のニュース番組「60ミニッツⅡ」が、民主党のケリー候補と争う共和党の現職ブッシュ大統領に軍歴を詐称した疑いがあると報じた。ベトナム戦争のさなか、ブッシュはテキサス州空軍に所属していたが、これはベトナム行きを逃れるためコネを使った「優遇」であり、しかも空軍兵として勤務した記録がないというものだ。

「60ミニッツ」はアメリカを代表する報道番組で、キャスターはダン・ラザー(ロバート・レッドフォード)。取材を指揮したのはプロデューサーのメアリー(ケイト・ブランシェット)だった。原作はメアリーが出版した手記。事のなりゆきが彼女の視点から描かれる。だから客観性というより彼女を中心とする人間ドラマになっている。それが成功したと思う。

以前からブッシュの軍歴詐称疑惑を追っていたメアリーは「60ミニッツ」で放送することを決める。チーム集めが『七人の侍』以来の定型で手早く描かれる。メアリーら4人のチームとダンは確証を求めて全土を飛び回り、ある退役軍人から、空軍の上司が「ブッシュは不在で勤務評価できない」と報告した記録のコピーを入手する。放送は大きな反響を呼ぶ。バーでチームは乾杯。普通ならこれがクライマックスだが、この映画はこれが始まり。翌日、文書はタイプライターでなくワードで打たれたニセモノだとする書き込みがネット上に現れる。

ここからの局内のどたばたは、かつて報道機関に所属していた小生には覚えのある光景だ。上級プロデューサーが、確認を取れとメアリーに命ずる。入手した文書はコピーなので、専門家も確実な判定はできない。上層部は、番組とメアリー、ダンを守るより会社を守ることを優先し、情報源に会わせるようメアリーに求める。CEOと会った退役軍人は、嘘をついたと前言を翻す。メアリーは取材中止を言い渡される。会社は、ブッシュ政権に近いメンバーを集めた第三者調査機関を設置するが、結論は見えている。軍歴詐称という本筋についてメアリーは確信を持っているが、傍証の信頼性が揺らいだことで本筋まであいまいにされてしまう。

疑惑が報じられると、集中砲火のようにバッシングされるのも日本と同じ。関係の悪いメアリーの父親まで引っ張り出され、娘の悪口を言う。この父と娘の関係が描かれていることで、メアリーの苦しみに深みが加わった。一方、メアリーとダン、メアリーとチームの信頼は変らない。視聴者の矢面に立つのはキャスターのダンだが、彼はメアリーに、「私のことはいい。自分のことを心配しろ」と言う。窮地に立たされながら互いを思いやるロバート・レッドフォードとケイト・ブランシェットの会話がいい。

第三者委員会でメアリーは弁護士の忠告に従って、いっさい反論しない。でも最後に、自分の思うところを発言する。文書を偽造した者は、当時のブッシュとその周辺の人間関係を熟知している、それだけ周到な人物が果してワードを使うだろうか、と。

メアリーはそれ以上を言わないが、彼女が言いたかったことはこうだろうか。それだけ周到な人物なら、当時は存在しなかったワードを使うはずがない。あえてワードを使ったということは、この人物は、文書がニセモノだと発覚するよう仕組んだことになる。では、なんのために? リベラル派のジャーナリストであるダンやメアリーを貶めるためか。あるいは、大統領選挙でブッシュを有利に導くためか。映画は答えを出さない。

ダンが言う。「ジャーナリストが質問しなくなったら、この国は終わりだ」。メアリーは解雇され、ダンも「60ミニッツ」を降ろされたが、どこまでも質問する姿勢を崩さない。その背筋をまっすぐにした姿勢が、失敗の物語にもかかわらず映画をさわやかにしている。

ジェームズ・ヴァンダービルトの脚本・監督。それにしてもこの映画、ブッシュにしろCBSにしろ、よく実名でつくったもんだ。ブッシュ本人はテレビのニュース映像として画面に出てくる。CBS幹部は、「この映画には誇張や歪曲がある。でも修正を求めることはしない」と発言したそうだ(wikipedia)。ヒーロー、ヒロインが失墜する映画。リベラル派として知られるレッドフォードが出演したことで実現したのかもしれないが、ハリウッドの懐の深さを感ずる。もっとも10万ドルの製作費に対し興行収入は5億ドルと苦戦しているようだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 12, 2016

