December 15, 2017

塩原元湯温泉へ

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塩原元湯温泉へ行ったきた。

那須塩原駅からバスで1時間。箒川の両岸に開けた塩原の温泉街から送迎のバンに乗り、さらに奥へ入って尾根をひとつ越えると、赤川に沿って元湯温泉がある。温泉街で雪は降っていなかったが、元湯まで来ると雪模様。「2、3日前から降りはじめた。これが根雪になるね」と、運転手氏。

元湯には3軒の旅館があり、泊まった宿は3つの源泉を持っている。渓流沿いに大浴場と露天があり、湯は緑白色。肌にとろりとし、ぬるめなので、いくらでも入っていられる。ちらちら舞う雪を見ながら長時間つかっていると、これぞ温泉の快楽という気分になる。

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赤川から見た元湯温泉。

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川に沿って少し斜面を歩くと上滝がある。

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二つめの源泉は岩風呂。岩から温泉が染みだし、その湯がたまって風呂になっている。斜面の岩を取り込んだ、文字通り源泉の風呂。三つの源泉とも似た泉質で、含硫黄ナトリウム塩化物炭酸水素泉。湧きでたときは透明だが、空気に触れると緑白色、あるいは白濁する。

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この温泉は飲むことができる。胃腸病に効いたり、いろんな効能があるらしい。痛風にも効くとあり、小生、入院中に軽い痛風を発症したので、湯に入るたびに飲んだ。写真の飲用泉は冷えているので、かすかな硫黄臭と塩味しか感じないが、岩風呂の熱い源泉を飲むと、えぐい塩味となぜか甘味を感ずる。

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元湯というだけあって、ここは塩原でいちばん古い温泉。江戸時代には会津西街道の宿場として栄え、この絵図の寛永年間には50軒近い家が並び、8カ所の湯屋があった。ところが、それから数十年後の大地震で湯が出なくなり、元湯はさびれた。明治になって数軒の宿ができ、塩原という有名温泉でありながら秘湯の雰囲気を保っている。

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三つめの源泉はヒノキ風呂。あとのふたつは緑白色だけど、この湯は白色に近い濁り。冬休み前の平日とあって、客は少ない。風呂をほぼ独り占めで、贅沢な時間でした。

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December 11, 2017

小梅へ

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雑誌にコラムを書くため、取材で向島の小梅へ。かつての小梅村は、今の住居表示でいうと墨田区向島1丁目と押上1、2丁目。東京スカイツリーは旧小梅村に建っている。

小梅は江戸時代から江戸近郊の行楽地として栄え、梅林のなかに料理屋や大店の別邸があった。

明治初期のこのあたりについて書くのだが、関東大震災と空襲で二度焼けているから古い建物はなにも残っていない。当時の面影は、川と橋のみ。北十間川、大横川親水公園、業平橋、枕橋を歩く。写真は北十間川の枕橋からスカイツリー方向を見る。

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December 09, 2017

『ノクターナル・アニマルズ』 リンチとイーストウッドの結合

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Nocturnal Animals(viewing film)

真紅のカーテンの前で、異常に太った女が裸で音楽に合わせ踊っている。肉はたるみ、皺だらけの醜い肉体が、アメリカ国旗を手にしながら。異形の姿と真紅のカーテンの組み合わせは、どうしたってデヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』を思い出させる。

のっけからおどろおどろしい映像が何かと思ったら、スーザン(エイミー・アダムス)がオーナーである美術ギャラリーの展示物。ロスでギャラリストとして成功したスーザンのもとへ、20年前に別れた夫のエドワード(ジェイク・ギレンホール)から「ノクターナル・アニマルズ(夜の獣たち)」という小説の草稿が送られてくる。エドワードはかつてスーザンを「ノクターナル・アニマル」と綽名で呼び、そこから発想された小説だという。ロスへ行くので会いたいとの伝言も添えられている。