ぶどう色づく

1608121w
grapevine trellis in my garden

ぶどう棚のぶどうが色づいてきた。種ありのデラウェア。薄紫になったものはもう食べられる。袋をかけてあるのは人間用で、ヒヨドリに残したものは大部分食べられてしまった。

1608122w

今日の収穫。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 03, 2016

『ヤング・アダルト・ニューヨーク』は「いつも途中」

While_were_young
While We're Young(viewing film)

ノア・バームバック監督の映画に出てくる主人公は、いつもなにかの途上にある。そしてたいていは、うまくいっていない。鬱屈を抱え込んでいる。『イカとクジラ』の主人公は作家だが、食えないので高校教師をしていた。『フランシス・ハ』のフランシスはモダン・ダンスの修業中だけど、正式な団員にはなれそうもない。

『ヤング・アダルト・ニューヨーク(原題:While We're Young)』のジョシュ(ベン・スティラー)はドキュメンタリー映画の監督。8年前の作品は高い評価を得たが、その後、新作をつくれていない。いつまでたっても「編集中」。これも途上にある。『イカとクジラ』も『フランシス・ハ』もこの新作も、なにかの途上にあることについて本人が抱える痛みと、それを他人から見たときの滑稽さがテーマ。その中途半端さがなんらかの結末を見ることなく終わってしまうのも共通している。

この3本の映画は、ほかにも共通していることがある。3本ともニューヨークのブルックリンが舞台になっていること。このところブルックリンは若いアーティストが移り住み、お洒落な店やコンドミニアムも増えて人気スポットになっているけれど、バームバック監督の場合はそれが理由ではなく、彼自身がブルックリン育ちだから。そういうことから考えても、どうやらバームバック監督の映画の主人公は常に濃厚に自分自身の分身であるらしい。

監督は1969年生まれだから、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』の主人公ジョシュと同世代。ちなみに『イカとクジラ』の作家は1940年代後半生まれのベビーブーマーで、重要な役割を演ずる息子が監督と同世代という設定だった。息子はガールフレンドに文学を語ってみせたりするスノッブな高校生だったが、この映画のジョシュが、『イカとクジラ』の高校生が成長した姿なのかもしれない。

アーティストが描く人物が自分自身の分身であるのはよくあることだけど、バームバック監督の映画がいいのはそれが観念的な分身でなく、どんな世代に設定されても生き生きした生身のニューヨーカーとして描かれているところ。だから見る人は、その痛さも滑稽さも、見ている自分自身のことと感じてしまう。ドラマとしてはっきりした起承転結がないことも、それがまぎれもなく僕たちの生であるからこそ共感できる。

ジョシュとコーネリア(ナオミ・ワッツ)の40代の夫婦が、ジェイミー(アダム・ドライバー)とダービー(アマンダ・サイフリッド)という20代夫婦に興味をもってつきあいはじめる。ジェイミーもドキュメンタリー映画を志望していて、ジョシュの映画をほめる。ジョシュはいい気持ちになってジェイミーの映画に協力するが、やがて……。

40代の夫婦がいまどきのITを駆使してスマホ漬けなのに、20代の夫婦がアナログのLPレコードやビデオテープの映画コレクションを持っているのがおかしい。ジョシュとコーネリアは、そういう2人にころりと参って、怪しげな幻覚剤を使う宗教儀式に参加したりする。でもジェイミーはジョシュをおだてながらも、彼を利用してのし上がろうとする魂胆が態度の端々に垣間見える。アダム・ドライバーがそんな若さの野心と傲慢をうまく演じてる。

コーネリアの父親はドキュメンタリ―映画の巨匠で、ジョシュは同業の義父と複雑な関係にある。中年と若者だけでなく、ベビーブーマーの義父と息子世代という三世代間の問題も絡む。ジョシュは「編集中」の新作を義父に見せて意見を乞う。新作は6時間半の大長編で、ジョシュはどうにも削れないらしい。

ジョシュはドキュメンタリーに嘘は許されないという素朴な真実主義者で(だからこそ長くなる)、ドキュメンタリーの客観性に懐疑的な義父からも、映画を面白くするため演出もいとわないジェイミーからも賛成されない。義父に「ここを削れ」と的確な意見を言われて、ジョシュはへこむ。義父の娘であるコーネリアとの関係も微妙になる。一方、ジェイミーはジョシュを介して彼の義父に近づき、自分の映画に協力をとりつける。ジョシュはいよいよへこむ。

その情けなさが、ベン・スティラーの見せどころ。でもその情けなさは映画のなかでは解決されず、仕事と無関係のプライベートな事柄(子供のいない2人が養子を迎えることを決める)で夫婦の愛情を確かめあうところで映画は終わる。ある事柄で受けた傷が、べつの事柄で癒される。突き詰めればおかしいけれど、人生にはそういうことがある。そんな中途半端さがまたこの映画らしい。


| | Comments (0) | TrackBack (5)

July 28, 2016

ヒヨドリにやられる

1607281w
tomatos eaten by bulbul

このところ庭のミニトマトが何者かに突つかれ、穴があいているものがある。こんなことは初めて。

朝、ヒヨドリの鳴き声がしているので、ヒヨドリの仕業ではないかとにらんだ。ミニトマトの近くにブドウ棚があり、毎年、実が色づくとヒヨドリが食べにくる。ブドウは半分はヒヨドリに、半分は人間に(種アリだが、けっこう甘い)と思っていたけど、トマトは困る。

愛鳥家の友人に聞くと、ヒヨドリは甘いもの、赤いものが大好きだそうだ。でも今の季節はまだ山で子育ての最中で、里や町なかに出てくるのはもう少し後とのこと。今年は山のエサが少ないのか、もう子育てが終わったのか。

仕方ないので、トマトとブドウ(人間の分)に袋をかけた。

1607282w

こんな青い実もやられてる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 22, 2016

ブラボ展に行く

1607221w

アルバレス・ブラボ写真展(~8月28日、世田谷美術館)に行く。朝からの雨がやまず、肌寒い日。世田谷公園の緑はいきいきしている。

ブラボはメキシコを代表する写真家。1930年代から2002年に100歳で亡くなるまで、写真表現の先端で撮りつづけた。若き日には前衛美術や革命運動とも交わりながら、作品の静謐な気配は一貫してる。

30年代メキシコシティの都市風景に惹きこまれる。リベラ、シケイロス、フリーダ・カーロ、エイゼンシュテイン、トロツキーらのポートレートも忘れがたい。

図録は内容の充実といい、印刷といい、これが2500円でできるのかと驚く。買わないわけにいかない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 19, 2016

ドン・ウィンズロウ『ザ・カルテル』を読む

The_cartel_don_winslow
Don Winslow"The Cartel"(reading books)

ドン・ウィンズロウ『ザ・カルテル』(角川文庫)の感想をブック・ナビにアップしました。

http://www.book-navi.com/

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 18, 2016

『暗殺』 植民地の暗殺をエンタテインメントに

Photo
Assassination(viewing film)

5、6年前、『京城スキャンダル』という韓流TVドラマを見たことがある。日本統治下の京城(ソウル)を舞台にしたハン・ジミン主演のラブコメで、日本帰りのモダン・ボーイや反日独立運動家が登場する。へえ、韓国でもこの時代を素材にこんなドラマをつくるんだ、と感じたことがあった。もちろん日本は悪者だけど(植民地支配していたわけだから)、マスコミが伝えるような、なにがなんでも日本憎しの感情的反日でなく、歴史的事実として、ある距離と余裕をもって受け入れているのでなければ、この軽やかさは出てこないんじゃないかと思った。

『暗殺(原題:암살)』にも、似たような感触がある。暗殺しようとする側は、上海にある亡命政権、韓国臨時政府と、3人の暗殺者。暗殺しようとする相手は、朝鮮半島を支配する日本軍将校と、彼に癒着する親日派の実業家。といってもシリアスな歴史ドラマでなく、笑いも交えたアクション映画だ。