スーザンは小説を読みはじめる。エドワードとスーザンを思わせる夫婦、トニー(ジェイク・ギレンホール)と妻のローラ(アイラ・フィッシャー)、娘のインディアが車でテキサスへ向かう旅に出る。夜の路上でレイ(アーロン・テイラー=ジョンソン)ら3人のならず者にからまれ、ローラとインディアはレイプされ殺される。砂漠に置き去りにされたトニーは、警部補のボビー(マイケル・シャノン)とレイを追う……。

現実と小説の世界が同時進行する。現実世界も現在と、小説家志望のエドワードと美術史を学ぶスーザンが知り合った過去が交錯する。小説世界では、妻と娘がレイプされ裸で殺される。そのショットと、現実世界でスーザンの娘が裸でベッドで寝ているショットとが同じ構図で重なる。現実とフィクション世界がシンクロしはじめる。

現実世界で、ギャラリーをもつスーザンと夫のハットンは成功者。ハットンは自分のビジネスで各地を飛びまわりながら、不倫もしている。スーザンは、裸の女が踊るカルト的なアートを、陰で「ジャンク」と吐き捨てる。成功者の偽善の世界。エイミー・アダムス演ずるスーザンは、昼は知的で大人の女だけれど、かつてエドワードが「ノクターナル・アニマル」と呼んだわけは明らかにされない。セックスのことなのか、あるいは強いスーザンに対してエドワードが「自分は弱虫」と自覚せざるをえない二人の関係を比喩的にそう言ったのか。

一方、小説は負け犬の世界。3人のならず者に妻と娘をなす術もなく拉致され、レイプされ、殺された「弱虫」のエドワードは、病気で自暴自棄になった警部補のボビーにそそのかされて、2人で復讐にのりだす。舞台はテキサス、テンガロンハットをかぶるボビー、馬にかわって車で沙漠を走るシチュエーションは、いやでも西部劇を思い起こさせる。弱虫が、ガンマン(ボビー)の助けをえて復讐に乗りだす。ならず者を含め登場人物はみなルーザーで、負け犬同士が戦って自滅していく。

タイトルの「ノクターナル・アニマルズ」は、現実と小説の両方の世界に掛けられている。小説の部分は、それが十分に描かれる。一方、現実の部分では暗示にとどまる。ジェイク・ギレンホールが現実世界に現れるのは過去の回想だけで、現在には遂に登場しない。スーザンに送りつけた小説は、教師をしながら小説を書いている(この設定はアメリカ映画の負け犬の定番)エドワードの彼女に対する復讐なのか。スーザンの不安だけが増殖してゆく。ラストの宮殿ふうな日本レストランも、いかにも成功者の偽善を暗示する。

現実と小説とを対照させながら描く、華やかなセレブの偽善の世界と、西部開拓以来の地にうごめく男たちの世界。デヴィッド・リンチとクリント・イーストウッドがつながる。見事な心理スリラー。トム・フォードの脚本・演出は、これが2作目とは思えない。


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December 01, 2017

「怖い」2本立て

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昨日の午後は「怖い」映画と展覧会をつづけて。

まずは日比谷でアメリカ映画『ノクターナル・アニマルズ』。この作品については後で書くつもりだけど、デヴィッド・リンチふうな味つけのスリラー。現実と仮構世界と、両方で「怖い」物語が展開する。好きだなあ、こういうの。

雨が降り空が暗くなってきたなかを上野へ行き「怖い絵」展(~12月17日、上野の森美術館)。人気があると聞いていたが、入場まで20分待ち。ロングセラーになった中野京子『恐い絵』を基に、彼女が作品を選んだらしい。18~19世紀の写実的な絵画を中心に、テーマにあわせ有名無名とりまぜて集めている。

神話や聖書の物語。悪魔や地獄や妖精。歴史画。戦争や処刑。恐怖を忍ばせた崇高美学など。目玉であるドラローシュ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」は恐怖とエロティシズムが同居して見ごたえがある。フューズリ「夢魔」(よく印刷で紹介されているのは別バージョンらしいが)はこんな小さな絵だったんだ。

混雑する会場には若いカップルもたくさん。「怖~い」「グロ」「エロいね」と囁いてる。この時代の絵画は職人(工房)の仕事も多く、教訓や宗教的教えや歴史的事件の絵解きだったり、今でいえば写真やイラストやポルノでもあったから、芸術を鑑賞するというよりいろんな物語のなかに置いて楽しむのは正解かも。


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November 30, 2017

『リュミエール!』 映画の原初の魅力

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Lumiére!(viewing film)

1895年、フランスのルイとオーギュストのリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明し、最初の映画を撮影して公開した。これは評判を呼び、以後、20世紀に向かって映画は世界中で製作され人々に楽しまれるようになっていく。

『リュミエール!(原題:Lumiére!)』はリュミエール兄弟が撮影した1422本の映画のなかから108本を選んでデジタル修復したものだ。122年前、映画が発明されたその場の空気に立ち会うことができるのが素晴らしい。

当時、フィルム(35ミリ)の長さの制約から、1本の映画は50秒だった。108本が、ナレーション(僕が見たのは立川志らくの日本語版)とともに映しだされる。

最初の1本は、リュミエール工場の門から働きおえた人々が出てくる「工場の出口」。まるでキートンの喜劇みたいな「水をかけられた散水夫」。散水夫がホースで水を撒いていると、別の男がホースを踏んで水を止め、散水夫がホースの先を覗いたとたん水が噴出する。観客席に向かって走る機関車に轢かれるのではないかと観客が逃げたことで神話になった「ラ・シオタ駅への列車の到着」。機関車のアクションと質感、機関車とホームが対角線になった構図、機関車の黒と人々の白い服が対照的な光と影。映画の原初的な魅力が50秒に詰まっている。

これらはクラシックとして僕も見た記憶があるけれど、見たこともない映像が次から次に出てくる。舟の進水式を真横から撮った1本は、手前と向こう岸で見守る人々の間を、ものすごい質量を感じさせる船が左から右へ移動する。僕は『スター・ウォーズ』第1作の冒頭を思い出した。ニューヨークの街路を撮影した、石造ビル群と路面電車。マルセイユの市街。ベトナムで貧しい子どもたちにお菓子をばらまくフランス女性や、アヘンを吸ってごろんとする中国人など植民地時代の風景もある。

写っているものだけでなく、手法もいろいろ。ヴェネツィアの運河の移動撮影。カッターにカメラを乗せての撮影は、船が波に揺れるので手持ちで撮っているように見える。後退するカメラをベトナムの少女が追ってくるショット(車に乗せて撮影?)も手持ちのような効果を出してリアル。それだけでなく、すべて演出の作品もある。ノンフィクションふうなフィクション。

映画を初めて見た人間の驚きを追体験できる。いやー、面白かった。


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November 22, 2017

松浦寿輝『名誉と恍惚』を読む

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松浦寿輝『名誉と恍惚』(新潮社)の感想をブック・ナビにアップしました。

http://www.book-navi.com/

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November 21, 2017

わが家の紅葉

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autumn leaves in my garden

今年は紅葉が遅かったけど、週末に冷え込んだせいで一気に色づいた。このカエデは若葉のとき赤く、やがて緑になり、秋に紅葉する。

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アロニア・アルブティフォリア。枝を一輪挿しに挿すと、いい感じになる。

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November 20, 2017

「驚異の超絶技巧!」展へ

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「驚異の超絶技巧!」展(~12月3日、日本橋・三井記念美術館)へ行ってきた。キャッチは「明治工芸から現代アートへ」。超絶技巧による七宝、陶磁、木彫、牙彫、金工、漆功などの明治工芸と、その技巧を受け継いだ現代アートが100点以上展示されている。

浮き彫りというより猫の頭や菊の花の立体を貼りつけたような大型花瓶(明治)と、蛇の頭が飛び出した蛇皮模様の七宝ハンドバッグ(現代)が並んでいる。皿の上に骨が露出した秋刀魚の食べ残しが載った、信じられないような一木作りの木彫(現代)。うっとりするような色彩のアジサイ模様の七宝花瓶(明治)もある。

明治工芸はほとんど輸出産業のない時代、主に輸出用につくられた。江戸の技巧を受け継ぎながら、欧米の美意識に合わせたために異胎をはらんだというか、過剰で超リアルで、時にグロテスク。職人技の極致。現代作家のものは、その技術を最新テクノロジーも使ってさらに発展させ、アートの目で捉えなおした。騙されたり、うなったり、思わず笑ってしまったり、あまりのリアルにぞっとしたり。楽しい。