暗殺グループを組織することを命じられた臨時政府の警務隊長ヨム(イ・ジョンジェ)は、抗日ゲリラの女スナイパー、アン(チョン・ジヒョン)と、早撃ちの「速射砲」、爆弾の専門家の3人を選んでソウルに送り込む。ところがヨムは日本に密通するスパイで、殺し屋の「ハワイ・ピストル」(ハ・ジョンウ)に自分が送りこんだ3人の暗殺者を殺すことを依頼する。

幼い頃誘拐されたアンは、実は暗殺のターゲットである実業家の娘で、アンの双子の姉(チョン・ジヒョンの2役)は、やはりターゲットである日本軍将校と結婚しようとしている。結婚式はソウルの三越百貨店で行われることになり、アン、ハワイ・ピストル、ヨムが一堂に会する……。

主演の3人、それぞれに過去の記憶が鮮明だ。

アンを演ずるチョン・ジヒョンは『猟奇的な彼女』から、もう15年たつんだなあ。あの頃は可愛さが先に立ったけど、今は成熟した大人の女。腕利きスナイパーなのに目が悪く、狙撃するときメガネをかけるのがおかしい。惚れ惚れする美しさに円い眼鏡が愛嬌になってる。

ヨムのイ・ジョンジェは『新しき世界』では中国朝鮮族出身の警察官で、ギャング組織への潜入捜査官を演じていた。今回は、拷問を受けて日本軍の協力者になったが、心の底には祖国への忠誠心が流れているようにも見える。どちらも複雑な役どころで、悲しみをたたえた風貌がぴったり。

ハワイ・ピストルのハ・ジョンウは『悲しき獣』のチンピラ殺し屋から一転、マカロニ・ウェスタンふうというか香港ノワールふうというか、腕利きで金にも困っていなさそうな二枚目の殺し屋を豪快に演じてる。彼と彼を助ける「爺や」がいるせいで、この映画に無国籍アクション映画のテイストが加わった。

ドラマ部分は、この3人がそれぞれに絡む。アンとハワイ・ピストルは男と女。アンとヨムは抗日同志としての信頼と裏切り。ヨムとハワイ・ピストルは好敵手としての友情。アンはさらに、暗殺のターゲットとの親子の情。とにかく盛りだくさんで、しかもそれが主題でなくアクション場面がメインなんだから欲張りすぎというか……。アンを軸にドラマ部分がもっと深く描かれていたら、映画史に残る傑作になったかも。

1930年代の上海とソウルも、よく出来ている。セットとVFXの組み合わせだろうけど、日本語の看板もおかしくはない。日本人を演ずる役者たちも、訛りながらも日本語をしゃべる。このあたり、ハリウッド映画が描く日本と日本人よりちゃんとしてるかもしれない。

かと思うと、古典的名作『灰とダイヤモンド』から、ちゃっかり名場面を拝借したりもする。死者の名前を呼びながらロウソクをともすシーン、洗濯された白いシーツがはためくラスト・シーン。チェ・ドンフン監督のお遊びなのか、歴史の闇に消えていった無名の暗殺者という共通の主題へのオマージュなのか。

『京城スキャンダル』同様、日本はもちろん悪者で(植民地支配していたんだから当然)、日本軍将校が暗殺のターゲットになっているけれど、それより親日派の実業家と日本軍に密通したヨンという裏切者に対する暗殺が主題として重くなっている。しかも裏切者のヨンを、いかにも悪役という役者でなくイ・ジョンジェという演技派のスターが演じているあたりに、この映画の懐の深さを感ずる。ま、シリアスなドラマでなくエンタテインメントだからということもあるだろうけど。

嫌韓・反韓の偏見さえなければ、楽しめます。一方、日本のマスコミではこの映画を「反日映画」の文脈で伝えたところもあったけど、記者の感性を疑うなあ。植民地時代の暗殺を素材にしているから反日じゃなく、大切なのは映画の底に流れているものを見極める目でしょう。単純な二元論では映画の微妙で大事なところが見えなくなってしまう。

Photo

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«『ホースマネー』 純粋化への意思