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November 19, 2017

『密偵』 植民地に生きる<分裂>

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The Age of Shadows(viewing film)

『密偵(原題:밀정)』は韓国で昨年公開され、1270万人の観客を動員したヒット作。ワーナー・ブラザース韓国プロダクションが製作し、ヒットメーカーでハリウッドで監督経験もあるキム・ジウンが監督した、韓国映画の主流をゆく作品。僕が好むパク・チャヌクとかキム・ギドクとか少数派のアート系映画とは違う。1920年代、日本植民地下の朝鮮半島で、日本の総督府警務局と独立運動組織・義烈団のサスペンスに満ちた追跡劇だ。

去年、やはり植民地下の朝鮮半島を舞台にした2本の韓国映画を見た。上海にある韓国亡命政府の警官が日本軍将校を暗殺しようとする『暗殺』、日本人華族の家を継いだ朝鮮人と姪の倒錯した欲望と復讐を描いた『お嬢さん』。

どちらも植民地時代の話だから日本と日本人が悪役として登場する。とはいえこれは韓国人から見た歴史的事実として自明のこと。「水戸黄門」の悪徳代官や悪徳商人のような、善悪がはっきりした大衆エンタテインメントの約束ごとの要素が大きい。ことさら反日的な感情が映画のなかで表に出ることもなく、映画の出来もよく、どちらも楽しめた。『密偵』にもまた同じような感想を持ち、たっぷり楽しんだ。

ジョンチョル(ソン・ガンホ)は、朝鮮人ながら総督府警務局の警官。上官のヒガシ(鶴見辰吾)から、朝鮮独立を呼号し爆弾テロを繰り広げる義烈団のリーダー、ウジン(コン・ユ)に近づいて内偵するよう命じられる。ウジンはウジンで、ジョンチョルを義烈団に引き込もうと、義烈団の団長チュサン(イ・ビョンホン)にジョンチョルを引き合わせる。折から、上海から爆弾をソウルに運び、ヒガシら日本人を暗殺しよとする計画が動き出す。

この映画の日本人役は総督府幹部のヒガシと、ジョンチョルとともに義烈団を追う若い警官ハシモト(オム・テグ)。ヒガシ役に鶴見辰吾を配し、鶴見もことさら悪役面することなくまっとうに演じているので、安心して見ていられる。ハシモトを演ずるオム・テグは、日本語をしゃべり直情的な日本警官を演ずる。

映画の前半は、朝鮮民族なのに日本の警察官として働くジョンチョルの苦悩に焦点が当てられる。義烈団のメンバーから裏切り者とののしられるが、自分を引き立ててくれたヒガシにも恩義を感じている。義烈団に協力するよう求めらるが、態度を明らかにしない。このあたりの引き裂かれた苦悩はソン・ガンホの見せどころだ。

これを見ていて、先日ソウル高裁で有罪判決が出た朴裕河『帝国の慰安婦』(著作によって起訴され有罪判決が出るなど、近代国家とは思えないが)の一節を思い出した。彼女は、年齢も境遇も経緯も多様で韓国人も陰に陽に関与した朝鮮人慰安婦が、なぜ「純白のチョゴリを着た少女」として、まったき被害者の像が「公的記憶」としてつくられることになったのかと問い、こう答えている。

「韓国が植民地朝鮮や朝鮮人慰安婦の矛盾をあるがままに直視し、当時の彼らの悩みまで見ない限り、韓国は植民地化されてしまった朝鮮半島をいつまでも許すことができないだろう。それは、植民地化された時から始まった韓国人の日本への協力──自発的であれ強制的であれ──を他者化し、そのためにできた分裂をいつまでも治癒できないということでもある。換言すれば、いつまでも日本によってもたらされた<分裂>の状態を生きていかなければいけないことを意味する」

朴裕河の著作が裁判にかけられ有罪になったように、日韓の問題はすぐさま政治問題と化し、しばしば加害者対被害者、100%の黒対100%の白という単純な構図に落とし込まれる。この本は韓国人向けに書かれたもので、彼女は、植民地下の朝鮮人が味わった苦悩と<分裂>を正面から受け止めなければ、その<分裂>はいつまでも解決されないと書いている。

この映画では、日本の警官となったジョンチョルの分裂と苦悩が、「日本は悪」というお約束の物語のなかではあれ、映画の根幹をなす主題になっている。『暗殺』でも、日本軍に密通した裏切り者の苦悩が描かれていた。大衆エンタテインメントである映画のなかで、こうした主題がごく自然に描かれるようになっている。僕はそこに韓国社会(政治ではなく)の成熟を感ずる。こういう映画を、韓国の側からも日本の側からも「反日映画」と呼ぶのはふさわしくない。それは、映画の陰影に富んだ表現を政治のレベルに引き下げてしまうものだろう。

映画の後半は、中朝国境の安東からソウルへ向かう列車のなか。裏切り者は誰かをめぐる緊迫したサスペンスになる。ウジンたち義烈団の5人が密かに爆弾を持って一般客を装い列車に乗っている。それを追ってジョンチョルとハシモトが列車に乗り込む。ジョンチョルは既にウジンたちに肩入れすることを決めている。ところが情報がハシモトに筒抜けになっている。団員のなかに裏切り者がいるらしい。それが誰なのかを、ウジンはあぶりだそうとする。

列車内の追跡劇はいかにも映画的で、過去に名作もたくさんある。ここでも、義烈団に共感するジョンチョル、ひたすら義烈団を追うハシモト、団内部の裏切り者を明らかにしようとするウジン、ウジンに心を寄せる女性団員のゲスン(ハン・ジミン──彼女が主演したTVドラマ『京城スキャンダル』も植民地下のソウルを舞台にしたラブ・コメで、この時代を軽やかに描いていることにびっくりした)、それぞれの思惑をもちながらのサスペンスが素晴しい。

映画はさらにソウル駅でのアクション、拷問や裁判シーンに、最後に「お約束」のジョンチョルとヒガシの対面まであって、息つくひまもない。エンタテインメントの枠のなかであれ、日本に協力して生きる男の苦しみをじっくり描いて見せたこの映画の懐は深いと思った。

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November 16, 2017

国実マヤコ『明日も、アスペルガーで生きていく。』をいただく

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かつての仕事仲間だった国実さんから初めての著書をいただいた。

アスペルガー症候群という名前を聞いたことはあっても、どんな症状のどんな病気なのかは知らなかった。アスペルガー症候群と診断され、さまざまな形の「生きづらさ」を抱えて生きる8人にじっくり話を聞き、それをもとに彼ら彼女らの物語がフィクションに仕立てられている。

「記憶する女」「こだわりの強い男」「喜ばれたい女」「婚活の終わらない男」「演じ続ける女」「愛を表現できない男」「捨てられない女」「部屋から出ない男」── 五感が過敏で、得意なことと苦手なことの差が極端に大きく、人と調和するのが苦手。それぞれの物語が短篇小説を読むようにくっきりと立ち上がる。

アスペルガー症候群はここから先が病気で、この手前は健康とはっきり線が引けるものではない。読んでいて、これは自分のことだと感ずる人も多いのではないか。フィクションの部分には、著者自身の体験も投影されているかもしれない。だけでなく、この病気の専門家に解説してもらうことで医学的な正確さも担保している。

書籍編集者をしていたとき、国実さんとは一冊だけ写真関係の文庫を一緒につくったことがある。初めて彼女の机に行ったとき目に入ったのは、ガラスの下に入れられた若尾文子の映画の一シーン。今どきの若い女性が若尾文子か、と驚いた。僕も若いときからの若尾文子ファンで、しかも作品の好みが一緒だったので、『刺青』や『清作の妻』について年齢差を忘れて盛り上がった記憶がある。そんな個性的な彼女らしさが十分に発揮された本です。

国実マヤコ『明日も、アスペルガーで生きていく。』(四六判並製、本体1,200円+税、ワニブックス刊)

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